June 15, 2010

映画「カティンの森」を観た

カティンの森001
 先日、ちょっと時間の空白が生じた時、以前から見たいと思っていたアンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」を観た。多くのことを考えさせてくれる素晴らしい映画だった。
 ポーランド現代史のある悲惨な事件を描いた映画ではあるが、政治や歴史の専門家でなくても見て考えることができるように、否応なく戦争に巻き込まれた妻や母の視点から事件が語られるので、誰でも理解できるいい作品だと思った。

 映画を語る前に「カティンの森」事件の事実を年表にして確認おきたい。あまりにも悲惨な根が深い事件であることを再認識するために、またこの映画を十分理解するために。

1939年9月(第二次世界大戦勃発)
  独ソによるポーランド分割占領。古都クラクフはドイツが占領。ソ連の捕虜となったポーランド兵は138箇所の監獄と強制収用所に抑留される。
→ 前年の11月にソ連はポーランドと不可侵条約の更新をしたばかりであった。

1940年4月
  ソ連内務人民委員部(NKVD、後のKGB)がポーランド将校一万数千人を虐殺
→ このことは驚くべきことに、長い年月隠されていた。

1941年6月〜7月
  ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻。ソ連に抑留中のポーランド軍捕虜に大赦。
→ 1939年8月、独ソ不可侵条約を締結しているにもかかわらず。
ヒトラーのドイツ、スターリンのソ連、どちらも独裁国家で、なんでもあり。

1941年8月
  ポーランド軍のアンデルス将軍が行方不明の一万数千人の将校に不審を抱きソ連に問い合わせるも説明がなかった。翌年、ソ連を去り米英軍に合流した。

1941年秋
  独ソ戦線が東に移動し、カティンはドイツに占領される。

1943年4月
  ドイツが虐殺された将校の遺体がカティンに埋められているのを発見。
  国際委員会による調査により、40年春にソ連が虐殺したと結論。記録映画撮影。

1943年6月
  独ソ戦線が西に移動し、ドイツは墓の調査を中断。遺体とともに発見された遺品は証拠物件である。証拠隠滅を狙うソ連と真相解明を志すポーランド抵抗組織の間で「遺品をめぐる闘争」が展開した。

1943年9月 
  カティンは9月25日にソ連により開放される。ソ連側調査委員会による調査が始まる。

1944年1月
  ソ連調査委の報告書発表。これによれば41年秋にドイツが虐殺した。彼らは43年の調査の際、一切の記録文書を取り除いて、再び死体を墓に戻したと結論付けている。ソ連も記録映画をを撮影している。
→ このでっち上げ映画のために、新に1000名の捕虜を殺害してフィルムに収めたという。独裁国の恐ろしさを痛感する。

1944年8-9月  ワルシャワ蜂起。

1945年1月18日 
  古都クラクフ、ソ連により開放される。それ以前にカティン犠牲者の遺品がソ連軍の手に渡らないよう、ドイツへ運ばれるが、最終的にドレスデン近郊で失われてしまう。これは謎のまま。

1945年5月8日  ドイツ無条件降伏

1945年(第二次世界大戦終結)
  ポーランドはソ連の衛星国(ポーランド人民共和国)となり、カティンの「真実」追究がタブーになる。
→ ドイツとソ連の強国に挟まれたポーランドは自国将校の最期の真実を知ることは出来なかった。

1946年
  ニュールンベルク裁判でもカティン問題への責任追及はなされなかった。

1976年
  ロンドンにカティン記念碑が建てられ「1940」(即ち犯人はソ連)と記される。
→ 事件が発生してから40年近い歳月を経て、やっと真実の扉が開かれ始めた。

1981年
  「連帯」革命のさなか、ワルシャワにポーランド最初のカティン記念碑が建てられるが、その夜のうちに何者かがクレーンを用いて撤去。
→ 共産主義者のしわざに違いないと思う。

1983年
  ソ連がカティンの森に建てた記念碑には「カティンの地に眠る、ヒトラーのファシズムの犠牲者・ポーランド兵のために」と記される。
→ この年、ソ連はまだこういうことをやっている。独裁国家とはこういうものであろう。

1986年
  カトリック団体がカティンに木製の十字架を建てたが、虐殺の日付を刻むことは許されなかった。
→ ポーランド人にとって、本当の歴史をかたることはまだ許されなかった。

