November 02, 2017

「増殖する世界の名言事典」をCOCONALAに出品!

 読者のみなさま、長い間Blogの更新を怠っていました。申し訳ありません。

 実は夏頃から「増殖する世界の名言事典」という事典作りに、熱中しておりました。そして85%ほど完成した今、翔年はこんなことを始めました。ネットにある「みんなの得意を売り買い ”COCONALA"」というサイトに、こんなタイトルの商品???をアップしたのです。


1.  『世界の名言を7千以上集めた電子ファイルを提供します』

2. 『あなたにピッタリの「座右銘」を提案します』


 一応、前者は2,000円、後者は500円の値段がついています。一儲けを企んでいるのではなく、「自分が得意なことで誰かの何かにお役に立てればいいな」という気持ちからです。お試し期間があって、合計5人の方々にお試し版を提供しました。詳しくは下の "COCONALA" の記事をご覧ください。(COCONALAサイトへジャンプします。このページへ戻る時は右上該当タブの×をクリックしてください)

世界の名言を7千以上集めた電子ファイルを提供します 自分の生き方の核になる名言は、きっとあなたの力になります。


 興味をお持ちの方は、ご自分の得意なことで、何か人に喜んでもらえる活動をなさいませんか?

 最後に「増殖する世界の名言事典」に採用されているアインシュタイン博士の言葉を引用して筆をおきます。


この地上における我々の立場は旅人のようなものである。我々のだれもがしばらくのお客として地球を訪れるのだが、なぜそうなるのか知らない。

時にはもっとその目的がわかるような気がすることもあるけれど。

それは、人間は他の人間のためにこの地上に存在するということである。---楽しみや幸福を共にしている親しい人々はもちろん、また同情という絆で結ばれている無数の未知の人びとのために----。

         -アインシュタイン(1879-1955, -理論物理学者)-





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Posted by mtmt0414 at 17:03Comments(0)

July 24, 2017

これはあなたのもの -もう一つのアンネの日記-

 ノーベル化学賞受賞のロアルド・ホフマン教授の自伝的戯曲「これはあなたのもの」を読みました。

 そこには戦争のさなかの拭い難い差別感情、歴史的な民族主義、ナチスや共産主義の酷さ、人々が自分や家族の命を守るためのギリギリの選択、人間の弱さと強さが提示され、愛の感動物語でありながら、「罪」と「許し」について、深く考えさせるものを訴えていることを特筆したいです。
 (これについては、作者のロアルド博士の素晴らしいご意見を後でお目にかけます。)


ちいさな写真は7才時のロアルド教授(画像クリックで拡大)
これはあなたのもの001

 この物語は1943年、ウクライナの田舎フリーヴニウの屋根裏部屋から始まる。そして舞台は1992年ごろの米国のフィラデルフィアとの間を行ったり来たりする。当時の弱小国ポーランドは強国ドイツのナチスと共産主義の大国ソ連に好き放題に蹂躙されています。その上にユダヤ人差別思想や民族主義的好悪の感情が重なって、複雑極まりない状況にあります。これほど人の命が軽い酷い時代はめったにないのではないでしょうか?

 詳しくは、川島慶子訳の戯曲「これはあなたのもの」(アート・デイズ社刊)をお読みください。
 

この劇が意味するものとテーマ(ロアルド博士の卓見)
『1937年に南京で、また1945年に広島や長崎で殺された一般市民の親族の方々は、他の人間が自分の身内にした行為を許すことができるでしょうか?
人間が行った、もしくは人間が被った害悪についての、悲惨な、しかし、覚えていなければならない記憶の中で、確かなことがひとつあります。ひとつの傷(苦しみ)を負ったからといって、そのことが他者に害を与える免罪符になるというような、道徳上の会計帳簿は存在しないということです。同時に、善行すなわち人間への害悪に対峙する、危険を伴う防止行為は特殊な状況をはるかに超えて共鳴します。私たちが同様の道徳的な行為をすることを力づけてくれます。そうしたニュースに耳を傾けた時、私たちに人間への楽観論、今では品薄でめったに見つからない有用な物、を持ち続けさせてくれます。(以下略)』


 『1941年から44年の間に300万人のポーランドのユダヤ人が殺されました。私の家族の何人かは、生き残りました。その中に母と私も入ってます。ウクライナ人のほとんどがナチスへ非常に残酷な協力をしている中で、あるウクライナ人夫妻が善行を選んだおかげで、私たちは生き残ることが出来ました。個々人の善行と集団の罪。それらを忘れずにいること、認めること、そうした記憶と認識のバランスを取る事が「これはあなたのもの」のテーマです。』


→ 読者として一言付け加えるなら、このドラマでは人間が善行と罪の双方を記憶し、認めて、バランスを取ろうとする時、男と女では微妙に違うことも巧みに表現されています。提示された違いについて観客はいやでも考えさせられるでしょう。見どころの一つと思います。


関連情報
1 作者のロアルド・ホフマン博士(コウネル大学名誉教授)は1981年、日本の福井謙一博士と共に、ノーベル化学賞を受賞されています。それだけではありません。驚いたことに、18歳で米国のコロンビア大学に通われていた時、日本文学コースを選択され、偶然、若きドナルド・キーン助教授から、直接の教えを受けておられるのです。キーン先生は、先ごろ日本国籍を取得されて「鬼怒鳴門」の名刺を作られた日本文学と日本文化研究の第一人者です。不思議な縁を感じますね。

2 この戯曲は日本(2016~)、アメリカ(2009~)とドイツ(2014~)で公演されています。

3 当時の社会情勢を知る助けになる本や映画(三つとも名作です)
 a ヴィクトール・フランクル著「夜と霧」
 b アンネ・フランク著「アンネの日記」     
 c ポーランド映画、アンジェイ・ワイダ監督「カチンの森」 

4 上記の著作者3人の名言

与えられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。
         -ヴィクトール・フランクル-  

本当に他人の人柄がわかるのは、その人と大喧嘩したときです。そのときこそ、そしてそのとき初めて、その人の真の人格が判断できるんです。
              -アンネ・フランク-

国のリーダーは勇気を持って国民に真実を伝えなければなりません。
        -アンジェイ・ワイダ-


追記:最近Blogの更新が大変滞っており、申し訳ありません。実は「増殖する世界の名言事典」なるものを、ライフワークにしたいと思って、その関係の作業に力を入れております。ときどき、Blogで、その一端を読者の皆様にお目にかけております。






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Posted by mtmt0414 at 23:18Comments(0)

April 08, 2017

本好きの愉しみ -本を贈ることも……



 本好きは何と言っても本を読むことが一番の愉しみです。

 本によって蒙を啓かれるのは当然ですが、加えて著者の考えに共感できたり、稀にはページを繰る度に著者と対話しているように感じられる本に出会ったり、またその喜びを本好きの仲間と情報交換をしたり、このBlogにその喜びを書いたりして一生過ごせます。(笑)

 その上、年を重ねてからは若い人に本を贈ることが楽しみになってきました。きっかけは一年に数回家族で会う機会がある姪との会話でした。


詩のこころ001

 息子さん二人はスポーツ少年でサッカーに夢中でした。父親もサッカーの選手だったそうですから、何の問題もないはずなのですが、母親としてはもう少し本に親しんで欲しいと望んでいると…。

 そんなことから、次の年の春休みから兄弟に適当な本を一冊づつ贈る事にしたのでした。物静かで思慮深い兄と動物好きで活発な弟をイメージして、「狼王ロボ」、「ジャングルブック」、「宝島」、「15少年漂流記」、「シートン動物記」、「バッテリー」、「14歳からの哲学、考える教科書」などを、これまで送ってきました。

 今年は兄が高校2年、弟が中学3年になるので、兄には「もう自分で好きな本を選んで読んでほしい」と手紙をつけて商品券を送り、弟には茨木のりこ著「詩のこころを読む」を送った。

 本を数年間贈っただけなのに、この兄弟の成長が楽しみでなりません。






 ついでに、近くに住む孫達(新4年生男児と新1年生女児)にも本を贈ることにしました。

 彼らは翔年の書斎に自由に出入りしているので、特に親たちからたのまれた訳ではないけれども……。


こどもの科学3月号
身の回りの疑問





 
(ご参考までに)
本好きの自分の気持をこめて、中野重治のこの詩を新高校二年生に送りました。



「Impromptu]     中野重治

高い書物を買いこんで
おれは又もや気がふさぐ
そうしておれは思い出す
オレの先祖のだれ一人
おれに書物はくれなんだと
なるほどお経は伝わったが
あれはお経で本じゃない
けれどおれはやるだろう
おれがじじいになっちまい
息子があるいは娘が大きくなった時

「これはとっつあんが若い時
こんなわけで手に入れて
胸ときめかして読んだもの
受けた影響かぞえれば
まずこれこれといったとこ
おまえにゃむかぬか知れないが
まぁ持ってって読んでみな」

息子の拒絶おそれつつ
いささか照れて言いながら
更にもおれは欲張って
その上こんなに考える
おれの息子も孫を生み
そいつが大きくなった時
じじいになった息子めが
ある日孫めをつかまえて

「これはとっつあんが若い時
じさまがわしをつかまえて
こんな説教鳴らしつつ
このとっつあんにくれたもの
そしてやっぱりとっつあんが
胸ときめかせて読んだもの
受けた影響かぞえれば
まずこれこれといったとこ
おまえにゃむかぬか知れないが
まぁ持ってって読んでみな」

孫めの拒絶おそれつつ
いささか照れて言いながら
例の本をば出すだろう

してみりゃ本はやすいもの
世間のおやじよおふくろよ
また息子よ娘らよ
高い本などつい買って
お前の気分がふさいだら
たとえ子持ちでなくっても
おまえをとっつあんまたはかあちゃんに仕立て上げ
息子や娘を配置して
そして気分を直すがいい

それがほんとの本好きの
本を大事にする仕方
してまた子孝行孫孝行
人の人たる気慰め
社会的衛生といったもの

--- なんかんとおれが手のなかの
買った本をば眺めつつ
頬っぺたあたりをさすりみる


供 奮箘Δ靴泙后





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October 25, 2016

『教団X』  -人間の闇をあますところなく描く小説-

教団X
 あるリケジョ大学生から、中村文則の『教団X』を薦められました。人間のこころの闇を余すところなく描いて秀逸でした。567ページもある長編ですが、一気に読ませる力がありました。

 読了後、「主な参考文献」というリストがついていることに気が付きました。加えて「あとがき」もありました。普通、小説には「参考文献」も「あとがき」も、余計なものは何もありません。作品のみで勝負という訳ですけどね。(笑)

 でも作者がこのような「参考文献リスト」をつけ、「あとがき」もつけた意味が、翔年は少し分かるような気持になりました。

 広くて深い知的レベルの読者が、この小説をシッカリ読んで、読後感を作者に送ったら喜ばれるのではないでしょうか???
  
