September 30, 2006

おはぎと牡丹餅(ボタモチ)

 先日、出先でTVを見るともなく見ていたら「おはぎと牡丹餅」のことを面白く解説していた。子供の頃、母が作ってくれた「おはぎ」が小豆の甘さともち米のうまさが思い出されて懐かしく、おはぎが食べくなりました。ただ、TVの解説のおはぎと翔年の育った京都の田舎のおはぎとでは、ちょっとニュアンスに違いがあるように感じたので、どういうことなのか調べてみました。


 まず、杉本つとむ先生の「語源海」にはこうありました。
おはぎ(お萩)牡丹餅の異名ぼたもちの女言葉

 もう少し詳しくいうと、牡丹餅のアンである小豆粒(アズキツブ)が、いかにも咲き乱れた萩の花のさまに似ているところから、見立てて名とした。「萩の花」、「萩の餅」などともよび、その後、略して、ハギ・オハギとよんだ。公家に使える女官の間からおこった名称だという。
 また、牡丹餅も本来は「大仏餅」といい、牡丹餅は異称という説が書いてありましたが、それ以上のことが書いてありません。恐らく、わが国は古来、赤い色が邪気を祓う色とされていたことに由来し、赤いおはぎを仏壇に供えたのではないかと思いますけれど。

 ただ、杉本先生によると「物類称呼」という書物に『牡丹餅、ぼたもち、又おはぎといふは、おんなの詞(コトバ)なり(中略)今按にぼた餅とは牡丹に似たるの名にして(中略)「ボタンモチ→ボタモチなりとぞ。萩のはなは其制煮たる小豆を粒のまま散らしかけたるものなれば、萩の花の咲きみだれるが如しと也、よって名とす』とあるそうだから、これが語源的に知りうる最古のものらしい。


 ようするに、おはぎは牡丹餅の異名、それも女言葉だ。どうりで母はおはぎとは言っても牡丹餅とは決して言わなかったのだ。京女にとって、おはぎというすばらしい響きの女言葉の代わりに、ぼたもちというややもっさりした言葉を使う気にならなかったのだろう。
 翔年の育った京の田舎では、おはぎは2種類あって、普通の小豆餡のものと黄粉をつけたものとがあった。母が小皿に取り分けるとき、翔年と弟に向かって、「小豆と黄粉のどっち?」といつも聞くのが不満だった。甘い小豆がうまいと決まっているのに、何故大人は黄粉のおはぎを作るのだろうと不思議だった。あのころは伝統に従って行事としておはぎを作っていたようなので、時期はお彼岸の日前後だったと思われる。田んぼの稲穂は黄金色、あぜ道には赤いマンジュシャゲが咲き誇り、庭には萩の花が咲きこぼれていたのが、食い物のおはぎの記憶とともに、はっきり思い出されてきました。

 おはぎの作り方で、もち米を軽くついて飯粒が分かる程度のものを「半殺し」、飯粒が分からない程度に餅状についたら「皆殺し」というとは、翔年が作る人でなく食べる人だったからでしょうか、今の今まで知りませんでした。


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