October 13, 2007

萩づくし−萩幻想、萩妄想

 秋の七草の一つは萩、でもこれは草ではなくて木なんです。落葉低木。(何故か植物分類ではマメ科ハギ属)
 名前は葉を落として冬を越し、春にふたたび芽を出すことに由来する。「生芽(ハエギ)」の転化らしいが、小さい葉の形から「歯木」の説もある。

萩  photo by Miya(左)、リリー(右)
萩萩2

 もっと深い意味で、「鹿鳴草」とか「鹿妻」という名前が付けられている。雌を求めて鳴く雄鹿は秋の歌によく歌われている。本当かどうか知らないが、牡鹿はしだれている萩の花の上に伏すことが多いと言う。それで「鹿鳴草」、「鹿妻」。
 次の三首はその証明みたいなもの。

往還(ユキカエ)り折りてかざさむ朝な朝な鹿立ちならす野辺の秋萩    紀貫之

牡鹿伏す萩咲く野辺の夕霧をしばしもためぬ萩の上風     西行

しだり咲く萩の古枝(フルエ)に風かけてすがひすがひに牡鹿なくなり  西行

※すがひすがひ=次々に

 「萩の古枝」、これがまたいい。萩のこういう美しさは年を経ないとなかなか分からないものだ。例えば桜の美しさは老若男女、賢者愚者、誰にでも分かる。が、萩の良さが分かるには、人生経験と少しの知性がいるのではないだろうか。


 さて、牡鹿の次は与謝野鉄幹、周りには大勢の女性がいたが、中でも名花二輪と謳われた与謝野晶子と山川登美子を彼は花に喩えて、前者を「白萩の君」、後者を「白百合の君」と呼んだ。さすが鉄幹、与謝野晶子を無理して牡丹や薔薇に喩えていないから、晶子も納得していたし、後世の我々も十分納得できる。

君ゆくとその夕暮れに二人して柱にそめし白萩の歌     与謝野晶子


 ついでに、もうちょっと艶っぽい萩の歌を鑑賞しよう。

秋の野に露負へる萩を手折らずてあたら盛りを過(スグ)してむとか   大伴家持

 萩にかこつけて、大伴さんが憎からず思っていた娘を回想してはるみたい。このへんで中勘助の詩の一節もよろしいかと。

かはい白萩色にはでねど
風がなびけばついなびく
恋のおもひは朝露夜露
なやむ姿もいぢらしや
     


 詩や短歌は自分の想いを表現できる字数が許されているのに反して、俳句はなにぶん短いゆえに、艶めかしい句は作りにくい。それでも次の句は写生に見せて、そうでもない。翔年は萩を女性の隠喩として、読者の想像力を試されているように感じる。四句を並べて、そういう鑑賞をしても許されるハズ。


雨風やもっとも萩をいたましむ    高浜虚子

野茨にからまる萩のさかりかな    芥川龍之介

白露もこばさぬ萩のうねりかな    松尾芭蕉

手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住 敦


蛇足:全然関係ない事ながら、「萩」と言う漢字は日本で作られたもの。



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