December 04, 2016

続・ 「サピエンス全史(上)、(下)」 -実に刺激的で面白い本!-

サピエンス全史002

 先月25日のエントリーの続きです。
下巻を今日読了。今年翔年が読んだ本の中で最高の書籍と確信しました。


 タイトルは   「サピエンス全史(上、下)」  "Sapiens"  

サブタイトルは 「文明の構造と人類の幸福」 "A brief History of Humankind"  

作者は    ユバル・ノア・ハラリ     Yuval Noah Harari

翻訳者は   柴田裕之 河出書房新社
(2016/9/30初版発行、1,900円×2)



 下巻は、第3部 人類の統一 の12章からです。


 

第12章 宗教と超人的秩序 
 → 神々の台頭。今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源とされることが多い。ただ、歴史的に見るとおおかたの宗教は社会の安定にある種の寄与をしてきたことは認めるべきでしょう。神を信じておれば不安が取り除かれるのだから。
 筆者は数ある宗教の中で仏教には他宗にない「物事をただあるがままに理解すれば、もはや苦しみはなくなる」と説く「心の鍛錬」に言及しているのはさすがと思いました。

第13章 歴史の必然と謎めいた選択
 → 歴史は進化と同じで、個々の生き物の幸福に無頓着だし、それに個々の人間もあまりにも無知で弱いので、歴史の流れに影響を与えて自分に有利になるようにすることはできなかった。


第4部 科学革命

第14章 無知の発見と近代科学の成立
 → 科学には無知を認める意思がある。そのため従来の伝統知識(宗教家などの権威によるもの)のどれよりも、ダイナミックで柔軟で探求的で、進歩がはじまった。知は力になった。科学を援助する人々が増えた。

第15章 科学と帝国の融合
 → 科学技術と帝国主義と資本主義が過去500年の歴史を動かすエンジンとなった。金儲けを追及する実業家がいなかったら、コロンブスはアメリカに到達しなかっただろうし、ジェイムス・クックはオーストリアにたどり着かなかっただろう。

第16章 拡大するパイという資本主義のマジック
 → 進歩という考え方は、もし我々が自分の無知を認めて研究に投資すれば、物事が改善しうるという見解の上に成り立っている。やがてこの考えが経済にも取り入れられた。
 進歩を信じる人々は、地理上の発見やテクノロジー上の発明、組織面での発展によって、生産や交易、富の総量を増やすことができると確信した。
 アダム・スミスは経済を「双方のためになる状況」として考えるように説いた。富と道徳は矛盾しないどころか、全員の利益のために経済成長の歯車を回すのは起業家だということになった。
 資本は強欲なところがある。しかし資本主義が気に入らなくても、我々は資本主義なしでは生きて行けない。(共産主義は比較にならないほど劣るから)

第17章 産業の推進力
 → 利益を生産に再投資すると経済は成長する。 食べる量を減らせば経済は縮小するが、人々はそうする代わりに食べ過ぎ、その挙句、減量用の製品を買い、ジムに通って二重三重に成長に貢献する。資本主義と消費主義は表裏一体。
 また、著者は狭いケージの養鶏場のめんどり、狭い柵の中の乳牛や養豚場のメス豚にも眼を向ける。それらの動物は原材料を取り込む口と商品を生み出す出口を持つ産業機械としての存在でしかないと…。 だが、哺乳類は複雑な感覚構造と感情構造を持っている。彼らは身体的苦痛を感じるだけでなく、感情的苦痛も被りうるという指摘も忘れない。これは人類の幸福を考察するのに繋がる。

第18章 国家と市場がもたらした世界平和
 → 国が管理する裁判所や警察はおそらく、世界中の安全水準を引き上げた。(現在、アマゾンの奥地で暮らす軍隊も警察も監獄ももたない先住民の部族では、男性の四分の一から半数が、財産や女性や名誉をめぐる暴力的な諍いによって、早晩命をおとしている)
 核兵器の出現で戦争は集団自殺に等しいものになり、武力による世界征服は不可能になった。戦争の代償が急騰し、得られる利益は減少した。
 戦争は採算が合わなくなり、平和からはこれまでにない利益があがることが明らかになった。日本を見よ!
 各々の国家は領域内の平和を強化するから、実質的に世界平和を推進することになる。これは楽観論。
 悲観論者はさまざまな偶然が重なれば我々は危険な方へ進みかねないという。私たちは天国と地獄の両方の入り口に立っているのかも知れません。

第19章 文明は人間を幸福にしたのか
 → 幸福度を何で測る? お金? 家族? 遺伝的特質? 徳?
 この問題の解明に著者の慧眼は仏教に眼をつけた。著者は仏教はおそらく人間の奉じる他のどんな信条と比べても、幸福の問題を重要視していると考えている。科学界で仏教哲学とその瞑想の実践の双方に関心が高まっている所以でもある。

第20章 超ホモ・サピエンス
 → ホモ・サピエンスは自然選択の法則を打ち破りはじめており、知的設計の法則をその後釜にしようとしている。
 すなわち、それは「生物工学」「サイボーグ工学」(有機的器官と非有機的器官を組み合わせた生き物)、「非有機的生命工学」だ。
 別の生命体が誕生する。現時点では、これらの可能性のうち、ほんの一部しか実現していない。
 倫理、政治、イデオロギーの問題が多発するだろう。法律家はプライバシーとアイデンティティの問題を考え直さねばならず、、政府は医療と平等の問題の再考をせまられ、スポーツや教育界はフェアプレイと成績を再定義する必要があるし、年金基金と労働市場は60歳がかっての30歳に相当しうる世界に適合するように再調整せざるを得なくなる。
 誰もが生物工学やサイボーグ、非有機的生命の難問に対処しなくてはならなくなってくる。神の地位についたホモ・サピエンスはかってなかったほど強力だが、その力を何に使えばいいのか?


著者は言う。
  
自分が何を望んでいるのかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?



 本書は読書の醍醐味を存分に味合わせてくれました。素晴らしい良書です。ですが、読者にこの本の全貌を自分の言葉で語ろうとすると、非力な翔年は5回ぐらい精読し、なにがしの参考図書を数冊読んで、半年ぐらい熟慮してからでないと、とても書けない大きな深い内容があると感じました。そして良書を愚劣な要約にすることは避けたいと思いました。

 やむを得ず、目次を並べてその項目の中のほんの数行をピックアップして、内容の一部ををお伝えすることにしました。著作権で許される引用の範囲を大きく逸脱していますことを、著者にもBlog読者にもお詫びいたします。

 地球上の生き物の頂点に立って、創造主に匹敵する力をもった私たちは、自分たちの文明の歴史をしっかり認識し、何がもっとも人類に幸福をもたらすかを真剣に考えるべき時期に来ているようです。難しいことですが、浅薄な議論にしてはならないと思っています。







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November 25, 2016

「サピエンス全史(上)、(下)」 -独創的なズシリと重い本-

 いやぁ、今年一番の収穫になりそうな素晴らしい本に出会いました。
 
タイトルは   「サピエンス全史(上、下)」  "Sapiens"  

サブタイトルは 「文明の構造と人類の幸福」 "A brief History of Humankind"  

作者は    ユバル・ノア・ハラリ     Yuval Noah Harari

翻訳者は   柴田裕之
 河出書房新社(2016/9/30初版発行、1,900円×2)


サピエンス全史001
 
 上巻の「目次」のすぐ後に、こんな「歴史年表」が何の説明もなく示されます。今まで、こんな歴史年表は見たことがありません。(笑) なんと興味深い年表でしょう。

135億年前  物質とエネルギーが現れる。物理現象の始まり。
        原子と分子が現れる。化学現象の始まり。
45億年前   地球という惑星が形成される。
38億年前   有機体(生物)が出現する。生物学的現象の始まり。

600万年前  ヒトとチンバンジーの最後の共通の祖先。
250万年前  アフリカでホモ(ヒト)属が進化する。最初の石器。
200万年前  人類がアフリカ大陸からユーラシア大陸へ広がる。
          異なる人類種が進化する。
50万年前   ヨーロッパと中東でネアンデルタール人が進化する。

30万年前   火が日常的に使われるようになる。
20万年前   東アフリカでホモ・サピエンスが進化する。

7万年前   認知革命がおこる。虚構の言語が出現する。
        歴史的現象のはじまり。ホモ・サピエンスがアフリカ大陸の外へ広がる。
4万5000年前   ホモ・サピエンスがオーストラリア大陸に住みつく。
        オーストラリアの大型動物が絶滅する。
        ホモ・サピエンスが唯一生き残っている人類種となる。
3万年前    ネアンデルタール人が絶滅する。
1万6000年前  ホモ・サピエンスがアメリカ大陸に住みつく。
        アメリカ大陸の大型動物相が絶滅する。
1万3000年前  ホモ・フローレシェンシスが絶滅する。
        ホモ・サピエンスが唯一生き残っている人類種となる。

1万2000年前   農業革命が起こる。植物の栽培化と動物の家畜化。永続的な定住。
5000年前   最初の王国、書記体形、貨幣。多神教。
4250年前   最初の帝国--サルゴンのアッカド帝国。

2500年前   硬貨の発明--普遍的な貨幣。
          ペルシャ帝国--「全人類のため」の普遍的な政治的秩序。
        インド仏教--「衆生を苦しみから解放するため」の普遍的な真理。
2000年前  中国の漢帝国。地中海のローマ帝国。キリスト教。
1400年前  イスラム教。
500年前  科学革命が起こる。
        人類は自らの無知を認め、空前の力を獲得し始める。
        ヨーロッパ人がアメリカ大陸と各海洋を征服し始める。
        地球全体が単一の歴史的領域となる。
        資本主義が台頭する。
200年前  家族とコミュニティが国家と市場にとって代わられる。
        動植物の大規模な絶滅が起こる。

今日  人類が地球という惑星の境界を超越する。
      核兵器が人類の生存を脅かす。
    生物が自然選択でなく知的設計によって形作られることが多くなる。

未来  知的設計が生命の基本原理となるか?
      ホモ・サピエンスが超人たちに」取って代わられるか?




 さて、前後しましたが「目次」には以下のような独創的な項目がずらずらっと並んでいます。目をくぎ付けにされますね。

第1部 認知革命
 第1章 唯一生き延びた人類種 → サピエンスです

 第2章 虚構が協力を可能にした → 見知らぬ人どうしの協力

 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし → 原初の豊かな社会

 第4章 史上最も危険な種 → サピエンスはあらゆる生物のうちで最も多くの動植物種を絶滅に追い込んでいる。「私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたと主張する環境保護運動家を信じてはならない。」とは著者の主張です。


第2部 農業革命
 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇 >→食料の総量は増やしたが、
より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。
 ホモ・サピエンスの身体はリンゴの木に登ったり、ガゼルを追いかけたりするように適応していたが、石を取り除いたり、水桶を運んだりする農作業に向いていなかった。人類の脊椎や膝、首、土踏まずにそのつけが回された。古代の骨格を調べると、農耕への移行のせいで、椎間板ヘルニアや関節炎、ヘルニアといった多くの疾患がもたらされたことが解る。そうだったのか、目からウロコです。
 
 第6章 神話による社会の拡大

 第7章 書記体系の発明 >→ 文字と数字をデータとして記録する。

 第8章 想像上のヒエラルキーと差別

第3部 人類の統一
 第9章 統一へ向かう世界 → 歴史に方向性があることを示唆している。

 第10章 最強の征服者、貨幣

 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン → 多くの人が特定の民族や国籍の人としてではなく、人権を擁護して全人類の利益を守ることが政治の指針であるべきと考えるようになってきた。どのような独立国であれ、地球温暖化を単独で克服できない。しかし、現時点の世界は政治的にバラバラ。

 アメリカ次期大統領のトランプ氏の政策は、アメリカ一国の繁栄を目指すものが多いが、地球規模の歴史的視点の欠如、理想主義の欠如が感じられます。

 明らかに大きな歴史の流れに反しているように見えます。
 


常識を覆されたり、新しい物事の見方を教えられた箇所を矢印(→)でちょっと補足説明しました。この本で示されたように、ホモサピエンスはもっともっと視野をもっと広げてグローバルな視点で、地球文明を考える時期に来ているのではないでしょうか?


