January 22, 2007

分化と統合 −湯川博士の場合

 今朝の読売新聞に湯川秀樹博士の記事が「素粒子の世界を開く」として大きく載った。それによれば、明日23日が博士の生誕100年なのだという。

湯川秀樹 photo by 人生のセームスケール
湯川秀樹


 翔年は湯川博士を尊敬している。が、その理由は、先生の理論物理学の数々の業績や日本人として初めてノーベル賞を受賞されたこと等ではなく、先生が和歌や歴史や思想(哲学)といった分野でも多くの著作を残され、晩年には原水爆禁止運動の先頭に立って行動された「全方位型の巨人」だからです。

 世に頭がよくて、ご自分の専門分野で素晴らしい業績を残す人はたくさんいらっしゃるけれど、湯川先生ほど幅広く深く他分野のことまで勉強されている方は少ないと思う。

 研究であれ、スポーツであれ、何の分野であれ、ひとかどの人間となるには、相当の努力研鑽が必要なことは理解している。その分野で更にレベルアップするには、寝食を忘れるほどの打ち込みがなければならないとはよく言われる。会社でも、「そんな暇があったら一つのことに没頭せよ」と先輩から言われている若い方は今もいることでしょう。一面では正しい意見だけれど、翔年はこの意見に全面的に与しない。

 何故なら、人間は基本的に社会生活を営む動物であり、いくら自己実現のためとはいえ、たとえて言うと、「芸の為なら女房も泣かす」とか「一将功なって万骨枯る」というような事態はできることなら避ける方がいいと考えるから。特に科学技術や経済が今日のように発展を遂げてくると、最先端の分野で活躍している人々は、ますます全体像が見えにくくなっている。蛸壺型になる。湯川先生は早くからこのことの弊害に気づいておられた。その上、科学技術とそれがもたらした現代文明に対する信頼感や全面的な満足感が失われていく危険を見抜いておられたと思う。

現代科学と人間

 若い頃に読んだ湯川秀樹著「現代科学と人間」の一節にはこうあります。
 「専門分科への細分化の方は、より精細な、より深みのある知識、技術を獲得するためには明らかに不可避であった。そしてその結果として、科学全体はますます内容が豊富になったばかりでなく、著しく奥行きを増すことにもなった。しかし、このことは同時に、個々の科学者自身を、そしてまた一般の人たちを困惑させるような事態の進展をも助長した。ある専門の科学者は、少し違った専門のことでも十分には理解できない。(中略)
 科学は元来一つのものである。専門への細分化が圧倒的に見えても、その底流には枝分かれした先端のいくつかを再び一緒にまとめようとする力、再統合しようとする動きが常に存在した。」
 
 上で述べられているのは自然科学の統合であるが、湯川先生は自然科学と人文科学との新しい形での統合発展ということを身を持って示された物理学者であったように思う。

アインシュタイン  photo by 人生のセームスケール
アインシュタイン

 そしてもう一人、湯川博士と親交のあった全方位型の物理学者がいる。相対性理論で余りにも有名なアインシュタイン博士。彼は核廃絶を世界に向かって訴えた人でもありました。
 蛸壺型でない広い領域に渡る活躍をしたお二人は世界人類に大きなインパクトを与え、アインシュタインの場合は、論文発表から100年を記念して国連決議により2005年が「世界物理年」とされ、湯川博士の場合はユネスコ(国連教育・科学・文化機関)が今年を「ユカワイヤー」としてたたえることにしている。世界中にこれほど大きな影響力を持った物理学者は他にいないのではないでしょうか。
 
 翔年はバチカンの大司教が何を言おうと、イスラムの聖職者がなんと言おうと、彼らの言うことを100%信じることはできませんが、アインシュタインや湯川先生のおっしゃることは信じます。実のところ、相対性理論も中間子理論も十分理解できていないに拘わらず、お二人の理論も信じています。

 本当は税金の仕組み、裁判の仕組み、食品安全の仕組み、原子力発電の安全性の仕組み、国の安全の仕組みなど、役人や企業人や政治家からの説明を信じたいのは山々ですが、どうもわが国にはこれらのことについて、十分な信頼関係が存在しない。たとえ、信じられる状況にあったとしても、民主主義では市民は政治と無縁ではいられません。市民にとって政治は全方位でなければなりません。

 そういうわけで、二人の巨人とは比ぶべくもなく小人ではずかしいのですが、翔年は一市民として、政治的にそうありたいと考え、非力を省みず、敢えて全方位のスタンスで物申しております。


 蛇足
 アインシュタインはこのように日本を大変高く評価していました。いや、むしろべたほめといって方がいいぐらいですね。

1 日本人のすばらしさは、きちんとした躾や心のやさしさにある。
2 日本人は、これまで知り合ったどの国の人よりも、うわべだけでなく、すべての物事に対して物静かで、控えめで、知的で、芸術好きで、思いやりがあってひじょうに感じがよい人たちです。
3 この地球という星の上に今もなお、こんな優美な伝統を持ち、あのような素朴さと心の美しさとをそなえている国民が存在している。
4 日本の風光は美しい。日本の自然を洗っている光はことのほか美しい。
5 日本は絵の国、詩の国であり、謙遜の美徳は、滞在中最も感銘をうけ忘れがたいものとなりました。
6 日本人以外にこれほど純粋な人間の心を持つ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである。

 全方位の巨人、アインシュタインは日本のいいところを余すところなく見てくれています。物理学者の眼ではなく、心眼でみたのに違いありません。


参考資料
湯川秀樹著「現代科学と人間」
波多野毅著著「日本賛辞の至言」



この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
YN さま

>特に科学技術の最先端を研究されている方々には、科学全般のみならず常に社会・文化全般への視野を広く持っていて頂き度いと強く思います。
おっしゃるとおりと思います。
大分前のことです。国立奈良先端技術大学院大学の研究者の方々との懇談会で、一般人からバイオ等の研究に対する危惧が表明されました。ある研究者の回答は、「シッカリしたルールを社会が作ってくれたら、それをキチンと守る」というものでした。自分で判断しないこういう研究者が増えると危ないと感じたことがあります。

アインシュタインの初来日は1922年です。国は貧しかったはずですが、にもかかわらず、アインシュタインの心を打つものがたくさんあったのですね。
経済的な豊かさそれ自体が人間を賢くしたり、公正にしたり、穏やかにしたりすることはないということはハッキリしました。「美しい国」つくりは経済成長を求めることではないということでしょう?

Posted by ユリウス at January 23, 2007 23:08
こんにちわ。記事にとても感動しました。

さすが偉人というのは、視野が広いですね。特に科学技術の最先端を研究されている方々には、科学全般のみならず常に社会・文化全般への視野を広く持っていて頂き度いと強く思います。

科学技術には、自分の狭い専門分野の追及に夢中になるばかりに、その技術のもつ影響に対し無神経になる危険性が伴うと思います。ゆえに科学技術を目指す若者には(もちろんそれ以外の若者にも)広く深い全方位的な教養教育をきっちりと行うべきだと思います。

それにしても、最後のアインシュタインによる日本人の評価。今の日本はこういう国でしょうか。ちょっと心もとないですね。こういう価値を大事にし後世に伝えていきたいものです。
Posted by YN at January 23, 2007 12:19