December 29, 2004

万人の心を打つ文章(1)

 大分前のことになるが、Blog友達のKompfさんが「心と音」の関係を論じておられたことがあった。快楽原則-Weblog
また、記憶が正確ではないかも知れませんが、『下手(技術が)だけど上手い(聴かせる)音楽』もあるというようなこともおっしゃっていた。ウン、ウンと肯いて読んだ翔年は確かに文章にもそういうものがあるなぁと思い続けていた。
 彼女のBlogに書き込まれる音楽談義は専門的なので、翔年ごときは話しの輪に入ることすら出来ないのだが、内容が面白かったり大変示唆にとんでいることがあるので、たとえ話などを持って、無理に輪の中に入れてもらうことがある。今回もそのケース。
 
 一つ目は文章技術的には初心者クラス(小学1,2年生)だけど、万人の心を打つ野口英世博士の母シカさんの手紙文です。

『おまイの しせにわ(出世)には みなたまけました
  わたくしもよろこんでをりまする
          :
  はるになるト みなほカイド(北海道)に いてしまいます
  わたしも こころぼそくありまする
  ドカはやくきてくだされ 
          :
  はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ
  いしょ(一生)のたのみて ありまする
  にしさむいてわ おかみ(拝み) ひかしさむいてわおかみ しております
  きたさむいてわおかみおります みなみたむいてわおかんておりまする
          :
  はやくきてくたされ いつくるトおせて(教えて)くたされ
  これのへんち(返事)まちてをりまする ねてもねむられません』

(明治45年(1912年) 母シカが英世に宛てた手紙より抜粋)

表現力(文章力)が不十分だから、かえって、切迫した「気持」がリフレインしてほとばしり出ています。子を思う老いた母親の心情は万人の心を打ちますね。

 後年、博士は「ちょうど大事な研究に取り組んでおる最中で、すぐに帰ることができず身を切らされる思いをしました」、「それから約4年後の大正4年、母の待つ故郷への帰国が実現しました。15年ぶりの母との再会でした。」と述懐しておられる。

 次の機会には、川端康成先生が「千万言もつくせぬ哀切」と言われた文をご紹介します。

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moneyface 新札/新紙幣の《顔》(野口英世)について 《ビ
新札/新紙幣の《顔》(野口英世)について 《ビートたけし/北野武》【0 1/2】at January 01, 2005 13:27
この記事へのコメント
Kompf 様

昨年後半はお忙しいようにお見受けしておりました。
TBして、かえってお気を使わせてしまったようで申し訳ないです。
勝手にしていることですから、お忙しければほっておいていただいて結構ですよ。小生は読んでいただけるだけでありがたいのですから。

それにしても、言葉にしても、音楽にしても、絵画にしても他者の心に届けるのは本当に難しいですね。
Posted by ユリウス at January 10, 2005 22:56
翔年さま

TB有難うございます。こちらの記事はエントリ直後から気になっていたのですが、コメントするのが遅くなってしまいました。

野口英世氏のお母様の手紙も、円谷幸吉氏の遺書も、衒いが全くなく、それが余計に心へストレートに響いてきます。
ことばというのは多分、どんなに気取っていても人柄が出るものだと思うのですが、こんなに素直な剥き出しのことばには、人柄以上の、その人の魂のようなものさえ感じます。

考えてみると、私の心に残っていることばも、飾られた格好の良いものより、シンプルで、それでいて力のあるものの方が沢山あります。
そういうことばについて、いずれ私も記事で触れる機会があれば、こちらからTBさせていただきたいと思います。

遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。
Posted by kompf at January 10, 2005 06:27