坂口俊之氏と阿川佐和子さんの対談集、「モテたい脳、モテない脳」の最後の方に、「『結晶性知能』は20歳からずーっと伸びていくんです。今の脳科学では、そのピークは60歳といわれています。」と坂口先生が述べている。翔年はたいへん興味をそそられた。
本には「流動性知能」と「結晶性知能」のグラフが示されている。
「流動性知能」とは新しい場面での適応力のことで、知能指数(IQ)とほぼ同等の能力であるので、15歳から60歳に向かって下降をたどる。
新しい言語の習得とか、新しい楽器の演奏技術等の習得とかは、幼児期から小学生ぐらいまでの間に、子供が驚くべき吸収力を発揮するのを、子供を育てた親はみんな知っている。人間はみんな10歳ぐらいまでは神童なのだ。大抵は20歳すぎれば唯の人になってしまうが、それがこのグラフの示している意味なのだろうと納得。脳の神経細胞は8歳から減る一方で、50歳以降になると、その衰えははっきり出てくると書いてある。記憶力や単純な計算能力は20歳がピークであることは言われなくても、経験上そんなものだと納得する。
ところがその後に、老人にとって夢のようなありがたい説が展開されていてうれしくなる。
「結晶性知能」とは知識・経験を高度に適用した判断力・総括力のことで、これは20歳からずーっと伸びていくという。それでグラフは20歳から右肩上がりに書いてある。これは具体的に何によって証明されるのか、興味津々で読む。
「心理テストで分かる」と言われてもあまり納得できないが、「物理的に脳の重さで分かる」といわれればちょっと納得する。結晶性知能が伸びる人の脳は重くなることが分かってきたらしい。何故か? 神経細胞は死んでいく過程にあるのに、神経細胞が豊かになる、すなわち、ネットワークが複雑化していくので、脳は重くなるのだという。(脳の重さをどうして測るのか知りたいがこの本には書いてなかった)実際に神経細胞の密度が15歳、20歳並の人が確認されている。さすがに生きている人の脳を調べることはできないので、たまたま事故でなくなった人のものなんだそうだけど。
作家の村上龍が「26、27歳の『コインロッカー・バイビーズ』の頃がピークだと感じたけれども、メタファーが頭に浮かんで、それを文章にしていくときの演算速度がすごくはやかったんですね。コンピュータに喩えると、ハードディスク(知識量)はそれほど大きくないけれども、メモリー搭載量は大きいというか。文章が浮かんでくる速度が全然違う。年をとるにしたがって、ハードディスクは大きくなるけれども、メモリーは磨り減ってくる。」と語っているのはこのことと大いに関係があると思う。
さて、この説を我が趣味の世界の囲碁に当てはめて考えてみた。
「結晶性知能」かどうか分からないけれど、経験的に囲碁の技能などもそういう能力によっている部分があるような気がする。アマチュアの県代表クラスの打ち手には、70歳を越えても、相当高い棋力を維持されている人が大勢いらっしゃる。計算力(読みの力)が若いときと同じとは行かないだろうが、形勢判断や今までの経験による総合力で戦う力を維持されているのだろうと推察している。
翔年の場合、退職後5年の間、サラリーマン時代より熱心に囲碁をやった。それかあらぬか、最近ちょっと棋力が充実してきたような気がしている。記憶力や読みに頼るだけでなく、「結晶性知能」が強化されているのだとしたら、これほどうれしいことはことはない。
最近、脳を鍛えると称して、年老いてから、単純な計算や漢字のテストなどをゲーム機を用いてやってている人達がいるが、翔年に言わせれば、そういうのは若い時期にやるべき訓練のように思う。
みなさん、『老いては碁にしたまえ!』
うまくいけば、神経細胞が豊かになります。