December 04, 2008

生きがいのある福祉 −敢えて両面から見る

 人生の旅の途中で、いろいろな出来事やいろいろな人たちと出会う。ちょっとしたことから縁がつながることもある。このエントリーは福祉事業とのちょっとしたご縁の接点で考えたことです。

 翔年は若いときから好きなことをして生きているので、こんなことを書くと「偶にする善行を大げさに書くな!」とお叱りを受けるかもしれない。しかし、福祉事業に携わっておられるこの方の言葉は耳を傾けなければいけない。と思う反面、この意見に手放しで「賛成」することは問題だという思いもあります。

 下は、知能に重い障害を持つ人たちの施設からの寄付金趣意書にある文章です。ちょっと長いが無断で引用します。

「やる気が出ないなぁ。ほんまに楽しくないなあ」こんな言葉を仲間の職員たちから、よく聞くようになりました。確かに、私たちの職場は楽しくなくなりました。
 何故でしょうか。国は私たちの仕事を、心を大切にする福祉から、市場主義の中で金銭や物を重視する合理的な福祉事業に変化させました。そして、規制が強化され、マニュアル化され、その上、書類を書き、提出させられることがとても多くなりました。その中で、個人が自由に、独創的に考え、作り出したものを現場でいかそうとすると、国や県から注意を受けてしまいます。
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 こうして職員が伸び伸びと仕事ができず、自分が生かせず、やる気ややりがい、生きがいをなくし始めています。そして、(上の指示通りにすればよい。そうしたら、問題があっても、それは上の責任で自分には関係があらへん)と無気力思考になってきているのです。(中略)

 国や県、政治家は「給与を増やせば施設の働き人は定着し、増える」と言っています。本当でしょうか。
 過去、私たちの仕事は貧しく、待遇は良いとは言えず大変でした。でも、沢山の若い人たちが生き生きと働いていました。それは、福祉の現場には温かい心が溢れ、未来の希望と理想に満ちていたからです。(自分は福祉の取り組みをしている)という誇りと喜びを持ち、やりがいがある仕事だったからです。(以下略)


 これを書いている方は、この仕事を47年も続けられていて、最近「生きるってうれしいなぁ」という本も出版されている。(これが51冊目だとか)そういう筋金入りの人だから、翔年が何を言っても受け止めていただけると思うので、敢えて翔年の考えを書きたい。釈迦に説法になる愚をどうかお許し願います。


 「国は私たちの仕事を、心を大切にする福祉から、市場主義の中で金銭や物を重視する合理的な福祉事業に変化させました」
→ この言葉は一面の真理ではある。甘い人たちの集団では通用する言葉だ。だけど、反面、ずるがしこい人たちを喜ばせる意見でもある。
 物事には表があれば、裏もある。国の福祉関係の支出額は物凄い。資金の元は税金です。敢えていいます。税金は合理的、効率的に使ってもらわねばなりません。それを「福祉は心が大事だ」という主張のために、「書類を作るのがいや」、「金は自由に使わせろ」、「そうでないと職場に生きがいが生れない」という主張はどこか変なのではないか。こういう主張をハイハイと許すと、税金の無駄使いはハドメがなくなってしまう。
 世の中には善意の人が沢山いらっしゃるが、人の善意を食い物にしている人や会社もあるのです。翔年はその実例を嫌と言うほど知っています。

 だからと言って、全ての企業は営利を求めているからといって、効率的組織運営をしているからといって、そのこと自体を否定しようとは思いません。営利企業であっても、その中で生きる企業人は、守銭奴になる事なく、自己実現を図ったり、また上に立つ人は部下に人生の生きがいを与える事に手を貸したり、懸命な努力をしているのです。
 国からお金出してもうらうからには、書類作りも、効率的な仕事もキチンとやってもらわなくてはなりません。(モチロン、自前の資金と募金活動資金だけで事業を行われるのでしたら、帳簿を付けても付けなくても、どうぞご自由にと申し上げたい)

 いささか嫌味な意見になってしまったけれど、物には両面があるということで、お許し願います。

 前回のエントリーのターシャ・テューダーがこんなことを言ってくれています。だから、翔年はターシャが好きだし、読者のみなさんも、ターシャの言葉から強い放射を感じるのだろうと思っています。

