習近平

ひところ、中国の権力者、習近平主席と韓国の歴代大統領(とりわけ朴槿恵)は、我が国に向って、「正しい歴史認識を持て」とか、「それがどうとか、こうとか」、口を開けばこの言葉を繰り返していた。現在の政治状況もあまり変わっていない。翔年には、この隣国のトップ政治家が自分の権力強化や保身のために、この言葉を巧みに使い、自国の大衆のある種の心情を刺激しているように見えています。でもこれに関しては、百年後の歴史家の評価にまかせまて大丈夫と思っています。(笑)
ことあるごとに、我が国を貶(オトシ)めることによって、自分たち民族の優位性をやっきになって勝ち取ろうとし、世界に向って懸命に発信している図は、日本人だけでなく、世界の識者も眉をひそめている人が多かった。イギリス、ドイツの政治家などは、ハッキリ不快感を示し、やんわりたしなめるコメントもだしていました。
ところが残念なことに、我が国の政治家は彼等に対して「歴史に正しい歴史と正しくない歴史があるのか?」と聞いた者はいなかったし、「正しいか、正しくないかは誰が決めるのか?」という質問すらしなかった。政治家の質問力が弱すぎる。(笑)
「過去ではなく、肝心の現在の貴国はどうなのか?」という現状認識の質問も是非して欲しかったが、我が国の政治家は神妙に拝聴してうなずき、平謝りに謝ることと、お金で償うことしかしてこなかった。
堂々と正面から、こちらがしっかり質問すれば、殊更相手を糾弾するような品のないことをしなくても、相手は困るに違いないのに……。我が国会ではくだらない水掛け論に過ぎない論議ばかりやっている政治家達なので、彼らの討論技術などはさっぱり磨かれないのかしらん。
せめて、「日本国民は賢明なので、歴史に正しい認識と正しくない認識があるなどということは思っていない。歴史解釈にはいろいろあるとシッカリ認識してはいますが……」「国民は賢明なので、政府が言うことなら、ハイ、ハイと従う馬鹿はそういません。我が国はそういう民主主義国です。」くらいのことは、毅然とした態度で言って欲しいです。
さて、現政治家への繰り言はこのぐらいにして、このエントリーでは、我が国の長い歴史において、他国の人々が我が国をどのような目でみていたのか、可能な限り史実を辿って、皆さんにお目にかけたいと思います。これらはある意味、歴史の証言でもありますから、古いものから順にズラッとならべてご覧にいれます。
『7世紀』:中国は随、唐、朝鮮半島は高句麗、新羅、百済、我が国は聖徳太子や飛鳥時代
日本人は、とても物静かで、争いごとも少なく、盗みも少ない。性質は素直で雅風がある。気候は温暖で、草木は青く、土地は肥えていて美しい。
-「隋書」東夷伝の倭国(636-656)-
→ 当時の中国人は日本人の特徴や気候風土をかなり正確に把握しています。賢いですね。時代が下がって、ヨーロッパ人やアメリカ人が大勢日本にやってきましたが、この見方は千年以上たっても揺るぎません。以下をじっくり読んでご自身でご判断ください。
『16世紀』:中国は明の時代、韓国は朝鮮時代、我が国は室町時代

この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。
-フランシスコ・ザビエル(1506-1552、カトリック司祭、宣教師)-
→ ザビエルは異教徒のあいだではと限定付きで最高だと言っています。言外にキリスト教徒が一番と言ってますね。まぁ、人の評価とはそういうものでしょうけど……。(笑)
日本人は慎み深く、才能があり、知識欲が旺盛で、道理に従い、優れた素質がある。盗みの悪習を大変憎む。
-フランシスコ・ザビエル(1506-1552、カトリック司祭、宣教師)-
好奇心が強く、しつこく質問し、知識欲が旺盛で、質問はきりがありません。
-フランシスコ・ザビエル(1506-1552、カトリック司祭、宣教師)-
→ ちょっと気恥ずかしいほどの高評価です。