サピエンス全史002


 現在、下巻の50ページあたりを読んでいます。読了したら、またこの続きを少し書き足したいと思ってます。


 この本をある友人に見せながら、「もうすぐ読み終わるので、お貸ししましょうか?」と言ったら、「いいえ、今日帰りに買いますから」という力強い返事でした。(笑)

 また、「もの言う翔年」の読者のお一人、あるBloggerさんは「教団X」を読まれた読後感の後に、「 また、ズシンとくる本、教えてください。」と書いておられた。これをお勧めしたい。







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November 17, 2016

ものごとの価値判断  -数字のみの判断はいかがなものか?-

 
 本好きの翔年はよく本屋さんに顔を出す。すると熱心な店員から「今売れ筋の本は〇〇と△△です」といきなり勧められることがある。 

 興味がある本を探しに来た客にたいして、店員は、販売データから、上位の二つを単に売りつけているだけ。「あっちへ行け!」と追い払いたくなる。(笑)


 本の価値は販売数でもないし、本の価格でもない。本の購買者はその本に求めている情報が記載されているかどうかに関心があるだけなのだから。


 家電量販店でも似たようなもの。冷蔵庫売り場に行こうが、空調機器売り場に行こうが、Fax売り場に行こうが、店員はまず販売でーたから、売れ筋商品を薦める。
 本来、商品の購入目的(使用目的、家族構成、設置場所、予算)などを訪ねてから商品を進めるのが理にかなっているのに…。

 客は用途に合った機器の利便性、性能、価格等の情報を求めている。 客の最終判断は色、形までも含めた総合判断なのだから。


 保険勧誘不動産の売買勧誘などでも、数字を前面に押し出しただけの理にあわない変なのが多いいのではないか?



 ものごとの価値判断を数字だけで安易に判断してはならない。数字の奥に潜む真の目的やその効用をキチンと評価する智慧が求められている。
 
 
trump

 選挙期間中、アメリカのトランプ候補は、物事の価値を分かりやすく、お金や数字で大衆に向かって話をすることが多かった。

 例えばわが国の根幹にかかわる国防に関しても、
 「海外に駐留する米軍の費用の負担を、(守ってもらっている)韓国や日本がもっと増やさなければ軍隊を米国に引き上げる」と公言した。

 これは安全保障という国家間の約束事を当事国における軍隊駐留費用のみで議論しようとしている。全駐留費用の何%を我が国や韓国が負担するかと、負担率の問題に単純化した馬鹿げた論である。

 これに対して日本の評論家が「韓国は30%程度だけど我が国は70%も負担している」と負担率の比較で反論している。数字が事実だとしても、これはトランプ氏の罠には自らはまり込んでいる。

 実際、我が国は憲法上の制約があるため、自衛隊は他国への直接的攻撃力は持たない。日米安全保障条約による米軍の沖縄駐留と米国の「核の傘」がなければ、わが国は非常に危険な状態下に置かれることになる。負担を増やせという主張は一面では正しい。日本が米国と傭兵契約しているのなら、100%要求されても仕方がない。核の傘代金も払わう必要があるだろう。

 しかし、日米安全保障条約はそんな単純なものではない。米軍の沖縄駐留で、アメリカが大きなメリットをえていることを忘れてもらっては困る。恐らく米軍のプレゼンスが東アジアで0になれば、現在の軍事バランスは大きく崩れ、軍事的にますます強大化するどこかの大国がいずれ支配するようになるのは間違いない。そうすればアメリカでさえ、東アジアにおいて、海上や上空の自由航行の権利もいずれ失う羽目になるであろう。

 もし、トランプ次期大統領が言うように、我が国や韓国が軍事的に完全な独立国として核兵器を保持したとしよう。そうなればこの二国の核兵器の脅威がアメリカ軍に影響を及ぼすということにも思いを致すべきだ。ハッキリ言えば、アメリカは中国、ソ連、北朝鮮の他に、日本と韓国の核攻撃にも反撃できるように軍事設備や軍隊を余計に持たなければならなくなるということである。その時にトランプの米国は沖縄駐留費用の方が安上がりだったと気付くであろう。 
 
 アメリカにとってもっと重大なことは、アメリカの核の傘の下で、アメリカの意向に唯々諾々と、もしくはしぶしぶ従っていた日本や韓国が堂々と真の独立国として、自国の権利や要求を主張し始めるかも知れないことである。加えて日米同盟は単に二国間の安全保障政策にとどまらず、東アジアにおけるアメリカのプレゼンスを保証しているのを忘れてもらっては困る。

 将来、わが国も韓国も近隣の軍事大国の圧力に屈し、アメリカと価値観を共有している自由陣営から脱落している事態もかなりの確率でありうると見ておかなければならない。

 軍事政策とは単に二国間の関係にとどまらず、周辺国を含めた地域の問題であり、関係国が同盟を結ぶ事によってそれぞれ得ているメリット(価値)を、十分考慮しなければいけない。駐留費の負担率はその中の一つの判断要素にすぎない。



 好漢トランプ氏に、この言葉を送りたい。

最高の才能は事物の価値をよく知るところにある。
       -ラ・ロシュフーコー-


 もう一つ、選挙期間中、トランプ氏の口から理想が語られたことはほとんどなかった。強いアメリカをつくることは、目標ではあっても、理想ではない。理想を熱く語れないリーダーは長期政権を維持することはできないと思う。(隣国の朴槿恵大統領も理想を語ることはほとんどありませんでしたね)

理想のない現実主義は無意味である。   -ロマン・ローラン-









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November 07, 2016

お宝の6ペンスより価値あり -子どもや孫たちと遊ぶこと-

 無職の気楽な後期高齢者とはいえ、10月はいろいろな行事や雑事があって忙しかった。たまたま運悪く、来春小学校へあがる孫(女児)の運動会と囲碁の会がバッティングしたことがあった。碁会の幹事役を仰せつかっているし、翌週に孫はピアノの発表会が控えており、それには行くんだから、「まぁよかろう」と運動会は行かなかった。

 後で聞いたら、「ジイジが来てない」と彼女は相当ガッカリしていたという。小太鼓をたたいてマーチングするのを見て欲しかったんだろう。彼女は人前でパフォーマンスするのに臆するところがない。見られて賞賛されるのが大好きなのだ。両親も兄も行くというから、まぁ一人くらい良かろうというジイジの判断が甘かった。まいった。

悲の器001
 というようなことで、ちょっと心を痛めていたところ、あの進化論の大先生のこんなエピソードをたまたま見つけて、またまいった。(笑)
 この逸話はある経済学者の「勉強時間なき苦しみ」というエッセイから、高橋和己先生が小説に取りこんで引用されているものです。

 「四つになるダーウィンの愛児が、「お父ちゃん、一緒に遊んでくれたら六ペンスあげよう。」といって書斎に侵入してきたとき、彼はその申し出をことわる理由はこの世に存しないといってそれに応じたという。」      -高橋和己「悲の器」より-

 
 6ペンスが当時どのくらいの価値があったのかしらないが、ひょっとしたら、ダーウィンの愛児が遊び賃として差し出したのは彼の全財産だったのかも知れない。子供は宝物にしていた銀貨よりも、ダーウィンパパと遊んでほしかったのだ。彼にとってパパと遊ぶことがそれ以上に価値あることだったのは間違いない。

 翻って、長男と長女が幼児の頃、30歳代だった翔年は仕事、仕事で、断る理由が山ほどあった。遊んでやる機会は少なかったなぁ。彼らが6ペンスを差し出しつづけているのを、少しも気がつかなかったのかも知れない。

先生と連弾



以下は蛇足、お金の話です。(お忙しい方はスキップしてください。)

お金の名言1:
真面目な方「お金がすべてじゃないわ
金欠症の方「持っている人は皆んなそう言うんです

お金の名言2:
Money is like muck, not good except it be spread.
(金は肥しのようなもの。{一カ所に溜めておけば臭うが}まき散らせば用をなす。)
      -Francis Bacon-

→ 我が国の現状は、高齢者が長命にそなえて、お金をため込んでいることで金詰まりを起こしている面があると聞く。確かに、報道される高齢者相手の振り込め詐欺や高額商品の騙し売りなどの被害額が驚くほど巨額なことが多いから、あるところにはたんまり貯まっていることは間違いない。本当にベーコン先生がおっしゃるように、臭っているのだろうか? お金がすべて、一番大事、と思っている人が多いことは間違いない。

 ではどうすればよいのか? こんなデフレ状態を如何に脱するか? 政府と日銀はここ数年、市中に出回るお金の量をうんと増やしたけれども、お金は天下に回らない。 絶対的に需要が不足しているから。
 デフレ脱却は大変むずかしい。これぞという政策はなかなか見つからない。

 国の経済や安全保障など喫緊の大問題が山積なのに、国会はつまらん大臣の失言に関して、くだらん議論をつづけている。この種の議論で国民の利益になる結論なんて期待できるとは思えません。


いかなる討論も、十分時間をかけると無意味になる。
      -Arthur Bloch:Murphy's Law-
→ 水掛け論の結論なし、むなしさだけが残る。

議論のための議論はするな。議論というのは、解決策を見つけるためにある。
     -カリン・アイルランド-
→ 我が国会で議論から良い解決策が出されたことが幾つあっただろうか? 国会自らが検証して国民に報告したらどうだろう?


議論するだけなら議員は大勢いる。実行が問題になると誰もいなくなる。
       -J.ラ・フォンテーヌ[1621-95](詩人)-
→ 国会議員はどう見ても数が多すぎる。だから恥ずかしいほどレベルの低い議論が次から次へと延々と続けられているように見えます。国会中継をTVで見て、イライラさせられた人は多いと思う。





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November 05, 2016

スイスイ論語(6) -君子は和して同ぜず-

5日の読売新聞夕刊(拡大すれば、記事が読めます)

すいすい論語006

 新聞記事は子供向けにやさしく書かれていますから、子供も理解できます。けれど、本当に論語が理解できるようになるのは、社会に出て色々な人間関係の中で揉まれてからではないかと思います。翔年は40歳代になってから、「論語」や「言志四録」などを読み始めたら、ストンと腑に落ちることをたくさん経験しました。(笑)

 (このBlogの読者は年配者が多いので、諸橋先生の訳と解説が一番ピッタリくるのではないかと思って引用させてもらっています。)
 
 
君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。(子路第一三)

諸橋轍次先生の訳と解説です。
君子はいかなる場合にも人と相和合して事を執り行うが、人に雷同して事を行うことはない。小人の場合はこれと全く反対で、人に雷同して事を執り行うが、人と和合して事を行うということはない。

※同は、表面上、心を同じくするように見せかけることで、雷同の意。



 古典を味わって、世の中を眺めては、自分を顧みることは有益なことであり、また楽しいことでもありますね。

 スイスイ論語の安岡定子さんが記事で解説されているように、「君子」は「理想の人物」なので、今どきの政治家を論語の尺度で人物評価したらほとんどの人が落第なのではないでしょうか?

 上の言葉を味わっていると、よく似た筆法で論語の為政第二にあるこんな言葉を思い出しました。

君子は周して比せず。小人は比して周せず。(為政第二)

 これも諸橋先生の訳と解説で味わいたいと思います。
成徳の君子は、たれかれの差別なく、広く公平に人と交わって、決して偏頗な交わりをしない。これに反して、徳の修まらぬ小人は、偏頗な交わり方をして、広く公平に人と交わることが出来ない。


 それは君子は心公平で私がない。故にあまねく人と交際ができる。然るに、小人は私心を持っているから、自分の利害にかかわって、その交際もおのずから一方に偏したものとなるのだという。心の公と私とが、この相違をもたらすのだと…。


 隣国の大統領も米国の大統領候補者も、君子というにはほど遠い人物なので、論語の尺度で云々することは止めておきます。





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October 25, 2016

『教団X』  -人間の闇をあますところなく描く小説-

教団X
 あるリケジョ大学生から、中村文則の『教団X』を薦められました。人間のこころの闇を余すところなく描いて秀逸でした。567ページもある長編ですが、一気に読ませる力がありました。

 読了後、「主な参考文献」というリストがついていることに気が付きました。加えて「あとがき」もありました。普通、小説には「参考文献」も「あとがき」も、余計なものは何もありません。作品のみで勝負という訳ですけどね。(笑)

 でも作者がこのような「参考文献リスト」をつけ、「あとがき」もつけた意味が、翔年は少し分かるような気持になりました。

 広くて深い知的レベルの読者が、この小説をシッカリ読んで、読後感を作者に送ったら喜ばれるのではないでしょうか???
  
 
 内容が深くて深刻なのでストーリーはバラさない方がいい、へたな読後感も書かない方がいいと思いました。
 ならば読者にこの小説をどう伝えたらいいかと考えたとき、作者の「あとがき」と「主な参考文献」をつけておくのがベターだろうと思いつきました。

 作者の次作を期待して待ちたいと思います。

 この小説を薦めてくれたRさん、ありがとう!