 
 内容が深くて深刻なのでストーリーはバラさない方がいい、へたな読後感も書かない方がいいと思いました。
 ならば読者にこの小説をどう伝えたらいいかと考えたとき、作者の「あとがき」と「主な参考文献」をつけておくのがベターだろうと思いつきました。

 作者の次作を期待して待ちたいと思います。

 この小説を薦めてくれたRさん、ありがとう!



あとがき
 
 この小説は、僕の15冊目の本になる。

 文芸誌「すばる」で約二年半にわたり連載していた。単行本化にあたり加筆し、完成したものになる。

 世界とにんげんを全体からとらえようとしながら、個々の人間の心理の奥の奥まで書こうとする小説。

 こういう小説を書くことが、ずっと目標の一つだった。これは現時点での、僕の全てです。

 作家になって12年が過ぎた。みなさんにもそれぞれの12年がある。これからも読者とともに、歳を重ねていけたらと思う。 

 共に生きましょう。

               2014年10月20日 中村文則



主な参考文献(※非常に多いので、小説の内容が理解しやすいと思われるものを適当にピックアップしました)
「ヴェーダの思想」 中村元、春秋社、1989年
「ブッダのことば --- スッタニパータ」 中村元訳、岩波書店、1984年
「禅マインド ビギナーズ・マインド」 鈴木俊隆、サンガ、2012年

「脳はなぜ『こころ』を作ったのか」 前野隆司、筑摩書房、2010年
「<意識>とは何だろうか」 下條信輔、講談社、1999年
「生物と無生物のあいだ」福岡伸一、講談社、2007年

「宇宙が始まる前には何があったのか?」 ローレンス・クラウス、青木薫訳、文芸春秋、2013年
「新装版 不確定性原理 都築卓司、講談社、2002年
「量子力学の哲学」 森田邦久、講談社、2011年

「戦争をしらない人のための靖国問題」 上坂冬子、文芸春秋、2006年
「東京裁判」 日暮吉延、岩波書店、2008年
「従軍慰安婦」 吉見義明、岩波書店、1995年
「俘虜記」 大岡昇平、新潮社、1967年

「戦争請負会社」P・W・シンガー、山崎淳訳、日本放送出版協会、2004年
「援助じゃアフリカは発展しない」 ダンビサ・モヨ 小浜祐久監訳、東洋経済新報社、2010年
「世界の半分が飢えるのはなぜ?」 ジャン・ジグレール、たかおまゆみ訳、合同出版、2003年 
「ルポ資源大陸アフリカ」 白戸圭一、朝日新聞出版、2012年

Webサイト
VICE Japan:  




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June 05, 2016

映画「マクベス」を観た -新解釈も納得-

マクベス
 
 先日、イギリス映画の「マクベス」を観た。監督も俳優も女優も全部知らない人達だった。肝心のマクベスはどうだったか。新解釈のマクベスだったが、十分納得できる出来栄えだった。


 白状すれば翔年は活字人間なので舞台芸術は(感の鈍さが災いして)苦手なのだけれど、シェイクスピア劇は好きだ。TVドラマなんかの悪人は悪いことはやるが、そのことについてちっとも悩まない。単純人間。そこへ行くとシェイクスピアの描く人間は悪人でも善人でも、本当によく悩む。(笑) 人間の心理劇だ。作者の人間理解、舞台監督の人間理解、それを演じる俳優たちのそれぞれの解釈があって、観客に多様な見方や考え方を訴えかけてくる。台詞には二重、三重の意味が託されている。優れた芸術はみんなそうしたものだろうが……。


 舞台のことはさておき、映画のマクベスは意外な導入部から始まった。あれれっ、マクベス夫妻の幼い息子の埋葬シーン。(舞台の第1幕第1場は三人の魔女の登場のはず)

 その後はストーリィもセリフも、かなり原作に忠実に作られている映画だった。外国映画は字幕頼りの鑑賞だが、今回は古い英語(韻文?)らしくて、ほとんだ聞き取れなかった。ところが字幕のセリフは脚本や舞台のセリフと同じ見覚えあるフレーズが随所にあった。(シーンに合わせて上手く嵌めこんであった)




マクベス (2)

  帰宅途上の電車の中で、映画の名シーンを反芻していると、マダムマクベスが悪の権化みたいな一方的な描かれ方ではなかったなぁと気が付いた。もちろん人殺しを主人マクベスにするように仕向け、なにかにつけ悩み、弱気になるマクベスを、強烈に煽る基本的役回りは変わらないけど…。 どうやら、冒頭のシーンと関係がありそうだ。


 想像をたくましくすると、マクベスは武将だから、多分家庭はおろそかにせざるを得なかっただろう。企業戦士だった現在の我々がそうだったように…。ひょっとしたら、戦いの遠征中で最愛の息子の死に目にも会えなかったかもしれない。そういう状況で最愛の息子をなくしたとしたら、マダムマクベスの「喪失感」は大きく、夫への失望感も大きかったにちがいない。心を病む遠因になった可能性がある。 夫婦の間の亀裂も生じた……。

 これがこの映画監督ジャスティン・カーゼルの新解釈だったのではないだろうか?
 
 シェイクスピアも、城と妻子を置き去りにして外国へ逃げた城主マグダフのことを夫人にこう語らせているから、あながち見当違いではないと思う。
マグダフ夫人: 「分別! 妻を捨てて赤ん坊たちを捨てて屋敷も財産もそのまま捨てて自分だけ逃げることが? 愛がないのですよ。情なしなのですよ。鳥のうちでも一番小さいみそさざいさえ、巣の中の雛を守るためならふくろうとだって闘います。(以下略)」

 小さい小さい私事ながら、初孫の誕生の時、翔年はアメリカで碁を打っていて、すぐに赤ん坊の顔を見に産院に行けなかった。これをヒドイ男だと何かにつけて蒸し返されてる。(笑) 女とはそうしたもの?

 
 それにしても、イギリス映画の風景シーンは荒涼としていて暗いなぁ。ストーリィとはピッタリだけど…。

 



男というものはいつもそうだが、わが家から離れているときが、いちばん陽気なものだ。
          -シェークスピア−

女には、どうしてもわからないテーマが一つある。おとこは仕事に注ぐだけの情熱をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。
          -D・デックス-




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May 26, 2016

Inpromptu(即興詩)  -中野重治-

  この「即興詩」は翔年が 高校三年(1960年1月頃)の時に書いたノートからコピーしたものです。 生意気盛りの19歳、中野重治の詩がお気に入りでした。

 詩だけでなく、当時読んでいた小説や評論から、気に入った文章をところかまわず抜萃したノートが2冊あります。 ノートは黄ばんで痛んでいるし、青インクは黒っぽく変色していますが、55年以上たっているのにちゃんと読めます。当たり前? 


 ちょっと長いですが、この歳になって読んでもちょっといいなと思いました。いや、今の自分にぴったしかも…。(笑) 

impromptu



Impromptu    中野重治

  
高い書物を買いこんで
おれは又もや気がふさぐ
そうしておれは思い出す
おれの先祖のだれ一人
おれに書物はくれなんだと
なるほどお経は伝わったが
あれはお経で本じゃない
けれどおれはやるだろう
おれがじじいになっちまい
息子があるいは娘が大きくなった時
  「これはとっつあんが若い時 
  こんなわけで手に入れて
  胸ときめかして読んだもの
  受けた影響かぞえれば
  これこれこれといったとこ
  お前にや向かぬか知れないが
  まあ持ってって読んでみな」
初嵐抜萃ノート
息子の拒絶おそれつつ
いささか照れて言いながら
更にもおれは欲張って
その上こんなに考える
おれの息子も孫を生み
そいつが大きくなった時
じじいになった息子めが
ある日孫めをつかまえて
  「これはとっつあんが若い時
   じさまがわしをつかまえて
   こんな説教鳴らしつつ
   このとっつあんにくれたもの
   そしてやっぱりとっつあんが
   胸ときめかせて読んだもの
   受けた影響かぞえれば
   まずこれこれといったとこ
   お前にや向かぬか知れないが
   まあ持ってって読んでみな」 
孫めの拒絶おそれつつ
いささか照れて言いながら
例の本をば出すだろう

してみれや本はやすいもの
世間のおやじよおふくろよ
また息子よ娘らよ
高い本などつい買って
お前の気分がふさいだら
たとえ子持ちでなくっても
お前をとっつあん又はかあちゃんに仕立て上げ
息子や娘を配置して
そして気分を直すがいい
それがほんとの本好きの
本を大事にする仕方
してまた子孝行孫孝行
人の人たる気慰め
社会的衛生といったもの
-----なんかんとおれが手の中の
買った本をば眺めつつ
頬っぺあたりをさすりみる


  
そんじょそこらの若い衆が
しゃれたネクタイ咽喉にさげ
鞄に弁当おしこんで
午後の天気を気にしつつ
気をひったてて出かけ行く
それをばおれは賛美する
つらい苦しいこの世では
とかく元気がことのもと
げんきにさえなることならば
靴もみがけ歯もみがけ
胸のかくしのハンケチも
はなハンケチが別にあれゃ
青いのなんかもわるなかろ
ばあさまなんぞがごとごとと
いってることはみな違い
そうではないと知っている
詩人のおれが君たちの
月賦の折り目の弁護人
どこどこまでも引受ける
    


 この詩の20ページほど後ろに、◎印つきのパスカルのこんな章句が書いてありました。

 ◎ 人間のむなしさを十分に知ろうとするならば愛の原因と結果を考えてみさえすればよい。その原因は「何だか私にはわからないもの」であり、またその結果はおそるべきものである。   -パンセ−

 

蛇足
ノートの題名「初嵐」について: 初嵐とは立秋後はじめて吹く風を言う。当時、何か心身に強風を受けた感覚があったのかもしれません。




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May 15, 2016

なんと呼ぼうと薔薇はバラはの香りがする!

     玄関先のつる薔薇  by iPhone(05/15)
つる薔薇

 毎朝、起きてすぐ新聞をとりに玄関を出たとたん、薔薇の香りにまとわりつかれる幸せに浸ってます。(笑)
 今年もたった一本のつる薔薇が見事に咲いてくれました。


 たくさんの薔薇の花の香りにつつまれながら、前の道路に出て写真を撮っていると、先日お亡くなりになった故蜷川幸雄演出の「ロミオとジュリエット」の名シーンが少しずつ蘇ってきました。


 思い出したシーンの台詞はこんなやさしい英語だそうです。が、名前と実体との関係は、なかなか哲学的で難しい。
"That which we call a rose by another name would smell as sweet."
 
