January 31, 2015

こころゆたかな生き方 -心が洗われる-

こころゆたかな生き方 を教えられました。

どこかにこういう人がいる と信じます。

こころが洗われる とはこういうことをいうのでしょう。

翔年も一つくらいは まねしなければ……。

タイからのちょっといい映像です。(3分5秒,タイ語。映像の下部に簡単な英語字幕があらわれます)

いつも『もの言う翔年』を読んでくださりありがとうございます。
お陰さまで「囲碁」も「政治評論」のジャンルもランキング上位に入っております。
コメントをいただいたり、ランキングがそこそこにとどまっているのを励みにBlogを書いております。
お暇なときに見てくだされば嬉しいです。

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April 03, 2012

尊厳死協会のことなど -自然死はむずかしい

 このBlog左欄の「人気記事30傑」のトップは2009年9月22日エントリーの「自殺幇助クリニック −ディグニタス」が占めている。3年前の記事を未だにたくさんの方々に読んでいただいているのは、どうやら「自殺」、「自殺幇助」だとか「尊厳死」、「尊厳死協会」だとか、今日的な重い意味のキーワードで検索されているかららしい。

会報「リビィング・ウイル」
リビング・ウイル

 翔年が1996年から入会している日本尊厳死協会とは、安らかな、人間らしい最後を迎える権利を求める一人一人が集まり、ともに終末期医療での「自己決定権の確立」をめざして活動している団体です。もっと平たく言えば「自分らしく死にたい!」という運動です。

 最近送られてきた会報、『リビング・ウイルNo.145』から、気になったトピックを拾ってみます。

1 協会の会員数は 12万3278人(3月5日現在)です。(4月に入ってから12万5千人をオーバーした)
 意外に会員数が少ないですね。会員は高齢者が多いので、お亡くなりになる方の数と新規加入会員の数が拮抗しているのかもしれません。もっと「会員になってよかった」という口コミやPRがなされなければ、会員増はむずかしいのでしょう。

2 2011年に死亡退会届の出た遺族に「最期の医療に『尊厳死の宣言書(Living Will)』がいかされましたか」というアンケートをとったところ、回答のあった929人のうち約90%は「LWが生かされた」と答えています。

アンケートにはこんな言葉が綴られていたそうです。
「母のLWを見た医師は「自分の親であっても同様にするでしょう。」と答えられました。母のLWは娘である私たちを通して生かされ、安らかな最期を迎えられたと思います。(大阪府)

「父のLWを提示したものの、医師から「次に出来る事は気管切開しかない」と言われると、やはり家族はうろたえ、父の希望を忘れそうになりました。その時、数名いらした先生のうち年配の女医さんが「ご本人の意思を尊重するのが大事ではないでしょうか」と逆に諭してくださり、私も気持ちを落ち着かせ、父の意思に従うことができました。父がこの協会に入会したのは私の為だったな感じ、今でも涙がとまりません。(東京都)


 しかし、LWを提示しても上手くいかないこともある。
「もう終末期だというのに、胃ろう・中心静脈カテーテル・大腸内視鏡検査・輸血等を進められました。「希望しません」と言いましたら、「では退院してください」と告げられました。(神奈川県)

『できるだけのことをするのが務めだから』、『罪人にはなれないから』と医師にいわれました。本人は話せない、飲食できない、動けない、意識もないという状態でどんどん栄養補給されました。」(神奈川県)

「LWを提示しましたら薄情な娘だと白眼視され、医療者側との関係も険悪になり、今でも涙が出ます。医療産業として莫大な利益を得る為に病人を作り出しているようなこの現状では協会に入っていても無駄のようです。結局終末期になったら、西洋医学に近づかないという覚悟を持たない限り平穏な死を迎える事が出来ないと感じました。(大阪府)

 上の例に見られるように、終末期医療においては、医療者側と患者・家族側の意識のズレがあり、それが感情のもつれや摩擦が生まれており、読むほうもいたたまりません。非は医療者側によりあると思います。

 こういう事が起こらないように尊厳死協会では尊厳死立法にも取り組んでいる。議員連盟が国会で活動して既に6年を経過し、このほどようやく法律案の概要がまとまったところ。法律文に仕上げるまでにまだまだ細かい修正を施さないと同意が得られないという。多数の同意が得られないからといって、法律文に「無意味な延命措置は止める」と書かずに、「延命措置の差し控えができる」というようなゆるい表現になってしまったら、会員の望んでいる要求からかなり後退したものになってしまう。もうそうなりかけているように見える。わが国の「尊厳死立法」はどうやらあまり期待できない方向にあるように思います。


 終末期医療現場からのもっと酷いこんな報告もありました。
「なぜこんなにもたくさん高齢者の胃ろうが増えたのか。理由のひとつに年金があります。これだけの不景気の中、毎月20万円もの年金をもらえる認知症の親がいるとします。その人がなくなったら生活に困るから胃ろうにして、一家がそれにすがって生きているケースが散見されます。自分の患者さんの中にも、『胃ろうチューブの交換に失敗したら訴えるぞ』と脅す家族がいます。よくよく聞くと、やはり年金なのです。」

 最後のような事例は論外としても、医療が発達すればすればするほど、どこまでが延命治療なのか、素人には判断が大変難しくなっているのは事実。例えば人口栄養補給だって、枯れるように死にたいと望んでいる本人には余計なお世話だろうけど、医者や医療関係者は「病院という場ではやらざるを得ないと考える人が7割もおられるし、もし補給を控えた場合、法律問題を心配(殺人罪に問われる)されている医師が4割もいらっしゃるのです。

尊厳死協会
 終末期医療は金がかかりすぎるというような経済の議論ではなく、自分の生をいかに終えたいかという本質的な議論が深められなければならないと思う。わが国は法制化議論ですら情緒的に流れがちなので、なかなか法文が確定できない。当面はやっぱり「尊厳死協会のこのカードをいつも持って歩き、必要な時に医師に示すしか、無用な延命処置を止めてもらう方法はいまのところわが国にはない。


  
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November 09, 2011

東日本大震災被災者への支援を継続しよう −具体例

 3月11日のあの三陸沖地震に起因する大災害被災の皆さんは、厳しい冬の到来を前にしてどんな気持ちでお過ごしであろうか。想像するだけで胸が痛みます。

 以下は阪神・淡路大震災語り部と称して東北に脚を運んで際限のないボランテァ活動に取り組んでおられる磯田昇氏(ペンネーム桂木俊介)の現地からのメールの一部をご紹介します。

岩手県遠野市(地震災害だけで、津波被害はない)を中心に活動しています。今からは医療関係の専門家達と仮設住宅なども周り、住人の心理相談やマッサージ等も出来る体制を計画しています。

現在は専ら文化活動支援の名目で、全国から寄せられた厖大な図書などを整理して(学芸員・図書館司書などの仕事)被災地から1時間位の場所に仮設図書館を設置(済み)し、子供たちが授業に使う副教材としての地図・辞書などを夫々の学校で使うときに、送ったり集めたりするそのような図書館です。

体制を整えるのに後1年は確り掛るでしょう・・・役立てばよいのですが。。。。

マスコミ報道とは裏腹に全く復旧も進まず(一部にきざしもありますが)、特に小さな市町村で力のないところは、原状回復すら儘ならぬ状態です。
時間的にも阪神の数倍は掛る感じがしますね・・・被災者にはお気の毒ですが。


→ 復興に阪神淡路大震災の数倍がかかるとすれば、被災地の皆さんにはまだまだ大きな困難が立ちふさがっているということです。思うにこのような大災害の支援活動を効果あるものにするには、一時的な募金活動やボランテァでは不十分で、長期に亘って物心両面の心のこもった支援活動を続けていくことが求められているのではないでしょうか? 


1 地域に入り込んでの長期のボランテァ活動
 磯田氏は夏休みには学生を引き連れて東北でボランテァ活動をしたり、実現の為の体制つくりというか組織つくりまで継続して活動されているので頭がさがります。
※関心のある方は氏のレポート「東北被災地巡回レポート 4」を翔年がお送りします。


2 被災地グループと手をつないだ長期支援
 知人の浅野小夜子さん(ニードル・アート作家)のグループの活動はご本人から語ってもらい、熱い想いをじかに受け止めてあげましょう。

ハートがいっぱい❤東北支援チャリティ展
❤作る人と買う人の気持ちをひとつにして❤


 
3月、東北を襲った未曾有の大災害を目の当たりにしてしばらくは呆然と何も手に付かない日々を過ごしておりましたが、被災した皆様が再起に向けて頑張られている様子を見て私達も何か出来ることをしたいと思うようになりました。
 生徒さん達や友人に声を掛けると快く賛同してくださり、皆で手作りの小物をたくさん作り9月末に第一回のチャリティ展を開催いたしました。その売上金を手渡し出来る、出来れば手芸・クラフト関連の個人か小さいグループへ継続して応援していきたいと思い支援先を探しておりましたところ朝日新聞で「東北グランマプロジェクト」のことを知りとても共感いたしました。
 震災で仕事を失った女性達がクリスマスオーナメントを作ることで仕事を得てしかも、針を動かすことに生きがいと喜びを見出されてるとのこと。材料がオーガニックコットンの残布だというのもいいですね。
 私達、大阪のグランマ達は商品を買うことと寄付の二本立てでこの東北のグランマ達が本来の仕事が出来るようになるまで支援して行きたいと考えています。
  先日早速、第一回のチャリティ売上金で商品の購入と寄付を致しました。11日〜15日の作品展でクリスマスオーナメントの販売を致します。ちょうどクリスマスシーズンに入りますしたくさんの方にこのプロジェクトを知って頂くいい機会にもなればと思っています。



「布と糸で描く絵」
第5回 浅野小夜子手芸教室作品展

2011年11/11(金)〜15(火)
11:00〜18:00(最終日17:00まで)

GALLARY 4匹の猫
大阪市北区茶屋町5-2  Tel 06-6359-6516


→ この手芸展は明日からです。大阪の便利な場所にありますので、関西の方はこの支援活動にご協力いただければうれしいです。


3 学童、学生への10年間の育英資金
 建築家の安藤忠雄氏の発案で始められた有名な「桃柿育英会」です。同じ名前で阪神淡路震災の時に初めて作られ、4億9千万以上の資金を子供達の学資に共うされました。やり方は極めて簡単、寄付は一口一万円、それを10年間続けるという会です。
→ 熱しやすい人は是非この会に入ってください。自動口座引き落としを希望すれば、毎年決まった日にちゃんと銀行から引き落としてもらえるので忘れても大丈夫です。(笑) 経済的困窮に陥った学生はこの長期資金によって生活設計が可能になるのですから、このような援助を受けた学生は勇気を与えられ、感謝する気持ちが湧き、心があたたかくなるというとても素晴らしい支援方法だと思います。

 読者のみなさん どうかもう一度3月11日を思い出して、このような長期に亘る支援活動に是非ご支援ください。よろしくお願いします。

  
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March 25, 2010

小規模多機能型居宅介護事業所「ゆーらり」

 この舌を噛みそうな名前の介護事業所「ゆーらり」が翔年の街にある。翔年は今年(2009/3-2010/3)の間、450世帯の自治会長をおおせつかっていた関係で、この事業所の運営推進会議に何回か出席した。

 昨年3月の時点で、翔年は施設について正しい認識を全く欠いていた。このような施設のことをご存知ない読者もすくなくないと思われるので簡単にご紹介したい。(どの地域にも同様の施設はあるという)

小規模多機能型居宅介護事業所とは
ゆーらり0001ゆーらり0003

 小規模多機能型居宅介護とは、介護保険制度改正により創設された地域密着型サービスの一つである。介護が必要になった高齢者が、今までの人間関係や生活環境をできるだけ維持できるよう、「通い」を中心に「訪問」「泊まり」の三つのサービス形態が一体となり、24時間サービスを提供できるのが大きな特徴である。

 我が安岡寺町にある「ゆーらり」もそうした施設だ。通いサービスは、自宅の送迎から食事、入浴、趣味活動などで一日を楽しく過ごし、体操など身体機能を維持できるサービスも提供。宿泊サービスは1泊でも連泊でもOKで、通いサービスと同じスタッフが対応するため、安心して宿泊できる。
 訪問サービスは利用者の自宅に顔なじみのスタッフが訪問し、掃除、洗濯、買い物などさまざまなサービスを提供。夜間緊急時の対応も行う。
 さらに「ゆーらり」には居宅として住所を移して住むことが出来る施設もあるから、高齢者を抱える地域住民にとってはありがたい施設である。定員25名のところに、現在19名が入居しておられるという。終末期をこの施設で安心して過ごされる方も大勢おられるので、ゆーらりはこの1年間に7名のお年寄りを看取ったという。
 病院で死にたくない、畳の上で死にたいという方にとって、正解でなくても、近似解の一つかも知れない。
 他の介護施設と(法的な)制度の違いで、ケアマネージャーを変更しなくてはいけないマイナス面があるにしても……。

