なかにし礼氏の自伝的小説「黄昏に歌え」に、「歌のヘソ」という見かけない言葉がでている。意味は歌の中心ということらしい。
この言葉とともに、部外者に窺い知れない、ヒット曲がうまれるまでの、なかなか興味深いストーリーがあるので、小説から適当にピックアップしてお目にかけます。
「もともとはタンゴ歌手で、歌は上手いんですよ。だけどなぜか売れないのね。で、あなたにぜひ訳詩をお願いしたいんですけれど、やってもらえないかしら」と音楽プロジューサーから、新人の作詞家(なかにし礼)は依頼をうける。
ここから、訳詩者の苦悩がはじまり、やっとのことで歌のヘソ、「過去」という言葉を探り当てる。それが皆さんもよくご存知の「知りたくないの」の訳詩です。恋人は相手の過去を何でも知りたいはずなのに「知りたくない」という言葉に、翔年はいじらしさを感じていいなと思っていたのだけれど、原詩が "I really don't want to know" だから、これは原作者の手柄で、訳詩者にとってはどうってことないらしい。
「知りたくないの」
あなたの過去など
知りたくないの
済んでしまったことは
仕方ないじゃないの
あの人のことは
忘れてほしい
たとえこの私が
訊いても言わないで
あなたの愛が
真実(マコト)なら
ただそれだけで
うれしいの
あゝ愛しているから
知りたくないの
早く昔の恋を
忘れてほしいの
ところが、この訳詩を見たプロジューサー、歌手の菅原洋一、ポリドールレコードの関係者の誰一人、いいとは言わなかったそうだ。
小説によると
菅原洋一:「過去、なんてさ、カ行が二つつながる言葉は避けるべきだよ。発音しにくいんだからさ」
ディレクター:「ま、とにかく、一度歌ってみましょう」
歌手は「過去」のところにくるとわざとたどたどしく歌って見せたそうです。ミュージシャンにこういう類のこと、多いらしい。他でも似たようないざこざを聞いたことがある。へそ曲がりといえば、音楽家に礼を失するが、ある種の鋭敏な感性がぶつかることはよくあるのだろうと想像できる。
洋一:「やっぱり歌いにくい。他の言葉ないかな」
なかにし礼:「ほかの言葉なんかに変えられるわけないでしょう。この言葉こそ、この歌のヘソなんだから」
洋一:「でも、歌いにくいものはどうしようもない」
プロジューサー:「ま、礼ちゃん、一晩考えてみてよ。いい言葉が浮かぶかもしれないじゃない」
こんなやり取りがあって、原稿は返されてしまう。その翌日。
礼:「これ以上いい言葉は思いつかなかった。これで歌ってください」
洋一:「礼ちゃん、あなた作詞家でしょう? 作詞家なら作詞家らしく、いい歌の文句を書いてよ」
礼:「洋一さん、あなた歌手でしょう? 歌手なら歌手らしく、目の前にある言葉をうまく歌ってくださいよ」
もうほとんど喧嘩だった。
プロジューサー:「仕方ないわね。一応録ってみましょう」
ところが、ソーミソラードソミドーの瞬間、空気が一変する。小説によれば
『弦が奏でる甘いイントロが鳴り、菅原洋一が歌った。
なんて、上手いんだ。完璧だ。「過去」のところだって難なく通過していった。なぜ最初からこんなふうに歌ってくれなかったのだ。
スタジオの空気が俄かに熱っぽくなった。』
翔年には、いい曲にいい詩がつけられて、うまい歌手が歌ったんだから、ヒットして当然のように思えるが、歌が世の中に受け入れられるには、それ以外の要素もいっぱいあって、当事者にもよく分からないものらしい。
もし、新人のなかにし礼が歌手の意見に簡単に折れていたら、きっと「後悔」したのではないだろうか? 反対に、歌手と作詞家が喧嘩して、プロジューサーが間に入ってオロオロするだけだったとしたら、この曲はどんな運命をたどっただろう? 分かれ道での選択は実に重大だ。
ところで、後悔することを「臍(ホゾ)をかむ」というが、後悔になぜヘソが関係するのか?
いくらヘソを噛もうとしても口が絶対にとどくわけはないことから、過去のことをどんなに悔やんでも絶対にどうにもできないことから、こう言うようになったらしい。曲芸師に自分のペニスをくわえる芸があるそうだが、臍は絶対に無理なのだという。「臍を噛む」は「及ばない」こと限りなしなのだ。
ヘソについて、もう一つの知ったかぶりを許していただきたい。
「臍」という漢字は篇が「肉つき」だから、人体を現す。つくりは「ひとし」と読む。なぜひとしという字を使うか。それは臍が身体の中心にあって、臍から上の長さと下の長さが等しいというのがその理由だ。
まぁ、凡その話ならそれでよいが、科学する心を持つ翔年は一言付け加えたい。厳密にいうと違うと。
臍は人間の身体の中心よりもハッキリ上にある。それに、男よりは女のほうが、高い位置についている。その上面白いことに、未開人より文明人のほうが高い位置についている。動物では下等の哺乳動物ほど臍の位置は下方にある。
これらの事実をもって、女の方が高等動物だと信じたりすれば、後で後悔するハメになる。
※ 塩田丸男著「人体表現読本」を参考にしました。