September 22, 2009

自殺幇助クリニック −ディグニタス

「海を飛ぶ夢」の一場面
海を飛ぶ夢

 2年ほど前にスペイン映画「海を飛ぶ夢」を見たとき、大いに考えさせられたことがある。映画の大筋は『海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロが、26年間をベッドの上で過ごし、ついに自ら命を絶つ決断をする。人権支援団体で働くジェネは、ラモンの死を合法にするため、弁護士のフリアの協力を仰ぐ。紆余曲折があって、最後はペドロは希望通り自らの命を絶つことが実行できた』というものだった。ペドロは自殺しようとしても首以外は動かすことができないから、誰かの助力がどうしても必要だったのだ。(これは実話に基いたいい映画だった)


 今年の夏、英国で似たような出来事があった。(フォーサイトの記事による)
 英国の著名指揮者エドワード・ダウンズ氏(85)と妻のジョーンさん(74)は、夏の初め、スイスを訪れてチューリッヒの小さなクリニックで致死量の睡眠薬を服用し、ともに人生の幕を下ろした。
 二人は音楽家として、バレリーナとして輝かしい経歴と幸せな結婚生活を共におくっていたが、老いと病と障害が二人の人生を徐々に蝕んでいたのだった。

 今回のスイスへの旅に付き添い、妹とともに最期を看取った息子さんの話。
「二人並んで最期を迎えることが両親の望みだった。父と母は隣同士のベッドで手を繋いだまま、わずか数分で眠りに落ち、十分とたたずに息を引きとった」
 
 自殺幇助クリニック「ディグニタス」は尊厳と平安の中で自死を決意した人々を支援する非営利団体である。「ディグニタス」では入会金を払い、自殺の意思表示を表明すれば、誰でも会員になれるという。

 先のイギリスの指揮者夫妻はなぜスイスまで足を運んだのか? スイスでは1942年以降、自殺幇助クリニックの運営が法的に認められているからだ。(ベルギーやオランダ等でも、自殺幇助は合法だが、外国人に対しては行わない)

 わが国にはこういう法律も制度もない。誰も彼も生きることは善と信じており「自らの生死を決定する権利」が最も基本的な人権の一つとする議論はまだ始まっていない。
 本質的な「死」の議論ができないくせに、自殺をすぐ社会のせいにする甘ったれた考えの持ち主も含めて、国民的議論を望む。

尊厳死協会

 翔年は14年前に日本尊厳死協会(Japan Society for dying with Dignity)の会員になった。これは単に傷病が不治でかつ確実に死に向かっているときに、無用の延命措置を拒否するだけのもの。いわば自分のためでなく、自分がそういう状況になった時、家族や医者に難しい判断をさせるよりも、前もって自分でその判断をしておいて、実行を医者に委ねるという宣言をしているだけ。「ディグニタス」はその先を行っている。
 

 
 翔年は自分のために「ディグニタス」のような団体がわが国でも活動できるように法整備をするべきと思う。微妙な問題も含んでいるので、老人自らが考えて制度設計ができなければいけない。


(参考)
 世界の自殺率(人口10万人当たり)
1 リトアニア   38.6人
2 ベラルーシ   35.6

8 日本      23.7



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この記事へのコメント
あさだ様

聞いた話です。
天国は極め付きの「よい人」(曲がったことが嫌いな人、絶対嘘をつかない人、競争しても他人に勝を譲る人、お金に困っていたらすぐに恵んでくれる人、自分のことより他人のことを思いやる人等々…)ばかりなので、安逸をむさぼるにはいい所ですが全然面白くないそうですよ。(笑)
あなたはどんな事情がおありか存じませんが、そう急ぐこともないのじゃありません? 
Posted by ユリウス at April 14, 2012 10:10
天国行きの切符....今でも欲しいです。
Posted by あさだ at April 14, 2012 07:14
あさだ様

「自分の命は自分で決める権利」も「苦しまないですむ」ことも、スイスでは1942年以降、ちゃんと実現していることなのです。
わが国では、無用なというか、本人が望まない医療行為が命を救うという美名の下であっちでもこっちでも行われています。
年老いて、重大な病気で医師からあと数ヶ月しか生きられませんと宣告されたら、天国行きの切符?を買いますか。



Posted by ユリウス at April 11, 2012 18:03
「尊厳死」「安楽死」人によって少しづつ解釈が違うようですが、自分の命は自分で決める権利はあるべきであると思います。