  
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September 22, 2009

自殺幇助クリニック −ディグニタス

「海を飛ぶ夢」の一場面
海を飛ぶ夢

 2年ほど前にスペイン映画「海を飛ぶ夢」を見たとき、大いに考えさせられたことがある。映画の大筋は『海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロが、26年間をベッドの上で過ごし、ついに自ら命を絶つ決断をする。人権支援団体で働くジェネは、ラモンの死を合法にするため、弁護士のフリアの協力を仰ぐ。紆余曲折があって、最後はペドロは希望通り自らの命を絶つことが実行できた』というものだった。ペドロは自殺しようとしても首以外は動かすことができないから、誰かの助力がどうしても必要だったのだ。(これは実話に基いたいい映画だった)


 今年の夏、英国で似たような出来事があった。(フォーサイトの記事による)
 英国の著名指揮者エドワード・ダウンズ氏(85)と妻のジョーンさん(74)は、夏の初め、スイスを訪れてチューリッヒの小さなクリニックで致死量の睡眠薬を服用し、ともに人生の幕を下ろした。
 二人は音楽家として、バレリーナとして輝かしい経歴と幸せな結婚生活を共におくっていたが、老いと病と障害が二人の人生を徐々に蝕んでいたのだった。

 今回のスイスへの旅に付き添い、妹とともに最期を看取った息子さんの話。
「二人並んで最期を迎えることが両親の望みだった。父と母は隣同士のベッドで手を繋いだまま、わずか数分で眠りに落ち、十分とたたずに息を引きとった」
 
 自殺幇助クリニック「ディグニタス」は尊厳と平安の中で自死を決意した人々を支援する非営利団体である。「ディグニタス」では入会金を払い、自殺の意思表示を表明すれば、誰でも会員になれるという。

 先のイギリスの指揮者夫妻はなぜスイスまで足を運んだのか? スイスでは1942年以降、自殺幇助クリニックの運営が法的に認められているからだ。(ベルギーやオランダ等でも、自殺幇助は合法だが、外国人に対しては行わない)

 わが国にはこういう法律も制度もない。誰も彼も生きることは善と信じており「自らの生死を決定する権利」が最も基本的な人権の一つとする議論はまだ始まっていない。
 本質的な「死」の議論ができないくせに、自殺をすぐ社会のせいにする甘ったれた考えの持ち主も含めて、国民的議論を望む。

尊厳死協会

 翔年は14年前に日本尊厳死協会(Japan Society for dying with Dignity)の会員になった。これは単に傷病が不治でかつ確実に死に向かっているときに、無用の延命措置を拒否するだけのもの。いわば自分のためでなく、自分がそういう状況になった時、家族や医者に難しい判断をさせるよりも、前もって自分でその判断をしておいて、実行を医者に委ねるという宣言をしているだけ。「ディグニタス」はその先を行っている。
 

 
 翔年は自分のために「ディグニタス」のような団体がわが国でも活動できるように法整備をするべきと思う。微妙な問題も含んでいるので、老人自らが考えて制度設計ができなければいけない。


(参考)
 世界の自殺率(人口10万人当たり)
1 リトアニア   38.6人
2 ベラルーシ   35.6

8 日本      23.7

  
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May 26, 2009

日本赤十字社の社員募集は本来誰の仕事なの?

 今年度一年間、翔年は540世帯の自治会の会長を務めることになった。何処の自治会でもそうだときいているが、役員のなり手がない。なぜなら、従来のいきさつもあって、なにやら、かにやら、自治会の仕事が過去の実績踏襲という形になっており、役が当たれば相当の負担になるからである。翔年は今までに「組長」や「班長」など、組織下部の役割を果した経験はあるけれど、役員は初めてである。

 会長を引き受けるに際して、自分のスタンスをこう決めた。
1 自治会活動をできるだけ楽しくやる
2 時代にマッチした自治会活動を目指す。
3 安心して暮らせる街つくりに貢献する

 摩擦をおそれず、是々非々主義でやる決心です。


 自治会の仕事をできるだけ簡素化し、地域住民に喜ばれることを大きな負担なくやろうという気持ちを固めていた所、早速、変な仕事(自治会にとって)が向こうからやってきた。


日赤1

 それは「日本赤十字社の社員募集」と言う業務である。
 
1 仕事の依頼はどこから?  誰宛に?
 「高槻市赤十字奉仕団」から来た。(実際にたくさんの資料を自宅に届けてくれたのは、ボランティア活動の人達だった)
 あて先は「各町分団長」様となっている。翔年は分団長ではない。

2 仕事内容は?
 当自治会会員540世帯に「活動資金にご協力ください」と各戸をまわり、「社員加入確認書」に名前をリストアップし、500円以上の拠出加入者には一人ずつ、赤十字社の21年度の社員証と領収書を発行し、拠出金は自治会でとりまとめて、日本赤十字社大阪府支部へ送ることだという。

3 日本赤十字社と自治会の関係はどうなっているか?
 直接の業務依頼や委託関係は一切ない

4 高槻市赤十字奉仕団とは?
 送られてきた資料に「赤十字に関するお問い合わせ・連絡先として、
事務局/日本赤十字社大阪府支部高槻市地区高槻市赤十字奉仕団(高槻市社会福祉協議会 福祉課内)」とあるので、早速電話で問い合わせた。

Q1 あて先の分団長とは誰か?
A1 自治会長さんです。

Q2 誰が決めたのか?
A2 お役人特有の物言いで、ぬらりくらり。いくら聞いても小生はさっぱり理解できませんでした。こんな単純な質問に答えられない「問い合わせ先」もあるのですね。

Q3 日赤の社資募集運動の責任者はどこか?
A3 社資募集事務は社会福祉協議会がやっている。

 まぁ、暖簾に腕押しとはよくいったもので、ぬらりくらり。ようするに返答は「昔からの経緯で、自治会で募集と拠出金集めはやってもらっています。どうかよろしく」というだけで、何の根拠も示さない。示せない。

日赤社資募集事務の手引き(大量の資料が送られてきました)
日赤002 


 筋の通らない仕事を自治会員に強いることはできない。これでは「そもそも論」をやるしかあるまいと直感した。

1 「日本赤十字社」とは?
 日本赤十字社は、1952年に制定された日本赤十字社法(昭和27年8月14日法律第305号)によって設立された認可法人。社員と呼ばれる個人参加者の結合による社団法人類似組織である。日本において赤十字活動を行う唯一の団体。
 名誉総裁は皇后美智子、名誉副総裁には、代議員会の議決に基づき、各皇族が就任している。代表者である社長は近衞忠(旧公爵近衛家当主)。
日本赤十字社の基本精神は人道、公平、中立、独立、奉仕、単一、世界性である。
→ と立派な事をいいながら、「日本赤十字社大阪支部」作成のチラシには「自治会役員が各家庭を訪問し、社員加入をお願いしています」とこちらの知らんうちに、自治会長がやらなければならない仕事を勝手に書いている
 翔年は赤十字社が国際的なものから、献血運動など身近なものまで、幅広い活動をしていることはよく知っている。若いときは献血にも毎年していたから、献血手帳は一杯、今も手元にあるし、現に今も赤十字社社員(500円以上拠出)でもある。赤十字の役割は十分理解しているつもりであるが、社資募集活動は自治会との関係はどこまでいっても釈然としない。筋の通った説明をする人はどこにもいない。

2 高槻市社会福祉協議会
 社会福祉協議会は、住民の福祉向上を目的として、地域住民及び公私の福祉関係機関・団体により構成された、社会福祉法第109条に基づく民間社会福祉団体です。
→ といいながら、高槻市赤十字奉仕団の事務をしますと書いてある。この団体の事は詳しくは知らない。民間の福祉団体のはずなのに、市役所や日赤ともくっついている。福祉団体が何の団体の事務を担当されても結構であるが、自治会に仕事を押し付ける権限はないはず。

3 自治会と日赤との関係は?
 よくわからない。自治会から見ると、なんとなくぼんやりと自治会の上部団体組織である連合自治会と高槻市赤十字奉仕団がつながっているようにに見える。この二つの団体は、自治会が赤十字の社資の募集に協力するのは自明のこととしているみたい。

 要するに、日赤社資募集運動の具体的なやり方は詳しく教えてくれるけれど、社資募集の責任者は誰で、どうして自治会が日赤の仕事を分担しなければならないのか? は結局分からずじまいです。


 ようするに悪い言い方をすれば、日本赤十字社は『諸活動を実施していくための事業資金は、日本赤十字社の社員(個人社員と法人社員があります)から拠出される「社費」と、広く個人や法人ある いは団体などから寄せられる「寄付金」がその主体となっています。(「社費」と「寄付金」を総称して「社資」と呼びます)。
「社員」は、社業遂行の原動力であり、日本赤十字社の組織の根幹であります。』と言っておきながら、その実、「社員集め」と「社資」集めという組織の根幹は日赤ではやらず、依頼や委託など筋を通したことは一切せに、何の関係もない自治会に仕事を丸投げしている。

 何度も言いますが、高い理想を掲げていますが、その組織の根幹は昔からやっているからという理由で、自治会におしつけている。少なくともわが自治会はそうなっている。自治会長は赤十字社と何のつながりもないにもかかわらず、分団長をおしつけられている。誰が自治会長を分団長と決めたのかも分からない。こんなバカな話はない。

 こう考えてくると、できるだけ自治会の負担を軽くしようとするかぎり、この仕事はお断りせざるをえない。仕事に筋を通すことを怠る団体に組織として協力できません。(もちろん、個人としては従来どおり、赤十字社とおつき合いするけれど)
 

 電話だけでは意をつくせないので、近々、社会福祉協議会に出向いて、責任者に面会を申し込んで、もうちょっとシッカリした返答を得たく思っている。

 もし、読者で、これまでのところに翔年が事実誤認とか思い違いをしていると気づかれた方がいらっしゃれば、それをご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いします。


(6/4追記)今までの所、三人の方から「お前の言うとおりだ」という励ましの言葉をいただきました。


  
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January 23, 2009

何でもランキングの社会 −何だか変だよ

 今日もまた「ランキングアンケートへのご協力お願い」のくだらないメールがきた。どれくらい下らないかと言うと
・好きな和菓子 → (どっちだっていい)
・頑張って欲しい相撲力士 → (同上)
・WBCで活躍を期待する選手 → (同上)
・印象に残るアメリカ大統領 → (関心はあるが、1位、2位を争う事ではない)
などについての質問に、回答をするとお礼がもらえるのだそうだ。そして後日、ランキング結果が送られてくるとのこと。

 この会社は今までにも
・2008年一番印象に残っているニュースランキング
・思い出に残る作曲家遠藤実さんの作品ランキング
・シニアが選ぶ流行語2008年度版
など、何でもかんでも、ランキングをつくっては消費需要を掘り起こしたり、ネットに人を集めたりして、広告料を稼いでいる。(それが仕事の大部分を占めているらしい)

 こんな商売が成り立つのは、消費者にランキング好きが大勢いるからだろう。逆に売る側にも、売れた商品をすすめるのが最もまちがいない方法と安易に考えている人たち(マニュアル人間)が大勢いるのだろう。消費者も生産者も、今の人は自分の頭で考える事をあんまりしなくなったのだろうか。翔年は他人の意見や好みはそれはそれ、自分とは違うんだという考え方の人の方が好きだ。

 年末にホットカーペットを買いに行った時もそうでした。量販店の店員はこちらの希望を聞くのもそこそこに、「今年はこれが一番売れています。次はこれです」と売れ筋商品を次々に紹介した。聞いてもいないのに。「一番売れているのを買わないのは損ですよ」といわんばかりに。

 本屋に行っても、「売れている本のランキング」の大げさな表示がなされている。翔年は本屋で「どんな本が売れていますか?」と聞いたことは一度もないし、「よく売れているから是非読みたい」なんて思ったこともない。当たり前のことですが、興味の中心は、どんな本があるか、誰がどんな本を書いたかであります。ランキングは余計なお世話です。

 情報化時代だからといって、コンピュータ時代だからといって、安易なランキングをつける商売が、これほど流行るのは何故だろうか? 

 教育界も同じようなことをやっている。偏差値に振り回されたり、府県別に学力テストを発表したら弊害があるとかないとか。翔年はこの議論にも違和感がある。数字を大きい順に並べてなんだ、かんだというだけではあんまり意味がないのではないか。

教育では
・何を教えるか →(これは時々話題になる)
・どのように教えるか →(あんまり話題にならない)
・その結果生徒は将来に向かってどんな動機付けをされたか →(だれも問題にしない)
が大切なのであって、単語を10個覚えていた方がが8個より素晴らしいとか、平均点が1点多いか少ないかというようなことではないはずです。

 
 好きなものを食べ、関心のある本を読み、自分が気に入った製品を買うという、ごく当たり前のいきいきした生活を邪魔するのが、安易なランキングだと思えて仕方がありません。

 教育で言えば、生徒は自分の関心ある分野のことを、如何に系統的な知識として獲得するか、将来その分野で自己実現を図れるか、その知識の習得が自分にとって楽しいものかどうかが大事だと思う。このようなことが最重要課題だと先生方や親や社会の指導者に認識されていなければならない。


  
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December 10, 2008

悪魔のようなことを考える − 目先の善行に黄信号?

