October 15, 2006

賢帝ハドリアヌス(ローマ人の物語26)

 「ローマ人の物語26」を読んでいる。文庫本でこれだけの冊数の小説は読んだことがない。まだまだ物語は続くそうなので、楽しみはなくならないから安心だが、長い物語の常で、ストーリィを追っているいるだけでは、理解が浅くなるきらいがある。途中で立ち止まって、何らかの整理をしておくと、その弊害からまぬがれうるかもしれない。思い立って、簡単な備忘録を作り、ローマの行く末を想像して遊んだ。


紀元前753年〜 伝承によればロムルスがローマを建国した。当初は王政であったが、7代目の王、タルクィニウス、ローマから追放され、以後、共和制となる。

紀元前509年〜紀元前27年(この間、共和制)
 この時代、ローマはカルタゴの武将ハンニバルと第一次から第三次のポエニ戦役を闘う。象を引き連れアルプス越えを敢行したハンニバルにローマ人は度肝を抜かれた。

「いかなる強大国といえども、長期にわたって安泰でありつづけることはできない。国外に敵をもたなくなっても、国内に敵をもつようになる。外からの敵は寄せつけない頑健そのものの肉体でも、身体内部の疾患に、肉体の成長に従いていけなかったがゆえの内臓疾患に、苦しまされることがあるのと似ている」 −ハンニバル−

 共和制の後半に、いわゆる天才的武将ジュリアス(カエサル)・シーザーが登場し、内乱を平定する。かれはローマを、巧みに帝政化に向かわせるようにした。志半ばでブルータス一味に殺害される。

「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましたわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々もそうあって当然と思っている」 −カエサル−


紀元前27年〜
この年から帝政が始まる。
塩野さんによれば「都市国家からはじまったローマでは、公式の主権者は市民であって、皇帝ではない。皇帝は、市民から権力を委託された身分にすぎない。(中略)市民は自分達のリーダーには、権力は与えてもそれを使って私腹を肥やすことは許さなかった。」という。このような市民の眼から皇帝の一面を見ておこう。

第1代皇帝 アウグストス → 皇帝の財力も安定していたが、公邸、私邸ともに質素そのものであった。別邸も妻リヴィア所有のものを使うに留めていた。けだし、帝政の基礎を打ち立てた賢帝であった。

2 ティベリウス → カプリ島の別邸から、政治を行う。絶景の地に立てたということを除けば、建物の規模も豪華さも元老院が所有していた別邸を越えるものではなかった。賢帝だけど、人気はなかった。翔年はこの皇帝を高く評価する。

「このわたしを後世はどのように裁くであろうか。もしも評価されるのならば、それこそがわたしにとっての神殿である。それこそが、最も美しく永遠に人びとの心に残る彫像である」 −ティベリウス−


3 カリグラ → ネミ湖に浮かべた豪華な遊覧船をつくるという浪費が災いしたか、4年もしないうちに殺された。

4 クラウディウス → 自分は浪費しなかったが、皇后メッサリーナが私腹を肥やすのに熱心で、皇帝の評価を落とす。

5 ネロ → 暴君ネロと言われて有名、「光り輝く私邸」を建てる皇帝は、最高権力を委託するには不適と断罪された。塩野さんはそれほど悪くない皇帝であると擁護している。

6 ガルバ → ? 以後、内戦が続く
7 オトー → ?
8 ヴィテリウス → ?

9 ヴェスパシアヌス → 官邸・公邸・私邸ともいっさい建てていない。
10 ティトス → 同上。
上の二人は治世をまっとうした。

11 ドミティアヌス → パラティーの丘に豪華な、以後の皇帝たちが建て増す必要もない規模の官邸と公邸と私邸とを兼ねた広大な一郭を建造した。殺されてから、ネロ同様に、死後とはいえ「記録抹殺刑」に処された。彼の記録は抹殺され、肖像はことごとく破壊された。

12 ネルバ → ? 前帝の二の舞にならないよう慎んだのではないか。しかし、帝位について一年半で死んだ。

13 トライアヌス → 慎重に振舞った。公共の建造物なら、列挙するのも嫌になるくらい建設したが、私邸に類するものは一切建てていない。

皇帝ハドリアヌス  By Wiqipedia
ハドリアヌス


14 ハドリアヌス → 彼は趣味の人であった。「ハドリアヌスの別邸」はローマ時代のどのヴィラにも例のない、よく言えば独創的、厳しく評価すればディレッタントの作品だったという。全域の規模は壮大で、歴史上、これに匹敵するヴィラはないという。
 ところが、この皇帝、仕事の方もシッカリやった。ローマ帝国の主要な防衛線をすべて巡行し視察しつくした。即ち、ライン河とドナウ河、ブリタニア、北アフリカ、そして黒海から紅海を結ぶユーフラテス河防衛線まで、皇帝自らが視察し、必要ないことは廃棄し、必要なことは加えて再構築した。


 ローマ皇帝の責務は、「安全」と「食」の保障であるとすれば、まず、先決するのは安全であるから、この皇帝は安全保障の重要性を誰よりも知っていたことになる。治世の大半を使って、帝国の辺境を視察し続けたことは、けだし偉業であると思う。

 翔年は、いまこの皇帝の時代を読み進んでいる。

 そしていよいよ、キリスト教が普及してくるのではなかったか。ローマ史には、これまでにも何回か、ローマ人の多神教とユダヤの一神教のごたごたが述べられているが、もう少し時代が下がると、いよいよ一神教のキリスト教がローマを埋め尽くすようになるはず。この展開に強い興味を抱いている。この問題は21世紀の我々の問題でもある。


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