August 20, 2012

根本から考える(11) -尖閣諸島に関する事実確認等-

 尖閣の歴史をさかのぼって調べると、わが国に有利なことも不利なこともありますが、何やら見えてくるものがありますね。中国の一貫した攻めとわが国の場当たり的な受身の対応が。
Map by wiqipedia (1.魚釣島 2.大正島 3.久場島 4.北小島 5.南小島 6.沖の北岩 7.沖の南岩 8.飛瀬)
尖閣諸島地図



1879/03/11
琉球藩の廃止を布達し、鹿児島県に編入。(4月4日に沖縄県を設置)
琉球の領有権を主張した清国に対し、日本は日清修好条規への最恵国待遇条項の追加とひき替えに旧琉球王国南部の先島諸島の清国への割譲を提案し仮調印したが、李鴻章の反対により琉球帰属問題が棚上げ状態になった。(日清戦争により撤回)
先島諸島(さきしましょとう)は、日本の南西諸島に属する琉球諸島のうち、南西部に位置する宮古列島・八重山列島の総称。尖閣諸島を含めることもある。


1884年(明治17年)頃
福岡県出身の実業家、古賀辰四郎氏が同諸島を探検、漁業などを始めたのが尖閣とのかかわりの始まり。


1894/08/01
朝鮮を巡る対立から「日清戦争」が勃発。

1895(明治28年)/01/14
この日、日本政府が尖閣の領有を認めた。しかし、この決定は尖閣諸島を今まで領土とした国がないことから周辺国には特に伝えられなかった。
時は日清戦争の真っ最中であった。

1895/04/17
尖閣を領有した直後の4月17日、下関条約によって台湾と澎湖諸島が日本に割譲された。

1896年(明治29年)
沖縄に郡制が敷かれると魚釣島、久場(くば)島は八重山郡に編入され、北小島、南小島とともに国有地に指定、地番がつけられた。(浜川今日子氏の論文による)
政府は同年、これら4島を古賀氏へ30年間無償貸与。


1932年(昭和7年)
昭和7年に古賀氏の子息へ払い下げられ、私有地となった。
古賀氏はアホウドリの羽毛の採取やグアノ(海鳥糞)の採掘、カツオ節工場などの事業を営み、最盛期には130人余りが生活していた。


1940年(昭和15年)頃
無人島となる。

1941/08/15
日本の敗戦、台湾の独立、沖縄の一部として米軍が尖閣を統治する。(戦後の領土の画定)
米軍統治の頃、中華人民共和国も中華民国も一度も抗議の声を上げていない。
これが日本政府の立場で、国際法上のわが国の立場は非常に強いように見える。
ただし、米軍統治の間、台湾の漁民は尖閣海域で自由に漁業を営んでいたらしい。米国と台湾の関係は良好であったし、何よりも米軍の統治は極東の安全のためであったから、漁業権などでごじゃごじゃいう米国軍人はいなかったと推測します。

魚釣島 by wiqipedia
尖閣諸島、魚釣島



1965年(昭和40年)頃
昭和40年代に、この海域は石油や天然ガスなど大量の地下資源を埋蔵する可能性が確認された。

1969/07/11
その頃を境として台湾漁民による不法入域が続き、朝日新聞1969年7月11日付け夕刊には「沖縄の島に招かざる客」との題で、北小島に不法停泊している台湾漁船と漁の合間に海鳥の卵を取っている漁民の写真が掲載されている。この記事を執筆した故筑紫哲也は、「(沖縄への)日本人の出入域にはきわめてきびしい統治者の米国もこの"お客様"には寛大」と揶揄するともに、「地元の声」として台湾との間で第二の竹島になる可能性があることを警告していた。


1971/06/11
中華民国(台湾)が尖閣諸島の領有権を主張。

1971/12/30
中華人民共和国が尖閣諸島の領有権を主張。
同国外交部声明で「早くも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域にふくまれて」いたと発表した。