 前のエントリーのコメントのレスに『本質的に、福祉事業はボランティア精神を必要とする分野だと考えます。そこへ社会の要請によって、行政がお金を出して福祉事業をやってもらう(肩代わりさせる)ようになると、本来のボランティア精神が薄められてしまうのでは』と書いたところ、いろいろなご意見を頂きました。中には大いに語り合いましょうという、熱いメッセージもあって勇気づけられました。
 福祉に携わっていらっしゃる現場の方々に、痛みが生じているのは間違いないところだし、それを温かい目で見まもって下さっている方々や、福祉事業に何かのお手伝いをしたいという志をお持ちの方も、大勢いらっしゃることが分かって、きつい事を書いた翔年は、ちょっとホッとしました。


 そんな所へ、今度はユニセフから、「あなたの力を必要としている子どもたちがいます」という手紙が来た。

ユニセフ

 3秒に一人, 今この瞬間も失われつつある小さな命。あなたの力で、クラシャ(写真)のような子どもたちに生きる力を届けることが出来ます。


 (財)日本ユニセフ協会からの手紙にはユニセフ(国際連合児童基金)のアン・M・ベネマン事務局長の手紙と日本ユニセフ協会会長(赤松良子、元文部大臣)の手紙が添えられている。それにはアフリカをはじめとする貧しい国々の子ども達の置かれている悲惨な状況が書いてある。その数は驚くなかれ、年間140万人もの5歳未満の子どもの命が失われているのだという。彼らを救うために支援を! と訴えている。

 書かれていることは疑いもない事実であろう。こんな窮状を知って、手を差し伸べないのは心無い人といわれても仕方がない。

 だが、それでも、翔年は「ちょっと待てよ」と立ち止まって考える。
 物事には短期の視点と、長期の視点がある。この窮状を温かい心の持ち主が支援する事によって、140万人の命が救われたとしよう。彼らは15年後には、次々と子どもを授かるだろう。そして地球上は彼らの子どもや孫達で溢れかえるだろう。食糧もエネルギーも地球環境も何一つ彼らに十分ではないこの地球に、人類の人口増加が続くという恐ろしい未来が予想できる。
 ユニセフの行っている人道的支援を長期的視点に立って見ると、何やら寒いものを感じて当惑する。果たして我々は地球規模で整合性のある行動をとっているのだろうかと。

 支援が嫌でこんなことを言っているのではありません。遠い国のことだからと、懐手をして暢気なことを言っている訳でもありません。目先の善意が将来の禍根を招くことにならないのか問うているのです。心配ないといいきれる方はいないのではないでしょうか?
 21世紀は、全ての政策を地球規模で考えて整合性をとらないと、未来に禍根をのこすことは間違いないと確信しています。目先の事は暖かい人々の支援に頼るとしても、本格的な投資は食糧増産、エネルギー節約、地球環境維持、人口抑制に向かうべきだと思っています。

  続きを読む
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December 04, 2008

生きがいのある福祉 −敢えて両面から見る

 人生の旅の途中で、いろいろな出来事やいろいろな人たちと出会う。ちょっとしたことから縁がつながることもある。このエントリーは福祉事業とのちょっとしたご縁の接点で考えたことです。

 翔年は若いときから好きなことをして生きているので、こんなことを書くと「偶にする善行を大げさに書くな!」とお叱りを受けるかもしれない。しかし、福祉事業に携わっておられるこの方の言葉は耳を傾けなければいけない。と思う反面、この意見に手放しで「賛成」することは問題だという思いもあります。

 下は、知能に重い障害を持つ人たちの施設からの寄付金趣意書にある文章です。ちょっと長いが無断で引用します。

「やる気が出ないなぁ。ほんまに楽しくないなあ」こんな言葉を仲間の職員たちから、よく聞くようになりました。確かに、私たちの職場は楽しくなくなりました。
 何故でしょうか。国は私たちの仕事を、心を大切にする福祉から、市場主義の中で金銭や物を重視する合理的な福祉事業に変化させました。そして、規制が強化され、マニュアル化され、その上、書類を書き、提出させられることがとても多くなりました。その中で、個人が自由に、独創的に考え、作り出したものを現場でいかそうとすると、国や県から注意を受けてしまいます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 こうして職員が伸び伸びと仕事ができず、自分が生かせず、やる気ややりがい、生きがいをなくし始めています。そして、(上の指示通りにすればよい。そうしたら、問題があっても、それは上の責任で自分には関係があらへん)と無気力思考になってきているのです。(中略)

 国や県、政治家は「給与を増やせば施設の働き人は定着し、増える」と言っています。本当でしょうか。
 過去、私たちの仕事は貧しく、待遇は良いとは言えず大変でした。でも、沢山の若い人たちが生き生きと働いていました。それは、福祉の現場には温かい心が溢れ、未来の希望と理想に満ちていたからです。(自分は福祉の取り組みをしている)という誇りと喜びを持ち、やりがいがある仕事だったからです。(以下略)


 これを書いている方は、この仕事を47年も続けられていて、最近「生きるってうれしいなぁ」という本も出版されている。(これが51冊目だとか)そういう筋金入りの人だから、翔年が何を言っても受け止めていただけると思うので、敢えて翔年の考えを書きたい。釈迦に説法になる愚をどうかお許し願います。


 「国は私たちの仕事を、心を大切にする福祉から、市場主義の中で金銭や物を重視する合理的な福祉事業に変化させました」
→ この言葉は一面の真理ではある。甘い人たちの集団では通用する言葉だ。だけど、反面、ずるがしこい人たちを喜ばせる意見でもある。
 物事には表があれば、裏もある。国の福祉関係の支出額は物凄い。資金の元は税金です。敢えていいます。税金は合理的、効率的に使ってもらわねばなりません。それを「福祉は心が大事だ」という主張のために、「書類を作るのがいや」、「金は自由に使わせろ」、「そうでないと職場に生きがいが生れない」という主張はどこか変なのではないか。こういう主張をハイハイと許すと、税金の無駄使いはハドメがなくなってしまう。
 世の中には善意の人が沢山いらっしゃるが、人の善意を食い物にしている人や会社もあるのです。翔年はその実例を嫌と言うほど知っています。

 だからと言って、全ての企業は営利を求めているからといって、効率的組織運営をしているからといって、そのこと自体を否定しようとは思いません。営利企業であっても、その中で生きる企業人は、守銭奴になる事なく、自己実現を図ったり、また上に立つ人は部下に人生の生きがいを与える事に手を貸したり、懸命な努力をしているのです。
 国からお金出してもうらうからには、書類作りも、効率的な仕事もキチンとやってもらわなくてはなりません。(モチロン、自前の資金と募金活動資金だけで事業を行われるのでしたら、帳簿を付けても付けなくても、どうぞご自由にと申し上げたい)

 いささか嫌味な意見になってしまったけれど、物には両面があるということで、お許し願います。

 前回のエントリーのターシャ・テューダーがこんなことを言ってくれています。だから、翔年はターシャが好きだし、読者のみなさんも、ターシャの言葉から強い放射を感じるのだろうと思っています。

(お金を稼ぐのは悪い事?)
わたしの絵を気に入ってくださる方は、
「想像力が発揮できて楽しいでしょう?」
というけれど、それは見当ちがいよ。
わたしは、売るために絵を描いているの。
生活のため、食べていくため、そしてもっと球根を買うためにね。  
      −ターシャ・テューダー

→ 「そしてもっと球根をかうためにね」。前の「生活」と「食べる」につけたされたこの言葉に翔年はしびれます。球根を買うのは、生活のためでも、食べていくためでもないのです。歓びのため、ターシャであるためなのです。


(自慢はいけないか? 謙遜は美徳?)
庭はわたしの自慢なの!
謙遜なんかしないわ。
うちの庭は、地上の楽園よ!
       −ターシャ・テューダー


 翔年は偽善の匂いが全くしないこういう人柄に強く惹かれます。

  
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October 24, 2008

嫌な報道、二つ

その一
 麻生首相が高級ホテルのバーなどで会合を重ねていることに関し、嫌な報道が目立ってきた。翔年は一国の首相が自分のお金でホテルで何を食べようと、ホテルのバーで何を飲もうと、他人がとやかく言うべきことではないと思う。それなのに、「庶民感覚とのズレ」などといって批判する声が絶えない。翔年はなんとなく、批判する側の卑しい根性が透けてみえて嫌いだ。

 今日の報道でもこんな状態です。
1 自身も首相同様、多額の資産を持つ鳩山邦夫総務相は「高級料亭ですごい金を使うという話じゃなくて、実に安いと思う。喫茶店でお茶を飲むのに毛が生えたような話じゃないか」と擁護発言。
→ 安いか高いかは個人の懐具合による。どっちでもいいことを、議論しても何も生まない。

2 これに対し、実兄の鳩山由紀夫民主党幹事長は「発想が庶民感覚から外れている。弟が外れていると兄貴もそうだと思われ迷惑だ」と反発。首相のスーパー視察にも触れ「高級ホテルのバーを安いと思う首相が、スーパーで高くなった商品を見るのはパフォーマンスだ」と批判した。
→ こういう発言自体、庶民側に立ったように見せかけるパフォーマンスと言えなくはない。

3 このほか河村建夫官房長官は「(従来の首相の)ライフスタイルを急に変えられない」と理解を示しつつも「一国の首相は国民から注視されている。それだけは頭に入れてほしい」と注文を付けた。
→ ようするに「目立たないようにしてくれ」と言っているだけ。

4 舛添要一厚生労働相は「一杯飲むことでストレスが解消し、明るい顔で公務に出てこられるのなら自由だ」と理解を示した。
→ ストレス解消法は人さまざま、他人がとやかく言っても始まらない。ただ、首相を警護する側からすると、ホテルは他に比べてやりやすいと思う。首相はそういう配慮はしているかもしれませんね。だれも言わないけれども。

 いずれにしても、どれもこれも、議論の次元が低すぎる。一番ひどいのが民主党の鳩山幹事長。まだしもなのが、桝添厚生労働相。


 もう一度ハッキリ言おう。他人の食べ物や生活レベルの差を怨嗟の眼差しで下から見て批判するのは醜い。自分の金でなら、好きなものを好きなところで食べたらよろしい。総理大臣だから、庶民と同じレベルの生活をし、同じものを食べる必要など全くない。
 大所高所から、首相としてわが国の為に何を考え、何を決断し、何を実行しようとするのか? 翔年は麻生首相の志の高さとリーダーシップをこそ問いたい。
 新聞人も、識者も、このような低次元の批判について、キチンとした筋の通った反論を何も言わないのが大不満だ。たとえ、懐寒くとも精神の貴族でありたい。


その二
 これはAsahiネットの記事。
「広島市の原爆ドーム上空で21日、東京の芸術家グループが飛行機から煙を出して『ピカッ』の文字を描いたことに市民から『原爆を連想させ、無神経だ』」との批判の声が上がり、グループ代表が24日、広島市内の被爆者5団体に謝罪した。平和を追求する映像作品の撮影だったという。」

 これも嫌な風潮の一つだ。被爆者団体は「平和を追求する作品をつくるなら、もっと広島のことを知ってからやってほしい」と苦言を呈して、 芸術家グループの代表に頭を下げさせている。 そして、結果として市現代美術館で11月に開かれる個展に出品する事も取りやめになったという。

 翔年は思う。被爆者団体にこんなことをする権利はない。彼らは表現の自由を奪っているという意識が欠如している。最近の風潮は被害者に同情するあまり、被害者が大きな顔をして、無意識の無神経さで横車を押している例が大変多い。
 朝日新聞系は特に多いかもしれない。
  
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May 09, 2008

二つのバイオ燃料−由々しき問題

 この2月に沖縄の宮古島に行ったとき、バイオエタノール燃料に2種類あって、宮古島は環境省が推す「E3」を販売中だけど、石油連盟が別のバイオエタノール燃料(ETBT)を推進しているので、宮古島でサトウキビの搾りかすからつくる「E3」の普及が危ぶまれているという報道に接した。その時は宮古島特有の問題かと思っていたが、大きな認識間違いだった。

 今日の読売夕刊に「バイオ燃料ナニワの陣」、「環境省・府『E3』をテコ入れ」、「石油連盟独自方式来月にも」の見出しで、宮古島についで、ここ大阪でも問題が発生している。これはわが国の将来にとって大きな問題を孕んでいる。役所の縄張り争い、利権、目先の損得だけでどちらかのバイオ燃料に決める事は許されないと思った。

 まず、新聞記事から二つのバイオ燃料を比較してみたい。

  主団体     製造方式       販売地域(※は予定)  
E3 環境省    バイオエタノールの直接混合  大阪、沖縄 

ETBT 石油連盟 バイオエタノールを石油ガスと化学反させた後混合 東京、神奈川、千葉、埼玉(※宮城、群馬、茨城、静岡、大阪)  


   長所         短所         他国
E3  混合比率を上げやすい 新たな設備投資必要 アメリカ、ブラジル(100%混合)

ETBT 品質が安定している  混合比率を上げにくい フランス、ドイツ


 なんじゃ、これは。政府と石油連盟は全く別の事を始めているではないか。わが国は地球温暖化対策として2010年までに原油換算で年間50万Klをバイオ燃料で賄う目標を立てている。その内、21万キロは業界が請け負うとして、既存のガソリンスタンドを設備がそのまま利用できるとして昨年4月から一般車向けに販売している。

 新聞記事によれば、環境省に協力してE3を試験販売を始めた大阪府の担当者は石油連盟の攻勢を知ったのは先月中旬で「寝耳に水」だったと語っている。そんな馬鹿な話はないはず。翔年は2月に宮古島でこの問題がある事を知っていたのだから。(判断は甘かったが)

 これは利権がからんだ問題に見える。まず、省庁の縄張りあらそいがある。即ち、環境省がE3、経済産業省がETBTを支援しているのだ。裏には業界の利権があるとにらむ。業界がなぜETBTを推進するかを考えれば、よくわからない利権がおぼろげながら見えてくるのではないか。

 一つは、ETBTは既存のガソリンスタンドの設備がそのまま使える。即ち、目先の出費が不要であるから、業界はこれに賛成するんだろう。二つは、勘ぐりたくないことだが、エタノールの混合割合が上ってくるのは石油業界にとってうまみがだんだんなくなると判断して、E3の普及を妨害しているのではないか?

