April 15, 2007

責任者が責任をとらないとどうなる?

 一昨日の読売夕刊一面にこんな記事が載った。真の責任者が責任をとらないと社会はどうなるか? という格好の教材でしょう。

タイトル:有罪3職員に8000万円カンパ
サブタイトル:「同和行政の犠牲者」失職に同情

記事要約:「大阪市が発注した街路樹維持管理業務を巡る不正入札事件で、偽計入札妨害罪で有罪が確定し、失職した市職員3人の生活を支援するため、市役所内に「有志の会」が結成され、寄付を募るカンパが行われている。」

「市役所内に、退職金も出ない3人に対する同情論が広がり、『ゆとりとみどり振興局』が中心になって『有志の会』が結成され支援を要請している。」

「寄付に応じた職員は『自分も疑問に思わないまま同じ業務をしていた。たまたま罪にはならなかっただけで、3人に申し訳ない気持ち』と言う。」
→ さすが「ゆとりとみどり振興局」の職員さまだ。筋の通らぬことでも平気でおっしゃる。

 この記事を読んでなんとうるわしい人情あふれたいい職場だと勘違いしてはならない。組織ぐるみで不正を働いていたということは、真の責任者は組織の長であるべきと信じる。実行犯の課長や課長代理や係長ではない。

真の責任者の弁を拝聴しましょうか。
関市長:3人の失職は私もつらいが、どうにもならない。彼らに報いるためにも二度とこうしたことを起こさない職場風土をつくる」
→ 冗談じゃない。自分が職場風土をつくるとしゃあしゃあと言っている。不正渦巻く職場を作ってきた人物がこうして責任を逃れていく。法の裁きは受けない人情論を言っているようでは、何年待っても厳正な職場はつくれません。

 真の組織の長が責任をとらないなら、、その組織が存在する社会は腐敗の温床になるか、さもなければ、法の支配する近代社会から遠のいていく他はない。市役所内に「正義」とか「不正を憎む」とか「法を守る」という精神はないようだ。

 太平洋戦争の戦争責任をとらなかった昭和天皇以来、トップが責任をとらない事例がどんどん数を増している。わが国の社会が危ない。



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