January 22, 2010

春隣り

 冬とはいうものの、梅ノ木などをよく見ると、しっかりと蕾がつき春の日差しを待っているのがわかる。もう冬が終わりだと感じる。
 俳句の冬の季語に「春近し」とか「春待つ」とかがある。翔年はこういう直接的な表現より、同じ意味あいでも「春隣り」というようなしゃれた表現が好きだ。


 官職にありながら、あまり昇進の機会に恵まれなかった清原深養父に、春を待つ心を詠んだこんな歌がある。

冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける   清原深養父

 これは隣りの家の方から飛んできた雪をさえ、花と見る気分の歌で、季語の「春隣り」にぴったりの歌だ。前書きに「隣りへ詠みてつかはしける」とあるから、きっとお隣さんへ「こんな歌をよみましたよ」とご挨拶したのだろう。風雅なものですね。


 本来の「春隣り」の句、どれも素晴らしい。

産科とふ名札はたのし春隣    中村汀女

初孫が生まれ、産院を訪れたおばあちゃんの心境だろうか?
足取りも軽そうで春隣りにふさわしいなんとも結構な句。


春隣吾子の微笑の日々あたらし   篠原 梵

初めて子供をさずかった父親の心境かな。
どこか知らんが元気が湧いてくる。

気をつけて死んでください春隣   山崎十死生

これはまた、厳しいご挨拶?
冬将軍に別れをつげる句だと思うがどうでしょう。


寒梅(=冬の梅、冬至梅)
観梅

清らかに住み古る家や冬至梅     桜木俊晃

寒梅やよきこゑとして老いのこえ   森 澄雄


この記事へのトラックバックURL