そにれ苦しまないで逝けるのであればさらに素晴らしいと思います。
Posted by あさだ at April 11, 2012 05:51
奈良のOさま

そのお医者さんはたいへん考えが甘いと思います。
例えば、家族の要請で人工呼吸器をはずしたとしましょう。
後日、親族の誰か一人でも、その医者の処置を不満として訴訟を起したら、現在のわが国では、医者は医師法違反に問われ、死に至らしめた行為の嫌疑を受け、警察に取調べられます。
法律では、依頼した家族よりも、命を救う使命を持つとされる医者の方が一方的に不利な立場になります。くどいようですが、死に至らしめた行為のことを「殺人」といいます。

そのような理不尽なリスクを医者がとらなくてもいいように、尊厳死協会をつくり、本人の意思で延命処置を拒否しているのです。
それだけのことを講じていても、病院の方針として尊厳死を認めない立場をとっているところが多いのが困るのです。
そのため、現実的な措置として、日本尊厳死協会では尊厳死を受け入れてくれる病院名を公表しています。まだ受け入れる病院数は多くないですね。(それほど、いったんつけた延命器具をはずすという行為は医者や病院にリスクが大きいということをご理解下さい)

「死んで不幸せになった人を、ひとりでも見たことがあるかね」 −モンテーニュ−


自殺の原因を政治の貧困に帰してはならないと思います。我々の前の世代はもっと悲惨な人生を生き抜いてきましたし、今も地球上には病気と飢えに苦しみつつ、生きるために頑張っている人たちもたくさんいるのですから。

Posted by ユリウス at September 30, 2009 23:05
一つだけ、反論です.
医者の殺人扱いはないと思うのです.教え子に医者がいます.
安楽死を要求されても、それは殺人ではないと申しています.
本人からの答えを聞きはしません.

殺人者は、自殺に追い込むもの.
失業者を増やすモノ.
そんな政治家はいてもらいたくないです.
自殺者が増える要因はまさに政治と考えてもおかしくありません.
医者を殺人者にする法律は間違っていると考えます.
Posted by 奈良のO at September 30, 2009 22:20
奈良のO様

この種の問題は善悪の問題ではないのですから、病人や老人に無用な苦しみを与えるだけの、何のための延命措置かわからない治療は、本人が望まない限り、不要だと思います。
余計なお世話というものです。

「充分に使った一日の後に快い眠りが訪れるのに似て、充分に使い切った人生の後には安らかな死が訪れる」ことを望みましょう。
Posted by ユリウス at September 28, 2009 23:47
 内閣資料によりますと,自殺者の多数を占めるのが〃鮃問題経済生活問題で年齢別には40〜60代.また今年度は現時点で3万人を越え,昨年よりも増えています.ブログに書かれている内容に反対ありません.身近に思うことは,何人か亡くなられる直前に家族らに見まもられていましたが,大半はもがき苦しむ時間、最期を待っているのかが医者の勤めのようでした.
 本人がサインを出します.「はやく眠らせてくれ.」そのあとが結構長い.また脳死であっても苦しみはないといえるのでしょうか.

 ご時世こんなに大勢の方々が自殺なさる.自殺前に思っていたことはもうこのまま眠っていたい朝が何度もあったに違いないと察せられます.

Posted by 奈良のO at September 28, 2009 22:14
dickholyさま

いくら本人が家族に言っておいても、そのことを医者に家族が泣いて訴えても、医者は聞き入れてくれません。

なぜなら、現行法では医師が殺人者になるからです。
一分でも1秒でも長く生かすように医者は努めます。(無意味な治療と内心では思っていても)
これでは患者の望む安らかな死は絶対かなえられませんね。
Posted by ユリウス at September 23, 2009 18:25
誰も書きにくいことをよく書いてくださいました。
私の父が脳溢血で倒れた後、意識のないまま人工呼吸下で生きながらえました。
それから私が妻や子供に言ったことは次の言葉です。
私が1か月以上意識がなく、かつ人工呼吸下(延髄の呼吸中枢の機能停止)でしか生存できない場合には脳死が考えられるので、死亡とみなしてほしいということでした。
脳死については専門医に診断してもらえますが、問題は、心臓死をもって死とする現行法規が存在する限り、家族にも、医師の行為も制約を受けてしまうことです。
脳死をもって死とするよう法律改正を早急にすべきだと思います。
また、アメリカの病院では限られた数の人工呼吸装置を有効に使うため、複数の専門医による診断で治癒見込みの低いヒトから外されるそうです。
日本でも緊急に議論すべき時期だと思います。

Posted by dickholy at September 23, 2009 17:43