先日、平原誠之のピアノコンサートに行った時、会場でもらったパンフレットに、彼は「10分の曲を10分で完成させた」とあった。これが事実かどうか知らないけれど、翔年は反射的に映画「アマデウス」の一シーンを思い出した。
宮廷お抱え音楽師のサリエリが、モーツアルトが作曲し、羽根ペンで書いた原譜面に修正個所がないのに驚く場面、譜面がきれいで一ヶ所の修正個所も無いということは、生み出された音楽が譜面に書かれた段階で完成していたことを意味する。これ即ち、アウトプットしてから練り上げるという作業工程を必要としないのだから、必然的に曲を仕上げる速度が速いことになる。これは天才型の業と思う。
天才は創造力が旺盛だから、生み出すスピードが速いだけでなく、作品数もおおくて、しかも創作物の完成度も高い。これがいつも常人を驚かす。
音楽ではないが、井原西鶴の矢数俳諧の話は有名だ。1684年住吉神社における矢数興行で一昼夜になんと2万3500句を詠む記録をうちたてたのです。仮に一昼夜を24時間とすると1440分、秒で表すと86,400秒である。すると西鶴は3.67秒に一句作ったことになる。そのときの句が残存していないのが残念ですね。
※矢数俳諧=京都の三十三間堂の通し矢を真似て、一日一夜でどれだけの俳句が詠めるか数を争うもの。西鶴はこれが得意であったという。
西鶴には「強力な連続的連想力」が備わっていたのだと信じます。
もう一人、これも凄いとしかいいようがない天才型の男がいる。その名は出口王仁三郎、大本教の教祖さまです。彼は文芸百般、文章はもちろん、狂歌、狂句、川柳、和歌、書画、油絵、彫刻、陶芸と、本当に何でもござれだったらしい。
和歌にこっていた時、全国の和歌や短歌の会(アララギ、あけび等も含む)に百以上入り、一夜に数百首を詠んで、それぞれの歌誌に毎日何十首も投稿して、大反響を巻き起こしたことがあった。
この頃、評論家の大宅壮一がインタビューしている。
「これまでどのくらい詠んだか?」
「すっかり計算すれば五、六十万首じゃろう」
これには大宅もびっくり仰天。一日、十首詠んでも、百五十年かかるのだから、仰天して当たり前。
また、王仁三郎はいみじくも言っている。
「わしのは、普通に話している言葉がそのまま歌じゃ。」
これは天才自らが、創作は無修正であると言っています。
最後に、この教祖さまのありがたいお歌を一首。
ころころと背筋つたいて首の辺に爆発したり風呂の湯の屁は 出口王仁三郎
参考にした本
前坂俊之著「日本奇人伝」
百瀬明治著「出口王仁三郎」