July 13, 2006

続・指あるいは手の考察

 このエントリーは人間とは得体の知れない不思議な生き物だという証明の一つになるのだろうか?
 他人の秘密や心の中にドカドカと踏み込むことを躊躇する気持ちは十分持っているつもりですが、石川啄木は有名人であり、この事実は公にされていることでもあるので、意を決して書きます。


頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず


いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ


手が白く
且つ大なりき
非凡なる人といはるる男に会ひしに


はたらけど
はたらけど猶わが生活(クラシ)楽にならざり
ぢっと手を見る


 こんなみずみずしい歌を読んでいる天才詩人の啄木。ですが、実生活では貧困と病苦に喘ぎつつ、放浪波乱の生涯を送ったことは皆さんもよくご存知のところです。そんな彼は日記をつけていました。それも事実を赤裸々に、しかもローマ字で。

 なぜ、ローマ字で書いたのか?
 啄木自身「余は妻を愛している。愛しているからこそ、この日記を読ませたくないのだ」と自分の日記に書いています。(妻の節子さんは外人に英語を習い、函館の小学校で代用教員をしていたのですから、ローマ字は読めたはずなのに???)

 この日記は、啄木の親友金田一京助(後の言語学者)の言では「あなたに遺すから、あなたが見て、悪いと思ったら焚いて下さい。それまでもないと思ったら焚かなくていい。」と言って託したことになっているし、また、節子夫人によると「啄木は焼けと申したんですけれど、私の愛着が結局そうはさせませんでした」となっている。


閑話休題。いや、いや、指と手との考察でした。今はこのことにはこだわらずに、先を急ぎます。
 ローマ字日記なので非常に読みにくい。桑原武夫先生のローマ字から日本語表記への変換文があるのは承知していますが、敢えて日本語表記は引用しません。啄木の書いたそのままを味わってください。実はこの日の日記はものすごく長いので、「手」に関するところだけを引用します。(※日記とはいえ、啄木の文学作品なのでR指定はしません。読みたくない方はスキップしてください)

石川啄木のローマ字日記、明治42年4月10日の一節です。

『Tuyoki Sigeki wo motomuru ira-ira sita Kokoro wa, sono Sigeki wo uke-tutu arutoki de mo Yo no Kokoro wo saranakatta. Yo wa mi-tabi ka yo-tabi tomatta koto ga aru. Juhati no Masa no Hada wa Binbo na Tosimaonna no sore ka to bakari arete gasa-gasa site ita. Tatta hito-tubo no semai Heya no naka ni Akari mo naku, iyo na Nikuno Nioi ga muh' to suru hodo komotte ita. Onna wa Ma mo naku nemutta. Yo no Kokoro wa tamaranaku ira-ira site, do site mo nemurenai. Yo wa onna no Mata ni Te wo irete, tearaku sono Inbu wo kakimawasita. Simai ni wa go-hon no Yubi wo irete dekiru dake tuyoku osita. Onna wa sore de mo Me wo samasanu: osoraku mo Inbu ni tuite wa nan no Kankaku mo nai kurai, Otoko ni narete simatte iru no da. Nan-zen-nin no Otoko to neta Onna! Yo wa masu-masu ira-ira shite kita. Sosite isso tuyoku Te wo ireta. Tui ni Te wa Tekubi made haitta. "U-u," to itte Onnna wa sono toki Me wo samasita. Sosite ikinari Yo ni daki-tuita. "A-a-a,uresii! motto, motto-motto, a-a-a!" Juhachi ni site sude ni hutu no Sigeki de wa nan no Omosiromi mo kanjinaku natte iru Onnna! Yo wa sono Te wo Onnna no Kao ni nutakutte yatta. 』

これを書いたのが啄木とは思えません。fist-fuckを書いているのですから・・・。しかも、この18歳のマサを買ったお金は、勤め先からの前借で、質に入れた友人の時計を受けださなければならない金であったり、あるいはたまった家賃のためであったり、いや、それ以前に、北海道に残した妻子は啄木からの送金を、それこそ首を長くして待っている状況であり、そういう切羽詰った大事な大事なお金なのです。翔年が普通の日本語表記で書きたくない気持ちをお察しください。

※鴨下信一著「面白すぎる日記たち」、坂崎重盛著「『秘めごと』礼賛 他を参考にしました。

面白すぎる日記たち「秘めごと」礼賛

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