April 13, 2005

また・生物学的性(セックス)と社会的・文化的性(ジェンダー)

 4/2、4/4、4/7の続きです。
 社会的に男と女が平等であるべきという考え方は素晴らしい。ところが、21世紀の現在でも、例えばイスラム文化圏では女性が顔を見せることはよくないこととして許されなかったり、日本文化の中に、女性が入ることを許されない場所(ある修験場、大相撲の土俵など)が今なお存在したりする。そしてこのような伝統を固守する立場の人たちがいるので、女性の権利拡大はなかなか思うにまかせず、最近はフェミニズム運動はジェンダーフリー運動へと過激さをましている。

 翔年は今まで社会的に不利な条件下に置かれていた女性が、男女平等社会を目指して女性の権利拡張運動を起したことは高く評価する。知的な女性たちが先頭に立っているのも好ましいことだと思っている。けれど最近、社会的正義を目指しているはずのこの運動がちょっと行き過ぎだなぁ、画一的すぎて感心しないなぁと思うようになってきた。

それはこういう点です。

1 性差の否定 → 男らしさや女らしさの否定
どういうことかというと「男らしさ」や「女らしさ」は「個」と対立する概念になっている。「男からの解放、女からの解放」なんていう訳の分らないことを言っています。もっと分りやすい言葉で言うと、男らしいいい男や美しい女性が否定の対象です。男の優越者、女の優越者を排除する力がはたらいているように見えます。非常に不自然。

2 家族の多様化 → 夫婦の結びつき以外の男同士でも女同士でも、事実婚でも未婚の母と子でも家族だと主張しています。一緒に暮しているのが家族だと。

3 性の自己決定 → したい時は自分で決めるということ。ちょっと難しい概念で翔年には説明能力がありませんが、フリーセックスにつながる考え方に見えます。

4 家族の中で子供はパートナー → 言葉はきれいですが、実態は「子供の権利」を法律で定めることを求めています。出来あがった条例(神奈川県)をみると、親が子供を教育することは困難な状況におかれそうです。

 西尾幹二・八木秀次著「新・国民の油断」という本に、日本全国のジェンダーフリーの成果?の具体的な事例が掲げられています。翔年は必ずしもこの本の主張に賛成するものではありませんが、この本から今まで知らなかった変な事実をたくさん教えられました。

 神奈川県の県民部人権男女共同参画課が作成した「行政刊行物における男女共同参画の視点からの表現のガイドライン」のコピーをとくとご覧下さい。

避けたい事例1
表現ガイドライン1

 避けたいとされている例は祖父母がそろった家族です。同姓カップルも「家族」として描くのが「のぞましい」のだそうです。

避けたい事例2
表現ガイドライン2

 避けたい事例は男子がサッカー、女子が縄跳びで遊んでいる絵だそうです。
 

 
 翔年は自治体の刊行物のイラストにまでガイドラインを作って、それに合わない表現をチェックし、修正を命じる組織をもった社会は嫌いです。「自由であれ」という運動のハズなのに、逆に画一的な規準を作ってそれを市民に押しつけるのは我慢がなりません。古い社会主義運動の復活のように感じるのですが、みなさんはどう思われますか?



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この記事へのコメント
>のびぃ太さま
コメント、ありがとうございます。
混合名簿程度ならいいのですが、こんな事例が報告されています。
平成15年の夏に実施した校外宿泊学習「高原教室」で、5年生の男女の児童を同室に宿泊させています。「女子児童の着替えは引率教諭の和室を使わせた」そうですが、なぜか寝かせるのは同室でなくてはならないようです。
「つつしみ」とか「恥じらい」の気持を払拭させるためには有効かもしれませんね。
Posted by ユリウス at April 14, 2005 23:51
何気なしに見ていた、金八先生ですが、性教育など結構過激。
気がつかなかったのですが出席を取るとき男女混合名簿、これ実務的には男女別のほうがずっと便利なはずなのに、ジェンダフリーとかの運動のせいなんですね。
何事も声が大きいと、それに引きずられる世の中になっているのか心配です。いうなればクレーマーがのさばる世の中です。
女性の男女同権、権利の拡大は時代とともに拡大しており、良いことであり、否定はしません。
Posted by のびぃ太 at April 14, 2005 23:17