 梅田の芸術劇場で観たのは松岡和子さんの新訳でしたけれど、あいにく手元にない。中野好夫訳でどうぞ。




「ロミオとジュリエット」 第二幕第2場 キヤピユレット家の庭園
(ロミオは夜の庭園に忍び込んで窓辺を窺っている。そこへジュリエットが二階の舞台の窓に現れ、苦しい胸の内を表白しはじめるシーンから)

ジュリエット:「ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜロミオ様でいらっしゃいますの、あなたは? あなたのお父様をお父様でないといい、あなたの家名をお捨てになって! それとも、それがおいやなら、せめてわたしを愛すると、宣言していただきたいの。さすれば、わたしも今をかぎりキャピュレットの名を捨ててみせますわ。」

ロミオ:(傍白)「黙って、もっと聞いていようか、それとも声をかけたものか?」

ジュリエット:「仇敵(カタキ)はあなたのそのお名前だけ。たとえモンタギュー家の人でいらっしゃらなくても、あなたにお変わりはないはずだわ。 モンタギュー --- なんですの、それが? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、人間(ヒト)のからだについた、どんな部分でも、それはない。 後生だから、なんとか他の名前になっていただきたいの。 でも、名前がいったいなんだろう? わたしたちがバラと呼んでいるあの花の、名前がなんと変わろうとも、薫りにちがいはないはずよ。 ロミオ様だっておんなじこと、名前はロミオ様でなくなっても、あの恋しい神のお姿は、名前とは別に、ちゃんと残るにきまっているのですもの。ロミオさま、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、そのお名前の代わりに、このわたしのすべてをお取りになっていただきたいの。」

ロミオ:「お言葉どおり、ちょうだいしましょう。ただ一言、ぼくを恋人と呼んでください。すれば新しく洗礼をうけたも同様、今日からはもう、たえてロミオではなくなります。

ジュリエット:「まあ、たれ、あなたは? そんな夜の闇にかくれて、人の秘密を立聞くなんて?」
(以下は劇場か脚本で楽しんでください)


「ロミオとジュリエット」の稽古場の故蜷川幸雄、彩の国さいたま芸術劇場にて(1997年) by 東京新聞
蜷川幸雄2本棚のシェイクスピア

 蜷川演出によるシェイクスピア劇は史劇の「リチャード三世」「コリオレーナス」、喜劇の「間違い続き」「じゃじゃ馬ならし」「空騒ぎ」など、シリアスな悲劇の「ハムレット」「オセロ」「マクベス」など、たくさん楽しませてもらった。

 最高の舞台劇だったけど、その他にも、若い男優ばかりで演じられたリ、台詞がラップのリズムになっていたり、日本語で本場イギリスで公演して大好評を博したり、いつも話題がいっぱいでした。 

 もっともっと、たくさん観ておくべきでした。 もう蜷川演出のシェイクスピアは観られない。

 ご冥福をお祈りいたします。(合掌)



蛇足: 「ヘンリー六世」を見た時の事です。主演は大竹しのぶのダブルキャスト(マーガレットとジャンヌダルク)だった。その名演技の余韻に浸りながら、彼女の後援会のアンケートに記入していたところ、末尾に「無料の後援会に入りませんか」とあった。翔年は無料に弱い。でも、人生、何が幸いするかわからない。(笑) そのおかげで、この間、彼女の「エディット・ピアフ」を観ることができました。



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April 27, 2016

遅すぎたエッセイ友達の花見 

  
 8年前にNHKカルチャーで知り合ったエッセイ仲間7名が、24日(日)に「いきいき塾」で観桜会をすることに早くから決まっていました。久しぶりに顔を合わせるということで、翔年も張り切って1ケ月前の桜木を幹事さんに送ったり、1週間前の花盛りの映像をみせたりして、みなさんの期待はいやがうえにも高まっていました。(笑)

 ところが好事魔多し、中心人物の幹事のOさんは九州で独り暮らしのお母上が地震で被災されたとかで欠席、一方桜の方は盛りを過ぎて、当日は葉桜状態ということになりました。

 けれどこの会は日程を決めたら、葉桜であろうと、毛虫が一杯おろうと、何が何でもやるということでした。幸い枝垂れ桜は、ソメイヨシノのようにパッと散ってしまう訳ではないので、散り残った花と葉桜観桜会ということでやりました。


幻想的と評された1か月前(3月)の桜木と1週間前(4/16)の盛りの桜
BlogPaintBlogPaint


 7人の年齢層は下は子育て終了間際、上は翔年も含めて人生終了間際予備軍(笑)です。

 仲間の実力はと言えば、橋田寿賀子の脚本コンテストで最終選考に残った脚本家の卵やら、新聞投稿の実績がある方やら、カルチャーの元講師やら多士済々。まだこれから花を咲かせそうな猛者ばかり。朝日カルチャーでたった1年間一緒に学んだだけなのに、文は人なりと言われるように、お互いの気持ちがよくわかりあえてる、ちょっと今まで経験したことのない不思議な人間関係の仲間です。



エッセイ友達3エッセイ友達1


 短い時間ではありましたが、それぞれが近況報告やエッセイの発表や脚本のプロット披露など、思い思いに材料をだして、ワイワイガヤガヤと楽しく過ごしました。




****************************************
以下は翔年が去年あるWebsiteにアップしたものを手直しして、当日発表したもの。


2015年03月10日 16:13 ユリウスの雑学コレクション(2)より

 「柿木、柿木問答、渋柿、熟柿、吊し柿」

 僕が生まれ育った丹波地方では、村のちょっと古い家の庭にはたいてい柿木が1本や2本は植わっていた。お年を召した方なら、それが普通の山村風景だったと懐かしく思い出されるのではないだろうか。
 ちなみに、僕の生家の庭にあったのは「百匁柿」、「久保柿」、「富有柿」と「御所柿」だった。

 Fig.1 今も残っている富有柿(下方の枝の柿はすべて収穫済み)
塾の富有柿

 田舎の柿木の風景をしっている人でも、「柿木問答」はご存じない方が多いのではないだろうか。

『柿木問答』
(深夜、縁側から寝室に向かってささやき声で…)
♂「あんたとこに柿木あるの?」
♀「ハイ、あります。」
♂「よう実がなりますか?」
♀「ハイ、ようなります。」
♂「わたしが上(ノボ)って、ちぎってもよろしいか?」
♀「ハイ、どうぞちぎってください。」
♂「そんならちぎらしてもらいます。」

 もう日本のどこにもこの夜這いの風習は残っていない。まだそんな風習の残っていた頃の、ある地方の男と女の導入部の定型会話だと言ったら、なんとなくご理解いただけるだろうか?
 「そんなら契らしてもらいます。」と言うが早いか、男は縁側から布団にもぐりこんだのです。(笑)
 
 そんなところから「柿」にはエロティックな連想がはたらくようになり、暗喩として歌に歌われたり、小説のタイトルなどに使われている場合があるが、、案外気づかれていない。

 昔、柿は嫁の木だったらしい? 有吉佐和子の小説「紀ノ川」では三代にわたる女たちの一生が描かれており、柿木が女達に密接にかかわっている。小説の展開につれて、「紀ノ川」の柿木は次第に女の象徴になっていく。

 また、別のこんな談話記録も残されている。「これらの柿の多くは、娘が嫁に行く時、里から持って行ったのだという。そして嫁ぎ先で一生を終えたとき、里から持っていった柿木で焼いてもらうのである。柿の木の成長は、又自らの死の近づくのを意味していた。」

 知識というにはおこがましいが、こういうことをなんとなく知っていると、下の芭蕉の句もこのような古い村が深くイメージできるように思えてくる。

里ふりて柿木もたぬ家もなし    芭蕉


 ところで、夏目漱石のあだ名は「柿」。名付け親は親友の正岡子規だった。彼の漱石評は納得させられる。

「ウマミ タクサン。マダ渋ノヌケヌノモ マジレリ。」 


 意外なことに、柿は俳句にもよく詠まれている。

ちぎりなきかたみに渋き柿二つ   大伴大江丸

頬ぺたに当てなどすなり赤い柿    小林一茶

存念のいろ定まれる山の柿     飯田龍太



 囲碁好きの僕は「柿喰えば…」の法隆寺の句より、これがいい。

淋しげに柿食ふは碁を知らざらん  正岡子規


 柿のことをいろいろ書いてきたが、最後に○?△□らしき話で終わりたい。柿木はどうやら女の一生と密接だというのが、「紀ノ川」や古老の談話から明らかになった。僕はもう一歩踏み込んで、食べる身になって柿の実の熟成に注目したい。

1 柿は若いうちは、どれを喰っても渋いらしい。よく知らんけど。

渋かろかしらねど柿の初契り     子規

 正岡子規も「柿木問答」を知っていたことは間違いないですね。(笑)

2 ところが、色づき始めると、ようやく独特の甘味が味わえるようになる。が、まだ渋みも残っているらしい。前出、子規の漱石評のとおり。

ウマミ タクサン。マダ渋ノヌケヌノモ マジレリ。

3 それがどうだ。熟柿(ジュクシ)になると、少しぐらい形が崩れておろうが、カビが生えかけておろうが、どれもこれも舌で転がして味わうと旨い。 時には向こうから口に飛び込んでくる。(笑)

口腔に殺到すべき熟柿かな 相生垣瓜人


 ここまで話を進めてくると、熟女から「干し柿はどうどす?」の声あり。どうどすも、こうどすもない。緊縛と被虐やんか。歌にもありまっせ。 (ご注意、贋作混じれり)

両脚を縛られ吊るされさるぐつわ敢えて志願の人口人魚     川上史津子

たのしみは 吊るした柿の くすぼりを 水にあらって 軒に干す時(緊縛、吊るし、入浴、露出)

たのしみは 囲炉裏のうえに 柿吊るし 雪のふる夜も 薪をづぐ時(緊縛、吊るし、ローソク?)

                                      (おわり)
*********************************************


会の最後のご挨拶

本日は遠い田舎まで足をお運び下さり、こんな雑文までお読みいただき、本当にありがとうございました。

春風の花を散らすとみる夢は覚めても胸のさはぐなりけり 西行

葉がくれに散りとどまれる花のみぞ忍びし人に逢う心地する 西行

花もまた別れん春は思ひ出でよ咲き散るたびの心づくしを 殷富門院大輔
(意訳)
桜よ、お前もまた、私が死に別れていく春は思い出しておくれ。お前が咲くとては、散るとては、その度ごとに、私が心を悩まし気をもんだのを。


蛇足:
私ごとですが、今月75歳になり、人生はには「三つの段階」があるということを悟りました。
「青少年期」「中年期」 そして「まぁ、なんてお元気なこと」と言われる時期。(笑)


 

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February 23, 2015

俳句について考えたこと - ある方へのメール-

 最近、Facebookや他のSNSやメールや、なにやらかやら、遊び呆けていてBlogの更新が怠り勝ちになっています。決して穴埋めではありませんが、俳句のお好きなある方に送ったメールをコピーします。

 翔年の俳句界に対する懸念や文学としての俳句そのものに対する思いを含めて書いていますので…。


*******************************************************

「俳句は究極の文学」? ちょっと意味がわかりません。
「有名な句と似ることも多い」?
 

