December 25, 2004

骨は高貴な薬??

北朝鮮の酷い仕打が日本中の怒りをかっているが、今日の話はそれとは全く関係がない。


江戸時代の流行り歌にこんなのがある。

お前死んでも どこへもやらぬ
焼いて 粉にして 酒で呑む。


これは京都六条の名妓吉野太夫の話が歌になったものである。豪商で歌人でもあった灰屋紹益が彼女を身請けして妻にして暮していたが、その彼女が38歳で没した。紹益は吉野の死を嘆き哀しみ、火葬にした彼女の骨を食べてしまったことが伝えられている。凄い話ですね。愛人を失ったやり場のない悲しみは、骨に向うしかないのか・・・。

 昔の歌謡曲に「骨まで愛して」というのがあったが、これも同工異曲。ただし、これは女が男に要求している歌だから、大したことはありません。

 閑話休題
 人骨を薬とする俗信は昔からある。高貴な人の人骨はそれはそれは高貴薬として崇められたのだという。それから「あの人の爪のアカでも煎じて飲め!」なんていうバリエーションも生まれたのかも知れません。
 翔年も子供の頃、マムシの皮を剥いで、骨をカラカラに乾かして、薬にしている農家があったのを記憶している。何の薬だったのだろう。
 昔はいざと言うときには、変なものはなんでも薬にして飲ましたのでしょうか?

 翔年は漢方薬の知識は全くないが、この方面では得たいの知れない動物の骨は薬として扱われているらしい。薬効は「精神安定・鎮静」だそうだ。

馬や鹿の骨を飲んでも馬鹿にはならん保証はあるのでしょうね。


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この記事へのコメント
骨を食べる話が話を食べる話になってしまっているのに驚いた。

翔年さまの頭脳は正確なwebが構成されていて、糸を引けば、混線することなく、必要な話のチップに直結できるようだ。

私はこの話を読みかけたとき、「興晋会」のメンバー、特に、辻政信を永田町の議員会館に訪ねたときのことを思い出した。
彼は強く握手しながら、「将来の日本を頼む」と言われた。
やがて、彼はラオスの山奥に消え去ったのだが・・・・・

ここ20年を余って、一緒に碁を囲み、一緒に人生を囲んでいる、碁吉会と言う名のグループがある。年々会員は加齢も進んで、心ならずも足の遠退く人も増えて来たが、これ見よがしに骨まで食い合いしなくても、骨の髄まで分かり合い、味のある仲間を構成しつつあるのだ。

                          高野圭介
Posted by 高野圭介 at September 25, 2005 04:59
高野圭介 様
「俺の中で生きろ!」と言って、しゃれこうべをバリバリ・・・。そんな凄い場面に遭遇されていたとは・・・。
でも、人肉を食う人間より、人骨を食ったり、飲んだりする人のほうが、確かに信用できるような気がします。

先の灰屋紹益は吉野太夫が死んだ時、こんな歌も残しているのですが・・・。

都をば 花なき里となしにけり 吉野を死出の山にうつして
Posted by ユリウス at December 26, 2004 22:37
翔年さま

 お前死んでも どこへもやらぬ 焼いて 粉にして 酒で呑む。

 ああ、何と、
 
 お前死んでも どこへもやらぬ 焼いて 千切って 俺が喰う。

 そんなことが・・・

 

 昔、と言っても50年ほど前の話である。

 強烈な衝撃に見舞われたこと。それは人のシャレコウベをバリバリ食べる場面に直面したときのことだ。「俺の中で生きろ」と言って・・・・。

 戦争には戦うメンバーは軍隊。人民を和ませて、平和な世界を取り戻す役割は宣撫班。この二つの働きが要る。ただし、宣撫班といえども、匪賊化してゲリラ作戦を展開してくる一団には、武器を取って敢然と立ち向かう。
 宣撫班の構成は中野学校出身、軍隊出身、それに準じた教育を受けた者達であった。
 
 敗戦後そのメンバーが一堂に会して「興晋会」というグループを結成した。メンバーには辻政信、木下サーカスの団長・木下某を初め、松山雅英、瀬戸山魁ほかン十名がいて、鬼畜米英の支配から日本を守ろうという高邁な思想に結ばれていた。
 
 その中の一人、松山雅英は兵庫は龍野に在って、独創的な釉薬・孔雀釉を開発し、陶芸の在野作家「孔雀焼」家元となった。私の軟式テニスのコーチとしてお世話になったのは、孔雀釉が生まれた昭和23年前後の頃であった。

 彼はかって北支の太原で日本の宣撫班の工作に身を挺していた。さて、同じ飯を喰うていた松山・瀬戸山の2人は梁山泊よろしく、義兄弟の契りに結ばれていたようである。

 年降り、胃潰瘍から容態改まり、火葬の場での出来事である。

 真っ赤な骨を箸で拾う行事が一巡済んだとき、瀬戸山大人がつかつかと横たわる遺骨に近づいて、「おい、松山、これからは俺の中で生きろ!」と言いざま、まだ火に燃えるような頭骸骨を手でべきべきと千切って、バリバリ食べかけた。

 しばらくは深い沈黙に包まれていた。居合した私は脳天をがーんとやられて、目の前が真っ白になった。きっと、それは私だけではなっかっただろう。

Posted by 高野圭介 at December 26, 2004 08:12