 残念ながら、翔年にはこの程度しかわからない。すみません。どなたかもう少し突っ込んだ議論(データ付きで)を展開してください。お願いします。

 新聞記事ではE3とETBTのコストが比較されていないので何とも歯がゆい。情報が公開されていないことが問題。このような問題は当面のコストだけでなく、将来にコストがどう変化するか、エネルギー資源に乏しいわが国はどの道を選択すれば一番よいか、こういう問題をこそ、シッカリ議論すべきだ。政治家は日銀総裁や副総裁の人事のような小事にはうるさいほど議論するが、わが国の将来を見通したエネルギー論のような大事はだれもやらない。やれる政治家がいないことこそが大問題である。
 

※バイオエタノール=植物を原料jとするアルコール燃料のエタノールをガソリンなどに混ぜたもの。製造コストは割高。
宮古島はサトウキビの搾りかすを、大阪は廃木材を原料にしたものを使用している。→ 着眼点はいいと思う。シッカリやっていただきたい。

  
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February 29, 2008

ウェブ時代に生きる

 梅田望夫著「ウェブ時代をゆく −いかに働きいかに学ぶか」を読んだ。この人の意見は示唆に富んでおり、ウェブの片すみで生息している翔年にとっても、なかなか有益だった。多分、若い人にとっては、昔、翔年が読んだ梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」に相当する一冊の本に位置づけられるのではないかと思う。

ウェブ時代をゆく
 本の中に「ネットは知恵を預けると利子をつけて返す銀行」という面白い考えが紹介されている。極めて具体的な説明で大変分かりやすい。蠅呂討覆料篭伴垓疇淳也氏の著書『「へんな会社」のつくり方』からの引用です。


 自社サイト「はてな」の運営に関しても、「こういう問題が出てきていますが、こんな風に考えています」といった情報を出せば出すほど、多くのユーザーの方々から「その問題の本質はそこではなくて別の部分にあるんだよ」とか、「その方法は一部のユーザーしか満足させられないぞ」といった指摘をたくさんいただきます。中には、はっとするような新鮮な視点が含まれていて、危うく一部のユーザーに不利益を与えるような仕組みを作ってしまうところだった、という経験もしています。こういう経験をくり返していると、インターネットは知恵を預けると利子をつけて返してくれる銀行のようなものだ、という感じがしてきます。


 2003年末からBlogを書き始めた翔年も、利子以上の恩恵をネットから受けた経験が幾度と無くあります。
 リアル世界では決してつき合いの機会のなかったであろう方々、例えば「人セム」の玉川和正氏、「快楽原則」のkompfさん、「情報考学」の橋本大也氏、”Ten Thousand Leaves”のYN氏、奈良のO氏、神戸のYさんなどなど、翔年が預けた以上の利子を今も返して下さっている。

 著者の梅田望夫氏はネットの達人らしく「知恵を預けると利子を返してくれるなんてものじゃなく『脳を預けたらそれが膨らんで戻ってくる』ような気がした」と知的興奮が伝わってくる表現をされています。多分、対話や討論を通じて、知的興奮の連鎖から知的産物の結晶作用がはじまり、最後に輝く何物かが生み出されているのでしょう。
 昔から一流の学者はディスカッションを良くやっていましたが、それが今は普通の人々がネット上でオープンな形で出来るのだということがよく理解できました。


 もう一つ共感したことは「ネット空間の日本語を知的に豊穣なものに」するということ。
 
 英語圏ネット空間の知は「次の十年」で圧倒的に充実していくだろう。このまま十年が経過すると、英語圏の「学習の高速道路」が著しく充実し、英語圏に生まれ育つことの優位性がこれまで以上に増幅されてしまうのではないかという危惧すら抱く。(中略)
 日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていけるかどうかは、日本語圏に生きる私たち一人ひとりの意志にかかている。ネット上の知の可能性を過小評価して何もしなければ、十年後の英語圏ネット空間と日本語圏ネット空間の間には、取り返しがつかないほどの格差が広がっていることだろう。


 この指摘は警鐘なんて生易しいものではない。恐ろしい予言を含んでいると思う。
 知の空間は広い。全国の図書館、博物館、美術館、動物園、植物園、水族館、さまざまな研究所にある論文や資料、行政組織や企業が集めたデータなど、日本語でアクセスできる豊穣な知的空間は十年でどの程度できるのだろうか? はたして、このようなダイプロジクトを目指す動きはあるのだろうか? グーグルやアマゾンが着手している全ての知識をあまねく集めるという大プロジェクトはよく耳にする。たいして日本語の知の空間つくりの話はあんまり聞こえてきません。国会図書館の本の電子化程度で満足していてはいけないと思います。

  
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January 18, 2008

健康寿命

 わが国は世界的な長寿国になって久しい。自分自身が高齢者といわれる年齢に達しているので、毎日否応なく高齢者に関する情報が目に入ってくる。文芸春秋2月号に『不老革命』−アンチエイジングの衝撃−のタイトルで、立花隆、茂木健一郎(脳科学者)、玄侑宗久(僧侶)、白澤卓二(順天堂大教授)、大内尉義(東大教授)の対談が掲載されている。
 雑誌によれば5人は「知の巨人」だそうだが、問題が問題だけにどんな知の巨人を持ってきても、問題提起か問題の入り口付近でウロウロするしかない。翔年は尊厳死協会に入っているぐらいだから、単に寿命を延ばすことには関心がないが、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)があるなら、長命も結構かと思う。そういう訳で、このエントリーでは対談で興味を感じた話題をピックアップしたい。

 
 まず、初めて知った興味深いことがある。それは「健康寿命」という言葉と女性は長寿ではあるが健康寿命は男性に比べて相対的に短いという事実。

 健康寿命はこう定義されている。
健康寿命=平均寿命 − 要介護期間
平成17年の厚生省発表の男性、女性の平均寿命データを当てはめて「健康寿命」を見ると
「男性」71.83歳 = 78.53歳 − 6.7年
「女性」76.39歳 = 85,49歳 − 9.1年


 平均寿命では男性より6.96歳長寿だが、健康寿命では4.56年と差が縮まっている。
なぁんだ、女はベッドで粘っているだけなのか。

 冗談を言っておれない切実な問題を感じさせられます。この数字は。病院のベッド数がたりない、介護施設が足りない、介護する人が足りない、介護保険料がああだ、こうだと大騒ぎしていますが、これらの施設の整備拡充を図るという事は、要介護期間の延長を目指すものでもありますから。
 
 これを知ると、玄侑氏の言葉は大きな重みをもって迫ってくる。
私は「老衰」とか「寿命」という言葉が説得力を持たなくなってきていることが最も恐ろしい。私は多くの「死」に立ち会っていますが、最近、身内を亡くした人が、「あの先生があの治療をしてくれなかったせいだ」という言い方をするようになりました。以前のように「寿命だったんだね」と死を受け入れられなくなってしまった。


 
 もう一つの医療の方向も翔年は大嫌い。それは補充療法というしかない健康維持方法。やれビタミン入りのなんとか、それ栄養剤のサプリメント、精力剤のなんやらかやら。カプセルや医薬品外飲み物が大量に売られている。加えて高齢者への「ホルモン補充療法」が実用化している。男性には男性ホルモン、女性には女性ホルモンを投与するのだという。そしてこれらの療法は当然のことながら、副作用をもたらす。
 よく知られているのは女性ホルモンの投与が子宮がん、乳がんをひき起こすこと。その他にも「動脈硬化を防ぐはずなのに悪化させてしまった」とか「知的機能改善に効果がなかった」といった臨床データが報告されるようになってきたとか。この種の療法が国中で行われているのだろう。


 もう一つ。性ホルモンにDHEAという副腎由来のホルモンがある。通常、このホルモンは年をとると低下する。その低下の度合いを大勢の老人からサンプリングすると限界点が120歳になるという。つまり、DHEAが高い人は長生きできるということになる。例えばご高齢の日野原重明院長や対談している立花隆氏はこれが大変高い数値だという。
 ところで、長命は遺伝的特質なのか優れた生活環境の為なのかというと、最近の研究では人の寿命を規定しているのは遺伝要因が25%、環境要因が75%であるという。性ホルモンはすべての活力の源だから、上のことは充分うなずける研究結果だと思う。

 ここまで研究結果を教えてもらったからには、後は応用問題です。長生きしたい人はサプリメントに頼ったり、補充療法に頼るより、DHEAという性ホルモンがでるようにすることだ。どうすればよいか、大人なら大体の見当はつくはず。

 翔年が密かに考えるヒント。例えば長命な俳人はこんな句を詠んでいます。女性の句の方が断然いいように思いますが、皆さんはどうですか?


羅や人悲します恋をして       鈴木真砂女(96歳)
湯豆腐や男の嘆ききくことも     鈴木真砂女

ゆるやかに着て人と逢ふ蛍の夜     桂信子(90歳)
きさらぎの風吹ききみはひとの夫    桂 信子

髪梳いて胡桃の栗鼠を待つこころ    稲垣きくの(82歳)


かたつむりつるめば肉の食い入るや     永田耕衣(97歳)

交る蜥蜴くるりくるりと音もなし      加藤楸邨(88歳)
蜜柑吸う目の恍惚をともにせり       加藤楸邨


※羅=うすもの
夫=つま
梳いて=すいて
胡桃=くるみ
栗鼠=リス
交わる=さかる
蜥蜴=トカゲ


  
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October 29, 2007

無神論者のリスト

 19日にアップしたドーキンスの「神は妄想である」がきっかけとなって、世界平和の活動は無神論者にしかできないと確信するに至りました。特に一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、地球上に紛争を起こすことはできても、争いを終結させる理念がもともとないのだから、紛争解決を彼らに期待するのが間違っているとハッキリ結論づけました。この問題意識がずっとあったからだろうか、ネット上の「The Bright(ブライト運動)」に行き着きました。

 ブライト運動はいずれ詳しく述べたい考えていますが、まずは、歴史上の無神論者のリストをその関連で見つけたので、これを整理することから始めたい。


無神論者のリスト(Famous Dead Nontheists)」 はプリントアウトしたら31ページ(A4版)にもなる膨大な有名人の生年順のリストで、その人物が無神論者と信じられる根拠が英語で書いてある。ここでは翔年が知っている人物のみ抜き取ってミニリストを作りたいと思う。(根拠の書いてない人物もあります。ご存知の方はご教示くださればありがたい。あわせて、間違いがあればご指摘くださるようお願いします)

1 孔子、(confucious)、中国の哲学者(551-479BC)
→ 論語に「子、怪・力・乱・神を語らず。(述而第七)」とある。子は怪しげな宗教について述べなかったのは本当だ。論語のどこにもない。

2 プロタゴラス,(Protagoras), ギリシャの哲学者 (紀元前 481?-411 )
「神については、わたしはいるともいないとも言うことはできない」

3 デモクリトス,(Democritus), ギリシャの哲学者 (紀元前 460?-357 )
→ 唯物論の祖

4 エピクロス,(Epicurus), ギリシャの哲学者 (紀元前 341-270 )
→ 唯物論者にして快楽主義者

5 キケロ,(Marcus Tullius Cicero), ローマの政治家, 雄弁家, 哲学者 (紀元前 106-43 )
→ 無神論者である証拠が見つかりません。「ローマ人の物語」を読んでも、ローマの名言集にあるキケロの言葉を見ても、無神論者かどうか分かりません。どなたか教えていただければ幸いです。

6 セネカ,(Lucius Annaeus Seneca),ローマのストア派哲学者, 作家, 政治家 (4-65)
"Religion is regarded by the common peaple as true, by the wise as false, and by rulers as usefull."(宗教は普通の人にとっては真実とみなされるが、賢者にとっては間違いと、統治者にとっては有益とみなされている)


