兎原のもり便りの皆様
久し振りに神戸市北区にあるしあわせの村へ行って来ました
よくこんな遠い所まで3年間も通ったものだと13年前に思いを馳せながら
秋真っ只中の村内の散歩しました
紅葉は華やかな半面、一抹の寂しさを感じたのは私だけでしょうか?
朝刊に芹沢春江さんが 84歳 の時、年賀状に書かれた詞の事がありました
ご存知の方も多いと思いますが・・・(童謡 ウサギとカメよ の旋律で歌ってみてください)
1、年をとるってどんなこと
忘れっぽいというけれど
一杯詰まった知恵の箱
出すのにちょっと迷うだけ
2、年を取るってどんなこと
耳は遠いし目も悪い
あらゆる事をキャッチして
私を育てた疲れです
3、年を取るってどんなこと
腰が曲がると言うけれど
お世話になった人々に
感謝感謝の姿です
4、年を取るってどんなこと
だれでも同じ年を取る
どうせ取るなら元気よく
楽しく年を取りましょう
楽しく歳をとりましょうというメッセージを込めた楽しい詩ですね。後期高齢者予備軍の翔年は歳のとり方や死に方に大いに関心がある。成り行きまかせの「自然体の老い方」がいいのか、それとも「積極的に老いに向かう老い方」がいいのか、意見の分かれるところではあります。
どちらかと言えば翔年は積極派、だから茨木のり子さんのこんな詩が大好き。(73歳の時の作品)
倚りかからず
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本の足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
すごい気魄です。でも翔年は背もたれに寄りかかって本を読むことくらいはできると思っていたら、それを見透かしたようにのり子さんはもっとラジカルに生きなさいとおっしゃる。「これを指針にして生きよ!」と…。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
気概をもって生きるのは素晴らしいことだと思う。ただし、翔年の場合、独りよがりのとこがあるから、判断力の欠如から周囲に迷惑をかけることが大いにありうる。さて、どうしたものか? (笑)
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