 有名な句とそうでない句の分け方を知りませんが、似た句は一杯ありますね。
特に問題なのは、句会か何かで入選発表された句が、前作があったとか類似句であったとか言って、後から取り消されることがちょくちょく起こることです。選者が全ての句を把握できるわけがないので、今後もありうることと思います。

 ご存知のように、工学や経済の分野では不備ではありますが、特許や実用新案登録、商標登録等、知的財産として先人の業績を尊重しています。

 論争するつもりはありませんが、俳句のリーダーはこの問題をどう考えておられるのでしょうね。他人ごとながら、あいまいなまま放置されているのは良くないように思っています。


 もう大分昔のことですが、漱石先生の類似句も発見しています。

叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉     夏目漱石(1867/2/9-1919/12/9)
叩かれて蚊をはく昼の木魚かな    大田南畝(1749/4/17-1823/5/16)

 語順を変えただけの漱石先生の句の調子が好きですが、なんせ100年前に作られた類似句なので、どうすればいいのでしょうね。博覧強記の先生、もしかしたら、先人の句を添削されたのかもしれませんね。(笑)


良寛さんのこんなのも見つけました。

うらを見せおもてを見せてちるもみじ    良寛(1758/11/2-1831/2/18)
裏ちりつ表を散つ紅葉かな         谷木因(1646-1725)

これは翻訳?した句とでも言うのかな。
これも良寛さんの句の方がすきですけれど…。

「英語のHaiku」?
アメリカの碁友、Mr.Allan Abramsonはこんな自分の句を見せてくれましたよ。
どうでしょうか? 

The leaves fall too soon
A yellow bird takes a bath
The pale sun coming

Twilight suddenly dropping
Over the garden we sit
Colors fade and chill

Black branches, bright sky
Shadows flicker in the trees
Whispering Autumn


つづきは後日。

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November 29, 2014

「後妻業」という新ビジネス? -黒川博行の小説「後妻業」-

後妻業001
 「後妻業」という最近のビジネス?小説をよんだ。作者は今年直木賞を受章した黒川博行氏。なかなか歯切れの良い文体で新商売が活写されていて秀逸。

 へたに翔年が解説するよりも、じかに中身を引用して感じてもらった方がずっと良い。後期高齢者予備軍(翔年もその一人)は老後の備えに役立つことまちがいなし。(青字は引用文です)
 ちょっと品位を欠く表現が頻出しますが、「後妻業」という特殊な新職業を描いているためやむを得ない。お許し下さい。



後妻業の経営者:
 金がほしいんやったら爺を紹介したる。一千万でも二千万でも、おまえの手練手管でかせげや。

→ 「後妻業」起業の薦めか? 後妻業の経営者は結婚相談所と密接に連携していることが多いが、とにかく自立した生き方を教えてくれるらしい。儲け折半で、業務のコンサルもしてくれるというから、起業しやすいらしい。

経営者:
 爺を騙すのは功徳や。

→ 孤独老人救済事業? という側面もあるらしい。

脂ぎったアボガド爺。

→ 色黒で脂ぎった皮が厚いお年寄り? 業界用語である。表現が秀逸。

新しい後妻業の女性:
 「竿師」ってなによ。

経営者:
 股座の竿で女を釣るんや。

→ 経営者は業界用語も噛んで含めるように教えてくれる。


 詳しいことは小説をお読みいただくとして、手広く繁盛していた「後妻業」のアウトラインを小説から引用してキーボードを閉じます。
「(前略)あいつはあんたのことを一から十まで調べ上げている」
「黒澤小夜子、昭和18年、門真で出生。結婚して星野。……(中略) 星野、岸上、西山から武内まで、あんたが籍をいれた男の名前はみんな知っていた。(中略) 末長が比叡山で死んだことも、名城が白浜で死んだことも、元木と武内が徳島のつるぎ町で死んだことも、なにもかも本多は調べてメモ帳に書いていた。そいつを報告書にして弁護士に渡すと、おれを脅しよったんや」

 → 安易に起業するとこのようなリスクがあります。(笑) 




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November 09, 2014

歳をとるってどんなこと -芹沢春江さんと茨木のり子さんに学ぶ-

今朝、幼馴染のおkeiさんから、紅葉や花の美しい写真付きのこんな配信があった。


兎原のもり便りの皆様
久し振りに神戸市北区にあるしあわせの村へ行って来ました
よくこんな遠い所まで3年間も通ったものだと13年前に思いを馳せながら
秋真っ只中の村内の散歩しました
紅葉は華やかな半面、一抹の寂しさを感じたのは私だけでしょうか?


  朝刊に芹沢春江さんが 84歳 の時、年賀状に書かれた詞の事がありました
  ご存知の方も多いと思いますが・・・(童謡 ウサギとカメよ の旋律で歌ってみてください)

  1、年をとるってどんなこと
    忘れっぽいというけれど
    一杯詰まった知恵の箱
    出すのにちょっと迷うだけ

  2、年を取るってどんなこと
    耳は遠いし目も悪い
    あらゆる事をキャッチして
    私を育てた疲れです

  3、年を取るってどんなこと
    腰が曲がると言うけれど
    お世話になった人々に
    感謝感謝の姿です

 4、年を取るってどんなこと
   だれでも同じ年を取る
   どうせ取るなら元気よく
   楽しく年を取りましょう 
  


 楽しく歳をとりましょうというメッセージを込めた楽しい詩ですね。後期高齢者予備軍の翔年は歳のとり方や死に方に大いに関心がある。成り行きまかせの「自然体の老い方」がいいのか、それとも「積極的に老いに向かう老い方」がいいのか、意見の分かれるところではあります。

 どちらかと言えば翔年は積極派、だから茨木のり子さんのこんな詩が大好き。(73歳の時の作品)

茨木のり子

  倚りかからず      

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目
じぶんの二本の足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ



 すごい気魄です。でも翔年は背もたれに寄りかかって本を読むことくらいはできると思っていたら、それを見透かしたようにのり子さんはもっとラジカルに生きなさいとおっしゃる。「これを指針にして生きよ!」と…。


  自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



 気概をもって生きるのは素晴らしいことだと思う。ただし、翔年の場合、独りよがりのとこがあるから、判断力の欠如から周囲に迷惑をかけることが大いにありうる。さて、どうしたものか? (笑)




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October 17, 2014

『軍医殿! 腹をやられました』 -軍医の娘、中野圭子さんが本を再販- 

 一昨日、同志社岩倉高校卒業55周年の集いが宇治の「花やしき浮き舟園」であった。63名の懐かしい顔や誰だか全然分らない顔にたくさん出合った。(笑)
 それでも多士済々の級友達が55年間のそれぞれの歴史(個人情報)を開陳するのだから、興味が湧かないものは一つもありませんでした。今日のエントリーはその中の一人、中野圭子さんの父上のビルマ戦記「靖国街道」の再販についてです。

中野信夫著「軍医殿! 腹をやられました -インパール作戦ビルマ背走記」 かもがわ出版刊(カバーは著者の手になるもの)
中野圭子の本001
 まず、彼女がお父上の著書を再販したいきさつをお聞きください。(はしがきより)
 (前略)私の父は軍医として33歳でこのインパール作戦に参加、コヒマから撤退してビルマ南東部を転戦する中で終戦を迎え、英国軍の捕虜となって一年近く労役につき、1946年(昭和21)年7月に復員しました。父の所属する第31師団第138連隊第2大隊は、作戦開始時には1050人将兵がいましたが、生きて日本の土を踏んだのは100人余りと十分の一の生還率でした。(中略) 自宅療養中につづったのがビルマ戦記「靖国街道」(1976年刊)です。(中略)
 この本を手にしてくださった方にお願いします。「なぜ世界中で<死にたくない人>がいのちを絶たれてしまう戦争がくりかえされるのか」、じっくり時間をかけて考えてみてください。(以下略)

→ インパール作戦とは1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルート(連合軍が蒋介石を支援する物資輸送ルート)の遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことです。補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用されています。


 翔年は伯父からソ連での長い苦難の抑留生活物語をなにかにつけて聞いて知っている。ところが翔年の次の世代になると文字どおり戦争を知らない子どもたちなので、中野さんが本の「再販」を決断をなさったことは大きな意味があると信じます。

 ちょっと本のページを覗いて見ましょう。
第1章 コヒマへ突進 インパール作戦はじまる
 インパール作戦の開始日は、1944年(昭和19)年3月15日でした。その前夜から、私が所属する第2大隊は、ビルマ北部、コウヤ付近のチンドウィン河岸に集結していました。(中略)川を渡る最中に敵の攻撃を受けたら……と思うと、胸が締め付けられるような緊張がはしりました。

→ こうしてこの部隊は2ヶ月間戦闘をします。軍医殿も白兵戦をまのあたりにします。この間に日本軍の戦力は低下し、一方、英軍は応援兵力を得て攻勢に出てきます。そしてついにコヒマからの撤収命令が出ます。

第2章 コヒマからの撤退 ”白骨街道”を背走
 街道沿いの村落は、どこも日本軍の兵量集めに荒らされ、50kmも奥地に行かないと入手できない状態でした。
 私たち第2大隊も被害をうけまhした。食塩などの食料を武装した日本兵に巻き上げられたのです。路傍の傷病兵がまだ生きているのに靴を奪い取られている姿を、何度か目撃しました。

→ 軍医殿の目は冷静に戦場の人間の行動を見ていますね。

第3章 イラワジ会戦と英軍の攻勢
 第138連隊を”必勝部隊”と”敢闘部隊”に分けるという話です。必勝部隊はタイ、マレーに転進、敗戦経験のない下士官、兵と合体して戦力部隊をつくり、局面の転換を図る。一方、敢闘部隊は現地にとどまり、南下してくる敵に死力をつくして戦う。必勝部隊には現役将校と若干の優秀な下士官と含むが、兵は用員以外とらない--というものです。私たち第2大隊は、隊長以下ほとんどが敢闘部隊ということになります。

→ ここで軍医殿は「この二分方式は現役、すなわち高級指揮官の身勝手な発想である--というのが、第2大隊のおおかたの見解でした。」と明確に記述されています。組織の下から見たほうがよく見えることがある。

 「兵隊や予備役は消耗品」を当然視する陸軍の思想が、はしなくも露出したものでした。このもやもやと不快の最中に「玉音放送」がありました。

→ あの日本の一番長い日、昭和20年8月15日です。

第4章 敗戦、収容所 そして帰還
 爆撃で落ちたビリン河の鉄橋を再建している英軍工兵隊に協力する、というのが私達の役務でした。第138連隊から350人のほか、第58連隊の将兵も参加し、人数は約1000人にのぼりました。その作業隊を第58連隊の少佐が統括しました。

 → その数年前には日本軍が英国の捕虜を使って、クワイ河に鉄橋をかけていますね。映画「戦場にかける橋」を見た方もいらっしゃると思います。この映画では捕虜の扱いが酷い日本軍とそれでも誇り高い規律ある英軍の兵士たちが描かれていましたね。歴史の皮肉です。
 翔年の伯父もソ連の捕虜となって長い抑留生活を送っています。僕達の世代は戦時中は赤ん坊だったため戦場には行きませんでしたが、戦争の被害を何らかの形で受けています。翔年の祖父は戦後GHQから「公職追放」にあっています。(後に解除された)
 碁友のアメリカ人のK氏の場合は奇跡的です。両親がユダヤ系ドイツ人だったため、ナチの手を危ないところで逃れてアメリカに渡られたのですが、彼はお母さんのお腹の中にいたということです。
 
著者のあとがき
 インパール作戦に参加した第138連隊の生き残りの者にとって、第31師団(烈)の佐藤幸徳師団長は、命の恩人として尊敬されています。第15軍(林)の牟田口廉也軍司令官の思惑通りに動かず、厳しい軍命に抗してコヒマ撤退を決断されたからです。もし、佐藤師団長の撤退命令がもう2週間遅かったら、第2大隊は全滅していたでしょうし、私の命もなかった、と思っています。(中略)
 戦争に負けたことが、天皇を頂点とした軍部の権力政治を転換するきっかけとなり、生き残った日本人が、人間らしい生活を始める第一歩だったと思います。
 この戦争で命を落とされた幾多の方々へ哀悼の合掌をもって稿を閉じたいと思います。

→ 翔年も同じ思いです。合掌!


