昨夜、松岡正剛氏が千夜千冊の偉業を達成された。
松岡正剛の千夜千冊『良寛全集』(上下)良寛
最後の最後に「良寛」というのはチョッとビックリさせられたけれど、このロングランの読書案内には大拍手を送りたい。多分、翔年はこれからも一生お世話になると思う。
読書量では足元にも及ばないけれど、良寛さんは翔年にとっても気になる人物だった。今、手元に吉野秀雄著「良寛」、田中和男編「良寛さんのうた」と松岡氏がお薦めの水上勉著「良寛」の3冊がある。本はたったの三冊、書については見たこともないのだから、良寛の全体像は見えていません。ただ、良寛を書く多くの人たちが、僧としての禅の生きかたを、その詩の素晴らしさを、良寛の書の偉大さを十分に語っておられるから、そういうことについてはそちらを読んでいただきたい。
ここでは翔年が良寛さんのどこに魅かれるを記して松岡正剛氏の偉業の記念にしたい。
1 よく良寛さんは素直な気持を持った人だと言われているが、「書家の書」、「歌よみの歌」、「料理人の料理」が嫌いと公言されていることから、実際はものすごく強い個性の持主だったと思う。
2 それは地方の名主の長男と生まれながら、家を継がずに出家したこと、曹洞宗の得度修業をされたにも拘らず、曹洞宗の寺を嫌って越後の破れ庵に住んでいたこと、どの宗派に属すこともせず、経を読むことも座禅を組むことも、説法をすることもなかったといいますから、これからも並外れた個性の塊だったと推定します。
ぶっちゃけて言えば付合いにくい人柄。
3 それに比べて歌はどの歌も分りやすく、抒情に富んでいて胸打たれる。
4 晩年、貞心尼と夢のような恋をしている。良寛69歳、貞心尼29歳で良寛の亡くなる74歳まで交際は続いた。このお二人の唱和がまた良い。
(翔年は乞食同然の良寛さんの人柄を見抜いて、彼の晩年を彩ってくれた貞心尼さんにお礼を言いたい気持で一杯です。貞心尼は明治5年、75歳で没。)
下は本当は漢詩で書かれていますが、ここでは分りやすい田中和男氏の解釈文(ご本人の弁)でどうぞ!
花が咲いて
蝶が来る
蝶が来て
花が咲く
花は、無心
蝶は、無心
わたしは、わたし
人、は、ひと
わたしがいて
ひとがいる
自然の、こころ
こころのない、こころ
つぎは二人のはじまりの歌2首
はじめてあひ見奉りて
君にかく相見ることのうれしさもまださめやらぬ夢かとぞ思ふ 貞心尼
御かへし
夢の世にかつまどろみてゆめをまた語るもゆめもそれがまにまに 良寛
いかにせむ、とてもかくても遠からずかくれさせ給ふらめと思うにいとかなしくて
生き死にの界(サカヒ)はなれて住む身にもさらぬ別れのあるぞかなしき 貞心尼
良寛の辞世の句
うらを見せおもてを見せて散るもみじ 良寛