May 12, 2006

語源の快楽(9)−2 お茶づくし

 9日のエントリーで書いた「臍が茶を沸かすは」は「臍で茶を沸かす」が正しいらしい。ネット等で調べると、「臍で茶を沸かす」以外に、「臍がくねる」とか「臍が宿替えする」 という変な表現があり、いずれも不可能なことを挙げて、「それほどおかしい」という譬えの 表現だということであった。(「ことばの由来」・岩波新書)

 また、神戸のYさんからいただいたメールには、MH様のご見解だそうですが、『昔は鉄瓶でお湯を沸かしたものです。その鉄瓶の蓋が蒸気で吹き上げられてガタガタと動く様を、笑い転げるおなかのへそに譬えたものでしょう。へ〜そう、なんて言わないで。これは推測の域をでないから。』とありました。
 言わないでと言われても「ヘーソー」と思わずいいますね。この説明のほうが、学者の難しい説明より、はっきりとイメージできていいと思います。痩せたお腹より、布袋さんのような大きなお腹の上のお臍がイメージできれば上々です。
 
 ついでに、調べて分かったことをもう少し書いておきましょう。
 「茶化す」の茶は当て字でした。「茶々をいれる」の茶茶は茶の煎汁のこと、意味は邪魔をすること。この発展系に「茶茶くる」というのがあり、本来の意味の他に、男女が密かに情を通じるなんて意味があります。これについては後述します。

 また、「無茶苦茶」も当て字でした。これに関連して、「滅茶苦茶」、「滅茶滅茶」、「無茶無茶」、「苦茶苦茶」があるにおよんでは、翔年の頭はもう「グチャグチャ」ですわ。みんな当て字と考えてよさそうです。当て字とは「あですがたおんなまいぎぬ」を「艶容女舞衣」と当てて、かな表記とは段違いの意味喚起力に期待するものなんですが、無茶苦茶がそれほどの効果をあげたとは思えませんね。

 ところで、先ほどの「茶々くる」という表現は捨て置けません。「」には何か秘められたものがありそうです。

 ここらでお茶にしませんか?
 続きはR-18指定にさせていただきます。


 この間観た映画の「寝ずの番」にも「お茶子の事件」というのがありました。落語会で噺と噺の合間に座布団を返す女の子を「お茶子」というのです。ところが、淡路島や香川県ではあんまり軽々しくは言えないらしい。どれほど大変かと言うと、かつてフランク永井の「夜霧に消えたチャコ」やサザンの「チャコの海岸物語」が流行ったとき、淡路島では大騒動になったという。なぜなら、「チャコ」とは女性器および性行為のことだったから。翔年はこの方言も大事件も知りませんでした。

 ゴルフをなさる方は名プレーヤーだった樋口久子を知らない方はいらっしゃらないと思う。彼女の愛称は「チャコ」でした。
 久子(ヒサコ) → ヒチャコ → チャコ と音韻変化をしたのですね。しかし、誰も淡路島の方言を知らなかったから、緊張することなく、「チャコ」とか「チャコチャン」と呼んでいましたし、「チャコ」さんも知らぬが仏、顔を赤らめもせず、「ハーイ」と返事していました。勿論、放送禁止用語にもなっておりませんでした。

 「」はまだまだおくが深い。隠語の世界では「お茶」は女陰を指します。立派な上方遊里用語です。そこから派生した「お茶入れ」も「お茶壷」もsynonym(同義語)です。そうだとすると、学校で習った「ずいずいずっころばし」という童謡の文句、「茶壷に追われてナントカカントカ」とか、「抜けたーらどんどこしょ」とか「お茶碗欠くいた」とか、妙な意味をもっているように思えます。ここから先は読者の研究に期待します。

 どうもお茶にまつわる日本語には、「茶道」とかいってえらく高雅なものと、遊里から発した隠微なものとが混在しているようです。奥が深すぎます。


蛇足
これだけ「お茶」について書けば、左欄のグーぐるの自動広告配信は「お茶」ばっかり出してくることでしょう。

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