April 22, 2009

これが教育改革の成果? -全国学力テスト

 大阪府の橋下知事はいろんな改革をかかげて頑張っている。概ね支持するが、この教育改革だけはどうかと疑問に思う。

全国学力テスト

 21日付け読売新聞によると全国いっせいに始まった「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)について橋下氏はこんな発言をしている。知事だけでなく、くだらん発言ばかりが目についたので、それらも拾ってみた。

橋下知事:「結果が悪ければ、僕の責任。子どもたちには、頑張ってもうらうしかない」

 知事の号令の下、府教育委員会は大阪府の学童成績が最低クラスのため、塾との連携やゲーム機のニンテンドーDSの活用などの対策を打ち出してきた。そしてこう言う。
大阪府教育委員会:「改善の兆しがなければ、これまでの取り組みは何だったのかと言う話になる」

交野市の市立小学校長:「教員も頑張ってきた。よい結果になってほしい」

門真市の教育委員:「学力に市民の関心が集まっており、期待に応えたい」

 翔年は学力テストがダメとまではいわないが、「上から下まで、教育者がこんな短期の目線で子どもの教育をしていていいのか」と大いに疑問を持つ。上の発言から伺えるのは、○×方式(選択肢が多くても同じ)のテストを子ども達に強いて、そのために一点でも多くとりなさいと尻をたたく、くそまじめな教師像(ハッキリ言えばダメ教師)です。これって、教育関係者がよってたかって子どもを勉強嫌いにするよう頑張っているのではないか?

 識者から、○×試験は「記憶力」試験であり、「考える力」の養成にはならないと指摘されているにも拘わらず、このテストを繰り返し、あまつさえ目先の点数至上主義に陥っている。教育の成果を上げるには、まず第一にしなければならないことは、教師の質の向上をいかに計るかが問わなければならないはずなのに。

 教育は百年の大計と言われるように人づくりが主目的であって、テストの点数は教育の成果を計る手段ではあるけれど、その尺度は記憶力という極めて一面的なものしか計れない不十分な代物であることをよく認識するべきだと思う。上の発言はその認識が甘いことを示している。


 米原万里さんのエッセーに、わが国の教育と外国のそれを比べた、こんな印象的な文章がある。(彼女はチェコスロバキアの首都プラハで小学校3年から中学校2年まで過ごしている)

小学校三年までは日本ですごした私の経験では、国語の時間、『では、何々君読んでください』と先生に言われて、間違いなく読めたら、そえでおしまい、座ってよろしいだったが、(プラハの)ソ連式授業では、まずきれいに読み終えたら、その今読んだ内容をかいつまんで話せと要求される

→ これはすぐれた国語教育と信じる。

実は、ロシア語の授業に限らず、歴史も地理も数学も生物も化学も○×式テストは一切なく、すべてロシア語の口頭試問か、小論文形式の知識の試し方であったから、プレゼンテーション能力を要求するものであり、結局ロシア語による表現力を鍛えるものであった
→ 相当レベルが高そう。

中学2年の三学期に日本に帰国し、近所の区立中学校に編入した私は、高校受験用として覚えさせられる文学史に載るような作品を、ほとんどの同級生の誰もが読んでもいあにことにショックを受け、作文の際、点(、)の打ち方について教師に尋ねて、納得のできる答を得あれず驚き呆れ、国語のテストで、『右の文章を読んで得た感想を、左のア〜オの中から選べ』と求められたのにはぶったまげた。この自国語と自国文学にたいする、不当なほどぞんざいな扱いに義憤さえ感じた

→ 翔年は万里さんのような考え方の識者がわが国にも大勢いらしゃるのを知っている。そういう人たちの意見はどこへいってしまうのだろうか。


 先生のレベル低下のひどい実例
1 テスト実施日のミス
 南九州市の市立小学校は全国テストの実施日を間違え、テストを行っていなかった。学校側は保護者に謝罪し、22日にテストを行うという。
市の学校教育課:「17日に開いた会議でも実施日について説明した。ありえないミス」
2 入学試験の採点ミス
 兵庫県内の公立高校入試では採点ミスが山ほどあることが分かった。神戸市教育委員会は2005年度の入試までさかのぼり受験生計7400人の答案を点検することを決めた。
 切実な問題は、今春の8市立校の入試で72人のミスがあったことだ。
市教育委員会:「不利益がないよう誠意をもって、できるだけ対応したい」

→ ○×教育ばかりしていると、教える側がこういうことになっていくのだろうか。 


読者のみなさんは万里さんの経験された○×式の一切ない学校教育はどうですか? 翔年は○×テストは大嫌い。




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この記事へのコメント
確かに達成感は継続教育としてなくてはならない、レベルがどうであれ自己にあってと思います.ところで、指導鞭撻をマニュアル化されているところには疑問があります(大半、文部省指導)。現場の教師は本音をしゃべれないと聞いていますし、橋本知事他大阪の教育委員会は、全国点数比較で判断されていますが、生徒が教師が愛情をもって教壇に立っていることが浸透することが最もの学力アップになるように思う次第です。恥ずかしながら、小職は失格講師でした(20年前)、辞めると言ったときに生徒から教科書を投げつけられました。
Posted by 奈良のO at April 29, 2009 21:14
坂口 由 ひろゆき 様

知識については貴兄のお考えの通りだと思います。
ただ、知識は身につけているだけではダメで、その活用が命です。
そのように考えると、知識偏重の教育は弊害が大きいと言えます。

野球で言えば知識は基礎体力、イチロウのバッティング技術や金田の投球術はその上に築かれた最高の活用技術でしょう。
イチロウより基礎体力のすぐれたプロ野球選手はいくらでもいます。

○×式テストは記憶力のみに偏重したテストであるが故に、知識の活用(智慧)がおろそかになりがちなのを恐れます。

国語辞典、漢和辞典、百科事典を覚えさせるような教育は「人をつくる」観点から見ると、相当的外れだといえます。
囲碁に「定石を覚えて二目弱くなり」と言われているのもこれです。知識の活用が大切な所以です。


Posted by ユリウス at April 26, 2009 20:46
古い形の人間で、なんにも業績のない私が一言もの申させていただきます。
知識は、記憶の塊で、記憶力を高めることにより、知識が広まり高まるものと思い込んでおります。記憶力を高める要領が悪く、容量も少なかったと自嘲しておりますが。これは、矢張り今時の教育論とは掛け違っておりますでしょうか?
Posted by さかぐち 由 ひろゆき at April 26, 2009 16:41
奈良のOさま

1 教育に必要なのは「好奇心」というか「知識欲」というか、そういうものを刺激しつつ、そのための「努力」の必要性を知り、「達成感」の喜びを味わえる人間をつくること。

2 その先は「理想」とか「憧れ」とか「夢」を追いかける方法論を学び、それらを使いこなし、自ら工夫をこらすことができるように、指導鞭撻すること。

ではないでしょうか。


Posted by ユリウス at April 24, 2009 00:00
橋下知事のご発言は間違いと思いました.小職が今仲間に流布していることは,時代の流れは昔と違う、子供も同じだ.
「苦労するな,努力するな,頑張るな,悩むな」これら否定語の前の名詞は死後である思っています.まず子供らはこれらの名詞は必要ないと思っています.今の大人もこれらの名詞が鬱積すれば,即座に死んでしまいます.
「仕事はようさんある.頑張るな,一所懸命やらんでいい,でも仕事はようさんある.仕事はようさんあってほしいなあ」.そうでなきゃ,好奇心も頭も働かないと思うのです.
Posted by 奈良のO at April 23, 2009 19:20