あとがき
 
 この小説は、僕の15冊目の本になる。

 文芸誌「すばる」で約二年半にわたり連載していた。単行本化にあたり加筆し、完成したものになる。

 世界とにんげんを全体からとらえようとしながら、個々の人間の心理の奥の奥まで書こうとする小説。

 こういう小説を書くことが、ずっと目標の一つだった。これは現時点での、僕の全てです。

 作家になって12年が過ぎた。みなさんにもそれぞれの12年がある。これからも読者とともに、歳を重ねていけたらと思う。 

 共に生きましょう。

               2014年10月20日 中村文則



主な参考文献(※非常に多いので、小説の内容が理解しやすいと思われるものを適当にピックアップしました)
「ヴェーダの思想」 中村元、春秋社、1989年
「ブッダのことば --- スッタニパータ」 中村元訳、岩波書店、1984年
「禅マインド ビギナーズ・マインド」 鈴木俊隆、サンガ、2012年

「脳はなぜ『こころ』を作ったのか」 前野隆司、筑摩書房、2010年
「<意識>とは何だろうか」 下條信輔、講談社、1999年
「生物と無生物のあいだ」福岡伸一、講談社、2007年

「宇宙が始まる前には何があったのか?」 ローレンス・クラウス、青木薫訳、文芸春秋、2013年
「新装版 不確定性原理 都築卓司、講談社、2002年
「量子力学の哲学」 森田邦久、講談社、2011年

「戦争をしらない人のための靖国問題」 上坂冬子、文芸春秋、2006年
「東京裁判」 日暮吉延、岩波書店、2008年
「従軍慰安婦」 吉見義明、岩波書店、1995年
「俘虜記」 大岡昇平、新潮社、1967年

「戦争請負会社」P・W・シンガー、山崎淳訳、日本放送出版協会、2004年
「援助じゃアフリカは発展しない」 ダンビサ・モヨ 小浜祐久監訳、東洋経済新報社、2010年
「世界の半分が飢えるのはなぜ?」 ジャン・ジグレール、たかおまゆみ訳、合同出版、2003年 
「ルポ資源大陸アフリカ」 白戸圭一、朝日新聞出版、2012年

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October 12, 2016

日本国憲法を考える - 第一章 天皇 第1条〜第8条 -

憲法関係本


 7月13日にNHKのニュースが突然、天皇の「生前退位」の意向を報じてから、翔年は現行憲法下では、今の皇室を現状のまま維持し続けるのは大変難しいであろうと考えて、

 9月11日に「天皇の「生前退位」問題を考える -その真意は? ソースは? 黒幕は?-」をアップし、皇室が政争の具になるのを危惧しつつ、今上天皇は「生前退位」により、現行の国事行事をそっくりそのまま次の天皇に引き継ぎたいご意向であることを確認しました。


 そして、9月27日には「天皇陵は謎ばかり -宮内庁の厳禁措置の弊?-」をアップして、わが国の125代に亘る歴代天皇のリストを掲げ、宮内庁が管理している天皇陵(その中の古墳陵)が考古学から見ても、歴史学から見ても疑問だらけであること、それなのに歴史学や考古学の進歩でそれらが誰の目にも誤りであると明らかになっても、宮内庁は決して見直ししないことなどを指摘してきました。
 翔年は神話の時代はそれは神話であるとしてよい。ただし、考古学や歴史学で明らかになったものは改めるべきであろうと思っています。権威によって、知的財産まで歪めてはならないと思います。
 何もかも曖昧にしてしまってはならないと思います。


これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。 -「論語」 為政第二-
(諸橋轍次先生の意訳)
自分の知っていることは、この事は知っておるとし、知らないことは、この事はまだ知らないことであると、心にはっきり区別して認識するがよい。これが本当に知ることであり、それが又、更に知識を得て行く道である。
 



ここがヘン日本国憲法

 さて、このエントリーでは、我が国の憲法に位置付けられている第一条〜第八条の天皇に関する条文を逐条見ていきたいと思います。(憲法前文には皇室に関する記述はないので、ここでは省略して先へ進みます)


第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
→ 天皇はあくまで象徴天皇であって、この地位は国民の総意に基くのです。総意と言ったって、この憲法が定めている地位ですから、憲法改正に要する各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議して、国民に提案し、その承認(過半数)を得れば、国民の意思で象徴天皇の廃止は可能です。


第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
→ ここでは「世襲」という古臭い言葉がでてきます。国民の場合は第十四条で「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」となっています。国民は生まれた時から、法の下に完全に平等です。たとえ家族の誰かが栄典を授与されたとしても、一代限りの効力しかありませんから、世襲は一切ありえません。


第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
○2  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
→ 天皇は内閣の助言と承認がなければ国事に関する行為は一切できません。言葉は悪いですが、繰り人形みたいなものとして定められています。
 ですから憲法上から言えば、今回のようなご自分の気持ちを国民に向かって直接天皇が述べられるのは、異論ありという考えもありうると思います。分かりやすい例を上げれば、ご自分の正直な気持ちを吐露されて、「現憲法は時代に合わないから改正すべきだ」と述べられても、「平和憲法である現憲法は守るべきだ」と述べられても、政治への介入とされて大問題となるでしょうから。


第五条  皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
→ 摂政は天皇が未成年のとき、または天皇に心身上の重患もしくは重大な事故があり、皇室会議によって、国事行為を行うことが出来ないと判断されたときに、おかれることになっています。
※皇室会議は以下の10人がメンバーです。議長は総理大臣ですし、議員の構成も政治家が多いので、政治権力が上位にある構成に見えます。
1 皇室(2人)、成人に達した皇族の互選
2 衆議院議長及び副議長
3 参議院議長及び副議長
4 内閣総理大臣---皇室会議の議長
5 宮内庁の長
6 最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官(1人)


第六条  天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
○2  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七  栄典を授与すること。
八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九  外国の大使及び公使を接受すること。
十  儀式を行ふこと。
→ これらはいずれも形式だけのことです。このような儀式がどうして必要なのか翔年はよく理解できません。何の権限も与えられず、儀式のみを執り行うようになっている天皇がお気の毒と思うばかりです。



第八条  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
→ この定めがないと、皇居の新築やら何やらで、1円で請け負う工事業者が出てきたり、おかしなことが横行し目も当てられなくなるでしょうね。(笑)


日本人と天皇
 ここでちょっと息抜きに、読者のみな様に意地悪な質問を二つしたいと思います。感覚でなく、出来るだけ論理的に考えてお答えいただければありがたいです。

Q1 我が国の国家元首は一体誰でしょうか? (四択)
A1 天皇  B1 内閣総理大臣 C1 内閣  D1 元首は不在
→ 翔年は分かりません。いくら憲法を読んでも答えは見つかりません。
  外国から国家元首が公式に訪日する時には、わが国の国家元首が迎えるのが国際儀礼です。明治憲法では「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ此ノ憲法ノ条項ニ依リ是ヲ行フ」とありましたが、現憲法には何の規定もありません。憲法解釈によって政府は天皇を国家元首としているのですが、どの条文をどう解釈したのか? 曖昧な話です。(笑) 
  実際、外国の元首が死亡したときの弔電や外国の国王が即位したときの祝電も、憲法に明記されていないにもかかわらず、天皇の名で実際に行われているようです。

Q2 わが国は君主国ですか?(二拓)
B2 Yes  B2  No
→ 翔年は分かりません。共和国とは思いませんが…。(笑)
  君主国なら、君主国らしく前文にその国の歴史的、文化的記述があって、その中心に天皇のことがしかるべく書いてあるのではないでしょうか? 現憲法にはそういう記述は一切ありません。それで「当然君主国である」という説から、「共和制だろう」という説まで、いろいろな学者のお説があるそうです。すべて議論は「象徴天皇」をどう解釈するかに行きつくわけで、決定打はありません。現状は憲法で曖昧にしたまま、何時の間にか元首を天皇にしていますから、君主国のように見えますね。



 以上、天皇に関する憲法の条文を見てきましたが、この憲法は元首すら定めていないのです。それもこれも、すべて象徴天皇制という曖昧なものに起因していると感じます。


天皇の戦争責任

 その原因の最たるもの
1. 昭和天皇および日本国民が戦争責任をキチンと総括していないことにあります。極東国際軍事法廷(通称東京裁判)で日本人25人が有罪になり、絞首、無期禁固、その他の刑に服しました。が、あれは戦勝国の裁判であって、敗戦国の日本人はあの裁判を否応なく受け入れたに過ぎなかったのです。
 歴史を正確にだどれば、東京裁判は連合国側が戦後の混乱した我が国を統治する方策として、昭和天皇を訴追しなかったのでした。いわば戦勝国のご都合だったのです。

以下は、極東国際軍事法廷の裁判長ウイリアム・フラッド・ウエッブ(オーストラリア代表)の見解です。
〇 天皇の権威は、天皇が戦争を終結されたとき疑問の余地の無いまでに立証されている。同様に戦争を開始するに当たって天皇の演じた顕著な役割が検察側から提示されたが、同時に検察側は天皇を起訴しないことを明らかにした。(中略)

〇 戦争開始には天皇の権威が必要であり、もし天皇が戦争を欲しなかったのであれば、天皇は当然にその権威を留保すべきであった。

〇 天皇は常に周囲の進言にもとづいて行動しなければならなかったという意見は、証拠に反するが、またかりにそうであったとしても、天皇の責任は軽減されるものではない。(中略)

〇 これ(天皇を裁くこと)は私の管轄外であり、天皇が裁判を免れたことは、疑いもなくすべての連合国の最善の利益にもとづいて決定されたものである。



2. ならば、大日本帝国の唯一最高の統治者にして軍隊統帥者である天皇裕仁は、1931年から45年にわたる戦争を、自らの権威と意志決定によって指導したことの責任を自らとるべきではなかったのか?
  
3. 日本国民は自分たちの問題として、天皇の戦争責任を問うことも、枢要な為政者の責任を問うこともしなかった。(ドイツ国民はヒットラー率いるナチスに責任ありとして、ナチスの協力者まで徹底して今に至るまで責任を追及しているのと好対照です。)

4. その結果、世界中の人々が天皇と日本人をどのように見ていたか、45年前の昭和天皇ヨーロッパ訪問時の歴史的事実を二つ上げておきます。
(1) 戦後25年経った節目の年(1971年10月12日)に天皇ご夫妻がボンを訪問した際のことです。多数のドイツ人学生および居留アジア人が、天皇来訪反対の大デモを行った。かかげたプラカードには「ヒットラーは600万人のユダヤ人を---ヒロヒトは5000万人のアジア人を殺した」と書いてあったといいいます。
 そしてこの学生達はあらゆるシュプレヒコールを繰り返し、警察の中止命令に従わなかった。そのため、11人が逮捕され、1974年に裁判にかけられています。
(2) 同様にオランダ訪問時には街中に「裕仁は犯罪者」という落書きがあふれ、天皇に向かって卵や魔法瓶が投げつけられ、天皇がお手植えの苗を引き抜かれる事件も発生しました。

 今更死んだ人に責任をとってもらう訳にはいきません。昭和天皇も当時の責任者もお墓の中です。生き残った日本人は、責任の取りようがなく、結果的に世界のあちらこちらに頭を下げ続け、お金を出し続ける生き方、もっとハッキリ言えば武士道の潔(イサギ)よさとは正反対の生き方を選んだことになっています。



皇室は必要か
 今回、天皇が国民に向かって率直にお言葉を述べられ、過大な国事行為を誠実に果たされようと努めておられるご高齢の天皇のお姿に接して、国民は「大変だと思います。何とかしてあげたい!」と好意的な気持ちを抱いている方が多かったように見受けられました。これは日本人の優しさでよかったと思います。

 そういうやさしい気持ちをお持ちの方々に、翔年はもう一歩踏み込んで天皇家の以下のような定めをどのようにお考えになるのか、是非聞いてみたいと思っています。

Q1 天皇には自由がありません。日本国憲法によって、生まれた時から天皇になれ!と定められています。退位もできません。職業も選べません。たぶん離婚もできないでしょう。何の定めもありませんから。

Q2 天皇ご夫妻にはいわゆる基本的人権がありません。思い出していただきたい。美智子皇后は正田美智子であった頃は当然、国民の権利として、自由も人権(男女平等を含む)もお持ちでしたが、皇太子妃になられてられると同時に日本国民としての権利は全てなくされました。 お気の毒にも皇室に入られてから美智子妃は「生き甲斐の喪失」やら「何やらの重圧」もあって「失語症」を患われたことがあります。
 次に雅子さまの「不適応症」について書こうとしました。その時過去にこんなエントリーをアップしているのを思い出しましたので、その一部を再掲することにします。



