December 04, 2005

信なくんば立たず−建築確認検査システム

 姉歯建築設計事務所のデータ捏造に端を達した建築物の耐震性に疑義を生じた事件はますます広がりを見せている。シッカリした事実の把握と責任が何処にあるのか早期にキチンと解明されることを望みたいと思います。

 法律に基づく建築確認申請にまつわる問題ですが、問題が発覚してから、半月も経っているのに、所管の国土交通省は今だに責任の所在がどこにあるのかハッキリと見解を出せないようでは、この検査システム自体に相当の問題があると判断します。

 ただ、新聞やTVの報道や職場や家庭で、本筋から離れたっ方向や間違った結論に誘導されそうな危惧のある議論には反論を掲げておきます。

間違った結論に導かれるおそれのあるもの。
1 民間の検査機関では厳正な検査ができない。
↑ この議論が一番困ります。旧大蔵省の不良債権がらみの銀行監査が身内(銀行)にどんなに甘かったかを忘れてもらっては困ります。正義、不正義が官か民かで決められるハズはありません。官にはタックスイーターがウヨウヨいるのも忘れてはなりません。

2 検査会社が株式会社では営利が先に立つので厳正な検査ができない。
↑ これも議論を歪める提案です。資本主義社会にどっぷり浸かっていて、こういう議論をしてはならないと思います。電気事業や鉄道事業や郵便事業など、公益事業は民間でするべきでないと言っているようなものです。営利会社にはなんの正義も無いとしては、正しい問題解決には至りません。
 これに関して、いずれ翔年は提案をしたい
と思っています。

3 競争社会では安全よりコストが優先されるからこういう事が起こる。
↑ どんな熾烈な競争をしても不正がないスポーツや囲碁、将棋のような世界もあります。競争のほとんどないぬるま湯業界でも、ドロドロした不正の温床はできます。いずれも人間によることで、優秀な指導者やキチンとしたルールと厳正な審判を置くことで正しい競争が行われるようにできるのは言うまでもありません。そういう社会を目指すための提案をこそするべきでしょう。

 建築物の安全に関することで、大変広がりがある事件なので、所管の国土交通省や自治体などの特定行政庁の立ち入り検査の結果を引き続き注視していきたい。

 今日のところは、孔子のこの言葉を記して終えることにします。

『民、信なくんば立たず』 −論語、顔淵第十二−

(諸橋轍次先生の解説です)
まことに、我々は、信義がお互いの間に存することの安心感の下にのみ、この世の中に存在し得るのである。もし、己が友を信じえず、友が己を信じず、更に進んで、親が子を信ぜず、子が親を信じない社会を想像し、或は又、政府は民の唯一のたよるべき柱であるが、この政府を信じ得ない状態が続くとするならば、それは武備はいわずもがな、食糧の極めて少ない場合の生活を想像する以上に苦しいことであるに相違ない。孔子が信義を以て人のよって立つ根本であるとし、政治の要諦をして民をして信ならしめることを強調したのは、さすがである。


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