October 12, 2009

タカラジェンヌの芸名と年寄り名の由来 −百人一首−

 この「もの言う翔年」は政治や裁判のような堅苦しい話から、詩歌やことば遊びのようなちょっと柔らかいものまで、さらに、時々男性読者から要求のある下ネタまで、上下左右、ジャンルを問わず、翔年がいいたい事、書きたいこと、記録に留めておきたいことなどを書きつないで、早7年が過ぎようとしている。

 今年は更新が時々遅れて読者の皆さんにご心配をおかけしているが、ネタがなくなって困っているわけではありません。自治会長(534世帯)という役をおおせつかったお陰で、ネタをあれこれ考える時間はあるのですが、書く時間の制約を受けているだけのことです。(自治会の仕事は来年3月で終わります)

 さて、今日のエントリーでは、丸谷才一さんの随筆で面白いことを教わったので少しおすそわけしたい。

1 昔のタカラジェンヌの芸名のつけ方は百人一首に由来するものが多い。(鳩山首相の奥さんの芸名はどうだったかしらん?)

天津乙女 → あまつ風雲のかよひ路吹きとぢよ乙女のすがたしばしとどめん
有馬稲子 → ありま山ゐなの篠原風ふけばいでそよ人をわすれやはする

 翔年は「風」にちなんだ芸名を持つと大女優になれるジンクスがあるのではとも思うが、宝塚歌劇は良く知らないので確かめようがありません。

 ただし、この芸名の発案者、宝塚歌劇の創始者小林一三のことなら、少しは知っている。何で経済人がこんなことを発案できたのかと言うと、小林一三は若い頃、小説を書いているのです。翔年は読んだことはないが、丸谷さんは「なかなかの腕ですよ。花柳小説ばかりですが、おもしろかった」といっている。


2 面白いのは、相撲の親方たちの名前も王朝和歌から取っているのです。いや、こっちの方がずっと古くて伝統があるのです。

歌ことばなぜかせつなや年寄り名   丸谷才一


高砂、尾上 → 高砂の尾上の上の桜咲きにけりとやまの霞たたずもあらなん
田子の浦、富士ケ根 → 田子の浦に打ち出てみれば白妙の富士の高根に雪はふりつつ

 なるほど、時津風とか三保ケ関とか伊勢ケ浜とか他にもたくさんありそうですナ。

 ふんどしを締めたいかつい力士名と楚々とした風情のタカラジェンヌの芸名の由来が同じ和歌の世界にちなんでつけられているのは面白いと思いました。
 


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