October 03, 2006

安倍総理の「あいまいさ」を危惧する

 安倍政権は発足して間がないから、しばらくは静観するつもりだったが、総理も官房長官も、TV報道を見ていると、発言の歯切れが悪すぎるように思う。一昔前の政治にかえったみたい。
 一昔前の自民党首脳は決して本音を語らなかった。言を左右して、真意がどこにあるのか、すくなくとも言質をとられまいとする防禦姿勢に終始した発言が多かった。


 日中両政府で首脳会談に向けた最終調整が続けられていると伝えられているが、安倍総理は日中、日韓の首脳会談を急ぐあまり、何もかも「あいまい」にしたままの首脳会談をするように見える。安倍総理の信条(著書「美しい国へ」に書いてある)とは全く別の形で、外交がなされようとしているが、こんな外交では国民は素直に喜べない。

 相手国が「靖国参拝中止の明言」を求めているのに対し、総理は1995年の「村山談話」や2005年の終戦記念日に小泉首相が発表した「小泉談話」を引き継ぐ考えを表明し、自身の靖国参拝をするかしないかは「あいまいなまま」にするつもりらしい。
 
 次の点で、安倍外交には賛成できない。
1 相手国から条件をつけられて、その条件に反論することなく、首脳会談を行うということは、一体どういうことか。
 相手国政府は当然、日本に突きつけた条件を、わが国がのんだと理解するし、自国民に向けてそのようにアナウンスするだろう。一方、安倍総理は国内向けに、相手国の条件はのんでいないと説明するのだろうが、こういう外交は長い眼で見ると、決して両国によい結果を残さない。相互理解がなく、本質的に何の進展もないままに、裏で交渉を重ね、表面的に首脳が握手したとしても、両国民の親善に寄与したと言うことはできない。将来、「こじれるタネを一粒まいただけ」のことになる。

2 首相は今後靖国に参拝するかしないかを明確に意思表示しないつもりらしい。総理は昨日の国会答弁で、「政治家の発言は政治的、外交的な意味を持つので、歴史分析を政治家が語ることは謙虚であるべきだ」と答えている。この言を中国政府首脳に向かって言うのなら分かるが、自分の口をつぐむ理由にしたのは政治家として情けない態度である。

3 同じ理由で安倍総理は過去の靖国参拝についても、したともしなかったとも言わないという。相手国の誰かから、またはマスコミから、「あなたは過去に靖国に参拝したことがありますか?」と聞かれたらどうするつもりなのか? 
 自分が不利になるからという理由で、過去の自分の行動を明らかにしないことは「刑事被告人」には許されているが、普通の人間には許されることではない。ましてや総理は公人である。過去の自分のしたこと(事実)をあいまいにすることはできない。こんな馬鹿なことをわが国総理にして欲しくない。

4 安倍総理はアジア外交の成功という結果を欲しがっているのではないか。条件をつけられている首脳会談にこれほどあわてて応じる必要があるとは思わない。経済は生き物である。いつまでも、中国や韓国は強行発言ばかりしておれなくなる筈だ。(例えば北朝鮮問題に関して)機が熟するのをまてばよかったのだ。


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