July 29, 2006

国家を収容する牢屋はない

 日経夕刊の記事です。
「ブッシュ米大統領は28日、訪米中のブレア英首相とホワイトハウスで会談し、レバノン情勢の対応をめぐり
1 同国南部に多国籍部隊をできるだけ早い時期に派遣する
2 早期停戦を実現する
3 国連安全保障理事会で国際舞台派遣を決める決議の採択を目指す
などで合意した。ブッシュ大統領は安保理決議について、加盟国への制裁措置に道を開く国連憲章第7章に元ずくものを目指すと言明した。」

 米英はレバノンを拠点とするイスラムシーア派民兵組織ヒズボラをイランとシリアが背後から支援しているとみている。だから、イランとシリアに圧力をかけない限り、停戦をヒズボラに受け入れさせることはできないと考えているようだ。いいとか悪いとか言う以前に、パワーとパワーがぶつかり合っているイスラエルとヒズボラの戦闘状態に、敢えて横槍を入れ、長期の停戦を実現させようというのだから、これは話し合いで解決するような問題ではない。

 それに、中東情勢はなかなかむずかしくて奥が深いので、翔年はかならずしも全貌を理解しているわけではない。それでも、市民としての立場で考え、もの申さねばならないと思う。

 今日のエントリーは国際政治のパワーポリティックスについて、少々思うところを書きたい。

 翔年は地球に国境がなくなって、地球市民が楽しく生活できればいいと言う理想を持っているが、正直なところ、これは夢のまた夢である。それどころか、現実は厳しいので、国家と国家の間に、法が適用できる時代さえ、まだまだ先のことであると考えている。なぜなら、どこの国にも罪人を収容する牢屋はあるが、国家を収容する牢屋はないからです。そういう発想を持つこと自体、ゆるされることではないでしょう。

 しからばどうなるか?どうするか?
 原点は米映画の西部劇から学ぶべきでしょう。西部劇では、無法者の天下になりそうな街を、何とか市民が平穏に暮らせる平和な街にするために、少しは正義感があると思えて、かつ、喧嘩の強い者を保安官に選び、市民は法をつくり、保安官に法を犯す者を捕まえてもらい、つるし首にかけたのです。幼稚で、少々荒っぽい対策ではありますが、これが非力な市民がとれる唯一の自衛策でした。悲しいけれど、普通の男はこれ以外の方法で、妻や娘や子供を、無法者の暴力から守ることはできません。 後の祭りですが、レバノンは無法者のヒズボラを街にのさばらせすぎたのです。無法者に隣り街の無法者の支援まで受けさせてしまっては、もう手遅れで、街の住民は逃げ出すしかありません。レバノンは遠方の保安官候補を呼び入れるしか手はありません。
 
 ひるがえって考えると、現在のわが国にとっては、同じ価値観を持つが故に、アメリカやイギリスは保安官候補です。北朝鮮の問題にしても、レバノンの問題にしても、国連が機能して、主導的に地球上に平和をもたらす力はまだ無いことが、日本人の眼に見えてきたのではないでしょうか。

 北朝鮮の危険性は軍が力を持ちすぎて暴発することです。それはありえます。かつての我が国がそうだったのですから。それを小説の形で警告したのが村上龍著「半島を出でよ」でした。


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