大分前のことになるが、Blog友達のKompfさんが「心と音」の関係を論じておられたことがあった。快楽原則-Weblogまた、記憶が正確ではないかも知れませんが、『下手(技術が)だけど上手い(聴かせる)音楽』もあるというようなこともおっしゃっていた。ウン、ウンと肯いて読んだ翔年は確かに文章にもそういうものがあるなぁと思い続けていた。
彼女のBlogに書き込まれる音楽談義は専門的なので、翔年ごときは話しの輪に入ることすら出来ないのだが、内容が面白かったり大変示唆にとんでいることがあるので、たとえ話などを持って、無理に輪の中に入れてもらうことがある。今回もそのケース。
一つ目は文章技術的には初心者クラス(小学1,2年生)だけど、万人の心を打つ野口英世博士の母シカさんの手紙文です。
『おまイの しせにわ(出世)には みなたまけました
わたくしもよろこんでをりまする
:
はるになるト みなほカイド(北海道)に いてしまいます
わたしも こころぼそくありまする
ドカはやくきてくだされ
:
はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ
いしょ(一生)のたのみて ありまする
にしさむいてわ おかみ(拝み) ひかしさむいてわおかみ しております
きたさむいてわおかみおります みなみたむいてわおかんておりまする
:
はやくきてくたされ いつくるトおせて(教えて)くたされ
これのへんち(返事)まちてをりまする ねてもねむられません』
(明治45年(1912年) 母シカが英世に宛てた手紙より抜粋)
表現力(文章力)が不十分だから、かえって、切迫した「気持」がリフレインしてほとばしり出ています。子を思う老いた母親の心情は万人の心を打ちますね。
後年、博士は「ちょうど大事な研究に取り組んでおる最中で、すぐに帰ることができず身を切らされる思いをしました」、「それから約4年後の大正4年、母の待つ故郷への帰国が実現しました。15年ぶりの母との再会でした。」と述懐しておられる。
次の機会には、川端康成先生が「千万言もつくせぬ哀切」と言われた文をご紹介します。