今思い出したのですが、紀元前の大昔から、遠くヨーロッパでも、好奇心が強く知識欲が旺盛な国民がいると高く評価された民族があります。それはガリア人(フランス人)でした。カエサルが「ガリア戦記」に書いています。
『ガリアの風習では旅人が嫌がっても無理にひきとめ、それぞれ耳にしたことや知っていることを聴きたがる。町では民衆が商人を取り巻き、どの地方から来たか、どんなことを聞いたか、話してくれとせがむ。』
-カエサル(BC100-BC44、武将、政治家)-
→ これに似た体験を翔年は子供の頃にしています。それは祖父の記憶につながるものです。その頃、祖父は我が国を占領していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって、戦争責任を取らされ、「公職追放」(仕事剥奪)された身でした。少年が4歳~8歳頃(1920年~1924年)、富山の薬売りが大きな荷物を背に、各戸を年一回、訪問販売に来ていました。祖父はその行商の薬売りにお茶を出して労をねぎらい、昼時にかかると味噌汁や食べ物の饗応をしながら、諸国を周っている行商人から、日本各地の状況を詳しく知ろうとしていました。行商人も心得たもので、毎年、昼時に合わせて我が家を訪れて、商売を済ませると世間話をしながらお昼を済ませるのでした。田舎しか知らない翔年は祖父の横にチョコンとすわらされて、よく理解できないながらも珍しい諸国の話をよく聞いたものでした。(笑) これって、日本人は皆んな貧しかった頃なのに、一人の行商人が『売り手よし 買い手よし 世間よし』の商人道を実践をしていたのですね。あっぱれ! 富山の薬売り!
閑話休題、話を外国人の日本評価に戻しましょう。
生気に満ちた緑の丘と耕された尾根が前景を飾っている。
-フランシスコ・ザビエル(1506-1552、カトリック司祭、宣教師)-
→ ザビエルは国土の美しさの一部は国民の勤勉さが作っているとちゃんと見てますね。
『17~19世紀』中国は明、清の時代、朝鮮にキリスト教が伝来。

日本には、あらゆる意味で人間という崇高な名で呼ぶに相応しい人々が、偉大な国民的義人がいて、そのまねをしてもわれわれとして少しも恥ずかしくないのみか、却って大いに賞賛されるほどである。
-ピョートル・リコルド(1776-1855、海軍大将)-
→ ロシアの大将は自分たちと同等、もしくはそれ以上と褒めてます。日本人の真似をしたら、自国でも賞賛されるとまで明言してます。さすが大将は器がデカイ! こういう人こそ、国際人と呼びたいですね。
※ ロシアと国交がなかった時代、松前藩はロシアの海軍少佐、ゴローニンに侵略の意図ありとして捕らえて、函館に幽閉した事件が起こった。ロシアは報復措置として高田屋嘉兵衛を捕らえカムチャッカへ連行し投獄した。この事件の解決の過程で、高田屋嘉兵衛とリコルドとの間に友情関係が芽生えた。敵国人間同士の稀有な友情の証として、カムチャッカ州政府はナリチェヴォ自然公園内にある3つの山を、それぞれ、「ヴァシリー・ゴローニン」(1333m)、「ピョートル・リコルド」1205m)、「タカダヤ・カヘイ」(Такадая Кахея)(1054m)と名づけている。

実用的、機械的技術において日本人は非常に巧緻を示している。(中略)かれらの手作業の技術の熟練度は素晴らしい。日本の手工業者は世界のいかなる手工業者にも劣らず練達である。よって国民の発明力が自由に発揮されるようになったなら、最も進んだ工業国に追いつく日は、そう遠くはないであろう。他国が発展させてきた成果を学ぼうとする意欲が盛んで、学んだものをすぐ自分なりに使いこなすことができる。だから国民が、外国との交流を禁止している排他的政策が緩められれば(いわゆる鎖国政策)、日本はすぐに、最も恵まれた国の水準まで達するであろう。文明世界の技能を手に入れたならば、日本は将来きっと機械工業の成功を目指す強力な競争国となろう。
-ペリー提督(1794-1858,海軍軍人)-
→ 巨艦と大砲で我が国に開国を迫った大将、「将来は機械工業の成功を目指す強力な競争国になる」と未来をキチンと見通す慧眼はさすがです。これほどの男だったのですね。感服、感服!!!
どうして、学校で日本史の時間にこういうエピソードを生徒に教えないのでしょうか??

