February 17, 2013

効く文句(3) -心にも身体にも人生にも-

     Photo by wikipedia
GershonLegman

Murder is a crime.
Describing murder is not.
Sex is not a crime. Describing sex is.
-Gershon Legman-


殺人は犯罪である。が、殺人を書いても犯罪ではない。
セックスは犯罪ではない。が、セックスを描写すれば犯罪である。
(ユリウス訳)



 この名文句は素晴らしい皮肉を言っている。こういう切れ味鋭い名言は大好きです。ところで、どこの国の文化にも表現にはいろんな制約がある。発禁本は世界中に山ほどもある。これで思い出すのは、わが国の「チャタレイ婦人の恋人(Lady Chaterley's Lover)」を伊藤整が翻訳し1960年に刊行したことが、刑法175条の猥褻(わいせつ)文書販売罪に問われた事件ですね。詳しいことは忘れたので、ネットで調べました。

裁判の要旨(by wikipedia):
1 わいせつとは徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。
2 芸術作品であっても、それだけでわいせつ性を否定することはできない。
3 わいせつ物頒布罪で被告人を処罰しても憲法21条に反しない。
4 第一審判決で無罪としたが、控訴審で「右判決は法令の解釈を誤りひいては事実を誤認したものとして」これを破棄し、自ら何ら事実の取調をすることなく、訴訟記録及び第一審裁判所で取り調べた証拠のみによつて、直ちに被告事件について、犯罪事実を認定し有罪の判決をしたことが、刑訴法400条ただし書きに反しないとされた事例(4.については多数意見では触れていないが刑集には触れられている)
※憲法21条は表現の自由の保障

 要するに有罪だということです。
 その結果、『チャタレイ夫人の恋人』は問題とされた部分に伏字を用いて1964年に出版されました。具体的には該当部分を削除し、そこにアスタリスクマークを用いて削除の意を表したのでした。勿論抗議の意を込めて。
 その後時代が下るとともに、このような規制も大幅にハードルが下げられたので、1996年に伊藤整の息子伊藤礼が削除部分を補った完全版を刊行しました。

蛇足:
1 本家のイギリスでも1960年に同旨の訴訟が起こっていますが、結果は陪審員の満場一致で無罪となったそうです。
2 最近、このような表現の自由をめぐる大きな事件はなくなりました。が、反対にむごたらしい殺人や理不尽な殺人事件は後を絶ちませんね。そのような不幸な事件を喜んでいるかのような、大げさなTV報道は見る気になりませんけど。

追加(2/18):
「そういうお前は表現の自由をどうおもっているのか? ハッキリせい!」というご意見をいただいた。
翔年は「成人にたいしては、規制は少なければ少ないほどよい」という立場です。これは表現の自由に限りません。
何でもかでも国や自治体に文句を言っては、規制を強化してもらおうおと言う人が多すぎるのを憂いています。生活レベルでも、建築基準法、道路交通法、消防法なんかでも、あまりにも細かい規制があきれるほど積み上がっています。ほとんど誰も守らない、守れない法律に基ずく規制はしっかり見直すべきだと思っています。




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この記事へのコメント
奈良・東京のO様
お金や魚を与えるより、網を与え、魚の捕り方を教えるべきだと思います。最近の学校は「自助努力」の大切さは教えていないのかな?

人間の力量いっぱいの月給を取ると弱くなる。
況んやそれ以上を取るに及んではたいていの者が堕落する。  
              -いい人知らず-
Posted by ユリウス at March 01, 2013 01:50
翔 年 様
昨今、庶民の驚きニュースが多いです。今は消滅した政権時のお決まりごとがなんで残存していて
休学しない高校生が、6年間家族への給付金で満足して、学校へ行かず遊んでいる。3人目は死亡しても生きているで、月12万円を6年。結局、みんなをダメな方へ。なんとかしろよ国から地方の議員さん!10年前未熟な己に余裕があったも、このごろ3倍成長している実感がまあまあそこそこと思うが苦戦の毎日、周りはまあまあ、そこそこであっても大変と違うやろうかと思いつつあります。均していこうかは今の制度では通用しないと、若者への給付は問題、むしろ就業の場にその場にへと願っております。昔エリートの幼なじみが4年前から無職、放っておけないと思ったり。
Posted by 奈良・東京のO at February 27, 2013 21:45
奈良・東京のO様

おしゃることは分ります。
小生も登記所のミス(番地間違い)で若干の損害を蒙ったことがあり、損害を取り返すには訴訟を起こすしかありませんでした。訴訟費用(どれだけかかるか分りません)と訴訟に要する時間に対して、取り返せる金額を天秤にかけて、結局泣き寝入りしました。
役所はミスを認めても、自らその補償をする制度も予算もないということでした。役所から訴訟を起こすように言われましたが、なんか変ですね。(笑)
Posted by ユリウス at February 25, 2013 22:05
翔年 様
裁判所は常駐職員(受付から事務、調停委員)から裁判官まで、きっちり役割あってあまり市町村職員のようなミスは少ないようと思っていますが、弁護士商売の場であることには間違いないと思います。公的機関が原告・被告のときは弁護士と裁判所(裁判官)との談合はあるでしょう。勿論、民事は弁護士同志の談合はあり、法廷は大半弁護士市場。自論は、弁護士依頼は、できるかぎり弁護士に分かりやすい資料を依頼者が提出することで勝敗が決まると思います。一般人には、まずは調停、本訴は最後をお奨めします。たいがいの原告は参考資料として、今ベストセラーの「京都の闇社会」を必読。地方政治も社会、家庭問題も小さく視えるとおもいます。弁護士市場とはこんなとりまきなのか!。あくまで個人的な思いです。
Posted by 奈良・東京のO at February 25, 2013 21:55
奈良・東京のOさま

確かに罪を償わせるための罰なのに、加害者(生きている)の人権に配慮するあまり、被害者(この世にいない)やその家族にとっては、納得できないような判決事例が増えている。
弁護士は社会正義の実現を目指すと言う根本よりも、依頼者の利益を守ることで生計をたてていることから、こういう傾向に陥りがちになるのではないでしょうか?

個人保護法が充実してきたのは結構なことでも、法の運用が過度に厳密になっており、通常の市民生活で不便を生じています。これを柔らかくすると、益々悪意をもった人達を利することになるので、痛し痒しですね。
今のやり方はあまり賢いとは言えませんが…。
Posted by ユリウス at February 21, 2013 21:49
翔年 様
「守れない法律」、最近京都でおきた無免許殺人事件をはじめ、判決が法の力を欠いているように思えます。また最近、個人保護法の延長上にあるのか、住民票、戸籍付票が家族内でも子供や夫が住所移転しても当事者の支援措置で取れなくなっています。こんなとき裁判所を通して裁判所が知っても、こちらには知れないのです。ならば内容証明の権利侵害にならないのか?多くの法律が増えるほど悪意を行う者に有利に作用することが増すように思うことがあります。
Posted by 奈良・東京のO at February 21, 2013 08:11