2年以上に亘って、世間でおこったことや身の回りのことについて、ジャンルを問わずなんでもBlogに書いてきた。どんなことであれ、書こうとすると、いやでも考えをまとめなくてはならない。単に新聞や本を漫然と読んでいた頃より、よほど自分の考えがよりハッキリしてきたように思う。これが書くことの効用と言うのかも知れません。
ところが最近、コピーライターの糸井重里さんのエッセイに、「文章を書くとき大事にしたい原則は『分からないことは言うな』ということです。」という大変重い章句に出合った。
糸井さんの意見はこうです。
「わからないんだけれど、言うと偉そうなこと、わからないなりに言ったら正しそうなこと、という発言は、ついやりたくなるわけです。もう無意識でしたと言い訳したいくらいにスラスラと出てしまう。それはとてもイケナイことだと思っているのですが、どきどきチェックしないとやらかしてしまいます。『こういうむだ遣いのつけは、必ず国民に回ってくるわけですから、しっかり監視していきたいですね』とか、ほんとかいってなことを、平気で言うもんなぁ、みんな。」
コピーだけでなく、小説、エッセイ、ゲームソフト制作などなんでもござれの方に、こう言われると「もの言う翔年」はちょっと困ってしまう。翔年は終始一貫、一市民の立場から、あらゆることにもの申したいというスタンスでやっているのですから。
文章のプロのスタンスはおっしゃる通りだと思います。自分の意見を発表するプロとしては、軽々に「小泉改革のおかげで、所得格差は確実に大きくなっており、庶民のふところは寒くなる一方である」なんて、検証もせずに言えないと思う。しかし、TV等のメディアで、こういう意見を軽々しく言っている人がずいぶんいるのも事実です。
繰返しますが、何ごとに対しても翔年は一市民としてもの申す立場です。一市民の立場とは、全てにおいてアマチュアだということです。だって、消費者になって、服を買ったり、パソコンを買ったりするかと思えば、選挙になればよく分からないながらも、候補者選びをし、投票をします。或はコンサートや劇場に足を運んだり、好きなスポーツ観戦に出かけるコトだってあります。あたり前のことですが、だれだって自分で決定し、行動しています。例え、誰かに誘われたり、薦められたにせよ、最終的には自身の判断でそうしているわけです。
一番話が分かりやすいのは政治分野でしょうね。政治のプロは政治家ですから、市民はみんなアマです。それでも政治に参加しなければ民主主義は成り立ちません。政治や自治や政党のことをよく知っている人も、ほとんど知らない人も、知る知らないにかかわらず、全員参加が民主主義のシステムですから、わからなくても行動しなければならないわけ。投票はその意思表示の場、それゆえに若者たちが政治にもっとコミットしてくれることをずっと願っています。政治談義もせず、投票行動も起さない市民が増えくるのは由々しき事態だと翔年は考えます。社会をよりりよくする力を自分たちで持たないのは寂しすぎます。
翔年はこの立場で、世の中で起こっていること、将来起こるであろうこと、身の回りの楽しいこと、腹立たしいこと、などについて、来年も、もの申していきたいと思います。
未熟な事実誤認とか、勉強不足だとか、言いすぎとかもあると思います。そんな時は、読者から忌憚の無いご叱正をいただければありがたい。
また、全然立場の違う意見の方もおおぜいいらっしゃることでしょう。もの言うことはスタンスの表明ですから、ご批判もいただければありがたいことと思っています。
それで自分の意見がすぐに変わるというようなことはなくても、よく考えて反省の材料にはさせていただきます。
読者のみなさま、 来年も「もの言う翔年」をどうかよろしく!