土曜日の読売新聞のコラムに「イタリアは第二次世界大戦の敗戦国か否か?」という面白い記事があった。日本人なら誰でも「おやっ」と思う。
翔年の歴史観では、わが国はドイツ、イタリアと三国同盟を結んで連合国と戦ったが、イタリアは早々と降伏した頼りにならない同盟国と思っていた。祖父や父の世代から「もう少しイタリアが頑張ってくれたら・・・」と泣き言を良く聞かされて育ちましたから。
ローマからの特派員の記事によるとイタリア人の歴史観は日本人と大分違うらしい。例えば
1 パルチザンが自らの手で母国をナチスから解放したのだから、イタリアは敗戦国でない。
2 終戦時には連合国側と協力していたのだから戦勝国だ。
3 だから、イタリアの終戦記念日(4/25)は『開放記念日』と呼ばれ、パルチザンの勇敢な戦いをたたえる国民の祝日としている。
「おやおや」という訳で、手元の「世界史年表」(吉川弘文館)で三国同盟の負け方を調べる気になりました。ちょっとややこしいですが、調べた結果をイタリア人になり代わって、1943年から書いてみます。
[敗戦直前のイタリアの歴史]
1943年1月 連合国、トリポリ占領
7月 ファシスト党解散
9月 バドリオ首相となる。イタリア降伏。ムッソリーニ、北イタリアに新政権樹立
10月 バドリオ、対ドイツ宣戦。
1944年6月 ローマ開放
8月 フィレンツェ開放
1945年4月 ムッソリーニ処刑。人民裁判所設置。北イタリア開放。
他の敗戦国の歴史
(ドイツ)
1945年4月 ヒットラー自殺。
5月 ベルリン陥落。
6月 ドイツ、東西に分裂
8月 四大国(米、英、仏、ソ)管理委員会成立
10月 ニュルンベルグ軍事裁判所開く
(日本)
1945年8月 ポツダム宣言受諾、無条件降伏。
占領軍最高司令官マッカーサー着任。
1946年5月 極東軍事裁判所開く。
正直にいいますと、三国のうち、イタリアの当時の歴史だけ、全然知りませんでしたから、驚きました。彼らは戦争を戦っている最中に、内戦をやっていたのですね。そして国民の手でムッソリーニを引き摺り下ろしているばかりか、バドリオ内閣はドイツに宣戦しているから、驚きです。(ドイツ人が日本人びいきなのがよく分かりますね)
最初にイタリア人の歴史観を掲げましたが、あながち的外れとも思えません。何故なら、ドイツと日本は戦勝国によって「軍事裁判所」で裁かれていますが、イタリアは「人民裁判所」で国民が戦争責任者を裁いているからです。イタリア人を見直しました。
イタリアは戦争責任者を国民が裁き、ドイツの戦争責任者は自を自らの手で裁きました。わが国は戦勝国に「この人とこの人は戦争責任者である」と決めていただいて、今もそれを信じ込んでいます。国民自らが責任者の責任を問わない、真の責任者は責任をとらないというあいまいな社会のあり方(先送り主義)が起因して、今日でも隣国からなにやかや言われては、右往左往し、国民の混乱を招いていると思います。