April 09, 2009

野に捨てて痩せたる犬の腹を肥やせよ −壇林皇后の辞世

 これまでに何回も紹介したサイトに「人生のセームスケール」(略して「人セム」、ここです)がある。玉川和正氏(たまさん)がたった一人で構築されているサイトで、今もそのデーターは毎日増え続けている。翔年は「人セム」は今や「人類の文化遺産」と呼んでもおかしくないと信じている。
 何回も紹介しているから、多言は要しないと思う。(ためしに、このBlogの左欄のグーグル検索窓で「人生のセームスケール」と打ち込んでみてください。43件の記事タイトルが0.07秒でアッというまに提示されます)

 2004年に「人セム」のコンセプト(人がこの世に存在した生涯日数のみで再配置してみる)に魅せられてから、翔年はささやかなお手伝いをはじめた。

 具体的には
1 人物のリクエスト(本日で3644人を収録)
2 収められている人物の興味あるエピソードを探す
3 辞世のことばを探す
4 最期の言葉を探す
5 墓碑銘をさがす
6 その他、血縁関係、姻戚関係など興味ある事実を探す
など、書籍やネットから集めてきては、たまさんのBBSに報告している。その情報が人セムに採用されるかどうかは、だまさんにゆだねているが、たいていは採用してもらっている。翔年だけでなく、他の方のケースもそうなので、それが方針かもしれない。
 BBSには「人セム」のシンパが何人か集まっており、あらゆる「人セム」に関する情報交換をしている。なかなか面白い話もあるので、翔年は毎朝ここを覗くのを日課にしている。

 
 最近、興味を覚えたのはこんな辞世をを知ったことだった。古い順に並べてみよう。


聖徳太子

○ 財物は亡びやすくして 永く保つべからず。ただ三宝の法は 絶えずして 永く伝うべし     聖徳太子(574-622)

 上は大安寺伽藍縁起竝流記資材帳が太子の遺詔として伝える。財宝や物品は消えやすく、永久に保つ事はできない。ただ、仏・法・僧の三つの宝はなくなるものではないから、後の世に永く伝えるようにという意味だろう。太子生前の「世間虚仮(セケンコケ)、唯仏是真(ユイブツゼシン)」(この世の現象はすべて虚構で、仏の教えだけが真実)と同じ思想である。何故、仏の教えが真実なのか翔年は分かりませんが……。



○ 我死なば 焼くな埋むな 野に捨てて 痩せたる犬の 腹を肥やせよ   壇林皇后(橘嘉智子=たちばなのかちこ、850年病没、享年65歳)

 びっくりした。何という激しい歌であろう。近代の唯物論者かと思った。よほどのことがなければ、死後とはいえ、自分の肉体を「犬に食わせよ」とは言えない。
 聞けば壇林皇后とは嵯峨天皇(第52代)の皇后と言うではないか。皇后が何故? と強い興味を覚えてWiqipediaなどで調べてみた。

 壇林皇后はまだ「人セム」には納められていない。何分、古いことなので伝説の域をでないが、知りえたことを書き抜く。

1 平安時代初期、嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子(たちばなの かちこ 786年-850年)は仏教の信仰が厚く、壇林寺を建立したことから「壇林皇后」と呼ばれた。

2 すばらしい美貌の持ち主でもあり、恋慕する人々が後を絶たず、修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどであった。

3 この世は無常であり、すべてのものは移り変わって、永遠なるものは一つも無い、という事を自ら示して人々の仏心を呼び起こそうと、死に臨んで、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。

4 皇后の遺体は辻に遺棄されたが、日に日に腐り、犬やカラスの餌食となって醜く無残な姿で横たわり、白骨となって朽ち果てた。

5 遺体が置かれた場所が、以後「帷子辻(カタビラノツジ)」と呼ばれた場所である。現在の京都市の「帷子ノ辻」付近と思われる。

 死体を捨てておいたのだから、これは「風葬」といっていいのだろうか? 烏が突いたから「鳥葬」ともいえるが。
 

親鸞

○ 某(ソレガシ)、閉眼せば、賀茂川に入れて魚に与うべし    親鸞(1173-1262) 

こちらは「水葬」いや「魚葬」? ともいえる。



追記(23時10分)
ウッカリ、一遍上人を失念してた。

一遍

○ わが門弟子(モンテイシ)におきては、葬礼の儀式をととのうべからず。野に捨て獣にほどこすべし    一遍(1239-1289)

 これも「風葬」或いは「獣葬」? 
格式ばった儀式は行ってはならないといっているし、「獣のえさにでもせよ」というのは、先に見た親鸞と相通じるものがあろう。
8月23日の法要の最中に、座禅を組んだ姿勢のままで息をひきとったというから感心するしかない。
それにしても、現在の仏教は「葬式仏教」に成り下がっている。本来の仏教では葬式など不要としていたことがこれらの言葉でハッキリした。これならホンマモンと思えるし、翔年は胸がスッとした。



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この記事へのコメント
奈良のOさま

何時もコメントをありがとうございます。
いきいき塾は一代限りとなりそうです。
無理に残そうとすることよりも、今、塾に集っている人たちを大切にすることが大事と考えています。

Posted by ユリウス at April 20, 2009 00:12
 ルーツを遡れば、太子に遣えたわが祖先は大変であったと思えます.
決して太子は偉い人かどうか分からない.
 法隆寺と同様とお察しできます(確信)いきいき塾の継承も
確信しております.
Posted by 奈良のO at April 19, 2009 19:15
奈良のO様

聖徳太子の言う「仏の教えだけが真実」が何故そうなのか、結局の所分からない小生は、所詮信仰は持てないです。

「類例のない物事について、知りもしないくせに語る者の言うことを、証拠がないにもかかわらず、正しいと信じる」ことは断じてしません。


Posted by ユリウス at April 19, 2009 02:05
 太子の虚構は面白いです.財物継承は後世に委ねるしかありません.
 近所の法隆寺は仏法の継承と伝統建築で建立した複数庶民の財物,宝であって「永く保つべからず。」の愚凡が集めた財物とは区別できます.
 虚構がいつの時代もあるのは一例として光クラブ(昭和20年代)とホリエモンも同じ,これも自然と継承されるのですね.

 軽い辞世は意味深ですが,読みようによっては危ないと思えます.

Posted by 奈良のO at April 17, 2009 22:21
奈良のOさま

コメント、ありがとうございます。
記事に書きました辞世はズシリと重いです。

一方、こんな軽いのもあります。

宗鑑はいずくに行くと人問わば ちとようありてあの世へといえ   −俳人 山崎宗鑑
※宗鑑の死因は背中の廱(はれもの)、用と廱とをかけている。

この世をばどりゃお暇に線香の煙とともに灰左様なら  −戯作者、十返舎一九



Posted by ユリウス at April 13, 2009 12:46
三回読ませて頂きました.
最初は滅びた肉体であってもつつかれるのは痛いと感じました.
次は親族3人の納骨が思い出され,様々な生前の姿が思い浮かばれました.
最後は自分にあるものは心ひとつ,他は全て借り物かと思いました.
仏法は究極の悟りが真理かと思いますが,小生は幾多の場面があって,それらが真理でなくても,災い以外はそれであっていいものだと思っています.
しかし賢人自らの心に従い,徳をもって死へと旅立てることは不可能であります.かといって,仏教従事者のお力が必要とは考えていません.
Posted by 奈良のO at April 13, 2009 09:46