植物栽培はヨーロッパでも今世紀に一つの産業分野として大いに発達したが、(中略)日本の方が遥かに進歩していると認めざるを得ない。
-フィリップ・F・シーボルト(1796-1866、医学者、博物学者)-
他のどの国も、これほど豊富で美しいものは提示できないほどの観賞用植物の種類が創られた。
-フィリップ・F・シーボルト(1796-1866、医学者、博物学者)-
→ 医師で博物学者のシーボルトが、有用な植物栽培でも観賞用植物栽培でも、ヨーロッパ諸国より進んでいると認定しています。
日本人は広々とした自然にひたって楽しむことを心から愛している。
-フィリップ・F・シーボルト(1796-1866、医学者、博物学者)-
日本の植物栽培家は、いくら賞賛しても足りないくらいで、彼らの作り出す庭園や植物は実にすばらしい。(中略)いかなる外国の植物群も、日本の鑑賞用植物ほど多様性と美しさを兼ね備えていない。
-フィリップ・F・シーボルト(1796-1866、医学者、博物学者)-
この生気に満ちた火山性の姿の緑の峯はまるで絵のように美しい! 傾斜地の常緑の柏、杉、月桂樹は、なんと豊かに繁茂していることであろうか! そこの人の手で仕立てられたかに見える自然は彼らの活動性と勤勉を示すものだ!
-フィリップ・F・シーボルト(1796-1866、医学者、博物学者)-
日本という国全体が、生活に役立つ有益な植物と美しい装飾用植物で満ちた庭園である。
-フィリップ・F・シーボルト(1796-1866、医学者、博物学者)-
→ 日本人が自然を破壊するのではなく、自然に対してやさしく細やかに手を入れて、共生している国土がことのほか美しいことを、ちゃんと見抜いて賞賛してくれています。

日本は遠からずして偉大な、強力な国家となるであろう。
-タウンゼント・ハリス(1804-1878、外交官)-
→ ここにも具眼の士がいます。アメリカ人の視野の広さ、度量の大きさを感じます。
※ ハリスは日米修好通商条約を締結したアメリカ合衆国の外交官。とても高潔でまじめで立派な人物であったと言われている。

わたしの同僚のひとりは、日本の特徴を、つぎのような三行詩に歌いあげた。
女にはペチコートがなく
家には南京虫がたむろせず
国には法律家がひとりもいない
これは、あまり詩にはなっていないが、正確さにおいてはそのものずばりである。
-R・オールコック(1809-1897, 医師、外交官)-
→ 確かに明治後期になるまで、和装の女性はパンティなしでスッポンポンで和服を装っていたのはズバリ真実です。(笑) これについては、いずれ機会を見つけて物言います。 女性が無防備なのを彼らがどこで学んだのか、ちょっとシャクではありますが、当時としての正確な日本の評価と認めざるをえません。(笑)

日本人は実に驚くべき国民です。西洋の知識と学問にたいする向学心は同じ状態にある他国民の到底及ぶところではありません。
-ジェームス・ヘボン(1815-1911、宣教師、医師)-
→ 鎖国の時代に、庶民はのほほんとしていたのではなく、平和を楽しみながら子弟を寺子屋に通わせたり(当時の識字率は世界一)、論語の素読をさせたり、教育にたいへん熱心だった。これが庶民の強固な知識の下地となっていったのは間違いないと思います。
※米国長老派教会の医療伝道宣教師、医師。ペンシルベニア州出身。 ヘボン式ローマ字の考案者として知られている。ヘボン式ローマ字は彼が編纂した初の和英辞典である『和英語林集成』における日本語の表記法が元になっている。

この国は平和で、総じて満足しており、豊かさに溢れ、極めて堅固な社会秩序があり、世界のいかなる国々よりも進んだ文明国である。
-ハインリッヒ・シュリーマン(1822-1890、考古学者、実業家)-
→ シュリーマンは「世界のいかなる国々より進んだ文明国」とベタ褒めです。しかし、残念なことに、実はシュリーマンは日本に来ていません。東方に黄金の国(ジパング)があるということを伝聞で聞いていたのですから。当時の日本をシュリーマンさんに見てもらいたかった! そして日本見聞記を書いて欲しかった! 歴史に「もし」はありませんが……。

