December 23, 2014

人生の初冬に居て -生と死の問題-

 「終活」という変な言葉を見かける機会が増えてきた。後期高齢者予備軍の翔年はこの言葉は嫌いだけれど、人生の初冬に居るので、生と死についてはいろいろと考えることがある。終活の実例を知るよりも、この問題を深く考えた先達が残してくれた洒落た言葉に出会うほうがずっと嬉しい。


晴山陽一著「すごい言葉」 と 小川亮作著「ルバイヤート」
すごい言葉001
「初めてのことをする時は、いつもナーバスになるの」
I'm always nervous about doing something for the first time. -Gwen Ffrangcon-Davies


→ なるほど、初体験なんだ! 夜に死んだら初夜?
これは英国の女優、グウェン・フランコ・デイヴィースが死を前にして語った言葉。時に彼女は百一歳だったそうだ。


「かって自分が存在しない時があったことなど、誰も気にしない。とすれば、自分がいなくなる時が来ることも、何でもないはずだ」
There was a time when we were not. This gives us no concern ---- why then should it trough us that a time will come when we shall cease to be? -William Hazlitt-


→ 達観もここに極まれリ。英国の随筆家の見解。11世紀のペルシャの詩人が全く同じことを歌っている。人生は一方通行だと。

幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。
だが、向こうから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、帰る旅人を見なかった
  -ルバイヤ−ト 49節-


悟りとは平気で死ぬことではなく、平気で生きていくことだ。  -正岡子規-

→ 結核性カリエスで死の床に伏していた人生は「辛い」などと言う言葉さえ憚られる状態であったはず。それなのに、なんという強い言葉であることか。


「記憶のない人生は、もはや人生ではない。記憶をなくしたら、私たちは何者でもなくなってしまう!」
Life without memory is no life at all. without it we are nothing. -Luis Bunuel-

→ そしてよくよく考えると、これが一番避けたいことだと結論付ける人が多い。が、果たしてそうか? 哲学者によれば、「しっかりした記憶の人の場合でも、彼(彼女)が一体誰なのかは大問題だ」そうであるが…。





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