September 07, 2004

鼓童Meets玉三郎

一昨日の日曜日のこと、早朝テニスの疲れで何もする気力をなくし、ぼんやりテレビを見ていたところ、「鼓堂Meets玉三郎」という番組にだんだん惹きつけられていった。
最初から見ていないのでいきさつはよく分らないのだが、佐渡の「鼓童」という和太鼓の素人のグループに坂東玉三郎が2年間かかわって指導し、演出し、彼らのためにオリジナルの曲を書いて、東京で公演するまでのドキュメントだった。

翔年は音楽家グループが音を作り上げていく裏舞台を見るのが好きだ。TVでも有名指揮者の練習風景やリハーサル、音楽コンクールの舞台裏とかも時々放映される。クリエーター達がリーダーのもとで一致団結して、各パートの音作りから、最終的なアンサンブルに仕上げていく様を見ているとマジックのようだ。特に指揮者とか演出家と言われる人たちの図抜けた能力には目を見張らされることが多い。

今回の玉三郎がそうだった。和太鼓という打楽器主体の音楽、佐渡の素人グループの荒削りな技術、佐渡の風土が育んだと思われる素朴な団員、それらを生かしながら、玉三郎が芸術のレベルに引き上げようとする。団員によっては玉三郎の言っていることが最初理解できない。それが一緒に寝泊りをしながら、玉三郎が執拗に要求し、練習の回を重ねていくうちに、ようやく分る時が来たシーンは感動的だ。そのころから、練習に励む団員の顔の表情が生き生きとしてくるのが分った。

玉三郎の資質にも感心するところが多かった。
例えば彼は団員に「お金の話」もした。
「佐渡から都に出て行って公演をするということはお金をいただくことなんだ。お金のことなど変なことを言うと思われるかも知れない。お金であるいは汚れるかも知れない、しかしお金をいただいても汚れない方向もあるかも知れない」と彼は「プロ」という言葉こそ使わなかったが、公演を成功させるためのプロ根性をシッカリと植付けていた。


また、練習の最終段階(精神的には極限かも知れない)に来たとき、玉三郎は全員にバスで夕陽を見に行くことを提案した。東京から指導に来ているわけだから、今までは時間を効率的に使う必要があった。みんな必死で練習していたから、余裕がなかったのはやむを得ない。それがどうだ、海に夕陽が沈む感動的なシーンを皆で見に行ったのだ。練習の明け暮れで技術レベルの向上を図った上に、音の豊かさというか、芸術性と言おうか、もう一段上の感動を与える音楽性を彼は要求したと思う。
それが三味線のバチ捌きにも「攻撃的でない音」になってハッキリ現れていたと思う。
公演は東京だけでなく、各地で大成功をおさめたという。

ドンと鳴るだけの太鼓が面白し     井居

玉三郎さん、鼓童の皆さん、楽しい時間をありがとう。


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