禁忌の領域
2004年9月9日 「雅子さま、気持ちの整理の時間必要」 -東宮太夫-
『宮内庁の林田英樹・東宮大夫(とうぐうだいぶ)は8日、記者会見し、皇太子妃雅子さまについて
〈1〉私的な外出に慣れる必要がある
〈2〉カウンセリングなどの精神療法を通じて気持ちを整理する時間が必要
〈3〉公務を軽減し、内容を見直して再開すべきである
と年内の公務復帰は無理との理由を説明した。
 6月17日にも書いたことだが、翔年は民間から天皇家に嫁がれて精神的に苦悶しておられる雅子妃に同情を禁じえない。
 かつて美智子皇后は「失語症」、こんどの雅子妃は「強迫神経症?」(後に「不適応症」に変更)、どうしてこういうことが心身ともに健全な国民の宝とも思える女性の身の上に起るのか? それも民間出身のお二人とも。

 自由が全くなく、自分の意志を述べることが許されず、男子を産むことが「公務」とされるような環境では、普通の(正常な)人間は耐えられないのではないか。改善や救いの手が遅きに失しないよう関係者に強く望みたい。

 雅子さまのような困難な状況に陥った時、一般国民なら転地療養とか、長期の里帰りとか、最後の最後には望めば離婚という選択肢もある。が、我国の憲法第一条から第八条までに規定されている天皇の地位にまつわる条文によれば、特権はあるが国民のだれにも保証されている自由(信仰の自由や職業選択の自由、思想の自由な発言)などの基本的な人権は全くない。

 今の若い人たちはこのようなダブルスタンダードをどのように理解しているのであろうか。多くの意見が知りたい。』ものですね。


 翔年は今、10年以上前に書いた上の引用文を読んでみて、書いた時の気持とちっとも変わりないことに驚きました。国民の象徴たる天皇制とは、えらく非人間的な制度に見えて仕方がありません。
 
 人間は自由であり、つねに自分自身の選択によって行動するとき、大きな喜びを感じるものではないでしょうか? 自由の制限は生き甲斐の喪失にもつながりかねません。
 人間に取ってそれほど大きな自由のみならず、基本的人権を、国民が憲法によって奪う権利を持ち、それを永遠に皇室に強制し続けていいものでしょうか? 
 


 現行の憲法は、天皇制に限らず、国の安全保障についても、国際貢献策についても、地球環境問題への対処についても、あまりにも現在の国の置かれている環境とかい離している。もう、現実の問題点に目をつぶり、無理な憲法解釈によってああだ、こうだと不毛の論理をやっているいるのでは、国を危うくするリスクを高めるだけです。このままでは、政府は国民の命と財産を守る役目が果たせなくなってしまいます。

 21世紀の時代に合ったわが国のあるべき姿について、もっともっと議論を深め、憲法を改めるべき方向性を出来るだけ早期に明確にするべき時期がきているのではないでしょうか?

 広く国民の間に憲法改正の議論が高まることを期待します。




(参考)
日本国憲法(前文〜第八条のみ)
(昭和二十一年十一月三日憲法)

 前文

  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

   第一章 天皇

第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。

第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
○2  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第五条  皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条  天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
○2  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七  栄典を授与すること。
八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九  外国の大使及び公使を接受すること。
十  儀式を行ふこと。

第八条  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

※憲法の全文をご覧になりたい方は こちら をご覧ください。





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Posted by mtmt0414 at 01:03Comments(0)TrackBack(0)Politics

September 27, 2016

天皇陵は謎ばかり -宮内庁の厳禁措置の弊?-

天皇陵の謎

 前エントリー「天皇の「生前退位」問題を考える -その真意は? ソースは? 黒幕は?-」で宮内庁の役人がメディアと国民に向かって公然と嘘を言っていることを書きました。

 未だに宮内庁の山本信一郎次長が「天皇陛下が『生前退位』の意向を宮内庁関係者に伝えているという事実は一切ない。そうした前提で、今後の対応を検討していることもない。」と7月13日に述べた言葉は取り消されていません。

 7月13日以来、次々とメディアが伝えているのは、この役人の言葉とはまったく正反対の事が次々と報じられています。

 象徴天皇は政治権力はOですが、権威は温存されているので、こういうことが起こるのでしょう。困ったことです。この傾向が強くなると、国民はだんだん天皇や天皇制について、自由に物が言えなくなります。


 さて、翔年は高槻市在住です。実は高槻市には第26代継体天皇陵があるのです。宮内庁は認めていませんが…。
 そこのちょっと微妙な話から始めます。(笑)




 宮内庁が継体天皇陵として守っているのは高槻市の隣、茨木市太田3丁目にある正式名称は「三島藍野陵」、古墳名は「太田茶臼山」です。古墳の規模は全国21位、天皇陵の見本のような、風格に満ちた巨墳だそうです。(素人の翔年には古墳の風格といわれてもピンときませんけれど…)

 ところが昭和61年5月、この古墳の外堤の内側から、継体天皇の没年よりも百年近くも古い5世紀中葉の円筒埴輪の破片が2千点も発見されたのです。宮内庁の外堤護岸工事に伴う事前発掘調査で出土したので、学者だけでなく我々周辺市の住人もびっくりでした。
 
 もっと驚いたことに、継体陵から北東へ1.5Km離れた我が高槻市郡家新町にある国指定の史跡、「今城塚古墳」が急に脚光を浴びることになりました。何故かというと、今城塚古墳は大正時代から継体天皇の真陵であると考えられてきた歴史があったからです。大きさは前方後円墳としては全国40位程度ですが、後期古墳としては抜群の大きさだそうですから特に問題なし。

 古墳の外形から築造年代は6世紀前半。継体天皇の没年に合致。その年代の形象埴輪や円筒埴輪も、二重濠の間の中堤から出土しました。

 今城塚は文献「延喜式」の記載と考古資料が完全に一致しており、ほとんどの学者がこれこそ本物の継体天皇陵として断定する古墳になったのです。

 このような事実によって、ほとんどの学者が今城塚古墳は継体天皇陵であると結論つけているのに、宮内庁はこれを継体天皇陵とは今も認めていません。そして茨木市太田の「三島藍野陵」は天皇陵として立ち入り禁止にして守っています。

 翔年は一役所にすぎない宮内庁がどんな権限で、学者の立ち入りさえも禁止するのかサッパリ分かりません。 多分不都合なことがあるのでしょう??? 何かわかりませんけれど。でも一役所の判断でそんなことをしていいものでしょうか?
権威主義がそうさせるのか? 墨守主義がそうさせるのか? 結果として正しい歴史を隠蔽し、日本文化の源流を歪めていると思えてなりません。



 このエントリーでは、陵墓のことを学問的に公平な立場で、かなり突っ込んだ主張がなされている矢澤高太郎著「天皇陵の謎」文春新書刊に全面的に頼りながら、「歴代天皇陛下一覧とその陵墓」という表を作ってみました。煩を避けるため古墳に焦点を当てています。
 
1. 宮内庁が管理している天皇陵を中心とした陵墓が196も存在しており、それらのすべては一切の立ち入り厳禁処置がとられている。

2. しかもそこに眠っているはずの天皇は9割近くが別人の可能性が高いと最近の考古学や歴史学の研究から分かって来ている。

3. それにも関わらず、宮内庁が江戸時代と明治時代に定めた天皇陵を頑なにガードを固めており、新しい知見が得られても一顧だにしません。

このような、事実や学術的知見の進歩に目を塞ぎ、こと勿れ主義の宮内庁の対応に不満を抱く立場から、歴代天皇の一覧表に天皇陵のほとんどが、考古学的、学術的に疑問が多く、そこに葬られている人物も天皇『かどうか、これも不確かなものであることを示したいと思います。勿論、学問には多様な学説があってあたり前、また学問的知見は漸進するものですから、これが絶対というものではありません。少なくとも、現在において大きな問題提起だとお考えいただければ幸いです。

 
歴代天皇

歴代天皇陛下一覧とその陵墓(古墳に焦点を当てています)

1. 神武天皇〜開化天皇までの9人は現歴史学、考古学では実在が完全に否定されていますが、豪壮な陵墓はある。幕末に徳川幕府が朝廷政策の一環として新造、整備したものである。バカバカしいので空欄にしてます。

2. 後代天皇の陵墓と埋葬者についても、そのほとんどが考古学的、学術的に「?」です。

3. 宮内庁はこのような不確かな歴史を固定し、陵墓を立ち入り禁止の閉鎖的環境にして、守っています。

4. 継体天皇陵のように、考古学的、学術的発見や進歩があっても、これらの陵墓の間違いが正されることは決してありません。


「代」  「天皇(よみかな)」    「陵墓(所在地)、埋葬者、疑義?等」
1代   神武天皇(じんむ)      
2代   綏靖天皇(すいぜい)    
3代   安寧天皇(あんねい)    
4代   懿徳天皇(いとく)    
5代   考昭天皇(こうしょう)    
6代   考安天皇(こうあん)    
7代   考霊天皇(こうれい)    
8代   考元天皇(こうげん)    
9代   開化天皇(かいか) 開化天皇陵(奈良市)前方後円、古墳の形式?? 
10代  崇神天皇(すじん) 崇神天皇陵(天理市)前方後円、 考古学的に?
11代  垂仁天皇(すいにん) 垂仁天皇陵(奈良市)菅原伏見東陵? 前方後円 
12代  景行天皇(けいこう) 景行天皇陵(天理市)前方後円 考古学的に? 
13代  成務天皇(せいむ) 成務天皇陵(奈良市)前方後円 考古学的に? 
14代  仲哀天皇(ちゅうあい) 仲哀天皇陵(御所市、藤井寺市?) 前方後円 検討の余地あり
※以上の天皇は実在が確認できない。神話時代の天皇と呼ぶ学者もいらっしゃる。