 この本は定価600円(+税)です。もしお入用の方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。中野さんへの連絡の労を喜んでとらせて頂きます。その場合はワンコイン(500円)ポッキリです。左蘭の「いきいき塾とは」に世話人へのメールアドレスが書いてあります。





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June 04, 2014

語源の快楽(28) - ルビ -

 演出家の鴨下信一氏の「ルビつき」という随筆(文藝春秋6月号)に、面白いことが書いてあった。翔年は好奇心をいたく刺激されたので、ネットでも詳しく調べました。新しい言葉が生れる機縁は本当に面白いと感じた次第です。


 活字の大きさを示すのにイギリスの印刷業界ではポイントを使っていた。それが我が国に導入された。ポイントは味気ない数字で呼ばずに、例えば
9ポイント=ブルジョアジー
6.1/2ポイント=エメラルド
5ポイント=パール
5.1/2ポイント=ルビイ
などと呼ばれていたという。

 そのうち漢字を使う我が国は独自の「号数活字」という規格をつくり、初号〜八号にいたる9段階になった。号数とポイントと関連付けると
初号=42ポイント
八号=4ポイント
に相当した。

 当時、印刷物の漢字には振り仮名をつけるのが普通だった。それによく使われたのが七号活字で大きさが1.884mmだった。(細かい数字で恐縮ですが、ここがポイントなのでご辛抱下さい)この大きさはイギリスのルビイの1.933mmとほぼ同じ大きさだったことから、業界用語として「難しい字にルビイを振る」という言い方が生れた。その「ルビイ」が日本流になまって「ルビを振る」となって、ルビは「振り仮名」という意味を持つに至ったらしい。

 因みに「六号活字」という際どい隠語があるそうな。意味は「悪口を書いた文、すっぱ抜き文などの総称」を表すという。なぜならこの種の文章は六号活字で書かれていたから。
 悪口を言いふらしたり、口の軽い男のことを「六号男」とか「六号居士」と呼ぶのも面白いかもしれませんね。

※1ポイント(Pt)=0.3514mm


蛇足:
ネット上でもHTML言語をを使えば、振り仮名が使ええると知ったので、ちょっと挑戦してみました。
紫陽花(あじさい)が咲いている。

そうなると、こういう表記もできる事例として示しておきたいですね。読者のCRTでうまく表示されたらご喝采。(笑)
山小屋(ヒュッテ)が建っている。





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December 31, 2013

興味つきない歴史小説"HHhH" -ハイドリッヒとはいかなる男だったか-

 この人をくった書名、HHhH"とはドイツ語のHimmlers Hirn heist Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリッヒと呼ばれる)の略語だという。こういう凝ったというか、訳のわからない題名の小説はたいていつまらないものが多い。ところがこの書はまったく違った。今年度の掉尾の一振だった。



 著者のローラン・ビネはフランスの新人作家で、この小説は「ゴンクール賞最優秀新人賞受章作」。ユダヤ人大量虐殺の首謀者、「金髪の野獣」と呼ばれたハイドリッヒ、彼を暗殺すべく、ロンドンに亡命していたチェコ政府がプラハに二人の青年を送り込む。歴史的背景にはナチの残虐さとそれと闘う抵抗運動の歴史がある。
 登場人物はすべて実在の人物、実名で物語りは進行する。物語の半ばに「類人猿作戦」と呼ばれるハイドリッヒ暗殺のためにパラシュート部隊員の二人の青年「ヨゼフ・ガプチーク」と「ヤン・クビシュ」が登場してから、終盤のクライマックスまで息もつがせない迫力である。
 二人の青年のプラハでの行動を支援する名もないチェコの人達のけなげな善意や献身にも心打たれた。家族を危険にさらす心配があるにも拘わらず、抵抗運動を支援した人とその家族のほとんどは命を落とすことになった。著者が「歴史だけが必然だ。どんな方向からも読めるけれど、書き直すことはできない」という言葉が胸に迫る。殺された人は蘇ることはないのだから。彼らにたいする敬意と弔意を忘れずに記しておきたい。




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October 27, 2013

祈り - 谷川俊太郎「二十億光年の孤独」より -

谷川俊太郎「二十億光年の孤独」 螢汽鵐螢刊
谷川俊太郎001



 祈り

一つの大きな主張が
無限の時の突端に始まり
今もそれが続いているのに
僕等は無数の提案をもって
その主張にむかおうとする
(ああ 傲慢すぎる ホモ・サピエンス 傲慢すぎる)

主張の解明のためにこそ
僕等は学んできたのではなかったのか
主張の歓喜のためにこそ
僕等は営んできたのではなかったのか

稚い僕の心に
(こわれかけた複雑な機械の鋲の一つ)
今は祈りのみが信じられる
(宇宙の中の無限小から
宇宙の中の無限大への)

人々の祈りの部分がもっとつよくあるように
人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように
ねむりのまえに僕は祈ろう

(ところはすべて地球上の一点だし
みんなはすべて人間のひとり)
さびしさをたえて僕は祈ろう
一つの大きな主張が
無限の突端に始まり
今もなお続いている
そして小さな祈りは
暗くて巨きな時の中に
かすかながらもしっかり燃え続けようと
今 炎をあげる





電車での素朴な演説

 ----なにしろ赤信号はつきっ放しなのです

このきれいで明るい電車に
みんなやっぱりおんなじ目的で
のりあわせたのだし
こんなきれいで楽しい電車に
乗れるだけでも
幸せなのだから
電車をもっとよくしようと
ささやかなのでも みんなの努力が
必要なのではないでしょうか
(終点も知らず 始点も知らず
見知らぬ未来の沿線を望み)
いろいろの荷物は肩に重く
電車も時々ゆれますが
みんなおんなじ道連れなのだと
只 この線路のみが幸福なのだと
みんなが思えば
こんな大きく重い電車も
みんなの思いで
だんだん明るい風景の方へ
運転出来ると僕はほんとに信じています
ノオ スモオキング
ノオ スピッティング
書かれなくても美しいこころは守れる筈です
さあしっかりひとつの吊革をつかみ
みんなのこころで赤信号を
消そうではありませんか

 ----赤信号はつきっ放し
   勾配もけわしい というのに
   ああ 僕にはこんな演説だけしか出来ないのか

どうにかみんなで
明るい風景の方へ運転したい
こんなきれいで楽しい電車を
汚く傷つけ
暗いトンネルの中で故障させるなんて
全く堪えられません

 ----みんなの電車
   みんなのおんなじ一つの電車
   ああ 予備もない

   せめて祈りを……
  




谷川俊太郎002

 突然、詩が読んでみたくなったのはほかでもありません。近くに住む可愛い孫達の影響です。

 二歳の孫(女児)が絵本「これはのみのぴこ」にいま夢中。我が家を遊びに訪ねてくるたびに、書斎にはいってきて読んでくれとせがむ。そいえばこの子の兄もそうでした。今は電車と恐竜ですけど。

 普通の絵本とは明らかに何かが違う。子どもを夢中にさせる魅力が、谷川俊太郎の発想と言葉のリズムにあるようだし、和田誠の挿絵がまた秀逸。

 そんなわけで、ジイジもすっかり忘れかけていた谷川俊太郎の初期の詩集をはにかみながら手にとりました。




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October 17, 2013

知らなかった四字熟語 - 竜攘虎搏と阿吽二字 -

  一昨日古本祭りで買ってきた古本を昨日一日かかって三分の一ほど読破したが、知らない四字熟語が少しあった。
 四字熟語は漢文から取ってきたものが多いし、含意が深いのでなかなか理解が難しい。たいてい元の意味まで遡って理解していない。それは、例えば小学生が「ナツメロ」は分るが、それが「懐かしのメロディー」の短縮形であると想像できなかったり、日本語を習いはじめた外国人が「スマホ」が電話(携帯)であると教わっても、「スマートフォン」の短縮形と気づかなかったりするのと似ている。これは言葉の持つ本来の意味は知らなくて、記号としての単純な外側の意味のみ知っている状態と言える。

秘蔵の本他001

 一つは
相碁井目(アイゴセイモク)何事につけても人の実力は上下さまざまであること。
 囲碁を知っている日本人なら、おおよその意味はわかる。「相碁もあれば井目の碁もある」というように使う。碁にも強弱があるように、人にも賢愚があるという内容を含んでいるから油断がならない。
 油断がならないといえば「一穴居士(イッケツコジ)」がある。経済評論家の三鬼陽之助の文章では意味も解説されている。「その財界人は、一般には謹直、一穴居士に近い”堅物”として尊敬されていたが……(中略)。 財界の長老で女房以外に女をしらないのは石坂泰三と鮎川義介の二人ぐらいのものといわれていた。 だが、石坂は『何を隠そう、一度だけ失敗した』」と告白しているので、実際は鮎川一人だけということになった。」

 一方、中国の俗諺(ゾクゲン)に「三人の女を互に喧嘩させないで、うまく御していくだけの力量がないと一国の総理にはなれない」とあるから、尊敬を勝ち取るか、力量を磨いて上を目指すか、男の前に二つの道がある。

