July 20, 2009

「いく」と「くる」は大違い??

 年末、NHKのTVで「行く年、来る年」という全国の大晦日の風景を映すなかなかいい番組がある。が、今日のエントリーはそれとは全然無関係。


 日本語の「いく」と「くる」は、英語では "go" と "come"だけれど、英語の文章であれっと違和感を感じる箇所に時々出会うことがある。

 たとえば、こんな文章。
"Any time she wanted to come to London they begged her to come and stay with them at their house in Chelsea. −Sleeping Murder by Agatha Christie-
この文章にある二つのComeのうち、前者は日本語では「行く」と訳すのが適切と思われる。なぜなら、(ロンドンにいない)彼女は(従姉妹に誘われて)いつでもロンドンに「行き」たいと思ったのだから。
「今晩、あなたのサロンに行きます」も I'll come to your saloon this evening.というようになるのではないか。

 日本語ではあくまで自分のいる場所を中心にして「行く」と「来る」を表現するのに対して、英語では相手の居場所に自分を置いて、こちらから出かけて行くときでも ”come”を使うみたい。

 まぁ、これは中学英語レベルかも知れない。が、次は格段にむずかしい大人の話に移りたい。


 まず、江戸川柳の鑑賞から。

 行くぞ行きますと呂の音律の音   江戸川柳

 むずかしい音楽用語があるから、意味が分かりにくい。「呂(ロ)」や「律(リツ)」は古代音楽の音の調子で、陰の音と陽の音とが和合するところに、音律が生まれるという音楽理論をふまえて、川柳はどうやら、
男:「行くぞ!」
女:「はい、行きます!」
とうような情景を詠んでいるらしい。


 さて、ここで話がもう一段飛躍して、このような場面の外国語表現はどうなのかというと、世界の大抵の国の女性は”come”(くる)と言うそうだ。今まで「そうか、そうか」と単純に常識にしていた人は多いはず。まだ、問題は残っているのに。

 問題は主語は何かということ。翔年は単純に ”I'm comming”だと思っていたが、実はそうではなくて、 ”It's comming”なのだという。フランス語もドイツ語もそうだという。(確かドイツ語では Es kommmt mir wieder!)

 主語が違っているのでは、翔年の貧弱な語学力では手に負えません。ここは欧米の生活が長い林秀彦氏の智慧をお借りしたい。以下は氏の受け売りです。

1 日本女性は伝統的な言葉を無意識に「いく」と発する。当たり前のことだが、主語は言外の「自分」である。意味は他者への方向性を持つ。つまり「あなたのおそばへまいります」という意味。向かっていく自分は失われ主観は喪失、相手との一体感を訴えていると解すべき。

2 欧米女性の場合、主語が ”It”だ。すると「くる」は自分に向かって何かがくるのだから、自身の充足感を訴えていると解するのが妥当である。

 そして、氏の説は、性にまつわる一切は言語と深く関係していてほとんど一体のものである。だから、1のような「自己喪失型」と2の「自己充足型」の違いは文化の違いに帰すべきとされる。

 これでやっと、翔年は「違いが分かる」男になれました。



蛇足

うねり待つ恋の海月のアクロバット 大木あまり

 最近の日本女性はこのよな海月(クラゲ)型が増えているかも。これは自己充足型だ。だとすれば、そのうち日本女性も「くる」といいだすかも……。主語は勿論 "It" の省略形です。


次は応用問題です。

It's going, it's going, it's gone!
これは何でしょうか?

答えは「続きを読む」をクリック。

It's going, it's going, it's gone!
「入るか? 入るか? 入った!」
これは野球中継のアナウンサーの絶叫!でした。
(ホームランは気持ちがいい) 

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