1990年
  ポーランドはソ連の衛星国でなく、ポーランド共和国となる。ゴルバチョフソ連大統領が自国の犯行と認めポーランドに謝罪。
→ 50年の歳月の後に、やっと歴史の真実が明らかになった。


1991年
  ピャチハトキとメドノエの発掘調査が行われる。

    
アンジェイ・ワイダ監督のメッセージの一節。
「長い年月が、カティンの悲劇からも、1943年のドイツによる発掘作業からも、われわれを隔てている。90年代におけるポーランド側の調査探求にも拘わらず、さらには部分的にとどまるとは言え、ソ連関係文書の公開が行われた後でさえも、カティン犯罪の実相について我々の知る所はあまりに少ない。(中略)
 映画は、カティン事件の数多い被害者家族の苦難と悲劇について物語ればよい。スターリンの墓上に勝ち誇る嘘、カティンはナチス・ドイツの犯罪であるとの嘘、半世紀にわたり、対ヒトラー戦争におけるソヴィエト連邦の同盟諸国、すなわち西側連合国に黙認を強いてきたその嘘について語ればよい。(以下略)」
→ ワイダ監督については年配の人なら名前を覚えておられるだろう。1957年「地下水道」や1959年「灰とダイヤモンド」などの名作がある。
1987年に京都賞を受賞、その受賞賞金を基金として、1994年、クラクフに日本美術技術センターを設立した。

著者(アンジェイ・フラチク)から日本読者へのメッセージ。
私はこれまで抱いてきた信念を物語りにしました。
死者たちを正当に弔意しなければならない。過去との直面を避ける民族は敗北を宣告されている」という信念です。戦争の悲惨さを体験した日本人なら、これを理解してくれるでしょう。
→ わが国は国民自らの意志によって戦争責任を明らかにしていない。天皇制擁護論が責任追及をいまだに阻んでいる。


二大強国に挟まれたポーランド(拡大してご覧下さい)
カティンの森002

 映画については翔年がこれ以上付け加えるべきことはない。ドイツとソ連という二つの強力な独裁国家に挟まれたポーランドが蒙った受難。それは米国と中国に挟まれて困難な歩みを強いられる今後の日本を暗示しているかも知れません。


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この記事へのコメント
東京の昼下がり,老人らはおしゃれで,半袖カッター,ネクタイなしのビジネスマン数名がバラバラにカフェテラスにきて一服している.ああ,ここは小川のせせらぎだと.老いても人生はこうであって欲しいと思いました.
仕事仲間らには,「僕は清流で生きるメダカの一生をすごしたいが,決して楽やない.でも過流を起こして小魚を食い荒す大魚になりたくないし,錦鯉にも憧れない.鮭や鮎の滝登りもしたくない.」一瞬笑われたのですがすぐに黙りこまれました.恐竜は食い荒して絶滅し,古代ローマは数ある戦いの結果滅んだ.幸いにもソ連は分国して今がある.中国の大国維持が難しい今,我が国は冷静な目で,大魚に荒らされないように注意すべきと思っております.
Posted by 奈良・東京のO at June 17, 2010 15:13
奈良・東京のO様

二つの大魚にあらされたり、大きな被害を蒙らないためには、小魚は小魚なりに智慧が必要です。
それには国民がもう少しましな政府を選べるようにならなければなりません。
2,3の政治家がちょこちょこっと作ったマニフェストに簡単にひっかかるようでは危ういですね。

政界再編のうねりが早くくることを願っています。
Posted by ユリウス at June 17, 2010 16:36
翔年 様

都内には自国論を抱く知事がいるようで,40年前には複雑な天皇心情をいだく作家が亡くなられました.小生なりに科学的観方でつまらぬことをいうようですが,もし人類の平均身長が200cm,体重100kgまた平均寿命が100歳などは国家社会の滅亡を速める.かといって,それならそれの施策を政治がと思います.問題は自国論のない政治家の集まりが,長年,日本州には傭兵,沖縄には他州の軍隊がいるということをきっちり整理する考えがない.何から整理すべきは賢明な政治学者ら沢山いると思います.今どの政党をみても自国論者はみあたらないように思えます.
Posted by 奈良・東京のO at June 18, 2010 18:58
奈良・東京のO様