1972/05/15
琉球が日本に返還され、再び沖縄県となる。(沖縄返還協定が発効)

1978年(昭和53年)
中国漁船140隻が押し寄せ、うち40隻が領海内で操業を繰り返すなどトラブルが相次いだ。

1979/05/17
海上保安庁は、魚釣島に仮設ヘリポートを設置するため、第一管区海上保安本部釧路海上保安署所属の巡視船「そうや」を派遣。
仮設ヘリポートについては後に中華人民共和国の抗議があり、日本国政府が独自に撤去した。
こういう弱腰が、ますます相手国の要求をエスカレートさせる因となることを学ぶべきだろう。


2002/09/16
李登輝元台湾総統は尖閣諸島について、「尖閣諸島の領土は、沖縄に所属しており、結局日本の領土である。中国が、いくら領土権を主張しても証拠がない。国際法的にみて、何に依拠するのかが明確でない。国際法的な根拠「中国の領土権」があって、第二に「兵隊が駐屯した事実」がないと、領土権をうんぬんする資格はない。」と述べる。
これに対し台湾、中国、香港の報道機関などは猛反発。
日本人は李登輝元台湾総統の言葉をかみ締めるべきだろう。

2002年(平成14年)
日本政府は「4島の平穏かつ安定的な維持のため」という訳の分からない理由で、今回購入対象の3島を借り上げ、日本人の上陸を禁じる。


2004/01
台湾が魚釣島を土地登記 (4月に判明)。


2010/05/27
(石原慎太郎東京都知事の尖閣諸島に関する発言に対し)鳩山由紀夫首相は「日中の間で衝突があったとき、アメリカは安保条約の立場で行動する。しかし帰属問題は日中当事者同士で議論して結論を出す、と私は理解をしている」と述べる。(ピンボケの頼りない首相)
翌28日、岡田克也外務大臣が「尖閣に日本の領土問題はない。議論の余地はない」と述べ、鳩山発言を修正。
領土問題に関して、首相のこのような相手国を利す発言は、外交的に誤ったメッセージとなって相手国に伝わったのは明白。

2010/09/07
中国漁船が日本の領海を侵犯して沖縄県尖閣諸島付近で操業中、日本の海上保安庁の巡視船が発見。停船を勧告するもそれを無視して漁船は逃走。
逃走時に海上保安庁の巡視船に衝突を繰り返し、巡視船2隻を破損。同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕。

2010/09/24
公務執行妨害の疑いで逮捕した中国人船長を処分保留のまま釈放する。
民主党、岡田克也(幹事長)は「政治的な介入はしておらず、検察がみずからの判断で行った。」と政治責任問題を回避する発言に終始する。
この間にも中国の漁船(工作船とおぼしき船を含む)は20隻以上、日本の領海である沖縄県尖閣諸島付近に入り込んでいるが、日本政府は特に対応をしなかった。(できなかった)
政府のふにゃふにゃ外交は日本人として恥ずかしい限り。


2012/08/12
香港の保釣行動委員会の活動家14名を乗せた抗議船「啓豊2号」が魚釣島の領海を侵犯し、このうち7名が島に上陸、島で待ち構えていた警察官と海上保安官に逮捕された。また漁船に残っていた活動家も全員逮捕された。
中国の報復措置を恐れた民主党政権により活動家らは起訴されず、翌17日に強制送還された。


 今となって翔年は思う。石原都知事が尖閣買収計画を発表した時、政府は中国に対して国有化方針のお伺いを立てたようだが、こんな馬鹿なことはしなくてよかった。さっさと国有化しておいて、中国や台湾が知るところとなった時に、国内手続きなので「とっくに国有化してる」と公表したら、中国は地団太踏んでくやしがったろう。国民は政府のすばやい英断に感心したに違いない。


参考資料
1 主に"wiqipedia"
2  「文芸春秋九月特別号」
3  「日本の論点 2012」
4 大手新聞社のネッ上のニュース


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