油絵は繁錯(煩雑)にして日本画は簡潔なり、二者果たして何れか是となる。日本画の簡潔なるは却って甚だ勝れりとす。
-アーネスト・フェノロサ(1853-1908, 東洋美術史家、哲学者)-
→さすが、東洋美術に明るい。日本の簡素な美をキチンと理解し、評価していますね。

かくすれば かくなるものと しりながら やむにやまれぬ 大和魂
-吉田松陰(1830-1859、思想家、教育者)-
→ 我が国で最高の教育者でした。松蔭の「松下村塾」の教育期間はわずか一年でしたが、輩出した人物は高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有明、前原一誠、品川弥二郎など数え上げきれません。日本の精神のバックボーンともいうべきものを短時日に創り上げた大先生でした。

外国人は日本に数か月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼等は、日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。
衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり、……これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。
-モース(1838-1925、動物学者)-
→ さすがモース先生は正直な方で、観察力も行き届いていますね。確か大森の貝塚を発見し、発掘したのもこの先生でした。
人びとが正直である国にいることは実に気持ちがよい。
-モース(1838-1925、動物学者)-
→ 本当にそう思います。日本人にとって、この言葉ほどうれしいものはないですね。僕のサラリーマン時代のささやかな経験です。
あるアメリカ人が所用で職場に来ていました。仕事がほぼ終わって雑談をしている時に、会議室にその夫人の財布が誰かから届けられたのです。??? なんと彼女が駅から会社までタクシーで来る途上、車中に財布の忘れ物をしたらしい。それをタクシーの運転手がわざわざ会社の受付まで届けてくれたと言う訳。あの時のアメリカ人の驚きようったらありませんでした。多分、彼女はこの体験を帰国してから、10回以上は周囲の人に話したことと推察します。勿論、翔年はそのタクシー会社の配車係に電話して、運転手にアメリカ人のお礼の気持を意を尽くして伝えました。
米国でよくあったような宗教的偏見に衝突することなしに、ダーウィンの理論を説明するのは、実に愉快だった。
-モース(1838-1925、動物学者)-
→ 米国では現在でも小学校で「進化論」を教えるのに困難を伴うところがあるそうです。こういう社会的な偏見を壊すために、世界的研究者のドーキンス博士が先頭に立って"Bright 運動"を行っていますが、成果は上がっていません。(ちなみに、翔年もこのBright運動に参加しています)

-T・エジソン(1847-1931,発明王)-
→ これはエジソンの助手をしていたある日本の青年のことです。日本人の彼はごく普通にして研究を手伝っていただけなのに…。
※ 発明王エジソンの初期の白熱電灯のフィラメントには、京都産の竹で作った炭素フィラメントが使われていた。

-エルヴィン・F・ベルツ(1849-1913、医師)-
→ 日本が急激な西欧化(文明開化)を勧めるうちに、日本固有の良さが消滅することを惜しむ外国人が少しずつ増えてきました。
※ ドイツの医師で、明治政府に招かれたお雇い外国人。27年間にわたって医学を教え、我が医学界の発展に尽くした。滞日歴は29年に及ぶ。

いったい、日本の国では、どうしてこんなに樹木が美しいのだろう。西洋では、梅が咲いても、桜がほころびても、かくべつ、なんら目を驚かすこともないのに、それが日本の国だと、まるで美の奇蹟になる。その美しさは、いかほど前にそのことを書物で読んだ人でも、じっさいに目のあたりにそれを見たら、あっと口がきけなくなるくらい、あやしく美しいのである。
-ラフカディオ・ハーン(1850-1904、作家)-
→ この人の日本贔屓は逸品です。

油絵は繁錯(煩雑)にして日本画は簡潔なり、二者果たして何れか是となる。日本画の簡潔なるは却って甚だ勝れりとす。
-アーネスト・フェノロサ(1853-1908, 東洋美術史家、哲学者)-
入念に仕上げられた優美さと超俗的な理想と創造性豊かな個性によってインスピレーションを発揮した日本の完璧な美術品が宝船に満載されて西欧の自由市場に侵入し、その霊剣を以って全世界を平和のうちに征服する。
-アーネスト・フェノロサ(1853-1908, 東洋美術史家、哲学者)-
日本はいつも生まれ変わる国である。
-アーネスト・フェノロサ(1853-1908, 東洋美術史家、哲学者)-
→ 前2者はまちがいなく褒め言葉だと思われるけれど、最後のはどうなのかなぁ? ほめ言葉であるのは間違いありませんが、一縷の危惧感が入っているかもしれませんね。判断できません。
20世紀 中華民国、中華人民共和国、朝鮮、韓国