日本国民一人ひとりが、国家とは何か、独立国家とはどういう状態か? を自らに問わねばならないと思います。

天皇制、国を守る方策、国際貢献など、一番大事な国家観を堂々と語れる政治家と政党が出てくれるのを待ってます。

今の民主党も自民党もこのことに触れたら、どちらも国家観の異なる政治屋の寄り集まり集団ですから、党は解体します。
選挙に勝てそうな甘いことばかり国民に囁く政治家は、真のリーダーシップを持っていないと思っています。




Posted by ユリウス at June 19, 2010 09:45
こんばんは翔年様、warunekoです。


>日本国民一人ひとりが、国家とは何か、独立国家とはどういう状態か? を自らに問わねばならないと思います。

日本は政治はお上のする事という状態が明治まで続きましたし、
「帝力何ぞ我に有らんや」が理想とされてきましたから
日本人の苦手とする分野かもしれません。

明治の頃の様に、もう一度「国民国家とは何か」から
勉強し直すべきかもしれませんね。
日本の現状は諭吉先生も草葉の陰で嘆いていると思います。
Posted by waruneko at June 20, 2010 02:38
waruneko様

政府から何かしらの施しを期待するような国民が増えてきているように感じます。
少子化で子供のときから大事に大事に育てられると、親に面倒を見てもらうのを当たり前と思う大人が出来上がる。その行き着く先は、政府から施しをしてもらうのは当然と考える国民がゴロゴロいることになる。

そういう国民に迎合して、独立、自尊の精神の薄い国民を更に増やすことを目的としたかのようなバラマキ政策は許してはならないと思っています。
国民の耳に痛い言葉で語ることのできる真のリーダーシップを備えた政治家の出現を期待しています。



Posted by ユリウス at June 20, 2010 23:56
はじめまして。
カティンの森の事実年表、大変役立ち勉強になります。
メモを取らせていただきました。どうもありがとうございます。
ぜひ映画を観にゆこうと思います。

今年の4月11日、悪天候の中、カティンの森事件、
70年記念式典に参加予定のポーランド大統領機墜落の大惨事。
97名全員死亡ニュースに心を痛めた一人です。
50名のご遺族も同乗されていたとのこと。
謹んで心よりご冥福を祈ります。

Posted by きまぐれ花子 at June 22, 2010 04:25
きまぐれ花子様

いらっしゃいませ。
年表は映画の解説パンフレットと吉川弘文館の「世界史年表・地図」を参考にして、小生が作りました。お役に立ってうれしいです。

カティンの森事件はあまりにも根が深い。小生は今年4月の大統領機墜落の大惨事も何かの陰謀が絡んでいるのではないかとカチンときたので調べております。今のところ陰謀の匂いはしませんね。

またのお越しをお待ちします。


Posted by ユリウス at June 22, 2010 09:29
翔年様

本ブログは長いラリーが続いています.読者の小生は非常にありがたく,面白いです.あれこれと考えられます.
国内にいる大魚の過流は身近に感じられ,ゆう貯JAバンクは,全国的に利用者が多いですが,新行理由でVISAなどの一端カード廃止(2008),また再開のようですが,それがそれがおかしい,おかしい.今までの利用者が苦情を発しても納得できる返答がありません.おそらくJAバンクは外資系とうまくやりとりができていないのではないか,どちらかのいじめか,ドンパチしているとしか考えられないのです.これでは利用者が迷惑し心配事にもなります.ペイオフ2000万案やほかにもなにか原因があるように思えます.ゆう貯の位置づけと運用など国にしっかりお願いしたいと思っております.
Posted by 奈良・東京のO at June 22, 2010 14:47
奈良・東京のO様

早いものでこのBlogは7年目に入っています。
今後とも、書き手も読み手も、多面的に考えられる素材を提供しながら、つづけて行きたいと思っています。よろしくお願いします。

郵貯は集めたお金を国債購入にあてるしか能のない金融機関にならないか心配です。国債暴落時に国民が穴埋めすることになります。

JAの実態はよく知りませんが、経営問題が山積しているのではないでしょうか? 農業協同組合が優良金融機関であるとは思いません。
外資が信用できないような経営実態にあるのではないでしょうか?

Posted by ユリウス at June 23, 2010 02:53