15代  応神天皇(おうじん) 応神天皇陵(羽曳野市)前方後円 考古学的に?
16代  仁徳天皇(にんとく) 仁徳天皇陵(堺市)前方後円 真の埋葬者は?
17代  履中天皇(りちゅう)  履中天皇陵(堺市)前方後円真の埋葬者は? 考古学的に?
18代  反正天皇(はんぜい) 反正天皇陵(堺市)前方後円 真の埋葬者は? 古墳の形式?
19代  允恭天皇(いんぎょう) 允恭天皇陵(藤井寺市)前方後円 考古学的に?
20代   安康天皇(あんこう) 菅原伏見西陵(奈良市)山形、古墳? 暗殺された天皇
21代   雄略天皇(ゆうりゃく) 雄略天皇陵(羽曳野市)円? 付近の古墳検討要! 
22代   清寧天皇(せいねい) 清寧天皇陵(羽曳野市)前方後円 付近の古墳余地?
23代   顕宗天皇(けんぞう) 顕宗天皇陵(香芝市)前方後円 古墳か疑問? 
24代   仁賢天皇(にんけん) 仁賢天皇陵(藤井寺市)前方後円 付近の古墳の余地? 
25代   武烈天皇(ぶれつ) 武烈天皇陵(香芝市)山形、古墳か疑問?  
26代(507-531)  継体天皇(けいたい) 継体天皇陵(茨木市?埋葬者? 高槻市〇)前方後円
27代(531-535)  安閑天皇(あんかん) 安閑天皇陵(羽曳野市)前方後円 考古学的に?
28代(535-539)  宣化天皇(せんか) 宣化天皇陵(橿原市)前方後円 付近の古墳の検討?
29代(539-571)  欽明天皇(きんめい) 欽明天皇陵(明日香村)前方後円 見瀬丸山古墳?
30代(587-592)  敏達天皇(びだつ)  敏達天皇陵(太子町)前方後円 墳形の形式?
31代(585-587)  用明天皇(ようめい) 用明天皇陵(太子町〇)、方墳 考古学的? 
32代(587-592)  崇峻天皇(すしゅん) 崇峻天皇陵(桜井市)方墳、円墳?真陵は?暗殺された天皇
33代(592-628) 推古天皇(すいこ) 女帝 推古天皇陵(太子町〇)方墳 検討の余地?
34代(629-641)  舒明天皇(じょめい) 舒明天皇陵(桜井市〇)方墳 考古学的?
35代(642-645)  皇極天皇(こうぎょく)女帝(重祚して斉明天皇)
36代(645-654)  考徳天皇(こうとく) 孝徳天皇陵(太子町)円墳 考古学的?
37代(655-661) 斉明天皇(さいめい)女帝  斉明天皇陵(高取町)円墳、八角?眞陵は?
38代(661-671)  天智天皇(てんじ) 天智天皇陵(京都市◎)方墳   
39代(671-672)  弘文天皇(こうぶん) 弘文天皇陵(大津市)円墳 考古学的??
40代(672-686)  天武天皇(てんむ)  天武天皇陵(明日香村◎)八角
41代(686-697) 持統天皇(じとう)女帝  持統天皇陵(天武天皇と合葬)
42代(697-707)  文武天皇(もんむ)  文武天皇陵(明日香村)円?真陵は?八角
43代(707-715)  元明天皇(げんめい)女帝
44代(715-724)  元正天皇(げんしょう)女帝
45代(724-749)  聖武天皇(しょうむ)
46代(749-758)  考謙天皇(こうけん)女帝(重祚して称徳天皇)
47代(758-764)  淳仁天皇(じゅんにん)
48代(764-770)  称徳天皇(しょうとく)女帝
49代(770-781)  光仁天皇(こうにん)
50代(781-806)  桓武天皇(かんむ)
51代(806-809)  平城天皇(へいぜい) 平城天皇陵(奈良市)
52代(809-823)  嵯峨天皇(さが)
53代(823-833)  淳和天皇(じゅんな)
54代(833-850)  仁明天皇(にんみょう)
55代(850-858)  文徳天皇(もんとく)
56代(858-876)  清和天皇(せいわ)
57代(876-884)  陽成天皇(ようぜい)
58代(884-887)  光考天皇(こうこう)
59代(887-897)  宇多天皇(うだ)
60代(897-930)  醍醐天皇(だいご)
61代(930-946)  朱雀天皇(すざく)
62代(946-967)  村上天皇(むらかみ)
63代(967-969)  冷泉天皇(れいぜい) 
64代(969-984)  円融天皇(えんゆう)
65代(984-986)  花山天皇(かざん)
66代(986-1011)  一条天皇(いちじょう)
67代(1011-1016)  三条天皇(さんじょう)
68代(1016-1036)  後一条天皇(ごいちじょう)
69代(1036-1045)  後朱雀天皇(ごすざく)
70代(1045-1068)  後冷泉天皇(ごれいぜい)
71代(1068-1072)  後三条天皇(ごさんじょう)
72代(1072-1086)  白河天皇(しらかわ)
73代(1086-1107)  堀河天皇(ほりかわ)
74代(1107-1123)  鳥羽天皇(とば)
75代(1123-1141)  崇徳天皇(すとく)
76代(1141-1155)  近衛天皇(このえ)
77代(1155-1158)  後白河天皇(ごしらかわ)
78代(1158-1165)  二条天皇(にじょう)
79代(1165-1168)  六条天皇(ろくじょう)
80代(1168-1180)  高倉天皇(たかくら)
81代(1180-1185)  安徳天皇(あんとく)     
82代(1183-1198)  後鳥羽天皇(ごとば)
83代(1198-1210)  土御門天皇(つちみかど)
84代(1210-1221) 順徳天皇(じゅんとく)
85代(1221-1221)  仲恭天皇(ちゅうきょう)
86代(1221-1242)  後堀河天皇(ごほりかわ)
87代(1232-1242)  四条天皇(しじょう)
88代(1242-1246)  後嵯峨天皇(ごさが)
89代(1246-1259)  後深草天皇(ごふかくさ)
90代(1246-1274)  亀山天皇 (かめやま)
91代(1274-1287)  後宇多天皇(ごうだ)
92代(1287-1298)  伏見天皇 (ふしみ)
93代(1298-1301)  後伏見天皇(ごふしみ)
94代(1301-1308)  後二条天皇(ごにじょう)
95代(1308-1318)  花園天皇 (はなぞの)
96代(1318-1339)  後醍醐天皇(ごだいご)
97代(1339-1368)  後村上天皇(ごむらかみ)
98代(1368-1383)  長慶天皇 (ちょうけい)
99代(1383-1392)  後亀山天皇(ごかめやま)
100代(1382-1412) 後小松天皇(ごこまつ)
101代(1412-1428) 称光天皇(しょうこう)
102代(1428-1464) 後花園天皇(ごはなぞの)
103代(1464-1500) 後土御門天皇(ごつちみかど)
104代(1500-1526) 後柏原天皇(ごかしわばら)
105代(1526-1557) 後奈良天皇(ごなら)
106代(1557-1586) 正親町天皇(おおぎまち)  
107代(1586-1611) 後陽成天皇(ごようぜい)
108代(1611-1629) 後水尾天皇(ごみずのお)
109代(1629-1643) 明正天皇(めいしょう)女帝
110代(1643-1654) 後光明天皇(ごこうみょう
111代(1654-1663) 後西天皇(ごさい)
112代(1663-1687) 霊元天皇(れいげん)
113代(1687-1709) 東山天皇(ひがしやま)
114代(1709-1735) 中御門天皇(なかみかど)
115代(1735-1747) 桜町天皇(さくらまち)
117代(1762-1770) 後桜町天皇(ごさくらまち) 女帝
118代(1770-1779) 後桃園天皇(ごももぞの)
119代(1779-1817) 光格天皇(こうかく)
120代(1817-1846) 仁考天皇(にんこう
121代(1846-1866) 孝明天皇(こうめい)
122代(1867-1912) 明治天皇(めいじ)
123代(1912-1926) 大正天皇(たいしょう)
124代(1926-1989) 昭和天皇(しょうわ)
125代(1989- )  今上陛下  
※ 
1 考古学的、学術的に多くの学者の意見が一致しているのは赤字の6カ所ぐらいですね。
2 歴史上、女帝は赤字の10代8人です。

 見にくい資料を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 恥ずかしながら、翔年はこの歳になって初めて、歴代天皇の名前を読み方までしっかり確認して書きました。

皇室は必要か

 次回は「日本国憲法」について考えたいと思います。特に皇室に関する第一条〜第八条です。アップできるのは10日ぐらい先になると思います。







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September 11, 2016

天皇の「生前退位」問題を考える -その真意は? ソースは? 黒幕は?-

 
天皇皇后

 7月13日 NHK午後7時の「天皇生前退位」ニュースは単純なスクープではなかったと思う。十分な取材がなされていたと感じた。

 そうすると、ニュースソースは? その意図は? この時期に発表したのは何故?  黒幕は誰?

 疑問はいっぱいあるが、今のところハッキリしません。憶測ばかりです。このような微妙な問題の発表にゴーサインを出した黒幕は一体誰なのか?

 この疑問に少しでも迫りたい。

 そのため天皇の生前退位に関係しそうな皇室報道を過去に遡って確認しつつ、時系列に並べて、何か手掛かりを見つける努力を読者と共にしたいと思います。「また、あれか、時系列か」と言わないでください。(笑)

 特別のニュースソースを持たない個人は、公開情報を集めてそれを分析するしかありません。この時系列情報はいろんな疑問の解決に役立つと信じます。

 採用した事実情報は主に「文芸春秋」(9月号)のいろんな方々の記事から、後はWebにある雑多な記事群から、「事実らしきもの」を抜き書きしました。(もし、事実誤認がありましたら、連絡いただければ幸いです。直ちに訂正します。画像はネットで拾ってきました。よろしく)




文芸春秋9月号

早速、10年以上前からの事実を並べてみます。

2003年(平成15年)
?月?日
 天皇が前立腺ガンの手術を受ける。
 → 医師の見解はステージB2、ガンは切除。以後はホルモン療法が継続されている。ムーンフェイス(ふっくらした顔)はそのせいらしい。


2011年(平成23年)
2月?日
 心臓の冠動脈血管の狭窄が発見され、再び「健康不安」がもちあがった。
 → これは心筋梗塞の心配がある恐ろしい病気。

3月11日
 東日本大震災発生
 → 地震、津波、原発事故は日本中を大きく揺さぶった。後日、陛下は被災地への慰労の旅をされた。

?月?日
 天皇、皇太子、秋篠宮、宮内庁長官の4者会談が定期的に開かれるようになったらしい。 
 → 報道関係者によると宮内庁関係者に天皇の健康に関する取材をしても、ナシのつぶてだったという。報道管制がひかれていたのは間違いない。

11月30日
 秋篠宮誕生日の会見
 秋篠宮:「定年制というものは、やはり必要になってくると思います。一定の年齢を過ぎれば、人間はだんだんいろんなことをすることが難しくなっていきますので…」
 → 天皇の健康を気づかった発言ですが、今となっては、天皇の「ご意向」を述べたものともとれます。


2012年平成24年
2月?日
 天皇陛下の冠動脈のバイパス手術が成功、ご退院さる。

12月23日(天皇誕生日)
 天皇:「負担の軽減は、公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分考えてしなくてはいけません。いまのところしばらくはこのままでいきたいと考えています。」
 →高齢の健康不安を抱えた庶民なら、こっちの会は出ますが、そっちはちょっと遠いから失礼しますで済みます。陛下は公務ですから、公平の原則を踏まえなければならないからこうはいかない。ままならない。


2013年(平成25年)
11月14日(木)
 宮内庁が「ご陵とご葬儀のあり方について」を発表。ご陵の縮小という天皇陛下のご意向に沿って、葬儀形式を「土葬」から「火葬」に変更。これに伴う葬儀の細部はこれから詰める。
 → 天皇が高齢になって、事後の事をいろいろ配慮されていることが窺えます。

12月23日(天皇誕生日)
 天皇:「日本国憲法には『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。』と規定されています。この条項を遵守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。「いまのところしばらくはこのままで
いきたいと思っています。」
 → いわずもがなのこと。自分は憲法に定める国事行為のみを行っていると、改めて国民に向かって述べられた真意は何か? よく分かりません。
 下司の勘繰りと言われそうですが、敢えて言うと、天皇が新しく始められた「サイパン、パラオ、フィリピンなど太平洋戦争の激戦地を慰霊のために訪問されているのは、憲法に定められている国事行為ではない」という意見へのやんわりした反論かも知れません。今まで、このような天皇の反論は聞いたことありませんけど…。


2015年(平成27年)
12月23日(天皇誕生日)
 天皇:「私はこの誕生日で八十二になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。」
 → 事実、この年に、こういうことは2回あったという。


2016年(平成28年)
5月9日
 宮内庁が両陛下の公務削減を発表
 → 天皇が難色を示されてわずかな削減にとどまったという。

5月?〜6月?
 陛下のご意向を慮って、宮内庁幹部の会合が秘密裏に開かれるようになった。
 →摂政を置かない場合のやり方、新法なら何がネックになるか? これには黒幕が加わったのではないでしょうか?
 
7月10日(月)
 参議院選挙の開票結果で、自民党は議員定数242人の単独過半数(122議席)を無所属議員の入党を加えて獲得した。また、憲法改正に賛成する勢力が三分の二に達した。

7月13日(水)
 NHKが午後7時のニュースで、天皇の「生前退位」の意向を報道。
 → 報道によれば陛下は「数年以内に」退位をご希望らしい。

 宮内庁の山本信一郎次長:「天皇陛下が『生前退位』の意向を宮内庁関係者に伝えているという事実は一切ない。そうした前提で、今後の対応を検討していることもない。」
 →NHKのニュース直後に、宮内庁記者クラブで次長はニュースをこのように完全否定した。このニュースソースを本当に知らなかったのか、それとも知っていて完全に白を切ったのか判断できません。
 今までの時系列から見ると結果的に、山本次長は事実と大きく違うこと、すなわち「嘘を」報道陣に(国民に向かって)言ったことになります。知らなかったのなら、知らなかったといえばよいし、調べてから後日答えますと言えば済むこと。
 報道を全否定するなら、宮内庁の役人としてNHKに「この誤報を取り消せ」というような発言があってしかるべき。そういう発言が一切なかったのだから、この人の言はとても信用できません。要するに筋を通すことができない人です。


7月14日(木)
 前日のニュースに対する注目すべき反応です。

 宮内庁風岡典之長官:「従来から陛下は憲法上、制度や国政に関する発言はしていない。第三者が推測や解説をするのは適切でないので、お気持ちを表明することは控えたい」
 → コメントの前半ではやはり、ニュースを否定している。だが、後半では「陛下のお気持ちは知っているが」これを言うことは控えると言ってますね。
 要するにニュースは打消し、陛下のお気持ちには煙幕を張るという、いかにも宮内庁らしいよく考えられた発言です。メディアと国民にとっては本当のことはさっぱり分からないコメントです。

 麻生太郎副総裁:「大正天皇の後半の頃も、昭和天皇が実質的にしておられた面がある。
 → これは事実を言ってます。落としどころを示唆したアドバルーンのように見えます。

 官邸関係者X:「安倍総理は心底驚いた様子で、情報源の確認を指示しました」
 → 総理大臣も発表のことは知らなかったのか。ちょっと問題ではないか? ところが、このニュースが事前に知らされなかったことに不満をいう政府関係者が一人もいないのは何故だろう? 総理は事前に知っていたのでは? 「皇室会議に諮るべき」とか、なんとかかんとか、漏れてこないのは不思議。天皇に関することとなると、どなたも未だに自由に物がいいにくくなるようですね。
 このことは翔年が一番危惧するところです。

  

時系列から何かを読み解こうとして

「分かった事」

1. 「生前退位」は天皇の強い「ご意向」である。

2. 天皇は現在の「国民の象徴としての天皇制」を次世代にスムーズに引継ぎたいと思っている。

3. だから、自分の健康上の理由で公務をだんだん縮小するようなことは避けたい気持ちがある。(加齢とともに公務を次々に縮小していたら、ついには次世代に引き継ぐものがなくなってしまう)

4. 天皇家と宮内庁幹部でそのご意向は共有され、内部で秘密裏にいろいろな検討が行われている。

5. 国民の反発をまねかないような発表ストーリーを考え、NHKにゴーサインを出した黒幕がいるはず。

6. NHKはこの黒幕と通じている。


「分からない事」

1. 天皇のご意向を受けて意図的に「生前退位」をリークしているのは誰?

