July 05, 2004

翻訳はむずかしい・・・と思う

快楽原則のKompfさんが7月4日に「翻訳はむずかしい・・・」とサガンの「ある微笑」を材料に、興味あることをなかなか魅力的に書いておられる。
快楽原則-Weblog


ちょうど、翔年はレーモン・クノーの"exercices de style(文体練習)を読了した時で、あらゆるフランス語を駆使したクノーの「文体練習」は日本語に翻訳(置換え)は不可能だと実感していた時であったからたまらない。何かしらもの申したくなってきた。
文体練習

翔年はフランス語は知らない。が、朝比奈広治の訳を読んだだけで、これは翻訳が出来ない本なのだと直感した。なぜなら、この「文体練習」という本は前人未到の言葉遊びの本なのだから。

本の帯には『文体練習がもつリズムと響きは、フーガの技法から生まれた。バッハの音楽を文学にしたなら、きっとこんな作品になるに違いない』、『他愛もないひとつの出来事が、99通りもの変奏によって変幻自在に書分けられてゆく。「地下鉄のザジ」の作者にして20世紀フランス文学の急進的な革命を率いたレーモン・クノーによる究極の言語遊戯が遂に完全翻訳。』とあるのだが、翻訳家のチャレンジャブルな仕事ではあるが、完全翻訳にはほど遠い(と想像する。)
これはなにも翻訳家の責任ではない。フランス語の言葉遊びを日本語に完全翻訳できるはずがないのだから。

Kompfさんは「ある微笑」の "tu" と "vous" の日本語訳の違和感を書いておられる。フランス語が理解できるなら当然のことなのだろうと思う。が、翻訳で言葉を理解しようとする時、誰もが感じざるを得ないことなのだとも思う。
大変残念だけれど、作家が自国語を駆使して最高の表現方法をとるとき、両言語の狭間で翻訳家は途方もない壁を感じていると思う。そうだとしたら、読者は全ての言語に精通できない以上、翻訳家にありがとうと言わなければいけないのかも知れない。

さらに、Kompfさんが例として使われたサガンが天才少女としてデビューしたころ翔年は学生で、「悲しみよ、こんにちは」、「ある微笑」、「ブラームスはお好き」等を朝吹登水子訳で読んでいたのを懐かしく思い出した。
後年、下の句に出会ったとき、パッとドミニクが蘇ったから、若い頃に読んだ小説は体のどこかに潜んでいるのかも知れない。

そのひととそのひとの妻がターンするプールに少し遅れてとびこむ    林あまり

大胆な少女、不穏な空気、三人の心模様の如くプールの水は妖しくゆらめいて・・・、31文字で小説を表しているように感じたものです。

早熟の天才少女は大作家になれなかったようで、後年のサガンはほとんど読んでいません。



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この記事へのコメント
Kompf さん、Exercices de style を原書で読まれたら、きっと面白い発見がたくさんあることでしょう。
言葉遊びに熱中してるうちに、口内炎が完治するともっといいですね。

Posted by ユリウス at July 07, 2004 10:04
ユリウスさま:

トラックバックありがとうございました。
翻訳は本当に大変な仕事だと思います。
意味さえ合っていれば良いのではなく、原作の薫りを伝えることも大事ですし。
白鳥さんのおっしゃる「この人は自分の好きな本しか訳してない。という思い込みがあって、、、」という選び方は良いですね。
きっと原作の魅力が伝わる翻訳をされているでしょう。
そういう意味では私が記事にしたサガンの翻訳者も素敵な翻訳をされていると思います。

レーモン・クノーの"exercices de style(文体練習)は是非原書と翻訳を比べながら読みたいと思いました。
文章の遊びは、語呂合わせや駄洒落なども含め、完璧な翻訳は無理だと思います。
そのあたりをどう翻訳されているのかも興味があります。

サガンの作品はユリウスさん同様、初期作品のほうが好きです。
あとは、「私自身のための優しい回想」という文庫本に収録されている”サルトルへの愛の手紙”という追悼エッセイ?が、好きでした。
愛情と尊敬に溢れた、とても優しい文章です。
Posted by Kompf at July 07, 2004 05:06
白鳥さん、コメントありがとうございます。

白鳥さんのおっしゃることは本好きなら皆思っていることではないでしょうか。
Kompfさんも『翻訳者はサガンの作品殆どを手がけている方なので、物語全体の雰囲気はとても良いのだけど・・・』と翻訳者のことを気遣っておいでです。
翻訳本を読むぼくたちはいい作家といい翻訳者の二人に同時に出会わなければならないのですね。

白鳥さん、また飛んできてくださいね。

Posted by ユリウス at July 06, 2004 12:06
本当に翻訳は難しいと思います。 でも 是非は別として 作者も本の内容も何も知らないのに この人が訳してるから読んでみようと思う場合が私の場合あります。 この翻訳者の方なら間違いなく私の好みだと。 これはもう作家ではなく翻訳者が大好きで どこかにこの人は自分の好きな本しか訳してない。という思い込みがあって この人の紹介してくれる本なら読んでおかなくては・・・って気持ちです。 そして 私に 新しい本を紹介してくれてありがとうって気持ちです。 

以前に何度か英語の絵本の翻訳コンテストに応募のため絵本を翻訳してみたことがあるのですが、言葉選びに苦戦しました。 そして 優秀な翻訳を何点か拝見しましたが 同じ本でありながら 翻訳によって ほんとに違った印象を与えるのだ思いました。 翻訳本は 結局は作家と翻訳者の合作になってしまうのですね。
Posted by 白鳥 at July 06, 2004 09:51