January 10, 2008

湯川秀樹博士と夏目漱石の接点

 正月のゆったりした時間の中で、天才物理学者、湯川秀樹先生の随筆「旅人」(昭和35年初版)を読んだ。湯川先生の随筆は岩波書店「現代科学と人間」(昭和36年刊)など、折にふれて親しんできたが、「旅人」の中でなかなか面白い発見があった。それは湯川先生と夏目漱石の不思議な接点です。

 夏目漱石の「行人」に三沢氏が胃を悪くして大阪の病院に入院している時の話がある。
 
「院長は大概、黒のモーニングを着て、医員と看護婦を一人ずつ随(シタガ)えていた。色の浅黒い、鼻筋の通った立派な男で、言葉使いや態度にも、容貌の示す如く品格があった。三沢氏が
『まだ旅行などは出来ないでしょうか』
『潰瘍になると危険でしょうか』
『こうやって入院した方が、やっぱり得策だったのでしょうか』
などと聞くたびに、院長は
『ええ、まあそうです』
ぐらいな簡単な返事をした。」

 小説の中の何でもない病院の診察室の描写に見えます。何の問題もありません。ところが、実は漱石は明治41年、胃潰瘍を患って、大阪の今橋三丁目にあった湯川病院に入院しているのです。この湯川病院というのは湯川先生の奥さんの実家で、院長の湯川玄洋氏は義父に当たるそうだ。

 湯川先生の随筆ではこう書いてある。
「『行人』は大正元年から二年にかけて、朝日新聞に連載された。漱石が『行人』の中で玄洋を目に浮かべながら書いていたことは確かである。」


 「それがどうした?」と言われればそれまでのこと。ただ、湯川先生と漱石は翔年が尊敬してやまない人物。わが国の誇る文豪と理論物理の巨人が小説と随筆の中で対話しているのは何かの縁、複雑な人生モザイク模様の一片を見る思いがしたことを記しておきたかっただけ。



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この記事へのコメント
奈良のOさま

漱石先生の年譜によりますと、そのころヒドイ胃カタールに悩まされていたようですが、それにも拘わらず、46日間の満州・朝鮮旅行のため大阪から船で大連に出発しています。帰朝後、大阪の朝日新聞社を訪ね、長谷川如是閑に会い、京都によってから東京に戻っていますから、小川病院は旅の途中によったのではないでしょうか?

「吾輩は猫である」の登場人物、甘木先生が尼子先生なんですってね。


Posted by ユリウス at January 12, 2008 16:43
「庶民の旅人」と題しての一コマです。
 30年ぶりに理科の教え子、S君の街はずれの診療所へ行きました。
 彼は「父は今、医大病院へ入院しています。毎晩4瓶の晩酌をしていて(糖尿病患者)、インシュリンを打っています。」
 患者としてS君に会いに行ったのではないのですが、同病(まだ軽度)の小生も御尊父様と同じようにS君の患者となりたくないという頑固なプライドが感じられました。
 漱石先生には、家庭医の尼子四郎先生のほかに立派な教え子の医者はいなかったのでしょうか?1人2人はいたかもと思うのですが、漱石先生には上記のような頑固さはなかったのでしょうか。・・・『こうやって入院した方が、やっぱり得策だったのでしょうか』などと聞くたびに・・はなかなか息子や教え子には語れないように思うのです。
Posted by 奈良のO at January 11, 2008 19:58