2. この件は限られたごく少数が関与している。その黒幕は誰?

3. この時期にNHKにゴーサイン出した意図は? 



 読者のみなさん、他に何か気づかれたことがありましたでしょうか? ありましたら是非、教えていただきたいと思います。



 翔年は天皇の「生前退位」問題は単にこれだけに限って処理してはならないと考えています。ですから、皇室典範をこちょこちょっと修正して事を済ませることには反対です。

 現憲法の第一条〜第八条は天皇と皇室の事が書いてあるのですから、国民は九条論議の前に、もう一度天皇制を含め、この国のあり方について憲法を読んで、ジックリ考えることが必要であると思っています。


 そういう観点から、翔年はあと二つ、「天皇陵の謎」(宮内庁管理下にあって歴史を隠蔽している)という事実と「日本国憲法のここがヘン」(時代に合わない)を書きたいと思います。

 二つとも大きな問題なので、なかなかアップできないと思いますが、何とか努力して今年中にはアップしたいと思っています





どういう風にして年を取っていくかを知ることは、人生の知恵にとって主要な仕事であり、偉大な生き方における最も難しい知識である。
                 -A.アミエル[1821-81](文学者.哲学者)-





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September 07, 2016

ハートストンとアシモフ -好奇心の刺激本、よい勝負?-

nobodyknow

 先日、梅田の紀伊国屋でぶらぶら本棚をのぞきまわっていた時のことです。まったく偶然にこんな本が目にとまりました。

 タイトルは"the Things that Nobody Knows"(誰も知らないこと)
サブタイトルは”501 misteries of Life, the Universe and Everything"(人生、宇宙、その他なんでも不思議なこと)とあるので、手に取ってページを繰ると、もう好奇心に勝てませんでした。(笑) 
 
 この手の本は1ページから順に読む必要はありません。501項目は完全に独立した読み物なので、どこから読んでも楽しめるのがこういう本の大きな魅力でもあります。

 例えば、大項目の”Hair(毛)"には、
”Why does the hair on our heads grow so long?"(何故我々の頭の上の髪の毛はこれほど長く伸びるのか?) という小項目と、 
"Why do we have pubic hair?"(何故我々には陰毛があるのか?)と言う、とても興味深い小項目が二つ並んでいます。

 著者は商売がうまい。ひっかけられたかも分かりません。 
 なぜって、作者は後者の回答に3つの理由しか挙げていませんが、翔年はもう一つ、別の理由を挙げることが出来ますから。いずれ適当な時を選んで書きましょう。(笑)

 買った本を早く読みたくて急いで帰宅し、辞書をたよりに数項目を読みました。その時、「待てよ、これならついでに類似本のアシモフも読んでみようかな?」と思いました そしてAmazonで衝動買いしました。



asimov'sbook

"Isaac Asimov's book of Facts"(アイザック・アシモフの事実の本)
副題は "3,000 of the Most Interesting, Entertaining, Fascinating, Unbelievable, unusual, and Fantastic Facts."(最も興味深く、面白く、うっとりさせて、信じられないような、稀な、空想的な3,000項目の事実)です。

 この本はかつて「アシモフの雑学コレクション」星 新一編訳で読んでいるつもりだったのですが、この機会に読み比べてみると、どうも翻訳本とは違う感じです。よく見たら星さんのあとがきに、「(前略)文章は直訳ではない。また、西洋史がらみで、日本人に縁のないもの、アメリカの地理など親しみにくいものは、省いた」と断り書きを見つけました。納得。

 と云うわけで、今回初めて原著者の文章に直接ふれて見たいと思います。


 事実は数多く知れば知るほど興味は増すもの。この2冊はゆっくり楽しみながらの読了を目指します。




"退屈の治療には好奇心が必要だ。ちなみに、好奇心を治す薬はない。(The cure for boredom is curiosity. There is no cure for curiosity. -Dorothy Parker-)







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September 05, 2016

ビブリオバトル -読書の甲子園?

(クリックして拡大すれば読めます)
bibliobattle

 今日の読売新聞のコラム「地球を読む」に『ビブリオバトル』が載った。筆者の山崎正和氏によると、これは「読書の甲子園」みたいなものだから、普及することに意義があるという。そしてこのビブリオバトル(Bibliobattle)を義務教育に取り入れることを提案しておられる。

 確かに、わが国の文芸には「講」とか「座」とか言って、仲間が寄り集まってお互いに楽しみながら、切磋琢磨しあって、お互いが高め合う伝統文化がある。コミュニケーション文芸?とでも呼ぶべきか。

 ビブリオバトルの公式ルールはたった四つです。
1 発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる.順番に一人5分間で本を紹介する.

2 それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2〜3分行う.

3 全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員で行い,

4 最多票を集めたものを『チャンプ本』とする.




bibliobattle2


 山崎氏の慧眼に留まったからには、これは面白い文芸活動になるに違いない。最近は若者たちの間に、活字文化を疎んじる風潮が蔓延しているのを翔年は危惧していたが、この運動をきっかけに、読書人が倍増することを期待してやみません。

 関心のあるかたはビブリオバトルの公式ウエッブサイト をご覧ください。





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Posted by mtmt0414 at 13:46Comments(0)TrackBack(0)Culture & Education

September 03, 2016

スイスイ論語(5) -君子は其の言の其の行に過ぐるを恥ず-

読売新聞(9/3夕刊)の「スイスイ論語」(クリックして拡大すれば読めます)
スイスイ論語5

 本日の安岡定子さんの「スイスイ論語」は憲問第十四より選ばれたこの言葉です。

君子は其の言の其の行に過ぐるを恥ず。(憲問十四より)

「金谷 治先生の訳」
君子は、自分の言葉が実践よりも以上になることを恥じとする。

※この言葉は我が国に伝わった古い本では定子さんの読み方になっているので、上の訳もすなおにその通りになっています。
ところが、新注といわれる本ではちょっと違っている。どう違うかについては、諸橋轍次、吉川幸次郎、金谷治の三先生とも、同じことを指摘されているのでちょっと触れておきます。


(古注) 君子恥其言過其行也
(新注) 君子恥其言過其行也
上のように「之」と「而」の違いによって、ニュアンスが違ってくる。
諸橋轍次先生は新注に基づいた訳として
君子は自分の言葉に実行が伴わぬことを恥じて言葉を慎み、言葉以上の実践躬行するよう努める。
と言っておられる。

どちらが正しいとかいう問題ではないし、意味するところは同じですが、翔年は諸橋先生の訳の方がより含蓄が深くて、君子らしいと言葉だと思っています。

閑話休題。

論語は全部で二十編ある。各編それぞれその編の最初に出てくる二字或いは三字をとって編名としています。昔は一編ごとに一つの巻物としていたから、その編の順序を示すために第一、第二という言葉を付したらしいですね。



 参考までに論語の全編名を読み仮名付きで記して、これまでの「スイスイ論語」がどの編からピックアップされたかを示しておきます。
 今のところ、定子さんがどのような意図で各編からピックアップされたのか分かりませんが、いずれご本人から明らかにされることでしょう。

 翔年としては、出来るだけ長く続けていただきたいと思っています。何故かといいますと、若い時は「論語」と聞いただけで、「古臭い」という思いが強くて敬遠しますが、社会に出て20年ぐらい過ぎて、よく言えば人生のベテランと言われる年になると、論語の一語一語が心に沁みてくるように思うからです。今まで、敬して遠ざけていた方も、一度論語を紐解いていただきたいと思っています。

学而(ガクジ)第一
為政(イセイ)第二 (スイスイ論語2と3)
八佾(ハチイツ)第三
理仁(リジン)第四
公冶長(コウヤチョウ)第五
擁也(ヨウヤ)第六
述而(ジュツジ)第七
泰伯(タイハク)第八
子罕(シカン)第九
郷党(キョウトウ)第十
先進(センシン)第十一
顔淵(ガンエン)第十二
子路(しろ)第十三
憲問(ケンモン)第十四 (スイスイ論語5)
衛霊公(エイレイコウ)第十五 (スイスイ論語4)
季氏(キシ)第十六
陽貨(ヨウカ)第十七 (スイスイ論語1)
微子(ビシ)第十八
子帳(シチョウ)第十九
堯曰(ギョウエツ)第二十




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Posted by mtmt0414 at 22:37Comments(0)TrackBack(0)Culture & Education

August 25, 2016

映画「トランボ (ハリウッドに最も嫌われた男)」

 見たい観たいと思いながら機会がもてなかった映画「トランボ」を、やっと21日に観た。 こういう言い方をしては、ハリウッド関係者に失礼かもしれないけど、ハリウッド映画にしては思想的な出来事を描いてよくできた映画だった。
セックスも暴力もなしでした。(笑)


トランボ

 ソ連との冷戦下にあった1947年、アメリカに吹き荒れていた「赤狩り」(世にいうマッカーシー旋風)の矛先がハリウッドにも向けられてきた頃の実話です。翔年は「赤狩り」は知っていましたが、それがハリウッドにまで及んで、こんなに酷いことになっていたとは露知りませんでした。

 今にして思えば、当時のハリウッド映画はほとんどが娯楽作品、対してフランス映画やイタリア映画は社会の矛盾を描いた優秀な映画があったので、レベルが上という認識が若者の間には定着してました。「赤狩り」の所為だったんでしょうね。そうに違いありません。


閑話休題。
 脚本家のダルトン・トランボがその赤狩りの標的にされた。そして「下院非米活動委員会」に呼び出され公聴会で証言を求められた。

「イエス、ノーで答えよ。」
「”イエス”か”ノー”で答えるのはバカか奴隷だ。」 
 
 こう言って証言を拒んだトランボは、「議会侮辱罪」という罪を着せられてしまう。そして国家への反逆者のレッテルを貼られてしまい、ブラックリストに載せられた人気脚本家は1950年に投獄されるに至ります。

 翌年出所はしたものの、彼の立場は公に活動できなくなってしまっていた。アメリカらしからぬ排除の論議が蔓延っていた。思想信条の自由を大事にする現代の感覚で見れば「無実の罪」をきせられたとしか思えません。映画には描かれていませんが、1952年には、あのチャップリンも同じような嫌疑で米国への再入国を拒否されています。そういう時代だったのです。これはハリウッドの汚点であり、アメリカ史の大汚点でもあります。

 このような嫌疑をかけられたのはトランボ一人にとどまらず、最初の標的となった監督と脚本家の10人は特別に「ハリウッドテン」と呼ばれ、理不尽な弾圧によってキャリアを失い、人生を破滅させられていったのです。
 
 「愛国」という言葉で大衆を煽り、「非国民」という言葉をかぶせて他者を排除する息苦しい社会はどの国でも経験していることです。そうなる危険性は現代社会にもあるように見えます。




人間関係相関図(クリックを2回して最大化すれば、歴史の中で誰がどんな役割を果たしたか、人名が読めます)
トランボ2

 面白いことに、この赤狩りをする「非米活動委員会」を支持する立場の映画人として、ジョン・ウェインやロナルド・レーガン(後の大統領)、エリア・カザン(監督)が実名で出てきます。(史実だから、大スターも大統領もしかたないでしょう。)

 赤狩りに協力した者、抵抗した者、主義主張を変えた者、仲間を裏切った者、政治に無関心で、金儲けしか目がない男の行為が、結果的にトランボを助けることになる人生の皮肉など、ハリウッドの内幕がビビッドに描かれていて、興味がつきませんでした。