-アインシュタイン(1879-1955, -理論物理学者)-
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それには、アジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを。
-アインシュタイン(1879-1955, -理論物理学者)-
日本人は、これまで知り合ったどの国の人よりも、うわべだけでなく、すべての物事に対して物静かで、控え目で、知的で、芸術好きで、思いやりがあって非常に感じがよい人たちです。
-アインシュタイン(1879-1955, -理論物理学者)-
以前に日本人が持っていた、生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいて欲しい。
-アインシュタイン(1879-1955, -理論物理学者)-
→ アインシュタイン博士の衷心からの忠告と受け取りましょう。
日本はすばらしかったです。人々は絵のように美しい国に暮らしています。上品なマナー、芸術的感性、誠実さ、良識。どれをとっても最高でした。(※1922年の来日の際に)
-アインシュタイン(1879-1955, -理論物理学者)-

-ルース・ベネディクト(Ruth Benedict、1887-1948、文化人類学者)-
※ 日本文化を西洋に説明した著書「菊と刀」は有名。
自然に酔う甘美な心持ちは日本文化を貫通して流れる著しい特徴である。
-和辻哲郎[1889-1960](倫理学者)-
50年前にヨーロッパ人が日本に来て、日光こそ日本に於ける最も価値のある建築物であると言へば、我々日本人もさうだと言ふし、今またブルーノ・タウト氏がやって来て、伊勢神宮と桂離宮こそ最も貴重な建築であると言へば、我々もまたさうだと思ふのである。
-伊東忠太(1867-1954,建築家、建築史家、大学教授)-
→ご指摘の点は翔年も否定できません。けれど、それは石の建造物がほとんどない日本人建築家の劣等感かもしれません。石や煉瓦の構造物と木材と土壁で作った建造物では、その耐久性においても、その巨大さにおいても、比較にならないのですもの。外国人が別の視点で評価してくれたんですから、ありがたく思いますけど…。
ほんとに日本的なものの粋は、世界でもっともすぐれたものです。建築でも、服装でも、料理でも、なんでも。短歌や俳句も、それと内的な関連があります。
-ロベルト・シンチンガー(1899- ?、哲学者、教育者)-
→こういう観点から見てもらえれば、日本人としてはとてもありがたいですね。仰せの通り、日本人は短歌は歌道、格闘技は柔道、剣道、武道、お茶は茶道、お花は花(華)道、習字は書道などと教養やスポーツや遊びにおいても「道」をつけて精神性を付与しているところは、見事なものだと翔年も思う。これはもっと誇りにしていいことだ。精神性ということなら、もう一つ忘れてはならないものがある。それは「禅」、外国人でこれを高く評価する人は多いです。
騎士道ここに行なわれたるを見たり。
伝え聞く日本のサムライ道もその本質において騎士道と一致す。
-ロシアの一少尉(1905年に日本軍の捕虜となった人)-
21世紀 中華民国、中華人民共和国、朝鮮、韓国

