October 04, 2004

Improvisationは楽しい(3)-言葉の瞬発力-

今日はまさに秋の朝という感じがした。朝の光、風のそよぎ、空の白雲の様子まですべて秋。
それでは秋の例題で行きましょう。

(1)秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる   藤原敏行
(2)秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる
      と言い簾動かす秋の風吹く     いい人知らず

藤原さんは、秋は来たけれど目には見えない、風の音で秋を感じると言っている。
それに対して、誰かさんは「そうかな? スダレが動いてるから、見えるじゃない?」と言い返している。
言葉のセンス瞬発力もあって、かけあいが最高に面白い。

(3)???????            芭蕉
芭蕉がクシャミがでたので、秋を確かに知ったという句があるのですが、どうしても思い出せません。
ちょっと寒い朝、クシャミが出た瞬間に(1)を思い出して(3)の句が口をついて出たと思えるのですが、ゴメンナサイ、記憶の先に引っかかってきません。
読者で芭蕉のクシャミ(句は漢字で「くさめ」だったはず)句をご存じの方、いらしたら教えてください。お願いします。

クシャミが出たときの句は、しゃっくりがでた時にでも思い出せばいいのですが・・・。
もっとも、別のものが出た時の歌は覚えてました。

(4)ころころと背筋つたいて首の辺に爆発したり風呂の湯の屁は 出口王仁三郎

これも出た途端に、瞬間的に詠まれたことは間違いない。机の上でいい歌を作ろうといくら考え込んでもこの歌は作れないでしょうから。

出口王仁三郎(ワニサブロウ)は大本教の開祖、天皇の名のもとに巣くう国家権力から昭和10年にすざましい弾圧を受け、二度も投獄されている。翔年は高橋和巳先生の小説「邪宗門」で、ダイナマイトによって本部を破壊し尽す官憲のすざましい弾圧の実体を知り、以来王仁三郎に興味を持ち続けています。その人物の大きさには感嘆しています。
百瀬明治著「出口王仁三郎」PHP文庫刊、前坂俊之著「ニッポン奇人伝」現代教養文庫刊参照。

閑話休題
この王仁三郎の瞬発力の凄さについてはこんな話が残っています。
彼が和歌にこっていた時、全国の和歌や短歌の会に百以上入り、一夜に数百首を詠んで、それぞれの歌誌に毎日何十首も投稿したので、大反響をまき起したことがあったと。
数えた人がいないので何ともいえませんが、大宅壮一のインタビューに本人は「すっかり計算すれば五、六十万首じゃろう」と答えている。
彼はこともなげに言うけれど、一日に十首詠み続けたぐらいでは150年かかるのですからビックリです。
音楽界でいえばモーツアルトでしょうか。この天才たちは美しい音や素晴らしい言葉がいくらでも湧いてくるらしい。このからくりは誰にも分らない。

数を競うのが「矢數俳諧」ですね。短時間に如何に多くの句を作れるかを競います。
井原西鶴の大矢数俳諧はちゃんと記録が残っている。
彼は1684/06/05 に、何と1日23,500句の即吟記録を作っています。
1日23,500句と云うことは、1分間で約16句。1句當り4秒弱しかありません。これだけの時間で句を書き留めるのはとても無理、テープレコーダーも無い時代ゆえ、多分、聲に出して詠んだのを複數人で必死に書き留めたのでしょう。それにしても考へる時間はほとんどない筈、これも仰天するしかありません。

最後にもう一度ワビ、サビの芭蕉翁の句を鑑賞して終りたいと思います。

(5)入りすぎてあまり吉野の花のおく   芭蕉

この句は奥の千本の桜をめでた情景でしょう。
だけど・・・、そのイメージと重なって、何かこうもうひとつのイメージがオーバーラップしてきませんか?
二つのイメージが浮ばなければ、、失礼ながらあなたは子供です。



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