 二つは
竜攘虎搏(リュウジョウコハク) 意味は互角の力をもった強い者同士が激しく戦うこと。力の伯仲した英雄・強豪などが、あたかも竜と虎とがぶつかって戦うように勝負すること。漢字の「攘」は排除する、うちはらう、「搏」はなぐる意。
 翔年は「搏」の意味が「殴る」とは知らなかった。勿論日本人なら辞書を引かなくても、前後の関係から何となく意味はとれる。ところが、吉行淳之介はこの言葉を男女の名場面で使っていた。(笑)
 似たような意味の四字熟語に竜騰虎闘(リュウトウコトウ)がある。「騰」の意味が「勢い盛んに天に昇ること」と知っていれば問題ない。この言葉は漱石の「我輩は猫である」の中にも使われている。


空海曼荼羅他001

 三つは
阿吽二字(アウンニジ):この二字で最初と最後を表す。密教ではこれを一切の原初と窮極を象徴するものとして阿を万有が発生する理念の本体、吽をそれが帰着する知徳を意味するものとする。サンスクリットの用いる声字は、あいうえおの「あ」にに相当するのが「阿」であり、「ん」に相当するのが「吽」であるから。ようするに英語で言う”A to Z”だった。阿吽の呼吸は日常よく使われている。

最後に
金胎不二空海密教の大曼荼羅に金剛界曼荼羅(智の世界)と胎蔵界曼荼羅(理の世界)があるのはよく知られている。
 理と智は本来的に切り離せないということ。「不二(フニ)」とは二つに見えるが実際は一つであるということ。翔年は身心不二とか身心一如とか表されるように、とにかく切り離せないので二つなのか一つなのかよくわからないもののことと解してます。




やなせたかし記念館(ビルの屋根にアンパンマンがいる)
やなせたかし記念館
 昨日訃報があった。あんぱんまんの作者、やなせたかし氏がなくなった。アンパンマンは孫が大好きなので、数年前、四国の「やなせたかし記念館」まで足を運んだことがある。アンパンマン列車にのって。(笑)

 氏の漫画のキャラクター数が物凄いと聞いた。1768人というのかな、ギネスブックに認定されているという。だが、上には上があるもので、物語のなかで登場人物が最も多いのは「十八誌略」であるというのが定説。どのくらい凄いかと言うと、「4517人」だそうだ。しかも、その登場人物の性格が全部違うように書き分けてあるそうだ。ほんの一部しか読んだことがないから、真偽のほどは分らないし、ギネスに登録されているかどうかも知らない。(ご存知の方がいらっしゃれば教えてください)

やなせたかし語録:「正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。」

ご冥福をお祈りいたします。合掌






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January 01, 2013

年改まり、人あらたまり ……

碁友に送った年賀状

年賀状

来し方を皆佳しと思ふ初明かり   遠藤はつ

年改まり人改まり行くのみぞ    高浜虚子

あら玉の年の始めの眼鏡拭く    林原耒井



 読者の皆様、本年もどうかよろしくお願いします。





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August 29, 2012

語源の快楽(25) -ちちくま-

 「ちちくま」という言葉があることを初めて知った。漢字では「乳車」と書くのだという。ちちくま=かたくま だという。何と、意味は肩車(かたぐるま)のことで、これは大阪弁だと言う。

 肩車=かたぐるま → かたくま (る=ruは流音で発音されなくなる)と同じように
 乳車=ちちぐるま → ちちくま となった。

 何故「乳車」かというと子供を肩車に乗せると、その両足が丁度乗せている者の乳のところに当たるからだという。肩車に乗るのは子供だから男の子も女の子もいるでしょうが、乗せるほうはまず男ですから、足が乳に当たってもどうということは無いはず。なのにどうしてこういう言葉ができたのか興味深い。が理由がさっぱりは分かりません。

 塩田丸男著「人体表現読本」には牧村史陽編「大阪言葉事典」に「ちちくま」が載っているとあるが、理由というかいわれ等は書いてあるのでしょうかね。図書館で調べたいと思いながらまだ確かめていません。

  翔年は昔はおかあさんでもおばあさんでも、お姉さんで肩車をしたのではないだろうか、と想像します。それならそういう言葉が生まれた所以も少しは想像できますね。(笑)

 背の子の重み 乳房に食い入って   紗妥子

 田辺聖子さんの「大阪おもしろ草子」に
「『淫風』こそ上方を上方的にあらしめているもののように思われる。侍文化圏と町人文化圏とに豁然と分かれる江戸とちがい、町人でほとんど構成される大阪では、芝居と色里の影響が町中に濃密に浸透して、柔媚で放恣な気風がうまれる」

とあります。納得。




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April 07, 2012

「生命は」 -吉野弘の詩-  

 先日、たまさん(「人生のセイムスケール」の玉川和正氏)のBBSで素晴らしい詩を教えてもらった。

 詩人の名前は吉野弘氏、題名は「生命は」です。


「生命は」     吉野弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない



 全体が大きな構えでゆるぎない詩。地球上の生命の営みを歌って、生物学の知見を理屈に偏さず、立派な大きな詩にしていて素晴らしい。
(注)虻=アブ、ハエ目(双翅目)・短角亜目(ハエ亜目)に属する昆虫です。虹(ニジ)ではありません。

 もっと大昔、ペルシャの11,2世紀の科学者にして詩人、オマル・ハイヤームももっともっと大きい宇宙規模の発想の詩を書き、フランス語や英語に訳されて世界中で愛されている。彼の詩にも「生命の欠如(不足)の概念」と「輪廻観」が繰り返し表現されている。その一節です。(訳詩=小川亮作)

創造主が万物の形をつくりだしたそのとき、
なぜとじこめたのであろう、滅亡と不足のなかに?
せっかく美しい形をこわすのかわからない、
もしまた美しくなかったらそれは誰の罪?

(ルバイヤート11節)

来ては行くだけでなんの甲斐があろう?
この玉の緒の切れ目はいったいどこであろう?
罪もなく輪廻の環の中につながれ、
身を燃やして灰となる煙はどこであろう?

(同18節)


良寛さんも同じような発想なのでしょう。良寛さんらしく素直な花と虫を歌った漢詩です。

花無心招蝶
蝶無心尋花
花開時蝶来
蝶来時花開
吾亦不知吾
不知従帝則


(解釈、田中和雄氏の「良寛さんのうた」より)
花が咲いて
蝶がくる
蝶が来て花が咲く
花は、無心
蝶は、無心

わたしは、わたし
ひと、は、ひと
わたしがいて
ひとがいる

自然の、こころ
こころのない、こころ


 わが国伝統の短歌、俳句にも、生命のある一断面をスパッと切り取ったいい歌はいくらでも見つけられます。吉野弘やオマル・ハイヤ−ムが長編詩なら、こちらは超短編詩群です。生命の欠如を満たそうとする生き物達の営みを、いろんな角度から歌っていて飽きさせません。

千年杉死者に生者に花降らす    藤井 亘
花粉とぶ季節と云へり杉木群(コムラ)凄まじき生殖の思ひ遂ゐむ    朝井万砂子
→ スギ花粉に苦しめられている方も、どうか深い意味をおくみとりください。

さくらばな花体を解きて人のふむこまかき砂利に交じりけるかも   岡本かの子
→ せっかく美しい形に作られた花は、こうして粉々になって、次に生まれ来る者たちの養分になる。やはり輪廻転生の思想が下地に感じられます。単純に「もののあはれ」と一くくりにして鑑賞しない方がよさそう。

ヘリオトロープ咲き極まりて強き香を    古川芋蔓
蝶惑ふヘリオトロープ低きあたり    木村恊子
→ ヘリオトロープは自分の欠如を甘い香りで補ってもらおうとしている。誘われた蝶は何を惑っているの? 据え膳ですよ!

てふてふの相逢いにけりよそよそし    村上鬼城
日盛りに蝶のふれ合う音すなり    松瀬青々
蝶の羽のこまかくふるへ交わりけり    室生犀星


ひなげしの蜂来れば揺れ去ればゆれ    式部野蓼
→ 自然を歌っているけれど、ひなげしは恋愛体質?の女性のイメージ。

蜂のみの知る香放てり枇杷の花    右城墓石
→びわの花は地味な花だけれど…。

ハート型の二匹のトンボ (MatsumaRoomさんより借用しました)
トンボの交尾

赤蜻蛉探し求めて弾き合ふ    殿村菟絲子
糸蜻蛉弓なりといふ愛しかた     中原通夫
→ 以前、何回かこのBlogでご紹介したことのある「ファブリックアートBOX」の浅野小夜子さんはハート型に強い関心をお持ちだ。こんな蜻蛉の写真があることをお知らせしなきゃ。(笑) これは独り笑い。

大虻を吸ひしカンナの燃上がり    上野 泰
→ 「生命は」でも、虻がでてきた。カンナは明治期に渡来した夏に咲く花。伝統的な歳時記の季語には載ってない。「虻」と「カンナ」と「燃え上がり」で、伝統的な「花」と「蝶」の類型化を破って発想も十分新しい。





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March 17, 2012

弱きものよ、汝の名は女なり -ちょっと意味がズレている-

 翔年が思っているだけかも知れませんが、ネット友達「とりぶう」さんがいる。左欄の好きなBlogの「とりぶうさんの笑えるエッセイ」の著者です。彼女のBlogの正しい題名は『ショートショート とりぶうの読むコント〜宮古島』というちょっと長いもの。必ず笑えることを翔年は保証します。(コントだから当たり前)
 たまに、面白くなくて笑ってしまうこともありますが(笑)、これも彼女のテクニックの一つだと思われます。何故って、笑いには「他人を犠牲にして「突然の優越感」で生じるケースが多いですが、そうではなくて、笑わせてもらう期待を外されて生じる笑いも(期待の喪失感)ある訳です。その他にも、彼女は笑わすための手練手管に長けていらっしゃるから、まぁ一度こことりぶうの読むコントを訪れて体験してみてください。

 さて、3月13日の彼女のBlog「意外にも女性」にシェイクスピアのハムレットから以下の台詞が引用されて、女は「か弱き性」か「恐き性か」が面白おかしく論じられていました。

『弱きものよ、汝の名は女なり』  - ハムレットの台詞 -

 引用自体は勿論、彼女のBlogの内容そのものにも、何の問題もありません。ただ、この台詞がわが国においてはシェイクスピアの意図した意味とちょっとズレて解されて、いろんなところに引用されているのが翔年としては気になるところでした。

 この台詞は「ハムレット」の第一幕第二場でデンマーク国の王子ハムレットの長い台詞の中にあります。ハムレットの母親(ガートルード)は夫(つまりハムレットの父)が殺されるとすぐに父の弟(ハムレットの叔父)に心を動かし、再婚してしまう。それを嘆いた王子の独白なのです。

『弱きものよ、汝の名は女なり』(Frailty, thy name is woman. )
 これだけを取り出すと「女性はか弱い」といたわっているように聞こえます。ところがドラマでは、女性(この場合はハムレットの母親)をなじっているのですから、ここは文脈に沿って正しい理解をしておきたい。