(お金を稼ぐのは悪い事?)
わたしの絵を気に入ってくださる方は、
「想像力が発揮できて楽しいでしょう?」
というけれど、それは見当ちがいよ。
わたしは、売るために絵を描いているの。
生活のため、食べていくため、そしてもっと球根を買うためにね。  
      −ターシャ・テューダー

→ 「そしてもっと球根をかうためにね」。前の「生活」と「食べる」につけたされたこの言葉に翔年はしびれます。球根を買うのは、生活のためでも、食べていくためでもないのです。歓びのため、ターシャであるためなのです。


(自慢はいけないか? 謙遜は美徳?)
庭はわたしの自慢なの!
謙遜なんかしないわ。
うちの庭は、地上の楽園よ!
       −ターシャ・テューダー


 翔年は偽善の匂いが全くしないこういう人柄に強く惹かれます。



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この記事へのコメント
みか様

福祉にも関心をお持ちでしたか。
エッセーにも、英語にも、音楽にも、学校行事のボランティアにも、何んにでも、易々と身を呈してやってしまわれるあなたのこと、色んなお話を伺いたいです。
お会いするまでに、エッセーもたくさん書いておいてくださいね。




Posted by ユリウス at December 09, 2008 22:10
>福祉事業はボランティア精神を必要とする分野だと考えます。そこへ社会の要請によって、行政がお金を出して福祉事業をやってもらう(肩代わりさせる)ようになると、本来のボランティア精神が薄められてしまうのではないかと考えます。

福祉事業は、私が、最も興味があることの一つで、とりわけ、同じような意見を持つ人がいることを、とても嬉しく感じました! 機会があれば、熱く語り合いたいです。
……、ちなみに、私、家庭の事情で岡部エッセイ教室を家庭の事情で12月5日付けで退会いたしました。クラスの皆様に、どうぞよろしくお伝え下さいませ。
Posted by みか at December 09, 2008 12:06
奈良のOさま

本質的に、福祉事業はボランティア精神を必要とする分野だと考えます。そこへ社会の要請によって、行政がお金を出して福祉事業をやってもらう(肩代わりさせる)ようになると、本来のボランティア精神が薄められてしまうのではないかと考えます。

裁判員制度はそのうちに必ず書くつもりです。


たまさん

なんなりと引用してくだされ!
Blogのターシャの引用文の前につけた括弧書きは小生が便宜上つけたものです。「人セム」にはこれは除いてもらった方がいいように思いますが……
たまさんのご判断に委ねます。

Posted by ユリウス at December 09, 2008 00:21
翔年さま

いつもありがとうございます.
「人セム」+よろしくお願い致します.
話がとんで申し訳ありませんが、裁判員制度についてご無理なく
よろしくお願い致します.一方的義務の押しつけのように思われますが、
国民参加は犯罪激減か、意図あることのように察しられ、法の上に倫理が
包括されているとも思われ、経験なき裁判官(とにかくエリートあり、真なる人がいないのか...)が問題なのか、どこからの発信なのか、義務を問いたい.また義務教育では”愛”を教えず、私学では愛の何かを教えているようであり、また飛びますがはっきりしていることは、公務志望した方々の大半は安定志向が先にある.しかし、国民負担で倒産しないのは間違いである.公務制度が裁判されたら、一体どうなりますか?
Posted by 奈良のO at December 07, 2008 19:10
ユリウスさん
〈翔年は偽善の匂いが全くしないこういう人柄に強く惹かれます〉
全くもって同感です。その上の彼女の言葉を「人セム」に載せさせていただきます。
よろしくお願いします。

Posted by たま at December 07, 2008 14:46
数年前に、ある公務員の方から「あなたは福祉の仕事は絶対できないなあ。」と言われ、ショックでした。何かできそうかと思ってはいたのですが、性格的なことか、思想なのか、もっとお話を頂きたかったのです。ブログに書かれています合理的福祉事業の推進下では無理であったのかとも。
「人は人の力あり。ものはものの力あり。金は金の力あり。」これらを決して絡めない生き方を望んでいますし、生き方にこれを崩すことはないと信じています。しかし、仕事はみんな絡んでいることが現実です。福祉に携わる方々の現実は、そのとき勝負、基本は愛情かと思えます。
 ターシャのお話、絡んでいないのでいいですね。
Posted by 奈良のO at December 06, 2008 22:19