 出獄後、愛する妻や子供たちの生活を守るために、いくつもの偽名を使い分けて密かに脚本を書き続け、不屈の戦いを繰り広げたトランボは、ついに「ローマの休日」と「黒い牡牛」で偽名のままオスカー賞をとる。その苦難の過程で、家族愛、家族の絆、夫婦愛、友情など、見どころはたっぷりありますが、それは見てのお楽しみということで…。(笑)

 一言付け加えるなら、この映画は被害者と加害者とを単純に区分けして描いていません。これが素晴らしいと思いました。時代の荒波の中で、それぞれが如何に懸命に生きたかを、善悪をこえた視点でみごとに描いており、出色の出来栄えでした。多様な見方を示すことで、見る者の心に生きるための何か大切なものを残してくれたことは間違いありません。







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August 21, 2016

スイスイ論語(4) -過ちて改めざる、是を過ちと謂う-

クリックして拡大すれば読めます。(読売夕刊 8/6)
スイスイ論語4

 アメリカ滞在中の8月6日の読売夕刊に安岡定子さんの「スイスイ論語」が掲載されました。(アップが遅れましたことをお詫びします)

子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う。

 諸橋鐵次先生の解説です。

孔子言う、人には、何人と雖も過ちのない者はないが、それを過ちと気付いて改めて行く事に依って、結局過ちなき姿に戻るのである。然るに過ちを犯しながら、その犯した過ちを改めないでおれば、それが真の過ちになるのであるから、これを過ちというのである。

 
 過ちに関連するこんな孔子の言葉があります。

子曰く、人の過ちは、各(オノオノ)其の党に於いてす。過ちを観ては斯(ココ)に仁をしる。

 諸橋先生の解説
 孔子言う、人の過失は、大体その人の性情に近いか或いは性情に類する方面にあらわれて来るものである。情け深い人は、情けのあり過ぎる点において過失を犯し、人情の薄い人は、人情のうすい点において過失を犯す。従って、人に過失を観察すると、その人の徳性の如何を知ることができる。
 この章は、人を観る方法を論じたものであろうし、又過失によって直ちにその人を捨て去ることを戒めた教えであろう。

→ 一般に世の中では「情け深い人」は善人で好まれるが、孔子は「情け深い人は情けのあり過ぎる点において過ちを犯す」とい言っています。また過ちの質をよく見よと。人間通でかつリアリストの孔子ですね。


党=仲間、同類のこと
仁を知る=仁とはその人の徳性というほどの意


本棚の論語本たち
本棚の論語
 論語は奥の深い書物です。生半可な読み方では不十分な理解にとどまってしまう恐れがあります。翔年が感銘を受け今も大事にしているを本を書きとどめておきます。

諸橋鐵次著 「論語の講義」大修館書店刊 
→ 論語の本の中で一番信頼を於いています。名著と思います。

吉川幸次郎監修 「論語 上、中、下」 朝日文庫刊 
→ 学術的に広範囲に論語の解釈が網羅されています。疑問が湧いたらこの本を見るにかぎります。

金谷治訳注 「論語」 岩波文庫刊 
→ 一冊によくまとめられているので、持ち歩きに便利です。




伊与田先生浄書の「仮名論語」
仮名論語

伊与田寛 浄書 「仮名論語」 成人教学研修所発行 
→ 翔年が初めて論語にふれた書です。四條畷市の成人教学研修所所長であった伊与田先生にこの本で学びました。先生が心をこめて浄書された書です。解説はありません。すべての漢字に仮名がふってあるので素読に適してます。

安岡正篤著 「論語の活学」 プレジデント社刊
→ 著者は安岡定子さんの祖父にあたり、「師友会」を設立し、政財界のリーダーの啓発・教化に努められた先生で、論語の活用を説かれています。

山本七平著 「論語の読み方」 祥伝社刊
→ 著者独特の論語の解釈が随所にでてくる。読み物として面白い。

井上靖著 「孔子」 新潮社刊
→ 孔子の弟子から見た孔子像を描いた小説です。たいへん親しみやすく読みやすい。

下村胡人著 「論語物語」 講談社学術文庫
→ 論語の心を著者が物語として描いたものです。


 

「スイスイ論語」の次回は9月3日の読売夕刊に掲載予定です。おたのしみに。
 




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August 17, 2016

今年の国際囲碁大会 -ジャパン・コングレス、ライフ子供、US Congress-

 今年の夏、翔年は三つの囲碁国際大会に出場する機会を得たので結構忙しかった。続いて休む間もなく、ブラジルのリオで行われているオリンピックでの日本選手の活躍振りが、連日24時間放映されており、そちらの観戦も目が離せません。
 その上、時差ボケに寝不足が重なって、自分でも頭がどうかならないかちょっと心配です。(笑)
 
 そんな訳で、とりあえず簡単な写真で記録を残しておきます。
 

 まず、7月15日~18日、「第一回ジャパン碁コングレス in 箕面」でした。


左から大会場、メキシコのキンテーロ氏、箕面市議会議長の石倉さんといろいろお世話いただいた関西棋院の岡橋さん、お二人とも笑顔が素晴らしい。
ジャパン碁コングレスin 宝塚Quintero石倉議長&岡橋



 次は、7月26日〜27日、「第3回ライフ国際子ども囲碁大会」が大阪市舞洲会場で9か国の子供たちを集めて盛大に行われた。

 翔年は「おじいちゃんをやっつけろ」というイベントに出席した。対局が終わってから、9か国の子供たちとバーベキュー料理をつっつきながら、手振り身振りでたのしい交流をしました。


左、対戦した女の子、1勝1敗、 右、この子も勝ったらしい。この日はおじいちゃん達の災難の日でした。(笑)
おじいちゃんをじいちゃん



 三番目は7月30日〜8月7日、マサチューセッツ州ボストンで開かれた「The 32nd US Go Congress in Boston(第32回全米囲碁選手権大会)」です。事務局の発表によれば今年は参加者が650人を超えていたそうです。
 
世界中から集まった囲碁愛好者がボストン大学のドミトリーに宿泊して、1週間囲碁漬けの生活を送るわけですから、楽しくないはずはありません。


左から、対局会場、対局者の中国の坊やは強かった(中押し負け)、アメリカ人(2.5目負け)、大会の最終成績は2勝4敗でした。
対局開始前9歳のぼ〜やお互い大満足


左から、成績発表の後のサヨナラパーティ、市内を流れるチャールズ川の眺め、この川を渡って徒歩30分でMIT Museumへいきました。
サヨナラパーティチャールズ川の眺め





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July 22, 2016

続アインシュタインに学ぶ -ユーモア&ウイット-

einstein2
 「ジャパン碁コングレスin 宝塚」(7/15-7/18)で久しぶりに多くの碁友と旧交を温めることができた。古い碁友の中に「もの言う翔年」の読者がいらっしゃるのを知ったことは、これまた意外で、望外の喜びでした。
 
アインシュタイン博士の名言にユーモア溢れるものがあるという話題に花が咲きましたので、それらを拾い集めてみることにしました。



 博士はアメリカ亡命後もドイツ語訛りがとれず、英語がなかなか上達しなかったそうです。右の舌を出している博士の有名な写真は、大学の講義で英単語のスペルミスを学生に指摘された時に撮影されたものだそうです。博士のお人柄の一端が浮かんできますね。

 もう一つ。博士は研究には熱心でしたが、私生活では面倒くさがりで、洗濯用石鹸で顔を洗い、雑巾で顔を拭き、灰皿に食事を盛りつけるなど常識外れの一面があった。いつも髪の毛はくしゃくしゃで、足の裏からの過度の発汗のために靴下を履くのを極度に嫌われたそうです。
※ このエピソードは弓場隆訳「アインシュタインの言葉」(デスカヴァー・トゥエンティワン刊)を参考にしました。



 まずは「物理学ネタ」からはじめましょうか。

人々が恋に落ちるのは重力のせいではありません。(Gravitation is not responsible for people falling in love.)

→ 日本語では「恋」は人間が能動的に「する」ものですが、英語表現では人間は「恋」になぜか意図せずとも「落ちる」ものなのです。物理学で万物が落ちるのは「重力」があるからと教えられるのは世界共通ですから、物理の時間に先生がこういう冗談を若い学生に言ったら、きっとうけたに違いありません。(笑)

 その上、私生活でも博士は「落ちやすい体質」であったという節も随所に見受けられるのでなおさらです。因みに最初に落ちたのは学生の時に知り合ったハンガリー出身の3歳年上の女性で、母親の大反対を押し切って23歳の時に結婚されています。

 それに言わずもがななのに、最初の奥さんと二度目の奥さんを比べてこんなことを言って笑いをふりまいています。

前の妻は科学が理解できたが、今度の妻は科学が理解できないので助かる。

→ その助かった二番目の奥さんが死去された後、別の女性と交際していたといいます。



可愛い女の子と一時間一緒にいると、一分しか経っていないように思える。熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな一時間よりも長いはずだ。
相対性とはそれである。

(When a man sits with a pretty girl for an hour, it seems like a minute. But let him sit on a hot stove for a minute - and it's longer than any hour.That's relativity.)

→ 普通の人には理解が難しい特殊相対性理論と一般相対性理論を構築された博士の言葉だけに、このウイットに味わいが出てますね。



 次は「結婚」、「常識」、「失敗」、「自責の念」、「ユーモア」などについての博士一流のジョークを並べます。

ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という。

→ いかがですか? 反論のある方はコメントをお願いします。


異教徒どうしの結婚は危険です。いや、よく考えれば、どんな結婚でも危険です。

→ 博士は別のあるところでこうこぼしている。家庭をあずかる奥さんは家具や散らかっている物を片づけることに意を注いでいるので、「旅行に行ったとき博士を片づけたがるので困る」と。どうやら博士にとって構われたり、細やかな愛情を注がれたりするのは迷惑で、自由放任の結婚生活に憧れがあったらしい?


結婚に際して、女性は男性が変わることを期待していますが、男性は女性が変わらないことを期待しています。両者が失望するのは当然です。

→ 博士も我々と同じように経験からいろいろ学ばれているらしいです。(笑)



常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

→ いつも自分のあたまで物事の根本から考える博士のような自由人にして言える言葉だと思います。


間違いを犯したことのない人というのは、何も新しいことをしていない人のことだ。

→ 我が国のサラリーマンの定年退職挨拶の常套句は「お陰様で大過なく……」ですね。博士のようなクリエイターからみたら、間違いを犯さなかったということは、何の挑戦もしなかった無能者の恥ずかしい挨拶に見えるでしょう。


どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか。

→ 確かに、近年の傾向として、やけに他人を攻撃する人が増えているように思えますが、どうでしょうか?


唯一の救いは、ユーモアのセンスだけだ。これは、呼吸を続ける限りはなくさないようにしよう。

→ 博士はべつのところで「自分と相手とを真剣に受け取らないように心がけている」と発言されている。確かに巧みなユーモアやウイットは人間関係の衝突や軋みを巧みに緩和する技術だと思う。「唯一の救いは…」とおっしゃっているところを見ると、博士の敏感かつ繊細な心には人間関係で耐えられないものが数多くあったのではないかと推察できます。


わたしは医者に手伝ってもらわなくても死ぬことができます。

→ これだけは博士と全く同じ考えです。翔年が日本尊厳死協会に入っているのはそのためです。医者に無用な延命措置をしてもらいたくありませんから。




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July 09, 2016

アインシュタイン博士に学ぶ(3) -人類社会の問題解決にむけて-

アインシュタイン博士

 これまで2回のエントリーで、尊敬するアインシュタイン博士の数々の名言を学んできました。そして今回が最後です。大きな示唆を含んだ預言であると思います。


もしユダヤ教から預言者たちを排除し、イエス・キリストが教えた本来のキリスト教から弟子たちの教えを排除するなら人類のすべての社会問題を解決できる教えが残るでしょう。



→ これを読んで、ハッとしました。 翔年は昔から無神論者なので、宗教的な気づきではありません。
 あぶない「一神教」やら「何やら教」を離れて、「世界中のあらゆる人たちが共感できる人類社会の諸問題を解決するために必要な共通の規範があるのではないか」ということです。




修身のすすめ
 思い当たるところがあって、34年前に読んだ竹内均先生著「『修身』のすすめ」講談社刊を本棚から引っ張り出してきました。(笑) 竹内先生は地球物理学の世界的権威で東大教授でした。また、科学雑誌「ニュートン」の創刊者であり、科学啓蒙家としても有名だった方です。

 竹内先生は「あらゆる倫理や法律の基本となる教え」はキリスト教では「黄金律」と言う。これが「世界の三聖人」の言葉の中にあると書いておられます。さすが、三聖人様! 竹内先生様!


