June 13, 2005

「ローマ人の物語」 塩野七生著

 歴史は面白い。だけど歴史解釈は難しい。いま塩野七生著「ローマ人の物語、5」を楽しみながら読んでいる。随所に著者のメッセージがちりばめられている。時に本質的な人間理解の知恵があり、ある時は現代日本人への激励メッセージがあり、また、ある時は政治音痴のリーダー達に向けたメッセージかなと思えるものもある。

塩野七生著 「ローマ人の物語5」
ローマ人の物語5
 
 例えばこんな形のメッセージがあります。

1 リーダーについて
『優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互かんけいである。』

2 第二次ペロポネソス戦役(紀元前218〜201)の後で
『これこそザマで敗れたことの真の結果だった。ローマはカルタゴに対し、たとえ自衛のためであろうと、ローマの許可なしには戦いをすることを禁じているからである。自主的な交戦権を認めないということであった。これではカルタゴは、完全な独立国であるとはいえない。』

3 戦争犯罪について
『ここには勝者と敗者しかいないという事実である。正義と非正義に分けられていない。ゆえに、戦争は犯罪であるとは言っていない。もしも戦争犯罪者の裁判でも行われていたならば、ハンニバルがまず、戦犯第一号であったろう。』
−そもそも勝者は敗者を裁く権利をもつのか? 

4 戦争終結について
『ローマがカルタゴとの間に結んだ講和は、厳しかったかもしれない。だが、、それは、報復ではなかったし、ましてや、正義が非正義に対して下す、こらしめではまったくなかった。戦争という、人類がどうしても超脱することのできない悪業を、勝者と敗者でなく、正義と非正義に分けはじめたのはいつ頃からであろう。分けたからといって、戦争が消滅したわけではないのだが。』

5 ローマの軍事力に屈したマケドニアの王様に独白させて
『反対に、自由な社会のあり方を進めているローマを見るがよい。あの国では、奴隷さえも社会の構成員だ。何かあるとすぐ、彼らにさえ市民権を与える。市民にしてやるだけでなく、公職にさえ就かせる。立派なローマ市民だと思って対していると、一代前は奴隷であったなどということは始終だ。
結果として、われわれは、地からわいてくるかと思ううほどに、いつも新手のローマ人とあい対さざるをえないことになる。このやり方でかくも強大になったローマ人に、誰がかてるというのかね。』
−このくだりはアメリカをイメージさせますね。

6 スキピオ裁判
『他者よりも優れた業績を成し遂げたり有力な地位に昇った人で、嫉妬から無縁で過ごせた者はいない。ただし、嫉妬は、それをいだいてもただちに弾劾や中傷という形をとって表面化することは、まずない。嫉妬は、隠れて機会をうかがう。機会は、相手に少しでも弱点が見えたときだ。スキャンダルは、絶対に強者を襲わないからである。』
−ハンニバルに打ち勝った名将にして、優れた政治家であったスキピオも例にもれず、大衆の関心を引くいやな告発と言う形で表面化し、やがて失脚に追い込まれる。

 現代政治を考える上で役立つヒントがあふれているでしょう。正しい歴史認識かどうか知らんけど、歴史には読み取るべきことが一杯つまっている。翔年は著者のような方に是非、我国外務省顧問になっていただきたい。小泉総理と町村外相の周りにはどんなブレーンがいるのだろうか?

 翔年は文庫本16冊を机の端にならべて、読書の楽しみにわくわくしている。「ローマ人の物語」はわが国でいえば縄文時代と弥生時代の歴史だけれど、著者の語りは冴えて、いろんな場面で現代の世界政治を彷彿とさせてくれますから。



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カルタゴ【何でも書き書きエッセイ】at June 16, 2005 21:45
この記事へのコメント
ethnic さま
三つありましたので、二つ削除させていただきました。
Posted by ユリウス at June 16, 2005 22:57
本エントリーに対してアップロードミスのためTBを重複してしまいました。真ん中のTB以外は削除いただければと思います。申し訳ありません。
Posted by ethnic at June 16, 2005 22:21