 この台詞の後、ハムレットは続けて
「(前略)あのように泣きぬれて、棺に寄り添い、墓場までおあとを追うて行った、あのときの靴の踵もまだそのまま、跳ねのあともなまなましいというのに。母上、それを、母上は - ああ、事理をわきまえぬ畜生さえ、主人が死ねば、も少し嘆き悲しむであろうに - あの叔父の胸に身をゆだねるとは。(中略)おお、なんたる早業、これがどうして許せるものか… いそいそと不義の床に駆けつける、そのあさましさ! (後略)」
と、これでもか、これでもかと、母親をなじっています。(独白ですけど)

 ここでの本来の「脆い」という意味がズレて今日に伝わった要因の一つは坪内逍遥の翻訳にあるのでしょう。それで逍遥も後年、この「弱きもの」を「脆きもの」に変更しているそうです。また、手元の福田恒存訳では
『たわいのない、それが女というものか!』となっています。

 子供を生んで育てなければならない女性は、昔から子供のためだったら何でもできるのでした。そういう、したたかさはちゃんとDNAに書き込まれているに違いありません。人間が人間として生きていくための規範である倫理や道徳はせいぜい数百年の歴史しかないですが、人類が動物として子孫を残していく為の基本戦略であるDNAは、すくなくとも数十万年の人類の遺産ですから、桁違いですね。

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March 12, 2012

今朝、共感した句と歌  -読売俳壇、歌壇より-

 何故か、今朝は新聞の俳壇、歌壇に目がとまった。年配の作者の歌と思われるものに共感できるのが多かったです。

黄薔薇     Photo by 青木繁伸氏の「植物園」
バラ

告げぬまま気づかれぬまま冬の薔薇   飯塚佳代

→ つつましい冬薔薇さんが好ましく感じられます。作者は年配の女性? ついででなんですが、こんな秀句が思い出されます。こちら、作者は男性。若者?   
薔薇一輪心の奥にかすり傷


頑として座らぬ杖の人おりてぽつんと一つ席空いたまま   瀬戸順治

→ 杖をついていながら、席を譲られることを自分に許さない老人。頑固なのか、それとも座るスペースが狭かったのか、はたまた膝を曲げるのが痛いのか? 作者は席を譲った人なんでしょうか。また親切をお願いしますね。

ラグビーの競技のごとく親切は後ろの人へパスしていかむ   五十嵐幸助

→ 何事もパスを受ける方の構えが大切かと、身につまされました。


平然と脳の萎縮がひどいという医師に静かに礼を言う母   大和田弓子

→ 娘である作者は医師に少しムッとしたはず、でも母の態度を見て気持ちが母に向かう。あざやかな情景の切り取り。


※盗作、これが一番嫌なこと
2月14日、3月5日の読売俳壇で入選していた句が「先行句」があったという理由で本日、入選取消しになってます。短詩型文学故の事故と思いたいが、やはり投句する人に問題があるのかな? これに関して、2007年9月30日のエントリー「類似句、挨拶句、物まね句」 を書いています。

蛇足
黄色の薔薇は一番香りが強いですね。ジュリエットの言葉。
『名前に何の意味があるというの?薔薇はたとえ違う名前で呼ばれようとその芳しい香りに変わりはないもの』

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November 25, 2011

塩野語録満載の「ローマ人の物語」 −文庫本完結

 塩野七生さんの長い長い「ローマ人の物語」が終わった。というよりか、正確には歴史巨編の文庫本(1巻〜43巻)が完結したと言うべきか。翔年は平成15年から文庫本が出るたびに購入して読み継いできた。文庫本は3冊ぐらいずつ間歇的に発刊されたので、長編とはいえ、読むほうにとってはとても楽で、次の発刊が待ち遠しく思えることもしばしばでした。

「ローマ人の物語」文庫本全43巻 −タイトルを見ているだけでローマ史が蘇る
ローマ人の物語全巻
 次の巻の刊行を待っている間に、折にふれて塩野語録をこのBlogでも取りあげてきました。それは「ローマ人の物語」が塩野さん独特の歴史観によって書かれている魅力とともに、現在を見つめている目、特に我が日本を見る塩野さんの慧眼が感じられたからです。



9月刊行の「ローマ世界の終焉」3巻
ローマ人の物語41,41,43
 例えば41巻「ローマ世界の終焉」では
亡国の悲劇とは、人材の欠乏から来るのではなく、人材を活用するメカニズムが機能しなくなるがゆえに起こる悲劇、ということである。」

と書いてある。 
→ バカな民主党の間違った政治主導が脳裏に浮かんできますね。

 また43巻にはユスティアヌスの甥で皇帝を継いだユスティヌス二世は帝国の滅亡直前の財政を自らの言葉でこのように言明している。
「『わたしの前で開けられた国庫には、多くの借金の証書以外には何もなかった。帝国の財政の現状は、絶望的とするしかない。軍資金が欠ければ軍事力を欠くことになり、このままでは蛮族に蹂躙されるしかなくなる。』
 これが、最大に領土を拡張し、最高の権勢を誇り、最も反映したと言われるユスティニアヌス時代の、東ローマ帝国ないしビザンチン帝国の姿であった。」

→ 自民党時代から始まって、民主党に政権交代してからますます酷くなっている放漫財政の現状に想いが至らない人っているのでしょうか。
これは古代ローマを語りながら、日本国へ警鐘をならしている塩野さんからのメッセージそのものでしょう。

 次のエントリーでは、イタリアにお住まいの塩野さんが「文藝春秋」誌のコラムで、直接我々に提言されていること等について書きたいと思っています。


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September 20, 2011

南蛮煙管(ナンバンキセル)=思い草

 昨日久しぶりに奈良へ行って、春日大社の「万葉植物園」を散策し、「山辺の道」を歩いた。万葉植物園は万葉集に詠われている植物が約300種植栽してあるという。(別名がついているのを整理すると160種とか)
 たまたま園のススキの根元にさいていた「思い草」(南蛮煙管)の生態が面白かったので、ここに記録しておきたい。

南蛮煙管=思い草
nanban

 まず名前がユニークだ。万葉集には「思い草」の名前で詠われているのが南蛮煙管と考えられている。南蛮渡来の煙管の形にそっくりな形態なのでこの名がついたらしい。またこの植物は葉緑素を持たない故に、尾花とかサトウキビの根に絡み付いて生きる宿根草なのだから、古歌の情景ともよくマッチしているので間違いないと思われる。

道のへの 尾花が下の 思ひ草 今更さらに 何をか思はむ  万葉集(読み人しらず)
(意訳:道端の尾花(をばな)の元に咲いている思ひ草のように、いまさら、何を思い悩んだりしましょう。あなたのことだけ想っています)

くれはつる尾花がもとの思ひ草はかなの野辺の露のよすがや    藤原俊成女
(意訳:すっかり暮れ果てた野辺の、尾花のもとに咲いている思い草は、はかない露が身を寄せるよすがであるよ)と自分の物思いを「思い草」の情景に託している。

臥しわびぬ我がふるさとをおもひ草をばながもとの夢もつたへよ    下冷泉政為
(意訳:思い草を屈んで見ながら故郷を偲んでいます。思い草よ。昔の楽しかった夢も思い出させておくれ)


 この草花、名前がいいのでいい俳句がありますね。

思ひ草思ひしをれて紅さして    戸塚黒猫子
※さる女性の見解では女は元気がなくなると濃い化粧をする傾向があるそうな

異草(コトク゛サ)にまぎれてかなし思ひ草    富安風生
(意訳:尾花、砂糖黍など他の植物に寄生していいている思い草は、それらにまぎれてひっそり咲いている。同じように私も他の雑事に大切な想い出が紛れてしまうのが悲しい)

煙管のカルチャーショック
1 日本人は当時の紅毛人(スペイン人やポルトガル人)のキセルの形に驚いていたからこそ、花にまで「南蛮煙管」なんていう大仰な名前をつけたのだろう。
2 タバコがヨーロッパに持ち込まれた頃、主人の口から煙が出ているのに驚いて、忠僕が頭から水を浴びせた(笑)という逸話が残っている。
3 余談ながら、沖縄では思い草は嫌われているそうな。砂糖黍(サトウキビ)の根にとりついて成長を妨げるから。
  
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September 18, 2011

帰り花、狂い花

帰り花  於いきいき塾 09/17 by iPhone
帰り花

生き生き塾の枝垂れ桜に季節外れの桜花が4,5輪咲いた。俳句では時ならぬ時期に咲いた草木の花を「帰り花」とか「狂い花」と言うが、これは冬の季語になっている。でも今は残暑厳しい秋だ。こんな時、俳人はどんな風に整理するのだろうか?

あやまちは神にもありぬ狂い花    成瀬桜桃子

帰り花言ふも言はぬも思ひやり    船越美喜

このような句を鑑賞していると、翔年は花を詠んでいるようでありながら、その実、老いらくの恋を詠んでいるいるのでないかと言う気がしてなりません。

※ このエントリーは昨日、Livedoorのスマートフォン専用アプリでアップしようとしましたが、「アップできませんでした」のコメントが出るばかりで、原因の記述がありません。こういうソフトはよくありません。アップできない理由(推定でもよい)が必ずコメントにでるようにするべきだと思う。
 翔年はiPhoneの解像度が高いので、データ容量オーバーか、3G接続のため時間オーバーにひっかかったのではないかと勝手に推定しました。
 本日、自宅パソコンからは何の問題もなくアップできました。
  
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July 24, 2011

気の利いた言葉 − 病気 −

 最近、たまさん(玉川和正氏)の「人セム」(人生のセームスケール)に納められている人物の名言をせっせとBBSに投稿してしている。それも人物が何人であれ、できるだけ英文の名言を探している。これは「人セム」が世界に開かれたネット上のお墓なので、世界中から「検索」されることによって、いずれ「人セム」が世界かられ注目される時がくると信じているから。


 こんな名言はお気にめします?

「人生には三つの段階がある。青少年期、中年期、そして”まあなんてお元気な”といわれる時」   ネルソン・A・ロックフェラー −
(There are three periods in life; youth, middle age and "how well you look."

 その「まあなんてお元気な」としょっちゅう言われている瀬戸内寂聴さんは、煩(ウルサイ)いので酔っ払った時などはこう叫んでおられると聞いた。「死なない病気です!」と。凄いですね。

 生きている人間はみんな病気なんだというこんな説もあります。
Life is a sexually transmitted disease.   -Guy Bellamy -
(生命(イノチ)とは、セックスで感染した病気である) 

 もっと凄い脅し文句を使った奴もいる。
「ある男が私に憤慨して手紙をよこした。その結びは、”気をつけろよ。オマエはこの世から生きて出られんぞ”」  − スタインベック −
(One man was so mad at me that he ended his letter: You will never get out of this world alive.")
 
