今、蕗が食べごろである。
この間、女房が田舎で蕗の薹(トウ)を摘んできて、天麩羅にして食卓に出した。ちょっと苦味があるため娘などは嫌いというが、翔年はこういう味は嫌いではない。
今日の食卓は市場で買ってきた蕗の煮付けだった。子供の頃はこういう食べ物を大人たちが喜んで食べるのが不思議だったが、年を重ねるとこういうものの味わいが分るようになる。年をとって味覚が変化するのか、それとも子供の頃あまり好きでなくとも、大人と一緒に食べさせられているうちに舌が慣れてきて、だんだん好きになるのかよく分らないが、脂っこいものから、淡白なものへと年とともに嗜好が変化しているのは確かなので、やはり年齢から来る味覚の変化はあるのだろう。
(蕗の写真は青木繁伸氏撮影、リンク先参照)
蕗という植物は昔は雨が降れば傘の代りに、山の清水を飲むにはコップの代りにつかわれたように、庶民のくらしの中に根付いた植物だったらしい。民話や童話にも表れるから本当に身近な植物だったのだ。
もう故人になられたがアイヌ語の権威金田一京助先生のご子息、晴彦さんがその蕗について面白いことを書いておられる由。
蕗の葉の語源説
氏が對馬だったか、どこかの田舎へ出かけられた時のこと、旅館も見当らなくてある集落の農家にお泊りになった。そこの便所での出来事です。(昔のくみ取り式の便所、ポットン便所ともいう。)
しゃがんでいる目の前にうずたかく蕗の葉が積んである。下をのぞくと使用済みの蕗の葉があるではないか。先生、郷にいれば郷に従えとばかりに一枚使用に及んだという。そのとき「蕗の葉」は「拭きの葉」であるという語源説を思いつかれたという。流石に偉い先生はどこか違う。
この話はかんの邦生著「花の名前にご用心!」に先生の随筆にあると書いてあるのですが、翔年は確めていないので真偽のほどは保証しません。
実践編
でも、翔年は山家育ちなので上の話はよく分る。山へ遊びに行った時に草の葉っぱを使った貴重な経験もしている。最近の子供には野性味が乏しい、生きる意欲が欠けているとか言うことで野外訓練がよく行われる。某小学校のその種の訓練で「今日は拭きの葉遠足です。」と勇ましい宣言をされた校長先生がいるという。翌日参加した児童の何人かはお尻りが痒くなったと報告をしたそうだ。(注)おとなのみなさんは真似をしないで下さい。