何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。   -キリスト-


そのように他人にとってもそれぞれの自己が愛しいのである。それゆえに、自分のために他人を害してはならない。   -釈尊-


己の欲せざるところを人にほどこすことなかれ。   -孔子-



→ これは誰にでもよくわかる教えですね。神や仏を信じなくても、大人は子供たちに教え諭すことが可能です。
 しかしながら、この黄金律はよくよく読んでみると、凡人にはなかなか守りにくい。とくにキリストの教えは翔年には無理。(笑) それを見越してか、竹内先生はこんな提案をされています。

福沢諭吉の「人生訓」、サミュエル・スマイルズ著、中村正直著「西国立志編」、「フランクリンの十三徳」および内村鑑三の「代表的日本人」を参照して、私は私たち凡人の守るべき徳目として

「勤勉・貯蓄」、 「正直・中庸」、 「感謝・報恩」

を数えあげたい。
いずれもすこぶるクラシックな感じのする徳目である。しかし、これらはいずれも、神がかったところや、ある宗教にかたよるといったところがない。



→ 先生が自賛されているとおり、これなら自分に適したやり方でなんとか実行できそうです。翔年はこの徳目を大人たちが実行するとともに、次世代の子供たちに伝えて行く事が大切と思います。


人と生れ、自分自身や一家や国の平和や幸福を望まないものはいないはずである。それを得る方法はただ一つしかない。それは勤勉、正直、感謝から始まる修身の実行である。私自身の経験、これまでの人生で私の見てきた個人、家、会社などの団体、社会さらには世界の動き、これまでに私の読んだ古今東西の国々の歴史にかんがみて、私はこのことだけは確信をもっていう事ができる。
 栄えるものには栄えるだけの原因があり、滅びるものには滅びるだけの原因がある。その原因はただ一つ、修身を実行するか否かだけである。


→ 先生はこの修身は経済問題とも深くかかわっているとおっしゃる。鈴木正三や石田梅岩や、カルビンやアダム・スミスが言ったことは正しいと。
 そして自然科学者らしく、それはチャールズ・ダーウィンの進化論における「適者生存」の原理にかなっていると。

 本の「まえがき」を竹内先生は次の言葉で結ばれています。
この本をよんだみなさんが、ほんのすこしでも私に共鳴して下さるとしたら、私の喜びこれにすぎるものはない。(昭和56年 初秋) 



→ 先生に共鳴して下さった方は、この修身を実行に移しつつ、是非ご家族や仲間たちとこのことをよく話し合ってください。今の世がちょっとでもよくなるために……。そうすることで、世界中から、憎しみによる殺し合いや争いが減るはずです。

 かつてアインシュタイン博士が日本を賞賛してくださったように、世界中の心ある人々から多くの賛同を得られるに違いありません。
 読者のみなさん! 微力ながら先生に代わりよろしくお願いしたします。


 
 
   
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July 07, 2016

アインシュタイン博士に学ぶ(2) -真摯な平和主義者-

「ひとはなぜ戦争をするのか」 (アインシュタインとフロイトの手紙) 講談社学術文庫
なぜ戦争をするのか

 1932年7月30日 A・アインシュタイン ⇒ S・フロイトへの手紙(書き出しのごく一部です)
「(前略)国際連盟の国際知的協力機関から提案があり、誰でも好きな方を選び、いまの文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交換できることになりました。(中略)

『人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?』 

これが私が選んだテーマです。」


→ お二人は天才物理学者と天才心理学者で、かつともに平和主義者です。それにドイツ語圏に住むユダヤ人で、やがて第二次世界大戦がはじまる時期ですから、二人にとっては勿論、世界中の人類にとっても切迫した大問題だったと思われます。(お二人はこの後、ナチスの家宅捜索を受けたりし、最後にはアメリカと英国にやむなく避難されました)

 このエントリーでは長文の手紙は割愛して、アインシュタイン博士がが戦争と平和について、さまざまな時期に述べられた言葉から、真の平和主義者の立場を学びたいと思います。

 なぜなら、現在の地球上は紛争の絶えない状態が続いており、それを解決するのに非常に大きな困難が横たわっているからです。IS国のテロ、戦後の国境線を力で変更を企てている独裁政権の中国の覇権主義、何を目的としているのか理解不能な北朝鮮の政治的不安定など。世界はこれらに対抗する手段を探しあぐねている状態です。国連も有効な機能を発揮できていません。これらの国の暴挙を決して許してはなりませんが、今のところ、関係国の集団的自衛以外、これらの暴力行為を防ぐ有効な手立てはありません。




 わが国内には、未だに米ソの冷戦時代に唱えられた一国平和主義の論調が数多く見られます。明らかに時代は大きく変化しているのに、ピントのズレた議論に終始しているわけにはいきません。とにかく、アインシュタインの戦う平和主義から、何かを学びたいと思います。

 引用文は主に"Einstein's Voice" (弓場隆訳)によりましたが、他の名言集や多くのWebsiteにもお世話になりました。この場をかりてあつく御礼申し上げます。

einsteinvoice


わたしは以前とおなじように熱心な平和主義者です。
しかし、ヨーロッパで兵役拒否をふたたび提唱するためには、攻撃的な独裁政権が民主主義国家に脅威を及ぼさなくなることが絶対条件です。
1920年代には独裁政権は存在していなかったので、わたしは、「兵役を拒否すれば戦争を回避できる」と提言しました。
しかし、いくつかの国に威圧的な状況が現れたとき、もし多くの人が兵役を拒否すれば、攻撃的な国がそうでない国より優位に立つことを直感しました。
        (1941年12月30日、NY Times紙インタビューより)
-A・アインシュタイン-(以下の引用はすべてアインシュタイン博士の言葉です)

→ 世界情勢の危機を読み取って、熱心な平和主義者は、この時から闘う平和主義者の道を一歩踏み出されたのでした。


わたしはガンジーの見解にはほぼ全面的に賛成です。しかし、もし自分や自分の家族を殺したり、生活をおびやかしたりする動きがあれば、暴力に訴えてでも抵抗するつもりです。
        

→ 博士はガンジーが「無抵抗主義」ではないことを、十分理解してこのコメントを出されいると思います。
自分の家族が危害を加えられるのを黙って見過ごすことは、人間性に反することですから、耐えられないのは当たり前のこと。弱腰の無抵抗ではなく、凛とした積極的非服従主義と理解します。


原爆製造に関して私が果たした役割は、ルーズベルト大統領に原爆製造の可能性を調べる大規模実験の必要性を訴える書簡に署名したことです。
わたくしは、もしこの試みが成功したら人類に大きな危険が迫ることを十分に認識していました。
しかし、ドイツが原爆製造に取り組んでいて成功する可能性があることを知り、ついに踏み切ったのです。
わたしは徹底した平和主義者でしたが、それ以外に打つ手はありませんでした。
        
→ どうしても強力な武器をナチスドイツよりも先に、連合国のアメリカが手に入れなければならないと考えられたのでしょう。この爆弾は戦争の抑止力としての価値も非常に大きいものですから。 
 まさか、原爆が博士の愛する日本に二つも落とされることになろうとは、この時、博士は夢にも考えられなかったに違いありません。


私は平和主義者であるだけでなく軍事的な平和主義者ですから、平和のためなら喜んで戦うつもりです。
戦争という自分にとって不本意な状況に苦しむより、平和という自分の信念のために死ぬほうがいいではありませんか。
        

→ 筋金入りの平和主義者! 拍手!
 

偉大な文化を持つ小国が、正義を侮辱する勢力によって破壊されるのをじっと見ているのは、大国にふさわしい態度ではありません。


→ 十分な武器を持たず、独立自尊の精神が乏しい小国日本は、米国の核兵器の抑止力によって守られています。二重の歴史の皮肉です。


世界中の人々の理解を深める以外に原子力をコントロールする方法はありません。わたしたち科学者は、原子力エネルギーに対する人々の理解と社会への応用を促進する重大な責任を担っていることを認識すべきです。そうすることによってのみ、わたしたちは安全と希望が実現できます。


→ これは理解力不足から無用な核アレルギー反応をおこしやすい大衆にたいして、科学者として冷静な正論だと思います。


知識に基づかない信念は迷信にすぎず、したがって排除すべきです。


→ これだけ明確に知識が判断の基であることを表明されたら、気持ちがいいです。 図に乗って嫌なことを言うようですが、最近のTVや新聞で原子力発電の安全性や放射能の危険度合いなどを声高に語っている人たちは、「自分の理解できない事項についてはなんでもけなす」傾向があると見ています。加えて、大声を張り上げたり、激烈な言葉を使ったりして、自分の論拠のなさを覆い隠そうとしている傾向の人も見かけますね。(笑)





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July 02, 2016

スイスイ論語(3) -温故而知新-

クリックすれば拡大して読めます。 (読売夕刊07/02)
スイスイ論語3

 今日の読売夕刊に「こども論語塾」の安岡定子さんの「スイスイ論語」の三回目が掲載されました。


 子曰(シイワ)く、故(フル)きを温(ダヅ)ねて新しきを知れば、以って師と為す可(ベ)し。 

            
 以下は、諸橋鐵次先生の『温故而知新」のゆきとどいた解説です。(安岡さんの解釈と若干違います)

 孔子言う、昔得た知識を再びよく考えたずねて、そこから新しい知識を導き出し、古い事実を尋ね極めて、そこから現在将来の新しい道を導き知ることの出来る人であれば、その人を師として仰いでもよろしい。




論語の講義


 人には古きをたずねる傾向の人と、新しきを知る傾向の人とがある。前者はとかく伝統にかかわって頑固に陥りやすく、後者はややもすると新奇にはせて時流を追いがちである。
 
 由来、人間の思想でも社会の事項でも、前と後ろとは一連のものであり、過去と未来とは連続したものである。

 従って、古きをだずねる人は古きに捉われてそれにのみ止まるべきでなく、それによって新しきを知る工夫を凝らさねばならぬ。

 又、新しきを知る人は、その新しさが古きに根ざすことに思いをいたし、過去をたずねることを怠ってはならない。

 このことは一個人についても、また殊に現下国民の思想生活についても重要な点であると思う。温故と知新との間に「而」という字を入れて、温故が知新の原因となり、知新が温故の条件であることを示す点に注意すべきである。


1. 温は尋であって、たずねる意。
2. 師とは、もちろん人の模範となる者の意であるが、当時は卿大夫或いは士の身分の者が退官後、郷里に帰って上師・下師の任に就くことがあった。従って、ここでは真にその上師たり、下師たる資格のある人という意味に用いたのであろう。


 次回の新聞掲載は8月6日の予定です。が、翔年はその頃、ボストンで行われる"US Go Congress 2016"に行っております。「スイスイ論語」(3)がアップできるのは10日ぐらいになると思います。悪しからず。




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June 26, 2016

アインシュタイン博士に学ぶ (1) -日本絶賛の巻-

 アインシュタイン博士(1879-1955)が初めて来日されたのは1922年(大正11年)のことでした。その1週間前の航海中の船上で、「一般性相対理論」によってノーベル物理学賞授賞の知らせを受け取られた時の言葉は

 『もし私が日本という国を自分自身で見ることのできるこのチャンスを逃がしたならば、後悔してもしきれないというほかありません』

でした。


 そして初来日、わが国をご自分の目で見、さまざまな体験をされて、率直なべた褒め言葉をあちこちで連発されました。それが、博士の胸のうちから溢れ出ているので、現代の日本人はちょっと気恥ずかしくなりますよ。(笑)

 まぁ、博士の言葉をじっくり聞きましょうか。

アインシュタイン博士


〇 近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。
   → 明治維新後、西欧文明を必死に猛スピードで取り入れましたが、技術などの「物」は西欧化しても、心は日本人でいるという難しいスタンスを成功させていたからです。キーワードは「和魂洋才」でした。


〇 日本人は、これまで知り合ったどの国の人よりも、うわべだけでなく、すべての物事に対して物静かで、控えめで、知的で、芸術好きで、思いやりがあってひじょうに感じがよい人たちです。
   → 当時の日本人はE・アランの「国によって慣習は異なる。しかし、表情をくずさぬことが、すべての国に共通の礼節の第一法則なのである。まして、予想もできない激しい感情の動きをあらわすことは、どこにおいても無作法である。」という言葉を期せずして体得していたようですね。



〇 日本人以外にこれほど純粋な人間の心を持つ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである。
   → 博士はこのように、明治から大正時代の日本人を高く評価していたのでした。


 それが戦後、博士の表現はこのように希望的表現に変わっています。
〇 以前に日本人が持っていた、生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい。
   → 博士、ありがとうございます。 次回は世界の平和について、あなたのお考えを教えてください。

 次回は平和主義者の博士の叡智に学びたいと考えています。




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