初めて日本にやってきた13歳のアメリカの小年が、日本棋院で囲碁の本質に触れて心を揺さぶられ、翌年、相当の決意を胸に秘めて再来日する。それからの幾星霜、全くの異文化の中で囲碁を学びつつ考え、自分を鍛え、如何にして欧米人で始めてプロの九段という最高段位まで上り詰めたかを自身が語ったアメリカンドリーム物語です。
この本は囲碁の技術書ではなく、生き方の書です。囲碁をたしなむ人でなくてもよくわかるように書かれていますから、囲碁ファン、マイケルファンだけでなく、青雲の志を持っている若い人に読んで欲しいと思いました。
マイケル語録
1 囲碁のいいところは、年齢を重ねても強くなれることだ。また、囲碁を始めるのに遅すぎるというこjともない。いつからでも始められる。(母上はその後、アメリカ囲碁界に大きな貢献をされ、それは今も続けられています)
2 私の師匠である大枝雄介先生のお母さんは、80歳をすぎてから囲碁を始められた。もうすぐ100歳を迎えるというときに亡くなられたが、そのころには、なんと3段になっていらした。
3 ただの勝ち負けではない、それを含んだうえで芸としての深みを追求していこうとする日本の囲碁。
4 効率的に考えるためには、目的や焦点がハッキリしていなくてはならない。本来考えるとはそういうことで、人は漠然としたものについて考えることはできない。
5 具体的な展開や結果がまだ見えない段階で、これからの局面がどうなっていくのか、それを想像するのが構想である。見えないものを想像すること、いまだ可能性でしかないものをそうぞうすること、その繰り返しが大局観につながってくるのだ。
6 日本食は、目・鼻・口のすべてで、食というイベントを楽しませてくれるだ。その国の文化が反映、象徴されるものはさまざまあると思うが、食べ物や料理もそうしたものの一つだと思う。まちがいなく、日本の食文化は世界に誇れるものだろう。
7 海外のニュースということに関してだが、外国人の考え方や心情や考え方を理解する上でも日本のテレビはもっと海外のニュースを放映すべきだと思う。
8 極めれば極めるほど基本に近づいていくような気がする。相当なレベルまで行っても、なかなか基本通りにはできない。できないから応用している。いちばん理想的なのが、基本。そんな風に思うときがある。
9 日本に住んで、日本語を話すことが多いので、普段はおだやかな性格だと自分では思う。でも、英語で考えて話すときは、やはり性格もストレートというか、論理的になりがちである。「〜みたいな」、「〜のような」をいった曖昧さがなくなる。だから日本語で考えるときと、英語で考えるときでは、同じことを考えても結論が違うこともある。
10 窮地にあっても取り乱さないということは、環境のせいにしないということでもある。うまくいかないのは環境のせいだという人がいるが、どんなに悪い環境にいたとしても、よくなろうと努力する余地はある。
11 後日、ドーレンさんから聞かされた。そんな母親を説得し、私を快く旅立たせてくれたのは父親だった。子供が本当にやりたいこと、進もうとする道を見つけたとき、それを親が反対するのは間違っている。そういって、父親は母親を説得したという。
という風に、レドモンド九段が人生の折節に感じたり考えたことを優しい言葉でわかりやすく語っています。
個人的なことですが、本の中に詳しくでてくるドーレン先生(元大学教授)は毎夏USコングレスでお会いし、最近では親しく言葉を交わしているしている。先生は日本語に大変堪能な方だから。(笑) もし、この先生が13歳のマイケル翔年を日本に行こうと誘わなかったら、今のレドモンド九段はなかったし、アメリカの囲碁の歴史もまた少し違ったものになっていたと思われます。人の出会いの不思議です。
今後レドモンド九段は米国の囲碁普及にも力を注がれるらしいので、遅からず米国の囲碁界は今よりも数段活況を呈し、力をつけてくることは間違いないと思います。
いい本を出してくれたレドモンド九段にお礼を言いたいと思います。
いつも『もの言う翔年』を読んでくださりありがとうございます。
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