-ドナルド・キーン(1922- 、文学者、分外評論家)-
→キーンさん、こんな素敵な言葉をありがとうございます。アインシュタインさんもそうです。我々日本人は二人の碩学から、色々なことを教わりました。ありがとうございます。
伝統は時々かくれている。見えなくなる。しかし流れている。続いている。それは日本のいちばんの魅力だ。
-ドナルド・キーン(1922- 、文学者、分外評論家)-
→キーンさんは目に見えない日本をこうまで讃えてくださっている。誰だって感謝の気持ちを表したくなりますね。
日本は他の国と違って日記が文学として認められている。
-ドナルド・キーン(1922- 、文学者、文芸評論家)-
→ 言われてみれば確かにそうですね。
私の仕事は「日本文学は世界文学である」ことを証明すること。
-ドナルド・キーン(1922- 、文学者、文芸評論家)-
私は「日本」という女性と結婚した。今後どう生きるか考えたとき、大好きな日本への感謝の気持ちを形にするには、多くの外国人が日本を離れていっている今こそ、愛する日本に移り日本人になり、余生を過ごすことだと考えた。日本人は大変優秀な国民だ。現在は一瞬打撃を受けたが、未来は以前よりも立派になると信じている。
-ドナルド・キーン(1922- 、文学者、文芸評論家)-
→ こんな嬉しいことをたくさん言ってくれる大学者が、わざわざ日本国籍を取って、日本に住んでおられるのです。先生の真摯な行動力に襟を正して感謝申し上げます。

古典的時期と中世が同時であったのは日本だけだ。(中略)封建時代が同時に哲学の時代であったのは日本しかない。
-トラヴェニアン(1931-2005,大学教授、作家)-
→ この日本通の学者は日本人と日本文化、特に囲碁については非常に詳しい。それが昂じて、「Shibumi(渋み)」という素晴らしい高級冒険小説を英語で書いています。
日本人の民族的性向の欠点の一つは、感情を率直に表明することに面映さを感じる点である。ある者はストイックな沈黙、あるいは礼儀作法という防柵で感情を隠そうとする。また、感謝や悲しみを誇張した大げさな表の陰に真の感情を隠す。
-トラヴェニアン(1931-2005,大学教授、作家)-
→ この日本通は日本人のずる賢さも見逃していません。非常にフランクな気質のアメリカ人にはそう見る人が多いように思えます。

スギハラー、 私たちはあなたを忘れません。もう一度 あなたにお会いします。
-あるユダヤ人(1940年7月〜8月、第二次世界大戦中)-
※走り去る汽車に向かって、杉原に感謝の叫びをあげたヨーロッパ脱出のユダヤ人
→ スギハラは、大戦中にユダヤ人をドイツから外国に脱出させるために、日本経由のビザを発給するという違法ながら、人道的措置をあえて行った外交官の杉原千畝です。
Japan is a great nation. It should begin to act like one.
(日本は偉大な国だ。そろそろ、それにふさわしい行動をとっていいころだ)
-John C. Danforth(1936 - 、米国上院議員)-
→ このアメリカ人のように、アメリカ人は日本人の決断力と行動力の欠如に何時もイライラし、時に怒っている。しかし、今の日本人はトランプ大統領にこの言葉をそのまま投げ返したいと思っている。(笑)

父は野球人である前に、日本人であることを望んだ。どうしても日本人になりたかった。
-ナターシャ・スタルヒン(1951- 、プロ野球巨人軍投手の娘)-
→ 敗戦間もないころの何もととのっていない日本に来て、野球の素晴らしさを見せてくれただけでなく、こんなに日本を愛してくれたのです。日本人もこの名投手を心から愛しました。
世界に日本という国があってよかった!
-アマルティア・セン(1933- 、経済学者)-
「あなたの国・日本ほど美しい国は、この地上にありませんよ。」(中略)「私の主人は植物学者ですから、私たちはもう何十年ものあいだ世界中を一緒に旅しています。日本にも何回も行ったことがあります。京都にもしばらく滞在したことがあります。その体験から、私たちは世界中で日本ほど美しい国はないと思っています。」
-ある旅先であった米国の婦人-
追記:このエントリーは、翔年が編集した「増殖する世界の名言事典(2018年版)」から、日本および日本人についての名言を集めて時代別に並べたものです。また「時系列」かと笑わないで下さい。浅学非才の一市民がものを言うためには、この手法しかないのです。
何事であれ「広くロングレンジで見て、十分なデータを吟味すれば、何かが見えてきます。」より確かな判断を下すために、この方法はいつでも役に立つと信じています。並べたデータ自身が、真実を語ってくれるのですから。
いつも『もの言う翔年』を読んでくださりありがとうございます。
お陰さまで「囲碁」も「政治評論」のジャンルもランキング上位に入っております。
コメントをいただいたり、ランキングがそこそこにとどまっているのを励みにBlogを書いております。
お暇なときに見てくだされば嬉しいです。

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