 まあ、考えようによっては、病気にもかからないし、さりとて自殺もできないので、「神様は死ねないからお気の毒」ともいえます。

  
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July 14, 2011

ドッキリ短歌 −歌崎功恵−

 文藝春秋7月号のエッセイ欄の歌崎功恵(ウタザキノリエ)の短歌に目が留まった。7首掲載されている中の3首が気に入りました。

十五年のつきひの後の湾岸線神戸のひかりは視野に溢れて    歌崎功恵    
→ 3.11の地震のことには一言も触れていないけれど、追憶と復興した神戸の夜景が被災地への応援歌になっていて素晴らしいと思いました。


群生のひまわりは揺れ遥かなるチェルノブイリに似るか ゆうやみ    歌崎功恵
→ 向日葵は放射能物質を吸収する働きがあるという。詩人は何を思っているのか想像できませんが、人間の営みの愚かさとか儚さは十分感じ取れるのではないでしょうか?
大きな景を歌って何かを考えさせるこういう表現方法は大好きです。



後ろから抱かれるときわたくしの出す溶液はさなぎの匂い    歌崎功恵
→ ドキッ。
情景はなんとか理解できる(笑)ものの「さなぎの匂い」がさっぱりわかりません。男の書くものでは「蜜」とか「蜜液」、「蜜汁」が常套句なのに。こういうことに疎い翔年はなんぼ考えても先へ進まない。ブレインのK.Y.さんに「これ分る」と聞いてみたら、「分る」と言う。
説明は色々あったがそれは省略して、最後の見事な一言だけ読者におすそ分けします。
「さなぎは蝶になるのよ」。
ごもっとも。

歌崎功恵歌集
歌崎功恵の歌集「走れウサギ」、本屋でよく見てから買うつもりです。いい歌があったらいつか紹介します。


そう言えば俳人はこんな俳句も作っていました。
手枕や蝶は毎日来てくれる    小林一茶

蝶高く登れアルプスの雪見えるまで    石原 透

日盛りに蝶のふれ合う音すなり      松瀬青々

蝶の羽のこまかくふるへ交わりけり    室生犀星
  
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May 18, 2011

目と耳と口と

 田舎の葬式に参列するため朝から車で峠を越えた。峠道の両サイドは新緑。道のところどころで、周囲の木の枝が張り出してきて上から覆いかぶさっているところもある。まるで緑の回廊みたいだった。

1 新緑の山道をゆく死の報せ    飯田龍太


 なんといっても、青葉若葉の季節に思い出されるのは山口素堂の有名なこの句。

2 目に青葉 山ほととぎす 初鰹    山口素堂

 ところが、このよく知られている句、本当はこれが正しいのだそうだ。

3 目には青葉 山郭公 初松魚    山口素堂
※郭公=ほととぎす 松魚=カツオ

 わざわざ、頭に「目には青葉」と字余りにして調子が崩してある。漢字も読みにくい。これではあんまりなので、分りやすくて、調子も整っている2の句が人口に膾炙(カイシャ)したのだろう。
 作者の気持ちとしては、「目には青葉がまぶしい、、山にはホトトギスが鳴いている、こんな季節の初鰹は旨い」と初夏の気持ちのいいことを詠んだのだろう。
 名句なんだろうが、この句、字余りだけでなく、季重なりという禁も犯している。「青葉」も「ほととぎす」も「初鰹」も全部夏の季語、季語を三つも重ねては普通はヘボと言われる。名人ともなれば形や規則を超越しているということか。


4 目と耳は いヽが口には 銭がいり    江戸川柳

 (意訳)初夏の青葉若葉を目で楽しみ、ホトトギスの鳴き声を耳で楽しむことはできる。只だからね。でも(江戸時代の)庶民は貧しいので、初鰹などとても口にすることは出来ないよ。
傍証:あるwebsiteによると、文化9(1812)年に、魚河岸に入った17本の鰹のうち、6本が将軍家へ献上され、残りを高級料理屋が引き取り、そのうち一本を三代目中村歌右衛門が3両で買ったという記録が残っているそうだ。1両は現在の30万円ぐらいと考えられ、3両は当時の最下級の武士の一年分ほどの給料に相当するという。


蛇足:ついでに「目」と「耳」と「口」の万葉歌と現代俳句を見ておこう。目も耳も口もなかなかいいのを見つけることができた。(俳句は訳も解説もなし。できるだけ想像の羽を広げてご鑑賞下さい)


まず「目」から。

5 目には見て 手には捉えぬ 月の内の 桂のごとき 妹をいかにせむ   万葉集
(意訳)月の桂のように、見ることはできても手に取ることができないあなた。いったいどうしたら逢えるのだろうか。
※古代の中国には、月に桂の木が生えているという俗信があった。これを踏まえてか、伏見の清酒に「月の桂」あり。

6 蜜柑吸う目の恍惚をともにせり   加藤楸邨


 次は「耳」。

7 向つ峰に 立てる桃の木 成らめやと 人そ耳言 汝が心ゆめ   万葉集
(意訳)向こうの桃の木は実がならない(私達の恋が成就しない)と陰口を言っている。あなたは決して噂に惑わされないように。
※耳言=ミミコト? 陰口のこと、ささやくと読むのがよさそう。文字のない時代だから、口達者が断然有利だったと思われる。

8 うしろより耳朶噛まれゐて陽炎(カゲロ)へり 富士真奈美

最後は「口」。

9 玉かぎる 磐垣淵(イワカキフチ)の 隠(コモ)りには 伏して死ぬとも 汝が名は告(ノ)らじ  万葉集
(意訳)たとえひとりひっそりと倒れ死んでも、(お慕いしている)あなたの名を決して口外しません。
※当時、恋人の名前を他国の邪悪な神に聞かれると邪魔されて恋が成就しないと考えられていたらしい。

10 月の出や口をつかいし愛のあと 江里明彦

 それにしても、万葉人の歌は真っすぐで素朴でいいですね。

cf. 奈良埼初子・西村康子著「万葉集からだ賛歌」を参考にしました。
  
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November 15, 2010

推理力 −女の勘

 今はそうでもないらしいが、昔は筋骨隆々の男はよくもてた。(もてていたと思う)力道山や千代の富士の腕や胸の筋肉を触らせてもらったと自慢げにいう女がいたことを翔年は覚えている。

 さて、最近のサッカー選手の話。有名な選手だったのだが、その選手の名前がどうしてもでてきません。しかたがない。仮にベッカム選手として話をすすめさせてもらいます。

 TVのスポーツ番組だったと思う。イギリスのサッカー界の貴公子が来日したとき、日本中が大騒ぎになり、若い女性のレポーターはやや緊張の面持ちであった。近くで見るベッカムの鍛え上げた身体は半端じゃない。レポーターは視聴者にサービスしようとしたのだろうか、恥ずかしげに「ちょっと腕に触っていいですか?」と右腕の力瘤に触らせてもらって、「わー、かたーい!」と舞い上がっていた。(声のトーンが高かった)
 「脚はもっと硬いよ、ここ」と太腿(フトモモ)を指差されて、おそるおそる触ると、さすが、サッカー選手、鋼鉄のように硬い。「筋肉なのに人間の物とは思えない硬さです」とレポーター。と、彼は「もっと硬いとこあるよ」といった。瞬間、若いレポーターの顔に朱がさした映像が映った。彼はぽつんと言った。
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November 04, 2010

推理力テスト −男の脳

 男はあわてることなく、優しい手つきでスカートを下ろした。それからゆっくりブラウスをはいだ。次にブラジャーのホックを外して引っぱると、ブラジャーはそのまま男の足元にはらりと落ちた。それから男は一気にパンティーを引きずり下ろした。
今や男の目の前には、むき出しの………


後の展開を推理しながら、ゆっくりと「続きを読む」をクリックして下さい。




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October 03, 2010

語源の快楽(24) 濡れ衣を着せられる

 この世の中、不完全ではあるけれど、全体として見ればまぁまぁよく出来ていると考えていいと翔年は思っている。でも、時々「何だ、こりゃ!」というようなことが起こりますね。 
 中でも腹立たしいのは、無実の人を罪に陥れるように謀る人が結構いること。最近では検察の幹部の振る舞いに世間は怒りました。怒った市民は他人から無実の罪を負わされる人の無念に、もっと思いを致さなければならないと思います。この感覚が鈍いことは人間として恥ずかしいことでもあるのですから。

 他人の罪をきせられる冤罪のことを「濡れ衣を着せられる」と警喩的に使う。


かきくらしことは降らなむ春雨にぬれぎぬきせて君をとどめむ    古今集
意訳:空を暗くして、同じことなら降ってほしい。それだと、春雨に大雨だと無実の名を負わせて、出て行こうとする君を家に留めよう。
→ なかなかいい歌ですね。こんな濡れ衣なら着せられてみたいお方も多勢いらしゃるのではなかろうか。

目も見えず涙の雨のしぐるれば身の濡衣は干るよしもなし   後撰集
意訳:(あなたに疑いをかけられた悲しみのために)目も見えないほどに涙がしぐれの雨のように降りますので、我が身の濡衣は乾かすすべもございません。
→ 万葉集時代は「濡れ衣」文字通り濡れた衣の意であったのに、時代が下がって古今集や後撰集時代になると、「ありもしないことをあるようにいわれる」意味になっているようです。この歌は男が疑われている。

うき事をしのぶる雨の下にして我が濡れ衣はほせど乾かず    後撰集
意訳:(浮気の噂が立って)いやなことを辛抱しているこの雨の下ならぬ天の下にいるゆえに、私の濡れ衣は幾らほしても乾きません。
→ 噂を立てられて困っているのは女。
※あめのした=天の下と雨の下の掛詞


 さて、艶話、浮き名の話題はこのぐらいにして、郵便不正事件は厚生省の不正(これはあったのです)から、検察の不正(証拠品改竄)に焦点が移った。あってはならないことが、一人の不心得者でなく、組織的に行われていたことが嘆かわしい。最高検の厳正な捜査と処分を求めたい。

 この事件に関して次の二つのことをついでに指摘しておきたい。
1 検察の取調べを受けた人物が、検察の作ったストーリィを認めるよう強要されて署名させられたことをTVで何度も訴えていた。しかし、自分が署名したことによって、無実の他人を罪に陥れたという反省(内省)がこの男には全く感じられなかった。
 このょうな報道の単純な姿勢も問われるべきと思う。

2 郵便不正事件の本筋は、障害者団体向けの割引郵便制度を企業が悪用しDMを格安で送付したことであり、この証明書偽造に厚労省が拘わっていたことです。さらに障害者団体を厚生省の幹部に口利きした国会議員が裏にいたことも事実である。
 次からつぎへと目の前の不正に目を奪われて、国会議員と中央省庁との癒着を忘れてはなりません。この関係には諸悪が巣くっているのだから。
 国民は目を曇らせることなく、絶えずこの癒着を見張っていなければなりません。

  
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