7 クリストファー・マーロー,(Christopher Marlowe), 英国の劇作家、詩人 (1564-1593)
"I count religion but a childish toy and hold there is no sin but ignoance."(
宗教は子供っぽいおもちゃのようなもの、無垢であって罪がない)

8 トーマス・ホッブス,(Thomas Hobbes) 英国の哲学者 (1588-1679).
9 アフラ・ベーン, (Aphra Behn),劇作家 (1640-1689)
→ 確か、この人、漱石の小説にでてきたと記憶している。

10 フランシス・ラ・ロシュフコー,(Francois La Rouchefoucauld), フランスの作家 (1650?-?)
→ ニーチェに影響を与えた。

11 ボルテール(Voltaire).フランスの作家、劇作家
"If we believe absurdities, we shall commit atrocities."(もし、我々がばかげたことを信じるなら、われわれはきっと暴力に与することになる。)

12 ベンジャミン・フランクリン,(Benjamin Franklin), 米国の政治家, 科学者, 作家, 印刷屋 (1706-1790)
"The way to see by faith is to shut the eye of reason."(信じて見るということは理由を見る眼を閉ざすことだ。)

13 フリードリヒ大王, (Frederick the Great),プロシア王 (1712-1786)
14 マルキ・ド・サド, (Marquis de Sade),フランスの放蕩者 (1740-1814)
"The idea of God is the sole Wrong for which I cannot forgive mankind."(神の概念は人類が犯した許されないたった一つの間違いだ)

15 ジェレミー・ベンサム,(Jeremy Bentham), 英国の改革家, 作家, 哲学者 (1748-1832)

16 ヨハン・ウルフガング・フォン・ゲーテ,(Johann Wolfgang von Goethe), ドイツの作家 (1749-1832)
→ Stoutly anti-Christian,but not atheist.(強い反キリスト教ではあるが、無神論者ではない。)

17 ピエール・シモン・ド・ラプラス,(Pierre Simon de Laplace), フランスの数学家、天文学者 (1749-1827)
18 ナポレオン・ボナパルト,(Napoleon Bonaparte), フランスの皇帝 (1769-1821)
"Religion is excellent stuff for keeping common people quiet."(宗教は並みの人間を黙らせておくには結構なしろものだ)
"All rerigions have been made by men."(全ての宗教は人間によって作られている)

19 ジョージ・G・バイロン卿,(Lord George Gordon Byron), 英国の詩人 (1788-1824)
20 アーサー・ショーペンハウエル,(Arthur Schopenhauer), ドイツの哲学者 (1788-1860)
"there was, Schopenhauer believed, no Absolute, no Reason, no God, no Spirit at work in the world: nothing but brute instinctive will to live."(ショウペンハウエルはこの世には動物的な生きる力以外のもの、絶対者も、道理も、神も、精神も、この世にはそんなものはないことを信じていた)

21 ペリー・B・シェリー,(Percy Bysshe Shelley), 英国の詩人 (1792-1822)
→ If Got has spoken, why is the world not convinced.(もし、神に口があるなら、どうして世間の人々は確信を持てないのか)

22 ルドウイック・アンドレアス ・フォイエルバッハ,(Ludwig Andreas von Feuerbach), ドイツの哲学者 (1804-1872)
23 ジョン・S・ミル,(John Stuart Mill), 英国の哲学者、経済学者 (1806-1873)
→ 厳密には無神論者でないかもしれないが、自由思想家であった。

24 チャールス・R・ダーウイン,(Chales Robert Darwin), 英国の自然学者 (1809-1882)
→ 40歳を過ぎてから、彼は自分の言葉でキリスト教は全然信じられないと語り始めた。"For myself," he wrote, "I do not believe in any revelation."(私にとっては、どんな啓示も信じることはありません)

25 アブラハム・リンカーン,(Abraham Lincoln), 米国の大統領 (1809-1865)
"The Bible is not my book nor Christianity my professon. I could never assent to long, complicated statement of Christian dogma."(聖書は私の本ではないし、キリスト教は私の職業じゃない。私は長ったらしい、複雑なキリスト教の教義に決して同意はしません)

26 エドガー・アラン・ポー,(Edgar Allan Poe), 米国の作家 (1809-1849)
"No man who ever lived knows any more about the hereafter ... than you and I; and all religion ... is simply evolved out of chicanery, fear, greed, imagination and poetry."(君や僕の後で生きて今より先のことを知っている人はいない。すべての宗教はごまかし、恐れ、想像、詩が起源である)

27 ミカイル・バクーニン,(Mikhail Bakunin), ロシアの無政府主義指導者、作家 (1814-1876)
→ バクーニンにとって宗教とは人間性を貧困化する象徴であり、また、人間の自己決定の可能性を閉ざしておくための兵器のようなものである。

28 カール・マルクス,(Karl Marx), ドイツの政治哲学者、経済学者 (1818-1883).
→ マルクスは宗教は虐げられた人間のため息とみなしていた。



 (こんな調子で最終的に100人以上のリストが出来上がります。この続きは1週間後にアップします。)

  
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April 15, 2007

責任者が責任をとらないとどうなる?

 一昨日の読売夕刊一面にこんな記事が載った。真の責任者が責任をとらないと社会はどうなるか? という格好の教材でしょう。

タイトル:有罪3職員に8000万円カンパ
サブタイトル:「同和行政の犠牲者」失職に同情

記事要約:「大阪市が発注した街路樹維持管理業務を巡る不正入札事件で、偽計入札妨害罪で有罪が確定し、失職した市職員3人の生活を支援するため、市役所内に「有志の会」が結成され、寄付を募るカンパが行われている。」

「市役所内に、退職金も出ない3人に対する同情論が広がり、『ゆとりとみどり振興局』が中心になって『有志の会』が結成され支援を要請している。」

「寄付に応じた職員は『自分も疑問に思わないまま同じ業務をしていた。たまたま罪にはならなかっただけで、3人に申し訳ない気持ち』と言う。」
→ さすが「ゆとりとみどり振興局」の職員さまだ。筋の通らぬことでも平気でおっしゃる。

 この記事を読んでなんとうるわしい人情あふれたいい職場だと勘違いしてはならない。組織ぐるみで不正を働いていたということは、真の責任者は組織の長であるべきと信じる。実行犯の課長や課長代理や係長ではない。

真の責任者の弁を拝聴しましょうか。
関市長:3人の失職は私もつらいが、どうにもならない。彼らに報いるためにも二度とこうしたことを起こさない職場風土をつくる」
→ 冗談じゃない。自分が職場風土をつくるとしゃあしゃあと言っている。不正渦巻く職場を作ってきた人物がこうして責任を逃れていく。法の裁きは受けない人情論を言っているようでは、何年待っても厳正な職場はつくれません。

 真の組織の長が責任をとらないなら、、その組織が存在する社会は腐敗の温床になるか、さもなければ、法の支配する近代社会から遠のいていく他はない。市役所内に「正義」とか「不正を憎む」とか「法を守る」という精神はないようだ。

 太平洋戦争の戦争責任をとらなかった昭和天皇以来、トップが責任をとらない事例がどんどん数を増している。わが国の社会が危ない。

  
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December 18, 2006

虚偽報告天国 −上から下まで

朝日新聞は
 「高級魚ミナミマグロ(インドマグロ)の日本漁船による乱獲の実態が、朝日新聞が入手した資源管理機関「みなみまぐろ保存委員会」(本部・豪州)の非公開報告書でわかった。報告書は、03〜05年の日本の漁獲量が日本から同委への報告より少なくとも年平均6268トン多く、正式な割当量(年6065トン)の2倍以上だったと指摘。」

 「日本が同委に報告した03〜05年の漁獲量は5762〜7327トンだったが、実際は少なくとも1万993〜1万4761トン、多く見積もれば1万2019〜1万6191トンだったと算定。1996〜2002年の過剰漁獲はさらに多く、報告より年平均で1万373〜1万2144トンも捕りすぎていたとしている。」

 「今年10月、同委は日本の漁獲割当量を07年からの5年間、半減させると決めた。日本政府が懲罰的な削減を受け入れざるを得なかった背景には、この報告書があったとみられる。」

「報告書は今年7月、同委に提出されたが、非公開とされた。朝日新聞の取材に水産庁は「一切コメントできない」としている。」
と報じている。

 たいへん残念だ。これは水産業界、水産庁と政府がグルになって国際的な会議に虚偽の報告を長年にわたって行ってきたことが表面化したのである。資源保護に熱心な他国からみれば、我が国はどんな風に見えているのか、想像力を働かせるまでもない。美しい国、信頼できる国、尊敬に値する立派な国になるためには、こういういい加減な業界や行政のあり方を改めねばならない。不正義に対する嫌悪感や怒りを抱かない国民が多ければ、こういうことは一向改められない。最近は組織の長やリーダーに正義感の欠如人間が多く就任しているようだ。

 似たような長年虚偽を続けてきた事件は、教育界のカリキュラムの虚偽報告以外にも、事例なら過去に幾らでもある。
 例えば、最近やっと官製談合にメスが入り始めたが、実はこの問題は20年以上も前に、アメリカ政府から指摘されてきた問題である。当時、政府は業界団体に調査を命じ、その結果をもって、そういう事実はないと米国に回答した。(翔年は「えっ!」と思ったからよく覚えています)後に、関西国際空港の設計問題にからんで、我が国は設計と施工の両方をゼネコンがするために、設計入札で不公正な競争をしている事実は隠しようがなくなり、国際入札に限り、設計と施工を別々することにして落着させた事例は記憶に新しい。中途半端な対応しかしなかったために、その後、ゼネコン談合を取り仕切っていた金丸信の不正蓄財事件があったし、地方自治体の構造的腐敗体質は今も続いています。

 「他国にいわれてから、その事実の一部をシブシブ認めて、その部分だけやむなく改める」という恥ずべき態度を繰り返してばかりいる国、日本。官民ともそういう体質が染み付いてしまっているように思えるのですが・・・。

 今回の水産庁は「一切コメントできない」といっているそうだから、虚偽報告の責任を取る責任者はいないのだろう。この体質では内部からの改革は全く期待できない。
  
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November 27, 2006

多の尊重

 昨日、ロシア大使の下のような宗教観を書いて同感の意を表したと思ったら、「梅原猛の授業、仏教」にも同様の趣旨の表現を見つけた。ちょっと長い文章で気が引けますが、大事なところなので、そのままの形で引用します。

ロシェコフ駐日ロシア大使:「イスラムのアフガニスタンにも勤務したが、私は地球を治めるのは一つの神様ではないように思う。キリストもアラーの神も仏も信じていいところがあるように感じる。ある日本の宗教指導者に信仰について話したとき、そんな気持ちを説明して、私はどちらかと言えば無神論者ですと言ったら、『大使こそ仏教徒だ!』といわれたよ。あっはっは。」

梅原猛著「梅原猛の授業、仏教」
梅原猛の授業 仏教

梅原猛:「(前略)それに対して、一神教のなかでもっとも先鋭な一神教であるイスラム教との衝突が第三次世界大戦を引き起こし、核戦争を誘発する恐れがあります。(中略)
 たしかにこの異母兄弟というべきキリスト教とイスラム教の対立の根は深く、これは千年の昔からづづいている業です。しかもその業の道をずっと進めば、人類は滅びてしまうかもしれない。それを避けるには、彼らが正義という思想の元にある自己の欲望を絶対化する思想を反省して、憎悪の根を絶たねばならない。この憎悪の根を絶つというのが仏教の思想です。仏教国日本は仏教の十二因縁の説で世界の和平運動の先頭に立つべきであると思います。
 もう一つ私のいいたいのは、多神論の復活です。神道も仏教も多神論です。勿論自分の信じる神や仏も大切にしますが、他人を信じる神や仏も大切にするという精神です。これは多の尊重という思想です。」

 梅原先生の言葉は、京都の洛南中学の生徒にたいして行われた授業なので非常に分かりやすくてありがたい。

 宗教界で大きな力をもっている一神教が、イラクやアフガニスタンをはじめ、世界のあちこちで頻発するテロを抑える思想にはなりえない以上、翔年は無神論者であるけれど、多神教を支持せざるをえなくなる。

 作家の塩野七生の「ローマ人の物語」ではギリシャ・ローマの神々の話が出てくる。一神教のユダヤ教とは度々トラブルを起こしている。多分、もう少し時代が進めば、ローマはキリスト教が国教になる。そして一神教がローマの歴史(精神と文化)をどのように変えていくか、塩野さんがどのように語ってくれるか、待ち遠しい。今までの語り口からして、彼女も多神教以外にこの混迷の現代社会を脱するすべがないと考えているような気がしてならない。

  
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October 26, 2006

うっかり大半? 本当か?

