July 04, 2008

三好達治記念館

 昨日、高槻市上牧町にある日蓮宗のお寺、本澄寺に行ってきました。ここには詩人、三好達治のお墓と「三好達治記念館」があります。住職の三好龍孝氏から、他では聞くことのできないお話をうかがうことができました。

 三好達治の墓        本澄寺
三好達治の墓本澄寺全景

 まず、三好達治のこの詩はご存知の方も多いのではないでしょうか? 教科書に載っていたこともあるそうですから。


「雪」
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。



(1)どうして、三好達治がこのお寺に眠るのか? 
 達治の弟さんが本澄寺の住職であった関係で、東京で亡くなった達治はこのお寺に葬られた。現住職の龍孝さんから見ると達治は伯父さんにあたるそうです。
標語

 寺の門の横にこんな標語(聖語)がありました。
「獅子王の如くなる 心をまてる者 必ず仏になるべし」
 一読して、「重荷を背負い諦念と畏敬にみちた駱駝では不十分で、精神の獅子になれ」というニーチェの言葉が脳裏に浮かびました。日蓮のことは知りませんが、どこかニーチェと通ずるところがあるように感じました。




(2)三好達治記念館
三好達治記念館

 没後十三回忌に弟妹親族が相談されて、弟さんが住職をされていた日蓮宗本澄寺に記念館を作ることに決まったそうです。
 館内には自筆原稿、遺愛の品、著書、写真、参考文献等が多数展示されていました。
(入館料は無料、ただし見学には電話予約が必要です。072-669-1897)



記念館内部
記念館内部1記念館内部2




(3)三好達治について(詳しくはここ「人セム」でどうぞ)
 記念館でいただいた資料によりますと、達治は明治33年に大阪市西横堀に生まれ、6歳で半年間京都府舞鶴市の家具商佐谷家へ養子、戻って兵庫県三田市の祖母の再婚先の日蓮宗妙三寺で育ち、11歳で大阪に帰り、市岡中学を経て軍人になるべく大阪陸軍地方幼年学校から東京陸軍中央幼年学校へ進み、後の二・二六事件で首謀者として処刑される西田税と親友となり、士官学校に進んだ。
 そこで一人脱走事件を起こして逮捕され、二ヶ月間陸軍刑務所に収監されて退校処分となる。転じて21歳で京都の第三高等学校から、東京大学フランス文学科を卒業した。
 東大在学中に詩作を盛んに始めて、詩壇に高い評価を得て昭和5年に処女詩集「測量船」を刊行。その他「一點鍾」など多数の詩集がある。
 敗戦直後の昭和21年6月、日本再建のため昭和天皇に退位を進言する「なっかしい日本」を発表している。

 脱走事件はよく分かりませんでしたが、天皇に昭和21年に退位を進言するとは相当な勇気を有することではないでしょうか? 詩人の純粋な魂がやまにやまれぬ表現となったに違いないです。翔年は詩以外に、この点を特に評価したいと思う。

(4)三校時代の友人達
 三校時代に貝塚茂樹と碁を打っている写真や、吉川幸次郎や桑原武夫と名前を連ねている色紙が展示されており、なかなか有意義で楽しい時間を過ごさせてもらった。
 翔年はなんとなく三好達治はもっと古い時代の人という印象をいだいていたのですが、京大の桑原先生達と同級と知って、急に親近感が湧いてきました。

碁を打つ三好達治 桑原武夫、吉川幸次郎、貝塚茂樹の名前が見える色紙
碁を打つ三好達治三校時代の色紙




(5)平和運動
 住職の龍孝さんは平和運動を実践されている。「納得できる平和運動とは何か? 三好達治の詩を辿って」という冊子をいただいて、ちょっと豊かな気分になって帰途につきました。






この記事へのコメント
Yozakura 様

古い記事を活用してくださり、ありがとうございました。お役に立ったのなら、これほど嬉しいことはありません。
熱意溢れる三好住職に直接案内されて幸運でしたね。あなたのご友人にもこの記念館のことを、お伝え下されば住職もお喜びになると思いますよ。
最近は「増殖する世界の名言事典」作りにに注力していましたため、あなたのコメントに気づくのが遅くなって申し訳ありませんでした。
Posted by ユリウス at December 22, 2017 23:52
翔年ユリウスさま:初めまして。

 6年以上も前に、偶然のきっかけから貴殿のサイトに漂着した者です。爾来、この三好達治記念館の訪問記を時折、読みこんでおりました。世間では殆ど知られていない「三好達治記念館の存在とその展示内容」に就いて、広く公表・告知して戴き有難う御座いました。
 これも偶々ですが、本年12月某日、機会あってこの記念館を訪問し、住職の三好龍孝氏より直々に案内して頂きました。三好氏は、住職として執務多忙な中にも態々時間を割いて下さり、館内の展示物に就いて細かく解説して貰いました。
 しかも、翔年氏が既に陳述されている通り、「文学史上での解説や世間の通説」とは異なる事実や、通説が軽視乃至は無視していた事実が解明され、三好住職の熱心な解説は、コンクリート造作の冷え切った館内の空気を暖める程の、熱気に満ちたものでした。
 斯くも貴重な文学記念館の存在とその展示内容を紹介して頂き、大いに助かりました。お世話様でした。
 寒さ厳しき折柄、御自愛下さい。
Posted by Yozakura at December 22, 2017 11:42