 今朝の読売新聞の一面記事です。『申告漏れ4000人、200億円』、「うっかり大半」と言う見出し、記事の一部を引用します。

 「大阪国税局は近年、同調書(証券会社が税務当局へ提出する投資家の売却額を記録した「支払い調書」)などと申告状況を照らし合わせる方法で重点的に調査。(中略)延べ4000人の譲渡所得の申告漏れを指摘。」
「証券会社に源泉徴収されていると勘違いしたり、数年の取引のトータル赤字と判断したりして申告しない、初歩的ミスがほとんどだったという。同国税局は大半の個人投資家について無申告加算税や過少申告加算税を含め、追徴課税した。」

 記事を見る限り、納税を逃れていた投資家には、追徴課税がなされたようにみえるが、果たしてどうだろうか? 税務当局の発表したものを、そのまま記事にしたのではないかと思うが、無申告者にたいする考え方が非常に甘いと思う。当局は本当に厳正に処理したのであろうか?

 「うっかり大半」とか「低い納税意識(実は高い脱税意識)」とか「勘違い」とか初歩的ミスばかりで、投資家はすべて、善意で無垢な人間として報道されている。その上、加算税を課したのは「大半」であるそうだから、何らかの修正申告をして加算税を逃れた投資家もいるのだ。

 「うっかり」や「判断ミス」というが、「見つからなければいいや」という、税金逃れの横着を決め込んでいる投資家たちが大勢いるのが実態ではないかと思う。従来から、税務当局は「金持ちのうっかりミス」や政治家の「うっかり記載ミス」に対しては、修正申告を受け付けてまるく収めてきた経緯がある。うっかりではなく「故意」とか「虚偽記載」と解釈すればいいのだ。
 何故か金持ちと議員には極端に甘い



 翔年は思う。最近の法の適用は厳しくなる方向にあるのだ。

1 昨年、少年法を改正して、刑事罰対象を16歳から14歳に引き下げた。
→ まだ未熟な小年に対して刑事罰を課すようになったのに、何故、金持ちで、分けの分かっているズルイ大人に対して、重加算税をかけないのか? 何故、政治家の政治資金規正法違反の記載ミスはすぐ修正に応じるのか? 政治資金は無税あつかいだが、記載ミスをした(虚偽の記載)政治家の資金には課税することにしたらいいと思う。そうすれば、虚偽の記載をしておきながら、記載ミスという言い逃れをする議員は減るだろう。これらはすべて法の運用と「お金」で済むことばかりです。

2 組織暴力団にたいしては「下部組織の抗争も指揮監督が可能な使用者の立場にある」として、組長の使用者責任を認めた最高裁判決も出ている。
 これも、なかなかいい判決で、暴力団の内部ではパニックが起こっているという情報もある。
→ もし、「指揮監督が可能な使用者の立場にある」ものにまで、責任が問えるのなら、暴力団の組長だけでなく、今まで、秘書や会計責任者のせいにしていた国会議員や地方議員にも、その使用者責任を負わせることができるのではないか。

 こう見てくると、わが国の法律運用は、未熟な小年や暴力団には結構厳しいが、社会の上位階層の金持ちと議員に極端に甘いように感じるのだが、皆様はいかがお感じでしょうか?

 2009年度には、国民が法を身近に感じられ、司法に信頼がおけるようになるという狙いで、「裁判員制度」なるものが始まる。そんな大層な制度以前に、お金に関する上の2例をキチンと法律運用したら、国民はもっと法の有効性やありがたみを身近に感じて効果があると思うがどうだろう。



  
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October 02, 2006

法テラスが開業

 法テラス(正式名称は「日本司法支援センター」)が二日から業務を開始した。これは紛争解決に役立つ情報提供や国選弁護の運営など、民事、刑事両面で総合的な法律サービスを提供する独立行政法人だという。
 全国どこからでも同じ番号で電話を受け、紛争の種類に応じた適切な窓口に相談を引き継ぐサービスだ。

トラブルの解決情報は
 0570−078374(お悩みなし)
犯罪被害に遭ったら
 0570−079714(泣くコトないよ) または (大泣くないよ)

ここで、コールセンターのオペレーターが受け付けて、紛争解決を担う弁護士会や司法書士や自治体、専門機関や犯罪被害者支援団体を紹介してくれたりするそうだ。

 翔年はこの制度がいい制度なのか悪い制度なのか、今のところ分からないけれど、今まで、市民にとって敷居の高かった司法を身近にする制度として社会に定着するよう、うまく運用してもらいたいと思う。そして、2009年にはじまる裁判員制度にスムーズにつないでくれることを希望する。

 法テラスにしても、裁判員制度にしても、市民にとって重要なことなのだが、法律の素人にはなかなか分かりにくい。本筋が見えない。翔年はさらに法律に近づいて、ただし、あくまで一市民の立場で、物申していきたいと思っている。

※法テラスが憲法37条に違反すると主張している人達がいる。37条は刑事事件における被告人の権利について述べているが、条文を何度読んでも、憲法違反であるとは言えないと確信する。  
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July 27, 2006

音楽刑 −粋な刑罰−

 刑事裁判に一般国民が参加することになる「裁判員制度」へ関心を強めていたら、今朝の読売新聞で、こんな記事を見かけた。(関心を持っていたら、情報は向こうから、眼に飛び込んでくるというが、本当だ)

 「法務省は26日、法制審議会(法相の諮問機関)に、犯罪者を社会の中で更正させるため、社会奉仕命令を刑罰として科す制度の導入などについて諮問した。」内容はこんなものだという。

1 犯罪者を刑務所に入れずに、ゴミ拾いや介護などの社会奉仕活動を刑罰として科す。
2 仮釈放された受刑者の居住地を指定し、刑務官の監視の下に学校や職場に通うことを義務づける。

 発想の出どころが、刑務所の「過剰収容」解消にあるのは気に喰わないが、制度としては十分検討に値すると信じる。特に1については欧米ではずっと昔からこの制度があるのだが、わが国にはそういう発想は乏しいから、余り紹介されていない。

 罰金、禁錮、懲役、死刑など刑罰にはいろいろある。死刑のA級戦犯は「絞首刑」だったと聞いているし、最近は「電気椅子」が普通らしい。また、ある国では注射で死なせてくれるそうだから、病院で管をいっぱいつながれた末に殺されるより、刑務所の方がよっぽど人道的だ。尊厳死を望んでいる翔年にとっては、そんな刑務所は魅力的?に見える。

 世界中で死刑廃止論があるように、時代とともに刑の残酷さがだんだん減ってきているのは喜ばしい。残酷でなくなったというだけでなく、諸外国の事例にあるように、もっとイキな、しゃれた刑罰もあってよいと思うので、我が法務省は「ゴミひろいの刑」も結構だけれど、以下の事例を参考にして、世界に誇れる刑罰を考えていただくよう熱望する。


 それでは、塩田丸男氏の随筆から、とっておきの粋な事例を二つばかり紹介しましょう。

1 ニューヨークで二つの超高層ビルの間にロープを渡して綱渡りした男が道路交通法違反で逮捕された。
刑罰:「サーカスの刑」=日曜日にセントラル・パークで子供達に無料で綱渡りを見せてやれ。

2 1976年、ロンドンで63歳の女性ピアニストが出来心で万引きした。こちらは窃盗罪ですね。被害額はわずか16ポンド。
刑罰:「ピアノ演奏の刑」=老人ホームを歴訪して、孤独な老人たちを慰めるために無償でピアノ演奏をしなさい。その時間が合計100時間に達するまで。

 いずれも実刑であるところがすばらしい。今の裁判は長引く上に、刑罰にはすぐに執行猶予がつく。犬のしつけでは悪いことをしたら、すぐに叱るというのが基本中の基本である。人間は賢いのだから犬とは違うと執行猶予をつけても、何もいいことはない。
  
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March 25, 2006

志賀原発運転差し止め判決に疑問?

 24日夕刊各紙の報道によると、北陸電力2号機(改良型沸騰水型軽水炉=ABWR、1,358,000KW)は耐震性に問題があるとして、住民ら135人が北陸電力に運転差し止めを求めていた訴訟の判決で、金沢地裁の井戸謙一裁判長は24日、運転差し止め請求を認める判決をくだした。
(以下は日経夕刊の記事を参考にまとめます。)

 裁判長はこんな論理を述べている。
1 「宮城県沖地震では、東北電力女川原発で想定した揺れを上回った」とし、設計の計算手法は実際の観測結果と整合しておらず、妥当性は認めがたい」
 → 翔年は地質や地震の専門家ではないので、ほんとうにそうですかというしかありません。

2 「(被告は)邑知潟断層帯による地震を考慮していない。
→ これは本当らしい。

3 「想定を超えた地震によって周辺住民が許容限度を超える放射線を被爆する具体的危険があると推認すべきだ」
→ 原子力発電所という巨大なシステムは、放射性物質が外部へ漏出しないよう、二重、三重の防護がなされているのですが、裁判長は大地震がきたら、システムは全て破壊されると思っているみたい。結論はなんとも荒っぽいので、それこそ結論の「妥当性」が翔年にはさっぱりわからない
 これに不満を感じて、ネットのアチコチを探し回ったが、判決文を見つけ出すことができず残念。新聞記事程度の文章は山ほど見たが、これらからは、「放射線を被爆する具体的危険がある」とする、判決の根拠が示されているものは見当たりませんでした。

4 「放射性物質が放出された場合、周辺住民の人格権侵害の具体的危険は受忍限度を越えている」
→ 放射性物質が放出されたら、放出のされ方如何にもよりますが、裁判長の結論に至るでしょう。しかし、それにはどうしても、M7.6の地震が発生した時、原発の構造物は如何なる被害を受け、肝心の格納容器はどのようななり、システム全体はどのような事態におちいるのか、少なくとも何ケースかのシュミレーションは示されるべきと考える。そのような推論を示すこともせず、「放射線を被爆する具体的危険がある」と結論づけるのは、乱暴すぎると思う。

5 もう一つ、付け加えたい。この裁判の原告は原子炉から700KMも離れた熊本県人も含むそうだが、通常、放出された放射性物質は偏西風にのって東へ(東京方面へ)流れていく。裁判長は東風が吹いている場合を仮定して考えているのかな?
 さらに、普通の裁判では資格がない原告は排除されますが、やさしい裁判長はそういうことをなさらないらしい。こういう細部もキチンと説明していただきたいと思う。


 人間の生活に必要なエネルギーを生み出すとともに、人間にとって取り扱いの極めて難しい放射性物質を生成する原子力発電所は、一つ間違えば大変な悲劇を生み出す恐れのある、まことにやっかいな構築物であることは間違いありません。

 ただし、翔年は「わけが分からないから、ただただ恐い、キライだ」という立場はとりません。また、政治的立場から、立地に賛成したり、反対したりするべきでないと考えています。(政争の具としてはなりません。人類のエネルギー問題として論じるのはかまわない)

 今回の裁判を契機として、
1 国の耐震設計審査指針を最新の知見を入れて見直すこと(学者によって諸説があり、まとめるのは大変そうですが、やってもらわねばなりません)

2 裁判所はどのような状況のもとで「放射線を被爆する具体的危険がある」と状態に至ると結論つけたのか、是非国民の前に明らかにしてほしい。(被告側はシッカリしなさい)

3 この裁判の行方は、各所の原子力発電所の問題に大きく絡んでくるかもしれない。翔年は、国の耐震設計指針の見直しや電力会社の市民への安全性の説明がどのように行われるのか今後注視していきたい。


3/26 追記
1 まだ、判決文は手に入りません。もし、どなたかネット上にあるところをご存知の方がいらっしゃれば、教えてください。お願いします。

2 今回の判決の決め手になるのは、法律や法律の運用ではなくて、地震に関する知見と技術であることは明らかである。それを裁判所にお伺いを立てて、安全かどうかを、裁判官に判定してもらうというのは、いくら法治国家であるといっても、最適行動とは思えません。
 特に地震学の学者の間でも、異論があってまとめきれない問題を、裁判所に持ち込んで白黒をつけようという考え方そのものに、翔年は首をかしげます。
 皆さんはどう思われますか?



  
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March 10, 2006

機密情報流出が止らない −当事者能力の欠如−

 最近の機密情報流出事件とその報道を見ていると、これでは機密情報も個人情報もだだ漏れは当然だと呆れるばかりだ。

1 防衛庁のノーガードぶり
 事実はこういうおそまつです。自衛隊の秘密情報、機密情報がネットにアップされており、それを外部から指摘されるまで防衛庁は気づかないと言うおそまつきわまる状態でした。諜報活動に熱心な北朝鮮や中国の関係者が吸い寄せられてくるのは、こんな我国の無防備状態を知っているからです。機密が守れない軍隊では、とても国を守ることなどできません。
 
 一昨日、防衛庁の額賀福志郎防衛庁長官は「許可制だった私物のパソコンによる秘密情報の取り扱いを全面的に禁止」し、「全部、防衛庁が支給する」と国会で答弁した。これはまだ口で言っただけですから、実際には「今年度中に契約し体制を整える」といいますから、だいぶ先のことです。

2 愛媛県警の杜撰さ
 7日の毎日新聞夕刊記事です。
「岡山県警に続き、新たに発覚した愛媛県警の捜査情報流出問題。(中略)毎日新聞が入手した資料によると、流出したデータはフロッピーディク約160枚に相当する。」
「『特捜扱い事件』というフォルダには、02年7月に愛媛県宇和島市の女性スナック店員が被害に遭った、殺人・死体遺棄事件の膨大な資料一式が含まれている。
 この中には、△被害者の親族の事情聴取内容にかんする報告書 △情報提供者に謝礼を渡した報告書 △関係者のチャート図」など」
まだあります。ご丁寧にも
「(本来なら出さない顧客のデータを)深い理解を示し、調査してくれた」などと明記されているのです。

 このように被害者、加害者、捜査協力者の個人情報がだだ漏れ状態ですから、重大な人権侵害や二次被害が発生する恐れなしとしません。

3 ことの本質がわかってない新聞
 日経9日朝刊の3面で「止らぬ機密情報流出」を報じていますが、見出しはこんなにも見当はずれです。
大見出しは「ウィニー過拡大」、中見出しは「官民、おおわらわ」です。

 問題の本質は組織が
A 機密情報取り扱いのレベル設定と監視強化(システムと上司による)の欠如
B 私物パソコンの持込を許していること
C 私物パソコンの組織内LAN接続不可対策の未実施
にある、早く言えば、「上層部の当事者能力欠如にある」のですけどね。

 日経はましな新聞に属すると評価していますが、その日経ですら、ウィニーの被害を前面に出して報道している程度ですから、嘆かわしい。

4 ウィニーの皮肉 −警察の奢り−
 「ウィニー」というファイル交換ソフトの開発者は2004年に京都府警に逮捕されています。思いだしますと、9月2日のエントリーで、『技術開発をした者とその成果物で不法な行為を実行した者とは違う。分りやすい例えで言えば、コピーが簡単にできるテープレコーダーを開発したのはソニーだ。そのテープレコーダーで不法な録音をした者がいても、ソニーが罰せられることはない。ノーベルはダイナマイトを発明したが、そのダイナマイトを使ったテロリストが何人いようと、ノーベルが罪に問われることは無いんだ。』と書きました。
 今でも「出刃包丁を作った人を罰してはならない。出刃包丁を使って刺した人を捕まえなさい。」は正論と信じています。

 警察は開発者を逮捕しておきながら、その人の作った「ウィニー」を自分たちのパソコンに搭載し、警察の機密情報をネットに垂れ流し、人権侵害までしておきながら、「ウィニー」はケシカランと怒っているのです。お話にもなりません。

 翔年の見るところ、組織の上層部にパソコンやインターネットの本質を理解した上で、キチンとした対応策を立案できる能力を持った人材がいない。これが大問題を引き起こす。

 ことは警察や防衛庁にかぎりません。市役所も病院も学校も危ない。刃物の例に戻れば「キチガイに刃物」状態にある組織は、何とかしてほしい。  
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December 15, 2005

山は環境浄化装置です

 環境浄化装置(=山)の雑木が隣接の植林の上に被さって迷惑をかけているということで、50年以上経っている雑木(ナラ、山ざくら、クヌギ等の大木)の伐採作業を森林組合に秋口に依頼していた。今日はその最終日。後々、のこともあるので午後から現地確認に行った。

山は環境浄化装置
環境浄化装置=山 
 境界の目印に昔の人達が残していた境界の目印の雑木が、50年以上放置している間に大木に育っていた。現地にはそのナラや山桜の巨木が切り倒されて無惨な姿で横たわっていた。雑木は木材としての価値はないので、この場所で朽ちるまで放置することにしている。

左、伐採作業 右、無惨に切り倒された楢
伐採作業無惨な楢木
 
 直径が70〜80Cmもあり、何かに使う工夫が望まれるがその知恵がない、金も時間もない。使いたい方がいらっしゃったら、無料で差し上げます、と知り合いに声をかけているが、今の所、欲しいという方はいらっしゃらない。雑木は30本以上あるが、木は生まれたところで朽ちて次の若木の肥やしになって貰うしかありません。(もし、読者で何かに使いたいという方がいらっしゃいましたらお知らせください。便宜をおはかりします)


 山は木が生えてさえいれば、炭酸ガスを吸収して酸素を放出する。雨がふれば木の葉や根が一旦水分をとどめ置いて、下流が洪水になるのを防いでくれる。さらにその水分は地表を流れるだけでなく、地下に浸透して浄化された地下水脈を作るいわば大規模な環境浄化装置です。小学校で学びました。その上、いのししや鹿や野ウサギ等の生息地でもあり、烏やサギや小鳥たちのサンクチュアリでもあります。勿論、彼らが食べる木の実や昆虫や野鼠なども住んでいるはずです。(実は鹿が増えて農業者は困っていますが)

 翔年はこの大環境浄化装置(=山)の所有者です。山の手入れはしませんが、森林組合にも所属(組合費を払って林業家と呼ばれている)していますし、勿論、固定資産税や地元の区費(面積に応じて)など、応分の負担もキチンと払っています。今回の伐採費用は20万円をはるかに越えました。
 この山からの収入は何年経とうと皆無ですから、浄化装置の運転経費は全額持ち出しです。

 森林法にもとずく
(1)税の軽減(林業施業計画にもとずいて伐採した時、所得税や法人税の特別控除)
(2)補助金の優遇(森林施業計画にもとずいて造林した場合、補助金)
(3)融資(林業育英資金、造林資金など)
のような制度があるのは知っています。計画のない林業計画をでっちあげれば、多分、役所の書類審査は通りそうな気がしますが、まだ確めておりません。

 それより何より、時代が変わり、木の良さより、プラスチックの手軽さの方を消費者が好むのだから、林業が事業として成り立たなくなっています。プラスチックは環境への負荷が大きくて、廃棄物処理に大きなお金が要ります。木材は燃やせば灰になって自然に返せるので環境への負荷はそんなに大きくないはずですが、一般的な利便性とコストには勝てません。

 有毒ガスを排出する車をつくる自動車産業や廃棄物処理が大変なプラスチックをつくる業界は栄え、山や田んばのような自然浄化装置産業は大赤字です。環境税なる構想はありますが、産業界の競争力がどうたらこうたらとか、税金の二重払いは嫌だとか、業界の次元の低い目先の理屈では環境問題の解決は難しい。難しいというより、ほぼ絶望的です。

 このまま時代が進みますと、林業家は「山を国に返し始める」ことになるかも知れません。(現物納税)そうなれば国は固定資産税が入ってこないのは勿論、それよりもなによりも山(=環境浄化装置)の運営費にたちどころに困るのでしょう。
  
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September 22, 2005

飛び込み防止柵?

 今朝のテレビ報道によると、阪神タイガースの優勝が実現しそうなので、大阪市?は熱狂的なファンが道頓堀川に飛び込まないよう、なに橋か知らないが、乗り越えられない高い柵を設置し、同時に市民が水辺に近づけないような処置をした?という。(朝食時に聞き流していたので、?が多くてごめんなさい。TV画像も見ていません)

「戎橋」通称「ひっかけ橋」、写真はデジカメスケッチさんから借用しました。
ひっかけ橋


 飛び込みを防護しようとすればするほど、無粋な景色になっていきます。

 お役所は善良な市民の保護をしなければならないと考えたのだろうか? それとも河川管理者の責任をまっとうしなければならないと考えてこういう処置をするのだろうか? いや、記憶のよい役人がいて、過去に阪神が優勝した時、泳げない人まで道頓堀川に飛び込ませて死人が出た、忌まわしい事件を思い出して、二度とこういう事が起こらないようにと考えたのか? 
 あの時は、汚い道頓堀川に飛び込んだ熱狂的なファンが、臭くて汚い体のまま銭湯へ押しかけて、近くの住民に大変迷惑をかけた。その苦情電話が銭湯や住民から役所へ多数かけられたそうだから、まじめな役人がそこまで考えての処置なのだろうか?

 翔年はこういう考えに違和感をおぼえる。
 熱狂的な阪神ファンが喜びの極に道頓堀川に飛び込もうと、井戸に飛び込もうと、電車に飛び込もうと、それを防ぐ責任は役所にはないのです。大阪市民もその責任を役所に問う苦情の電話をかけたりするのは筋違いと知るべきだと思う。

 道頓堀川に飛び込んでも、99.9%は助かる、古井戸なら50%、電車なら100%助からないと分かっている大人達がやっている騒ぎなのです。
 ですから、役所は行政責任を感じてムダな仕事をする必要はないのです。お金も役人の労力も浪費と知るべきですが、一見市民にやさしそうな行為であるだけに、異論が唱えにくく、それだけ始末に悪い。市民の甘えと役所のもたれあいの構図はこうした精神構造から発する。この種の発想によるお役所仕事はそろそろヤメにしてもらいたい。

 今朝の新聞では大阪市の職員厚遇問題に関して、土崎筆頭助役と森下市長室長は解職されたと報じている。市の最高幹部であった二人は、労働組合や議会などと癒着し、大阪市に巣くうタックスイーターであったらしい。
 飛び込み防止に意を注ぐより、市制改革が進んでいないことに、お役所の幹部はもっと強く行政責任を感じていただきたいと切に願う。


  
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June 16, 2005

閉鎖的は嫌い

 どういう訳か閉鎖的なものが好きでない。閉鎖的な人物、閉鎖的な人間関係、閉鎖的な組織、閉鎖的な社会、それから閉鎖的空間も、どれも気分的に好きになれない。好き嫌いのイメージをハッキリさせるために、反対言葉の「解放的」をつけて開放的人間、解放的な人間関係、解放的な○○と声に出してみれば良く分かる。開放的を付けたら目の前がパッとあかるくなったように感じるのは翔年だけでしょうか?
 どちらが良い、悪いではなく、好き嫌いの問題なのかもしれませんが、近代市民社会は市民の誰もが同じ権利と義務をもち、誰に対しても開かれていて、かつ様々な事柄について多様性と透明性の高い社会が理想なのだろうと思っています。

1 畏れながら天皇家は最も閉鎖的家族に見える。詳しくは存じないが、天皇家はしきたり重視で伝統行事を守ることと、定められた日本の国事行事の明け暮れに見えます。国民の前で言葉を発せられる時は、簡単なご挨拶であっても、書きものを見ながらであるし、記者会見は事前に打ち合わせたものに限られる。ご家族のどなたもご自身の考えを表明されることはありません。
 民間から嫁がれた美智子皇后はかつて訳のわからない苦悩から失語症になられた。また、同じように民間から皇太子妃となられた雅子様は、今も不適応症という心の病にある。おいたわしい事態と言わざるをえません。いろんなことが噂されるが、原因を取り除く努力がなされているようには見えません。

2 最も閉鎖的な会社を挙げるなら堤義明氏率いる西武だ。相続(脱税による)で手にした膨大な不動産をバックボーンとする封建領主とその家来たちで運営されていた会社だった。閉鎖会社は隠すべき事項が多すぎるが故に、総会屋や暴力団とも係わらざるをえなくなる。闇の世界との係わりは一時的であり得るはずもなく、戦後ズット持続的相互関係が継続していた。かつての西武王国は、今や解体され、存続することに汲々としている。

3 田舎の閉鎖社会
 翔年は田舎出身なので、故郷の良い所も悪いところも知っている。一言でいえば、いい所は何者にも変えがたい豊かな自然、、悪いところは閉鎖的人間関係だ。老人のボスがおり、住民が自由に意見を戦わすことが出来ない。あたかも沈黙の螺旋が支配しているように。また、よそ者に対しては胸襟を開くことはない。狭い地域社会は停滞し、噂話と陰口で満ちており、住人は息苦しい。敬して遠ざけるより他に打つ手はありません。

4 日本のプロ野球はサッカーに比べ閉鎖社会
 プロ野球とサッカーリーグの運営方法や選手やファンを比較してみたら、どちらが閉鎖的かすぐにわかる。
 外人枠を設けている、外人を助っ人と呼ぶ、などは閉鎖的な証拠。経営陣もなにやらいかがわしいボスが権力を握って、ファンのため、選手のため、球界全体のための視点を欠いているのは、どうみても野球界の方だ。

5 学者の世界、医者の世界
 この先生と呼ばれる世界も閉鎖的事例に事欠かないが、残念ながら翔年には一番縁遠い世界です。小説を読んで、さもありなんと思っているだけ。

6 日本の社会も
 思うに閉鎖的な制度が満ち満ちている社会だ。談合入札やら、税金のムダ使いや自治体の不正経理処理なども、ボスの存在と透明性の欠如が根本にあるのではないか。翔年も社会の一構成員なので恥かしい限りだけれど、開放的で透明性のある気分のいい社会であるには、どうしたらいいのだろう。

  
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April 13, 2005

また・生物学的性(セックス)と社会的・文化的性(ジェンダー)

 4/2、4/4、4/7の続きです。
 社会的に男と女が平等であるべきという考え方は素晴らしい。ところが、21世紀の現在でも、例えばイスラム文化圏では女性が顔を見せることはよくないこととして許されなかったり、日本文化の中に、女性が入ることを許されない場所(ある修験場、大相撲の土俵など)が今なお存在したりする。そしてこのような伝統を固守する立場の人たちがいるので、女性の権利拡大はなかなか思うにまかせず、最近はフェミニズム運動はジェンダーフリー運動へと過激さをましている。

 翔年は今まで社会的に不利な条件下に置かれていた女性が、男女平等社会を目指して女性の権利拡張運動を起したことは高く評価する。知的な女性たちが先頭に立っているのも好ましいことだと思っている。けれど最近、社会的正義を目指しているはずのこの運動がちょっと行き過ぎだなぁ、画一的すぎて感心しないなぁと思うようになってきた。

それはこういう点です。

1 性差の否定 → 男らしさや女らしさの否定
どういうことかというと「男らしさ」や「女らしさ」は「個」と対立する概念になっている。「男からの解放、女からの解放」なんていう訳の分らないことを言っています。もっと分りやすい言葉で言うと、男らしいいい男や美しい女性が否定の対象です。男の優越者、女の優越者を排除する力がはたらいているように見えます。非常に不自然。

2 家族の多様化 → 夫婦の結びつき以外の男同士でも女同士でも、事実婚でも未婚の母と子でも家族だと主張しています。一緒に暮しているのが家族だと。

3 性の自己決定 → したい時は自分で決めるということ。ちょっと難しい概念で翔年には説明能力がありませんが、フリーセックスにつながる考え方に見えます。

4 家族の中で子供はパートナー → 言葉はきれいですが、実態は「子供の権利」を法律で定めることを求めています。出来あがった条例(神奈川県)をみると、親が子供を教育することは困難な状況におかれそうです。

 西尾幹二・八木秀次著「新・国民の油断」という本に、日本全国のジェンダーフリーの成果?の具体的な事例が掲げられています。翔年は必ずしもこの本の主張に賛成するものではありませんが、この本から今まで知らなかった変な事実をたくさん教えられました。

 神奈川県の県民部人権男女共同参画課が作成した「行政刊行物における男女共同参画の視点からの表現のガイドライン」のコピーをとくとご覧下さい。

避けたい事例1
表現ガイドライン1

 避けたいとされている例は祖父母がそろった家族です。同姓カップルも「家族」として描くのが「のぞましい」のだそうです。

避けたい事例2
表現ガイドライン2

 避けたい事例は男子がサッカー、女子が縄跳びで遊んでいる絵だそうです。
 

 
 翔年は自治体の刊行物のイラストにまでガイドラインを作って、それに合わない表現をチェックし、修正を命じる組織をもった社会は嫌いです。「自由であれ」という運動のハズなのに、逆に画一的な規準を作ってそれを市民に押しつけるのは我慢がなりません。古い社会主義運動の復活のように感じるのですが、みなさんはどう思われますか?

  
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April 11, 2005

WTO上級委、米のネットカジノ規制を容認

今日の「日経goo NIKKEI NEWS MAIL」によると
 『世界貿易機関(WTO)上級委員会はインターネット上のカジノを規制する米
 国の法律は不当とした紛争処理小委員会(パネル)の判断を覆し、米国の規制を
 おおむね認める裁定を下した
。』という。

 WTOに米国を訴えていたのはカリブ海の島国、アンティグア・バーブーダ。(翔年はこの国の名前さえも知りませんでした。)昨年11月に出たパネルの最終報告は事実上、アンティグアの勝訴といえる内容だった。が、今回、上級委員会は大部分について米国の正当性を認める裁定を下した。
 裁判で言えば一審に当たるパネルの結論を、最高裁に当たる上級委が覆すのはWTOでは異例のことだという。

 詳しい報道がないのでよく分らないところもあるが、内容は人口約7万人のアンティグア・バーブーダが、ハリケーンで被害を受けた観光産業の代わりに、インターネット賭博など海外との電子商取引に力を入れており、米国の規制は死活問題であると、03年3月にサービス貿易の自由を定めた協定に違反しているとWTOに訴えていたもの。
 一方、米国のブッシュ政権は国際自由貿易ルールを支持する一方で、ネット賭博関連規制はやっていく姿勢である。如何にもアメリカ的で好ましく思う。

 今回の裁定はWTOの協定の例外規定である「公共道徳および公共秩序を守るために必要な措置」にあたると判断されたものだ。翔年はこの立場を支持する。

 勝負事は大好きだけれど、単に僥倖を期待するものであったり、射幸心を過度に煽るような賭博形態は、インターネット上であれ、何処であれ、好ましくないと考える。そういう意味では、我国のサッカーくじは人気がでなくてよかったと思っている。また、大阪府をはじめあちこちの地方自治体が財源確保のためにラスベガスのような賭博場を公営でやろうとする企画もあるが、翔年は全て反対である。庶民から集めた税金でさえ、無駄使いや不正な用途に使う自治体が、チェックの目がない賭場上りの金を正しく使うとはとても思えない。こういう金をドンッドン吸い上げるようになった自治体では、公正な資金の活用がなされるとは思えないから。

 アンティグア・バーブーダには申し分けないが、ネット上の賭博で稼ぐことよりも、もう少し智慧をしぼって、もっとよい稼ぎ方を見つけていただきたい。

  
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March 01, 2005

指揮監督が可能な使用者の立場

1 政府は凶悪犯罪の低年齢化に対処するため、14歳未満でも少年院に送致することができるように少年院法の改正を今国会中に成立を目指すという。法が成立すれば、十四歳未満が法に触れる行為をした場合、警察が補導し、児童相談所に通告、重大なら家庭裁判所の裁判で、児童自立支援施設への送致などが決ることになる。
 少年法の改正は刑事罰対象年齢を十六歳から十四歳に引き下げた2000年以来のこと。

2 読売新聞によると『全国最大の暴力団山口組が暴力団抗争に絡んでトップの使用者責任を初めて認めた昨年11月の最高裁判決後、渡辺芳則組長(64)と組運営の距離を保つため「組織改編」を進めていることが1日、大阪府警の調べでわかった』そうだ。裁判所と警察の連係プレーで、一時は渡辺組長の「引退」も発表されるなど浮足立つ内情が表面化しているという。
 この騒動の発端となったのは、山口組系3次団体の組員に射殺された京都府警警部の遺族に対し、一昨年10月、2審・大阪高裁が「下部組織の抗争も指揮監督が可能な使用者の立場にある」として、渡辺組長らに約8000万円の損害賠償を命じ、昨年11月に最高裁でこの判決が確定したからだ。

 この報道は市民としてうれしい。特に直接手を下していない組織のトップ(組長)に対して、「下部組織の抗争も指揮監督が可能な使用者の立場にある」として有罪にしていることがうれしい。

 法の罰を厳しくすれば、何でもうまくいく訳ではないが、最近の立法府や司法は罪を犯したものにはそれなりに厳しくという立場をとっているようだ。

 それならば、翔年は声を大にして申したい。
橋本派の政治資金規正法違反事件は何故会計責任者と会長代理が起訴されて、会長である橋本元総理や派閥の事務を総括する立場にあった野中元幹事長は何故起訴されないのか? 司法は立法府の権力者に甘すぎるのではないか? 

 橋本元総理や野中元幹事長は「指揮監督が可能な使用者の立場にある」にピッタリ該当している。司法が暴力団組長に対するのと同じように、法の厳正な適用をすれば、政治家と金の問題は今よりも数段よくなると信ずる。派閥の幹部が浮足立つ内情が表面化するならこれほどうれしいことはない。

  
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February 28, 2005

「慰安婦」報道 朝日に訂正記事要求 有識者ら300人シンポ

Sankei.Webの記事です。

 『戦時中の慰安婦をめぐるNHKの番組が政治家の圧力で改変されたと朝日新聞が報じた問題で、NHKと朝日双方の責任を問う有識者のシンポジウムが24日、東京・本郷の文京区民センターで開かれた。パネリストたちは「そもそも『慰安婦の強制連行』というこれまでの報道が誤報だ」として、朝日新聞に訂正記事の掲載を求める運動を行うことを確認した。
 約300人が参加。冒頭、藤岡信勝拓殖大教授は昭和天皇を「強姦(ごうかん)と性奴隷制」の罪で裁いた政治集会「女性国際戦犯法廷」の不当性を指摘。番組のビデオやカットされた部分を検証しながら、偏向した集会を取り上げたNHKを批判した。
 一方の朝日新聞も平成3年以降、「慰安婦は強制連行された」「強制性があった」との報道を続けてきた。同年8月、「女子挺身隊の名で連行された元慰安婦が重い口を開いた」とする記事を掲載したが、この女性が連行ではなく人身売買されたことが西岡力東京基督教大教授の指摘で判明。翌年1月には「朝鮮・済州島(現韓国)で『慰安婦狩り』が行われた」とする証言をコラムで紹介したが、作り話だったことが秦郁彦・元日大教授の現地調査で明らかになっている。朝日新聞はいずれも明確な訂正記事を掲載していない。』

 ようやく、市民レベルで朝日新聞の歪曲報道を正そうとする動きがでてきたことは喜ばしいことだ。もっとも、このシンポジウムはサンケイ以外では報道されていないです。

 翔年は思う。戦前、戦中に誤った判断や行動は多々あったであろうが、売春防止法が出来たのは戦後のそれも昭和32年のことであり、それ以前は公娼制度も人身売買も社会には堂々と存在していたのは事実なのです。戦争体験者の手記や小説などを読んだ翔年の理解では、「慰安所」は軍隊の周辺に存在しているが、当時、「慰安婦」というような言葉はなかったのは事実です。あったのは、喰うに困った親が娘を売ったり、家族を救うために自ら身を投げ出した娘がいたという事実です。この悲劇は戦争中だけでなく、飢饉の時や親の商売の失敗などの経済的困窮の際にもあったのです。ですから、軍隊が強制連行しなくても、民間が金で娘を集めることは可能だったと思われます。翔年は強制連行があったか、なかったかを判断する確かな材料は持ちませんが、朝日報道に事実以外の政治的意図があるのは感じます。


 翔年はこのような歴史的問題に対して、反朝日、親朝日のどちらのサイドに立つにしろ、現在の感覚で歴史的事実を判断しないでいただきたいと希望する。

 何故こんなことを言うかというと、こんなムチャな本が出版されているからです。

岡野幸江/長谷川啓/渡邉澄子共編 「売買春と日本文学」 2002年東京堂出版刊
売買春と日本文学
 この本では谷崎潤一郎も川端康成も「性差別構造というイデオロギー」の視点で断罪されています。文学者は人間を探求しますが、必ずしも善悪を問題にしない。なのにこの本のライター達は全ての文学作品を「性差別という視点から善悪で判断」しようとしている。
 文学作品はどんな読み方をしてもいいが、イデオロギーに当てはめて価値や善悪の判断をしてはなりません。作品に描かれた場所が戦場であれ、遊郭であれ、どこであれ、男女の美しい心の交流はありうるのです。無いとはいえません。少なくとも、歴史的な作品に対する謙虚で公平で懐の広い視点は絶対に必要であります。この本の編者たちは古典に価値を見出すことができない、心の狭い、心貧しい人たちに見えてしかたありません。翔年は若い人たちがこういうイデオロギー偏向本に騙されないようにしていただきたいと切に願う。
  
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February 27, 2005

歴史的建築物が消えていく

 古い友達のYさんから「旧乾邸」内覧会のご案内をいただいたので、昨日、東灘区住吉まで行った。

 この乾邸は建築家渡辺節の設計により乾新兵衛氏(乾汽船社長)の邸宅として1936年に建てられた個人邸宅です。それが相続税の物納として大蔵省に治められ、現在は神戸市が暫定的に管理しているが、いずれ取壊される運命にある。(旧正田邸の運命と類似)
 聞いてみると、阪神間にあるこのような歴史的建物は震災後、壊れたり、取壊されたりして、文化遺産としての町並が急速に失われようとしているという。それで西宮市のNPO法人「アメニティ2000協会」が保存のための制度つくりなどを訴えている。

 旧乾邸
乾邸
所在地:神戸市東灘区住吉山手
建築年:1936年(昭和11年)
構造:鉄筋コンクリート造2階建
建物面積:本邸約720屐蔵約48
敷地面積:3868

設計者渡辺節(1884〜1967)
代表作は旧京都駅、大阪商船神戸支店、大阪ビルヂングなど。

旧乾邸案内書 by NPO法人「アメニティ2000協会」
乾邸パンフ


 翔年は付近を散歩してみた。乾邸のある周辺は閑静な高級住宅街、後に六甲山、眼前に瀬戸内海が開けているので、だれでも一度は住んでみたい地域だ。文豪谷崎潤一郎が住んでいたのもこのあたりです。
 保存できるものなら保存したい気持はある。でも、正直なところ、これを制度として残せという運動は如何なものかと思う。金持の個人や企業家がお金をかけて保存するのなら結構なことだと思うが、それ以上のことをどこかに要求するのは、残念なことではあるが、ちょっと無理と思いました。

 このすばらしい住環境の恩恵に浴している地域住民が力をあわせて保存しようとする(資金負担も厭わない)のが、最もすなおないい解決法ではないでしょうか?
これからの社会はそういう地域住民の共同参画が必要になってくるといわれて久しいですが、都会人は、建物だけではなく、そういう心の繋がりも消失していく傾向にあるように感じがする。 
  
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